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今年も伊勢の神宮へ初詣に行ってきました。もう何年も神宮への初詣は立春と旧暦の元日が過ぎてから参っています。なぜ、立春・旧正月以降に参るようにしたのかというと春に向けて地球のエネルギーがどんどん動き出すその流れに乗れるからで1月に参っていた頃と比べると年々とても良い人生を過ごせるようになってます。ども(^^)あの世とこの世を繋ぐエネルギーワーカーウエマツトシヒロですレイキマスタースピリチュアルカウンセラーご先祖メッセ
籠神社◆令和8年1月4日21時~放送KBS京都「京都浪漫悠久の物語」「伊勢神宮のふるさと~京都元伊勢めぐり~」(再放送・全国放送は最下部写真にて)昨日このようなTV放送がありました。TVに電源を入れたのはおよそ1年半ぶりかな?リモコンは半日前から用意。(前回は保管場所を忘れてんやわんや)電池が切れてて結局直前にてんやわんや(笑)「元伊勢」の紹介をする番組であるため何か目新しいこと、特に学術的なことはありません。美しい映像、ドローンかな?一般には見ることのでき
豊鋤入姫命とよすきいりひめのみことこの方の柔らかい優しい癒しのエネルギーを感じますとくに奈良県の檜原神社(ひばら)に詣れるお人はいいなあ。本当に羨ましいですググっていただいてもなにか感じられる方々もいらっしゃると思いますあの神殿の前に立ったら凛とした崇高なお姫様が鎮座されていて落ち着けそう年末は具合が良い人と悪い人と両極端だと思うけど具合が悪くなりがちな方々に「してあげる」ってかんじではなくてそこにいるだけで偉大な癒しのエネルギーになるきっと来年はスピリチュ
令和7年6月29日。今日は「大和神社(おおやまとじんじゃ)」参拝の為に奈良へ行きます。本日のルートは、下の通り。「GoogleMap」より「日本書紀」では、「倭大国魂神」は大地主大神として「天照大神」と共に宮中内に、同殿共床で祀られていましたが、疫病の流行など、世の中が乱れます。10代天皇である「崇神天皇」は、両神の勢いの為であると畏れ、崇神天皇6年(BC92年)に、この2柱の神を宮中の外で祀らせるようにします。先ず、「大和神社」を創建したとされる「崇神天皇」陵
伊勢部柿本神社紀伊国名草郡和歌山県海南市日方600(P有)■祭神天照皇大神[相殿]素戔嗚尊熊野久須毘命市杵嶋姫命かつて「名高浦」と呼ばれ、万葉歌にも詠まれた風光明媚な海沿いの丘上に鎮座する社。現在はやや内陸部となっています。◎当社は元伊勢「吉備国名方濱宮」の候補地の一つ。「倭姫命世記」によると、天照大神の御杖代は「奈久佐濱宮」に3年間留まった後、「吉備国名方濱宮」に4年間留まったとあります。その数多く候補地が挙げられる中の一。◎「奈久佐濱宮」は当社の西方3kmほどに鎮座す
☆大神宮遺蹟の碑(元伊勢「名方濱宮」伝承地)(附黒牛潟・名高浦)紀伊国名草郡和歌山県海南市名高(アクセスはスクショした下部写真参照)(駐車は現在の再開発中期間なら、参拝の短時間であれば停め置き可)元伊勢「名方濱宮」の伝承地の一。紀伊国に於いては伊勢部柿本神社(現在記事改定作業中、リンクには飛びません)と国主神社(有田郡有田川町長田、未参拝)の2ヶ所が挙げられています。その伊勢部柿本神社へはこちらから遷座されたと伝わります。「倭姫命世記」によると、「倭笠縫邑」にて豊鋤入姫命
伊勢ツアーを来週に控えて第10代崇神(スジン)天皇と崇神天皇の皇女、豊鋤入姫(トヨスキイリヒメ)さんにご挨拶に行ってましたども(^^)あの世とこの世を繋ぐエネルギーワーカーウエマツトシヒロですレイキマスタースピリチュアルカウンセラーご先祖メッセンジャー九星方位気学神社ツアーやってます。崇神天皇の御代にそれまで皇居で祀られていた天照大御神の御魂を皇女豊鋤入姫様が天照大御神様が望まれる
前回、奈良の唐子・鍵遺跡の見学を報告しましたが、そのついでに、ちょっと足を延ばして古墳見に行きました。奈良は古い古墳がいっぱいあるので、せっかくなんで。1、巻向石塚古墳カラ子鍵遺跡から車で約7分、2,ホケノ山古墳纏向石塚古墳から車で9分です。巻向石塚古墳この古墳、巻向周辺で1番古い前方後円墳と言われています。周濠から出た土器が3世紀前半の庄内0式と言われる土器が出ている点や、撥型の前方後円墳の形状、吹石や埴輪がないことからの推定だそうです。
お越しいただきありがとうございます"倭姫命"を追いかける旅をしているわけんと申します2016年より始めた旅で元伊勢や御巡幸地、倭姫命がさだめられた神社だけでなく、豊鋤入姫命や渟名城入姫命を含め全国にて御祭神として祀られている地に訪れています入間市に豊鋤入姫が祭神となっている神社があり、そちらに立ち寄ってみます西武新宿線と池袋線の踏切を二つ渡り、入間市役所前を抜け豊岡街道を西へどこかでお酒を買わないと・・・と思っていたら酒屋を発見店主お勧めの1本を
以前、「三種の神器」の歴史について、語ってみたことがありました。流転の神器(関連)https://ameblo.jp/gonchunagon/entry-12744391887.html大河ドラマ『光る君へ』関連で、最近そのページを読み返したのですが。そういえばアレをやってなかったなーと、その時になって気づきまして…。「元伊勢伝承」←これです。おかげで、『光る君へ』感想本文でやりたかったことを、1つ飛ばしていたりして…。そこで、今回は「元伊勢」の伝承について
6月17日(月)この日は、奈良県に一の宮巡りです。大和国一之宮大神神社次は、摂社の狭井神社次は、元伊勢と言われる「檜原神社」に・・、1.4㎞の山道を歩きます。奇麗に整備されています。この辺りは山道です。かなり荒れた道、足首捻挫しないように気を付けてやっと到着境内の横に出ました。改めて正面に回って参拝2本の注連柱に掛けられた注連縄鳥居の原型と言われています第10代崇神天皇の時代、それまで宮
倭姫命003與喜天満神社このレポート順は私自身が旅したルートに基づいているため、豊鋤入姫命が辿ったとされる御巡幸順ではございませんので何卒ご理解をそれでは大神神社と桧原神社を巡ったあとは初瀬へ住所は初瀬だけど、長谷と書いたほうが早いかな長谷寺の対岸にあるのが與喜天満神社となります與喜天満神社よきてんまんじんじゃ伊豆加志本宮いつかしのもとのみや奈良県桜井市初瀬14訪れた日:2017年11月25日(写真とかは当時のものです)本来であれば倭姫命0
倭姫命002桧原神社2020年頃に世界で流行し、日本国内でも蔓延した新型コロナウィルス感染症約2000年近く昔の第10代崇神天皇(すじんてんのう)の時代でも同じような感染蔓延による疫病が発生し、多くの民が亡くなったそうだ当時は宮中に天照大御神が祀られていることが原因なのではとされ、崇神天皇の皇女であった豊鋤入姫命(とよすきいりひめのみこと)に新たに祀る地を探すようにと指示が出た倭姫命は第11代垂仁天皇の皇女なので、豊鋤入姫命から見れば姪になる天照大御神が宮中を出て初めて祀ら
檜原神社に到着しましたここから見るお山とお社鳥居越しの二上山の眺めは最高だなトヨスキイリヒメ様こんにちは33年間アマテラス様と一心同体であった初代斎王はやっぱりお空にいましたやはり宇宙と繋がっているなぁ周波数を合わせお話します二人はいつみても頼もしい朝のトンボは…山の辺の神々のお知らせです楽しいこと嬉しいことが幸せごとここ倭笠縫邑(ヤマトノカサヌイムラ)は日本の祈りの地日本の祈りは世界の祈りあなたの祈り日本の神々は知っている日本神界の神様方に感謝しますこの場所
こんにちは~Aimmyです大神神社さんで奈良旅を終えようと思っていたのですが脳裏に天照此処に座すと響くのです桧原神社境内は広くなく一望出来る広さなのですが私はいつも奥行きを感じるのです目で見る広さではなくエネルギーの広がりって言うのかな~ここは本当にいつ来てもとても素晴らしい神社さんだなぁ~温かみをとても感じるのです初代の斎王様もお祭りになられており勝手に親近感が沸くのです最後の最後で善きお参りが出来ましたことそして沢山の神社仏閣へご挨拶へお伺い出来まし
年末年始を始め、伊勢神宮へ参拝に行く方は多いのではないでしょうか?ぼく自身、今年の3月21日(春分の日)の伊勢神宮周辺の混雑ぶりには驚きました。今回は伊勢神宮はなぜ、あの場所にあるのか?少し調べた結果。気になることがあったのでご紹介してみようかと思いました。時代は第10代天皇・崇神天皇の頃。疫病が流行し大勢が亡くなったことをきっかけに、天孫降臨以来ずっと天皇の住まいで祀っていた神々を王宮の外へ出し、祀ることを決めた。大物主(大国主の国造りを手伝い、大国主の幸魂・奇魂と言われている神。奈
檜原神社(ひばらじんじゃ)奈良県平成十八年三月五日神示(*豊鋤入姫命・トヨスキイリヒメノミコト)久しゅうございます。この地での祈り感謝でございますまたこの地でそなたに会えましたことうれしきことでございます人々の祈り、人々の願い我の祈りの時代では平和な世の願いはかないませんでした平和な世の祈りの集大成に今世生まれ変わったすべての祈り人いよいよ動きだすことでありましょういつの世も人々平和なる世をめざしたのでありまする今世で最後の地球の建て直し、今世生まれ変わった
(元伊勢皇大神社)◆丹後の現像【63.「丹後史料叢書」~「丹後舊事記」8】年始は参拝をなるべく控えているため、記事を上げる神社が枯渇…。まだ神拝履歴を上げていない神社や古墳を、ちょびちょびと先に上げていますが…少しでも早く進めておきたい企画物を、この機会に上げてしまおうかな…と。~*~*~*~*~*~*~*~*~*~丹後においての主要な神名とその解説が始まっています。【読み下し文】一、豊鋤入姫尊崇神天皇六年乙卯九月美濃國に就く笠縫の邑殊に磯城の神籬立ち天照皇太神
豊鋤入姫命様のご巡幸地の神社巡り(4)木乃国(紀伊国)奈久佐濵宮(なぐさのはまのみや)比定地の一つ日前神宮・國懸神宮[御祭神]日前神宮(ひのくまじんぐう)主祭神日前大神(ひのくまのおおかみ)相殿思兼命(おもいかねのみこと)石凝姥命(いしこりどめのみこと)[御祭神]國懸神宮(くにかかすじんぐう)主祭神國懸大神(くにかかすのおおかみ)
☆化粧壺・化粧川大和国山邊郡奈良県桜井市大字修理枝字化粧川(P有)天照大神の御霊を奉戴した豊鋤入姫命が巡幸し、化粧直しをしたと伝わる霊地。また初代斎王である大來皇女が潔斎したとされる地。当地一帯が「倭笠縫邑」の候補地の一つ。また「泊瀬斎宮」の候補地の一つでも。場所は小夫天神社入口にある、付近の地図を書いた看板(下部写真)を元に随所に示される標識にて。ただし草木等で隠れて見過ごしやすいので要注意。途中、対向困難な農道などを通るので地元の農家の方から嫌がらせなども受けますが…。史跡の
長谷山口坐神社大和国城上郡奈良県桜井市初瀬4593(P無し、周辺の有料Pまたは長谷寺駐車場から徒歩15分)■延喜式神名帳長谷山口神社大月次新嘗の比定社■旧社格村社■祭神大山祗大神手力男神[配祀]豊受姫命大和国六所山口神社の一社。「初瀬川」に「吉隠川」が南東から合流する手前に挟まれた、小山の中腹に鎮座する社。東方山頂には愛宕神社が鎮座します。◎社頭案内は以下の通り。━━当神社は長谷山の鎮の神として太古より大山祇神を祀っている。垂仁天皇の御代倭姫命を御杖として、こ
次は元伊勢三社の内宮にあたる皇大神社へ向かいました天の岩戸神社からの参道には日室ケ嶽遥拝所がありました日室ケ嶽は少し手前からよく見えていた標高427mの甘南備(神の宿る山)でとても美しい円錐形ですここから数百mで皇大神社に到着古代様式の杉の皮のままの黒木鳥居社務所には数人の方がおられたのですが境内はひっそり静かで古代を思わせる佇まいですさてなぜここに元伊勢があるのか・・「もともと天照御主神は皇居内でお祀りされていましたが、第十代崇神天皇はお側
・・・現在も続いている出雲王家の伝承から・・・ヤマトでは10代目大王のヒコイマス(彦坐)が亡くなりヒコミチノウシ(彦道之宇斯=道主大王)が11代目大王になりました物部イクメは大和に入り三輪山の祭祀は代々登美家の姫巫女が行なっていましたが三輪山の祭祀は停止され姫巫女は各地を逃避行しました記紀では姫巫女の逃避行が「倭姫巡幸」にされていますイクメは三輪山の祭祀をしてい
前回、奈良のレイラインをご紹介しました。神社が一直線に並んでいる奈良(春日大社・石上神宮・・・)https://www.tama-negi.jp/jinjya-meguri/isonokami-5/こちらのつづきです。石上神宮まで来たら、私はもう少し南にも足を伸ばします...www.tama-negi.jp今回はその続き。日本神話と美内すずえさんのマンガを交えてご紹介いたします。石上神宮にお参りした後、ほぼ一直線に南下して大好きな檜原(
✡✨✨「伊勢神社」「伊勢神社」(いせじんじゃ)岡山県岡山市北区番町2-11-20【神紋】『花菱』式内社備前國御野郡伊勢神社旧県社【御祭神】天照皇大神豊受大神配祀栲幡千千姫命通称は、『伊勢宮』(いせのみや)。『社伝』によると、第十代崇神天皇の御代皇女豊鋤入姫命により創建。天照大神は、崇神天皇六年までは、天皇の大殿に祀られていたが、その神勢を畏れ、天照大神を豊鋤入姫命に託して、大和国『笠縫の邑』に祀った。その後、丹波国
(三輪山)◆「倭姫命世記」血汗涙砕身物語(8.倭姫命登場)■過去記事1.幽契2.葦原中国平定3.天孫降臨4.神武天皇5.豊鋤入姫命~16.~27.【番外編】ずいぶんごぶさたとなりました。コロナ休みをいいことに、未掲載の神社等を次から次と訪れているために。そして…正真正銘!ホントにホント!倭姫命の登場!さてさて…想像を遥かに絶する命懸けの旅がスタート!~*~*~*~*~*~*~*~*~*~【大意】(崇神天皇)五十八年、倭美和乃御室嶺上宮に遷し二年間奉斎しま
渟名城入姫神社◆「倭姫命世記」血汗涙砕身物語(7.■番外編■)■過去記事1.幽契2.葦原中国平定3.天孫降臨4.神武天皇5.豊鋤入姫命~16.~2次回こそは!次回こそは!…と言い続け、また「番外編」なるものを(謝)倭姫命の登場を急くあまり、豊鋤入姫命や「倭姫命世記」には登場しない渟名城入姫命の、「甚大なる功労」を疎かにしていないか?…ハタと気付きました。如何に壮絶なものであったか、二姫の「甚大なる功労」を称える記事を設けねば!…と。サラッとスルーしてたらアカンや
檜原神社の境内摂社倭姫命を祀る社。左手(向かって右手)は檜原神社の御神体を祀る磐座。◆「倭姫命世記」血汗涙砕身物語(6.豊鋤入姫命~2)■過去記事1.幽契2.葦原中国平定3.天孫降臨4.神武天皇5.豊鋤入姫命~1前回より豊鋤入姫命が登場しました。文字数オーバーとか何とかで半分載せたところで終了。残り半分です。~*~*~*~*~*~*~*~*~*~【大意】(崇神天皇即位)三十九年[壬戌]、但波(丹波国)の吉佐宮(余佐宮)に遷幸し瑞籬を作り、四年間奉斎しました。ここから
※保志☆喜久霊の神社紀行ブログ初めての方へプロフィールはこちらもし楽しんで頂けましたらぜひフォローして下さいね!(前回の元伊勢めぐり神社紀行はコチラ)檜原神社☆元伊勢めぐり神社紀行第1日後編:元伊勢は酷道の果てに令和2年3月25日(水)15時半過ぎ。志貴御縣坐(しきみあがたにいます)神社の東側の道を行くとすぐに山の辺の道と合流します。次に向かうのは檜原神社。崇神天皇の命で宮中より天照大御神を最初に遷された倭笠縫邑(やまとのかさぬいむら)があった所です。山
[伊勢国多気郡]牛庭神社◆元伊勢27宮倭姫命編21宮(倭姫命世記より)天照大神と大和大國魂神の皇居内「同殿共床」を畏れた崇神天皇は、豊鋤入姫命に天照大神の神霊を託して理想的な鎮座地を求めさせます。また渟名城入姫命により、大和大國魂神は大和神社に鎮まっています。天照大神の神霊は倭国笠縫邑磯城の厳橿の本に「磯堅城の神籬」を立てたことに始まり、全27宮、途中に倭姫命が引き継ぎ約90年をかけて皇大神宮に鎮まりました。「倭姫命世記」にはその概要が記されています。以下、それぞれの宮に対しての