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レコーダーのHDDを少し軽くしようと、昔録画してあったNHKBSPの映画を見てみた。安井算哲(渋川春海)という江戸時代の天文学者の伝記映画である。原作小説の著者、冲方丁(うぶかたとう)は、この本により2009年の本屋大賞を受けた。私は小説を読んでいないが、17世紀の江戸時代に天体観測を行ない、中国から導入されていた暦の誤謬を指摘し、独自の大和暦を打ち立て、それが貞享暦として承認され、幕府の初代天文方に任じられた人がいるということを知り、江戸時代の日本の知力に驚きを禁じ得なかった。日食、月食
確かに子供の頃は「ご明察!」ってことばは使われていたように思う。今は使わないよね・・・。本当は「るろうに剣心」が見に行きたかったんですがま、こっちはこっちで面白かったのでマル。いや、期待した以上に面白かったです。どんな話かっていうと、江戸時代の理系男子の話ですワ。主人公の安井算哲は、会津藩お抱えの碁打ち。上様が御展覧になる碁を打つ身分。しかし、ライヴァルの本因坊とは本当に真剣勝負をしたことがなく、上様の前では、すでに考案されて勝
地球儀、天球儀を作った江戸期の天文学者で、この暦の功績により初代・幕府天文方となった人物は?渋川春海(ハルミorシュンカイ)である。春海は、江戸期に自ら天文観測を行って暦理を理解し、新暦法を開発した最初の天文暦学者。幕府の碁所(ゴドコロ)・安井算哲の子。碁所とは、江戸期に碁界の総取締役に任ぜられた者の称号。姓はのちに保井とし、元禄15年には渋川と改めた。貞享元年、宣明暦(センミョウレキ)改暦を建議し、新暦(貞享暦)が採
バッハは江戸初期の人だーカツラをかぶった肖像画からなんとなくもっと古い時代のような感じがしてしまうが1685年生まれか江戸幕府ができたのが1603年映画にもなった『天地明察』の渋川春海(囲碁の安井算哲)が1639年生まれ、渋川春海つまり安井算哲を打ち負かして天文の世界に進ませた?史上最強棋士本因坊道策が1645年生まれ、当時のヨーロッパの数学と同レベルとされる和算の関孝和が1642年生まれだ江戸時代初期に、上に並べた人たちが生まれたと言う事実もすごいが…フランス革命が1789年
伊藤浩士先生の小日本秘史・時々掲載予定第26回暦紀元前660年の辛酉の年の1月1日の神武天皇の即位は史実だと力んでいる者に、当時は縄文時代、そのころの日本には暦がなかった、暦がないのにどうして神武天皇に1月1日が分かったかと言ってやったら、正月くらいは暦がなくても分かるという返事で、日本人の劣化も遂にここまで来たのかと呆れました。雪が降ったから冬だということは暦がなくても分かりますが、1月1日は暦によって作られた人為的な時間表示の区分であり、暦が成立して初めて認識できる
「貞享暦」徳器ヲ成就シみなさん、おはようございます10月最後の日曜日いかがお過ごしですか良い季節ですから楽しく過ごしてくださいさあ、今日「10月29日」の國史を学びましょう「貞享暦(じょうきょうれき)、改暦宣下」貞享元年(1684年)日本人、安井算哲(渋川春海)により編纂した大和暦が採用、改暦となりました862年に宣明暦(せんみょうれき)が採用されて以来800年が経過し天象との相違が2日もあったのです安井算哲は幕府の碁方4家(本
ご訪問ありがとうございます今日は雑節の二百十日です二百十日とは立春から数えて210日目の日の事ですこの時期は稲の開花が始まる頃ですが同時に台風が来る時期でもあります農家の人々は昔からこの頃を「厄日」とか「荒日」(天候の悪い日)と言って警戒してきました一方、暦に二百十日が記載されたのは伊勢暦からですがこの時は、まだ知られていませんでしたその後、徳川幕府の暦学者だった渋川春海が品川の漁師から「立春より二百十日は大暴風雨となる」という話を聞き、これを貞享暦(じょうきょうれき
■最後の七十二候、「鶏始めてとやにつく」について暦日や季節は一年ごとに何度も何度も巡ってきます。ですから、暦日や季節に関係する話もまた、何度も巡ってきます。ただ、その中で人は変わってゆくためあれ、何年か前に質問されたよな?という具合に、暦関係の質問もまた、繰り返される率が高いです。本日採り上げた「鶏始めてとやにつく」という言葉も、暦関係で繰り返しその意味を尋ねられるものです。「鶏とやにつく」は七十二候(しちじゅうにこう)の最後となる大
「貞享暦」算哲から春海へ自分の名前をみなさん、おはようございますお休みの人は運の補給をお仕事の人は側楽(ハタラク)今日も有意義に過ごしてくださいさあ、今日「10月29日」の國史を学びましょう!「貞享暦(じょうきょうれき)、改暦宣下」貞享元年(1684)日本人、安井算哲(渋川春海)による編纂した大和暦が採用、改暦となりました862年に宣明暦(せんみょうれき)が採用されて以来800年が経過し、天象との相違が2日もあったのです安井算哲は幕府の碁
近岡賢二|LINEVOOMCheckout近岡賢二'spostonLINEVOOM.linevoom.line.me【10/6は何の日・日本初の国産カレンダー!?】今日は江戸時代の天文学者「渋川春海」の忌日(1715年(正徳5年)。幕府で囲碁を教える仕事の傍ら、天文学を学び唐の暦「宣明暦」の日時のズレを正すため「授時暦」をつくるも日食予報に失敗。その原因が唐と日本の経度の違いと判り「貞享暦」を作成した。(よかったら「いいね」「シェア」おねがいしま
ご訪問ありがとうございます明日9月1日は雑節の二百十日です二百十日は、立春から数えて二百十日目の日の事を言いますこの時期は稲の開花が始まる頃ですが同時に台風が襲来する時期でもあるため昔の人は、この日を厄日として暦に記載しました八朔(はっさく)二百十日二百二十日を三大厄日とし、江戸時代の伊勢暦に記載されましたその後、釣り好きだった暦学者の渋川春海(しぶかわはるみ)が「立春より二百十日は大暴風雨となる」という話を漁師から聞いて、これを貞享暦(じょうきょうれき)に記載
■12月13日は「正月事始め」「煤(すす)払い」「松迎え」江戸時代中期まで使われていた「宣明暦(せんみょうれき)」では旧暦12月13日は「鬼(き)の日」になっており、婚礼以外は全てのことに「吉」とされているので、正月の年神様を迎えるのに良い日とされた。その後の「改暦」※でも「正月事始め」は12月13日のままとなった。「煤払い」などをして年神様を迎える準備を始める日。地域によっては12月8日の「御事始め」として正月の準備を始める所もある。昔はこの日に門松やお雑煮を炊くための薪など、お正月
ご訪問ありがとうございます今日(2021年10月30日)は不成就日(ふじょうじゅにち)です不成就日とは文字通り物事が成就しない日の事で何か物事を起こすには良くない日とされています特に結婚開店移転契約芸事始め等は凶とされています不成就日は宣明暦時代には会津暦で用いられただけで貞享暦にも記載されていませんでしたが「暦日講訳」という本によると略暦等には記載されていたようです不成就日は六曜と同じ性質の暦注で現在市販されている運勢暦開運暦等の暦には載っていますお読
“宇宙(そら)”の和音♪通信/10月29日☆今日は何の日?【宣明(せんみょう)暦から貞亨(じょうきょう)暦に改暦】宣明暦は、中国の暦法の一つ。唐代に徐昴(じょこう)がつくり、822年から71年間施行されました。その用数は、太陽年が365.24464285日、朔望(さくぼう)月が29.53059523日で、日月食の推算に改良が加えられていました。日本には貞観1(859)年渤海大使馬孝慎によって伝えられ,暦博士大春日真野麻呂が2年間これを検討し,同4年から施行し、貞享1(1684)年
昨日、「300系新幹線」とつい書いてしまったが、300系の前方の形状は明石家さんまさん風の出歯形(失礼)だった。実際は「0系」という最初の新幹線だった。訂正しておきます。昨日は、西大路八条にある「若一神社」が、平清盛の「西八条第」跡と主張しているけれど、1kmほど離れた「梅小路公園」にも、やはり「西八条第」跡という表示がある、という話を書いた。どちらが本当なのかは学者にすれば大切なことだし、そのため発掘調査もされるわけだ。一方、神社であれば〝言い伝え〟として、こう
ご訪問ありがとうございます今日(2021年8月31日)は雑節の二百十日です二百十日とは立春から数えて二百十日目の日の事を言います稲の開花が始まるこの時期には台風が上陸したりするため農家の人は昔からこの頃を警戒していました八朔(はっさく)二百十日二百二十日を「三大厄日(やくび)」としていて俗に言う「荒日」(あれび)天候の悪い日の事です暦に二百十日が載ったのは、八十八夜と同様に伊勢暦(いせごよみ)からで、その後釣り好きだった暦学者の渋川春海(しぶかわはるみ)が「立
本能寺の変を羽柴秀吉が知るのに1.5日から2.5日かかっている。本来は毛利輝元に変の知らせが届くはずで、本能寺から広島への情報伝達は大急ぎで3日から5日かかることになる。すなわち、京都あたりから広島の間の大急ぎの手紙のやりとりは、往復で6日から10日かかることになる。本能寺の変が天正10年6月2日朝とすると、その10日前あたりから明智光秀は広島に滞在している将軍足利義昭に手紙を送り、天皇家も希望する本能寺の変を起こして足利将軍家を再興することの了解を求めていたと推測される。そして将軍足利義昭は
渋川春海は幼少の頃から1から10を知る神童と呼ばれる程で、碁も父から習い妙手絶倫、父をも凌ぐ実力だったそうです。春海は宿命に一白水星を持ちますから、彼の才能や実力が発揮出来るのは環境があってこそ・・・・そういう意味では恵まれた環境に育っていたと言えると思います。幼少の頃より、山崎闇斎(震為雷・風天小畜)からは神道や儒学を、土御門泰福(安倍・陰陽頭)からは神道や兵法を、岡野井玄貞や松田順承からは天文学や暦学を学んでいました。そうでなければ、当時800年も続いた暦を変えようなん
西暦と元号、関連tw(平成30年7月22日~23日)〔Minervaowl@minervaowl_fly〕返信先:@kyojitsurekishi,@NiST_HHさん暦は本来、農耕などを行う上で生活に役立つから強制されるまでもなく使ってきたのです。日本で言えば江戸時代までの貞享暦などです。君主権をしらしめるための元号とは性格が違います。元号は暦ではありません。〔午後10:17·2018年7月21日〕〔@kyojitsurekishi〕返信先:@minervao
〔Minervaowl@minervaowl_fly〕返信先:@kyojitsurekishi,@NiST_HHさんなんで元号が必要なの?説明してほしい〔午後6:54·2018年7月20日〕·TwitterWebClient〔@kyojitsurekishi〕近代日本が天皇の即位の日と改元日を一致させたことを問題視する人がいるだろうが、それなら幕末のように数年で改元する方がよかったのだろうか?もし平成の日本が阪神大震災、東日本大震災、御嶽山噴火、熊本地震、大阪北部地
はい!奈央です。今日は時にまつわるエトセトラの番外編です。今日、DVDを借りて映画を見ました。タイトルは、”天地明察”2012年の映画です。これは、以前、ブログで紹介した安井算哲の物語を映画化したものです。時にまつわるエトセトラ⑧800年の眠りを解いた安井算哲(渋川春海)世界史逍遥HPよりおかりしました。主役の安井算哲を岡田准一、妻えんを宮崎あおい、保科正之を松本幸四郎、水戸光圀を中井貴一、関孝和を市川亀治郎(当時)、測量方を笹野高史と岸部一徳、本
🌔Facebookの記事に、本日は「天恩日(てんおんにち)」です……とキーを入力していて、「ほんじつは晴天なり🌞」というコトバが脳裏に浮かび、それとは脈絡はないのですが、目覚めれば晴天🌞でありました。🌔☜あと三日すると十五夜。。。ですが、満月🌔になるのはあくる日の、旧暦正月16日午後四時三十三分なのですね。珍しいはいどうも、占い師の右京です。🌔昨日が「暦注下段」の吉凶で「天赦日(てんしゃにち)」だったのに続いて、本日2月6日(木曜日)は、これまた「暦注下段」の吉凶で「天恩日(てんおんにち
「光圀伝」を読んでる途中だけど、同じ作者の冲方丁の「天地明察」の漫画を読みました。隣の笠間市の図書館は漫画が借りられるのよ。日本独自の貞享暦をつくった渋川春海のものがたり。映画にもなった有名な作品。岡田准一と宮崎あおい。ちょうど、娘ちゃんと勉強している日本史もこのあたり。勉強で覚えた人物たちが活躍してるので興味深い。山崎闇斎、関孝一、保科正之、われらが光圀も出てきます。問貞享暦を作り天文方に就任したのは誰か?答え渋川春海(安井算哲)日本史だと2行で終わりなんだ
■鶏とやにつく?・・・七十二候の内容について昨日(1/29)から七十二候(しちじゅうにこう)の最後となる大寒の末候、「鶏とやにつく」に入りました。「鶏とやにつくって、どんな意味ですか?」という御質問を頂きました。確かに解りにくいですね。七十二候は二十四節気を更に、初候・次候・末候と分けたもので細かく風物によって季節を細かく分けたものです。元々は中国で生まれたものですが、日本に入ってからはそのままでは日本の季節や風土に合わない言葉が
はい!奈央です。前のブログで陰陽寮創設と陰陽師の位置づけをお話ししました。今回は、その後の日本の暦の変遷のお話です。6世紀から7世紀にかけて、支配者のための天文占いとして”天文”と、民に正確な時を授けるための”暦学”が整備され、国家の基盤が作られていきました。しかし、9世紀半ば頃から、その体制が崩れていき、暦部門では862年の宣明暦採用以降、新しい暦法が導入されなくなったのです。その結果、平安末期から鎌倉、室町時代にかけて、全く改暦が行われず、江戸時代を迎えることになりま
先日、NHKBSプレミアムでこんな番組をやっていました。コズミックフロント☆NEXT「日本人の暦を作った男渋川春海」この渋川春海さんについてはよく知らなかったんですが(何となくどこかで名前を聞いたことあるような気はした)、日本で初めて「統一された暦」を作った凄い人。かつて日本では、中国から伝わった色々な種類の暦をみんながてんでんばらばらに使っていたため、行事の予定を組んだりする時に不便だったそうです。それを江戸時代、渋川さんが初めて統一し、公式に採用されることになったのです。そ
11月1日1ならびの日。渋谷へ。金王八幡宮さまへ天麻那舞東京では渋谷のスタジオを使わせていただいており日頃の感謝を…といただいたご縁をより太く♡11月1日は東海、三重、関西、北九州の皆様が京都出雲大神宮にて奉納舞…意識を合わせておりました。お参りの時にはかわいらしいおやこが(❁´◡`❁)両親101こども101あおぞら101天地人101わたしのだいすきな101の世界💗こんな大都会なのにここの氣はとても澄んでいて…博多の警固神社の氣にも似ていて…
13日の金曜日だおまけに新月で日食だ日本からは見えないけれどだけど例の天空の惑星六芒星が作られているグランドトライン×2これだけ見ると大吉に見えるどう考えたらいいのかね?もしもその時代にきちんとした暦があって今日はそういう日だとわかっていたならば皇室では安倍晴明辺りにご下問があっただろう安倍晴明の家系は陰陽師暦を作るのはかつては朝廷の免許制で安倍晴明の子孫の家系にしか許されていなかった土御門家という家系ところが江戸時代享保年間それが外れてしまった日食を予測し
《渾天儀=ごんてんぎ》【NeufLesMilleetUneNuits=ヌフレミレユンヌニュイ=ニュー千夜一夜物語No.483】「土御門家」と呼び名を代えた「安倍晴明の末裔」は、江戸時代初期に家康の命令で山城国(京都)に戻り、征夷大将軍宣下の儀式時には祈祷を行ったのだそうです❗初耳江戸時代は御所周辺の公家町ではなく、梅小路に研究所も兼ねた大規模な邸宅を構え、家格は半家、安倍晴明の子孫である土御門家は、明治維新後華族令により、晴榮が子爵を授けられるので