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2022/02/11ユナイテッドシネマ岸和田No.09272022-0013英題:WESTSIDESTORY2021年:アメリカ2022年2月11日公開上映時間:156分アンセル・エルゴート(トニー)レイチェル・ゼグラー(マリア)アリアナ・デボーズ(アニータ)マイク・フェイスト(リフ)デヴィッド・アルヴァレス(ベルナルド)リタ・モレノ(バレンティーナ)ストーリー1950年代のニューヨーク・マンハッタンのウエスト・サイド。貧困や差別
給付金。。。なんででしょう?みんな頑張ってきたじやないですか。。。何故平等に支援してくれないのですか。。。所得制限だって金額高すぎるでしよ。。。合算計算遅れるからとかあり得ない。。。独身で生きていたら我慢しろってことですか???まだまだ我慢しろと言うのなら、参議院選挙は反撃するしかない。。。富裕層の議員はいらない
何も解決してねえー!受験費用返して終わり?慰謝料も無し?ペナルティーも無し?法的制度の整備も無し?ナイナイずくしでまた馬鹿みたいな偏重試験続けるの?オワコンも過ぎるだろ
こんばんは。いつもブログをご覧下さりありがとうございます。今日はオリンピックの開会式ですね。今回のオリンピックに関しては開催の賛否両論があるようですね。私はコロナだろうがスペイン風邪だろうが感染防止の工夫をして開催することに賛成です。私は学生時代、海外で暮らしていて胸の痛むような差別を日常的に目の当たりにしてきました。人種差別、宗教差別、性差別、職業差別、身分への差別、貧困差別、病気に対する差別、動物への差別etc.世界中の人たちが集まって
・「生きるため」にマスクを付ける『アナーキータレントロボット~ヒーロー』https://www.youtube.com/watch?v=yNtkW84icYA“自粛はスケジュールどおり何にも考えねえで”“組織の言うとおり能無しマスクロボット”こうした事態に発展するのも、すべてに「理由」がありました。‐コロナ脳=組織脳=全体主義‐2020年10月20・27日号『週刊SPA!』記事61頁より資本主義の世界において、(実際の新コロの
平成の一時期、私はある幼稚園の後援会の会長をしておりました。その幼稚園の指導理念に共感しておりましたので、僭越ながら、お話を頂いた時にお受け致しました。後援会の会長として、卒園式で、卒園する子供たちと保護者の皆様を前に祝辞を述べる事になりました。そこで、万葉集から私の好きな山上憶良の歌を引用しました。『銀も金と玉も何せむに優れる宝子にしかめやも』(しろかねもくがねもたまもなにせむにまされるたからこにしかめやも)私はこう続けました。『金銀財宝がどうして優っているというの
中学2年生で孤独になったあたししかし先生、近所のおばちゃん友人、おまわりさんたちに支えられ無事に中学を卒業できた卒業と同時に母親に親戚(母親の姉以降Aちゃん)の家に行けと言われて2万円を持たされたAちゃん夫婦には子供が居なかったAちゃんの家に着いたあたし当時、外見も不良(笑)だったので近所の人からも好奇の目でジロジロ見られたなぁ。。。下町風の住宅地子供のいない夫婦の家にいきなりガラの悪い子供が来れば好奇の目だよネッAちゃんの
高熱状態で死んだばぁ~ちゃんは死んでも温かかった簡単な処置をしてもらい自宅に連れて帰ったお金が無かった我が家ばぁ~ちゃんが死んでも霊柩車や寝台車がきたわけじゃない呼んだのはタクシーばぁ~ちゃんが死んでるのをタクシーの運転手さんにバレないようにしなきゃいけないと言われたタクシーに乗せるのにばぁ~ちゃんのお兄さんと親戚が両肩を貸してあげてる状態で乗せた今から思えば寝台車を呼ぶお金もみんな出さなかったのね?お通夜とは、お酒を飲みながらみんなで故人を
病院に着くと医者と看護婦さんがばぁ~ちゃんを囲んだ体温計を差し込む人血を抜き調べる人心電図をつける人あたしとTちゃんは、ただ見てるしかない体温計の針はあっと言う間に水銀が切れたありえない高熱救急処置室から個室に移動されたばぁ~ちゃんど~なっちゃうんだろ?心の中で思ったけど口に出来なかったTちゃんも同じだっただろう先生が言った『身内の方を全て呼んでください』Tちゃんが、連絡先に電話を掛けるが親戚がゴチャゴチャ言っているそれを見てた先生Tちゃん
復帰したあたしを待ってたのはグループの仲間たち内出血で紫色の顔色だし20数か所の切り傷がまだふさがらずしゃべると血がにじみみんなドン引き(苦笑復帰の噂がすぐに広まりその時のメンツが集まったこの時Y美は居なかった学校に来てなかったらしいY美が学校に来ないのでみんなもおかしいと疑いだしてたらしくEさんを含め、話し合いをした結果、あたしと仲間2人の病院代を慰謝料として暴行に係わった子たちに支払う事を約束させたY美が主犯とは言わなかったみんな
あたしは、家族と生きるために犯罪を繰り返したある友人(以降Y子)は小遣いが足りないと犯罪を繰り返したY子とは小学生の時から仲が良かったY子は、三人姉妹の末っ子Y子は、洋服が買えないあたしにお姉さんの洋服のお下がりをたくさんくれた姉妹で、お揃いの洋服が多くてあたしとY子は、おそろいの服が自然と多くなったY子も、家庭環境がイイとはいえない子だった両親が離婚して、母方に引き取られたが小学4年生の頃かな?ある事情でお父さん側の親戚の人
寝たきりのばぁ~ちゃんが風邪をこじらせて入院をすることになったばぁ~ちゃんはトイレにも一人で行けずにオムツをしていた状態なのでTちゃんも大変だったと思うばぁ~ちゃんが病院に入院をする事でTちゃんも少しは楽になるのかな?なんて思った病院にお見舞いに行くとばぁ~ちゃんは両手をベッドに縛り付けられてたボケてる老人なので仕方ないって病院は言ってた入院代はばぁ~ちゃんのお兄さんが見てくれるって言ってたただ、介護面までの面倒は見れないとベッド
入学式も終わり気分一新!中学1年生のハズが思いもよらずあたしは有名人だった(苦笑小学校で一緒だった子が他の小学校から来た子にあたしがイジメられていたのを話しまくって。。。。あたしが居るクラスまでわざわざ見に来る人が居るありさままた、居ずらくなるなぁ~と思ってた矢先不良軍団からお呼び出し不良軍団に呼ばれた場所に行くと2年、3年生が揃ってたこの人数で殴られたら痛いな・・・なんて、瞬時に考えてたらなんと!3年の先輩の中にEさんが居たEさ
その不良(失礼しました以降Eさんと呼ぶ)に付いて行った先はゲーセンだった見知らぬ世界に足を踏み入れたあたし家のことも、学校の事も忘れさせてくれる空間次第にEさんに心を開いていったEさんは、あたしの家の事情を少しだけ知ってたさすがに、ばぁ~ちゃんがボケてるのまでは、知らなかったけどEさんは2ツ上だったあたしが小学6年生だったのでEさんは中2Eさんからお金をもらう事もあった500円とかそのお金を使わずに握り締めて他の人のゲームを見てたりした50
いよいよ、ばぁ~ちゃんのボケが本格的になった炊飯器を抱えて手づかみで、中のご飯を全て食べたり(一人で何合も食べちゃうの)常識をはずれた行動を取るようになった夜の徘徊もひどくなりとてもじゃないけどTちゃん一人じゃ無理だったばぁ~ちゃんから少しでも目を離すと徘徊して見つからなくなり警察に捜索願を出す日々名前、住所、電話番号を書いた布をばぁ~ちゃんの洋服全てに縫い付けるTちゃんばぁ~ちゃんの病状はあたしのキャパを超えていた学校に行けば学年全体のイ
ばぁ~ちゃんの病名は『脳軟化症』早い話が『痴呆症』=ボケるそして治らない|h・).。oO(現在はアルツハイマー病という医者に説明をされたけどショックと混乱で実際に目の前で起きてる事が信じられないあたしもTちゃんも、心の中で思ったなんで?ばぁ~ちゃん、自宅の住所が言えないのふざけてるようには見えないけど・・・冗談でしょばぁ~ちゃんを病気なんだ?意識して改めて観察してみた*夜、どこかに出て行く(徘徊)*物忘れが激しい*食事を何度も取り
あたしが小学3年生の時、兄は中1ヤンキーだった兄貴は家庭内暴力を振るってたのばぁ~ちゃんやTちゃんに手を上げたひどい時には、金属バッドを持ち出してばぁ~ちゃんを叩いたり・・・ばぁ~ちゃんが殺されちゃう・・・って思ったあたしは、珍しく産みの母親がふらっと顔を出したときに言ったの『ばぁ~ちゃん殺されちゃうよ?兄貴に』Tちゃんも、一緒に現状を説明したら母親はすぐ動いた兄貴に、一人暮らし用のアパートが用意されたの当時のあたしたちが住んでるところよりはるかに立派だった(苦笑
小学生になったあたし自分の家が貧乏なんだってやっと解ってきたある時は遠足の時自分のお弁当を友達と比べたり?あとは・・・学校って何かと色々な集金があるでしょ?給食費から始まり旅行積み立て、授業で使うもの?例えば体操着だったり集金の袋を出した時とかのばぁ~ちゃんの表情でわかったの学校から帰ってきて『ばぁ~ちゃん~集金の袋を渡されたよぉ~?』って渡すとなんともいえないせつない顔を一瞬するから特に大変だったのが遠足とかだったのかなぁ~余
今でも覚えてるあたしが小学生にあがるタイミングで引越しをした時のこと当時、本当にお金が無かったんだろうなあたしは小さかったから重かったとか、辛かったとか記憶が無いんだけど・・・リヤカーに家財道具を乗せてばぁ~ちゃんが中心で引っ張って後ろからみんなで押すのばぁ~ちゃんとTちゃんが真夏の暑い日にリヤカーを押しながら引越し先まで何往復もしてたこと暑かっただろうに・・・重かっただろうに・・・辛い時でさえ、あたし達を見る
あたしたちの両親は育児放棄をしてどこに行ったのかすらわからない状況での人生スタートTちゃんは、障害者なので普通の会社では働けないばぁ~ちゃんは、手の掛かる乳飲み子達の世話で働けない当然・・・お金は無いのでかなり貧乏だったらしいTちゃんの障害者年金とばぁ~ちゃんの老齢年金があたしたち一家を支えてた国からの年金は子供を育てる為のお金ではないしかし、ば~ちゃんとTちゃんの二人とも、本当に自分がおなかを痛めて産んだ子のようにあたしと兄を可愛がってくれて
私は埼玉県で生まれた母親は、若いときから水商売の世界を好んだクラブ勤めの母は店のバーテンと恋に落ち20歳の時に妊娠21歳で入籍して出産お金のない二人は母親の実家に転がり込み生まれた子(兄貴)と母親の兄弟(7人兄弟)と母親の母親(ばぁ~ちゃん)と賑やかに暮らしていたしかし・・・母親は3年後いきなり家出をする自分の家族を置いて行方不明になってしまったのだ1年後、家の電話が鳴った母親が交通事故にあい救急病