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ちょうど70年前の昭和30(1955)年6月20日(月曜)。KRテレビ(現・TBS)のプロ・レスリング実況中継(90分枠)の番宣広告。提供はゼネラルテレビ。絶対エースの力道山は渡米中のため欠場しており、豊登、遠藤幸吉、駿河海、芳の里、藤田山、阿部脩、ユセフ・トルコ、宮島富男らが出場。バトルロイヤルが「8人による新しい試合」と説明されていたり、タッグマッチが「タツグ・レス」となっているあたりに、国内プロレス黎明期ならではの匂いが感じられる。昭和30年6月20日(
お疲れ様です。どうでもいい話をひとつ。私サラリーマン49歳が高校1年の頃の話を急に思い出して、ププッ😁と笑ってしまった…という、しょーもない話。野球部の夏合宿の時のこと。当時は体育会系、体罰、暴力、いわゆるパワハラが当たり前だった時代。我が高校でも、もれなく3年生は神様、1年生は奴隷というありがちなタテ社会でした。合宿の夜に、3年生が暇潰しのために、1~2年生に余興をやらせるのが恒例行事でした。漫才みたいなことや、コントみたいなこと。電撃ネットワーク的な身体を張ること。そん
お家に鯉のぼり飾ってる?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう恋する少年恋のボーイ(途中省略)豊登ゴリラ・モンスーンvs.豊登道春(JWA・1963年3月28日)
お家に鯉のぼり飾ってる?20cm程度の小さな木製の置物をテレビの前に置いているだけです。だもんで、「のぼりつながり」ということで別の写真も貼っておきましょう。1964年、ザ・デストロイヤーと戦う豊登(とよのぼり)力道山の写真を背景に立つ二十代の可愛らしい豊登マンションだとおもちゃのような鯉のぼりをベランダに置くのが関の山ですが、普通の一戸建て庭付きのお宅でも鯉のぼりを上げているのを観なくなりましたね。▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう執筆者への愛のム
●マジか!氏の思い出といえば「プロレススーパースター列伝」のホーガン編の「時にハンセンにホーガンとのタッグを依頼したときに不穏なハンセンに「ヒーッウエスタンラリーアートはノ-サンキュウよ」のコミカルなやり取りや猪木を愛するあまり馬場へのもの凄い批判振りでかえって馬場に気にいられたというエピソードが印象深い。ウキペによれば豊登のギャンブル癖に苦労させられながらも公私共に面倒をみていた話が印象深かかった。猪木とのまるで夫婦のよう愛憎関係はよく語られるが豊登のことも死ぬ前に語っていただき
朝の放送がどうしてもアレで言いに行ってきましたよ。「日本のプロレスは力道山を祖とするから相撲出身者が多い」という話から豊登やサンダー杉山、輪島等のメジャーどころの選手をあげても誰一人知らないなっちゃん(笑)猪木信者のモキタス君が風車の理論を語り出したところで局へ電話がかかってきてまたもや中途半端になりましたとさ。
プロレスの試合見たことある?有る!!▼本日限定!ブログスタンプ有ると言ってもテレビ観戦だけど・・・昔力道山が死んだ日小学生の低学年だったオレ達は校舎裏に緊急集合しこれからの日本のプロレスを話し合った次期エースは豊登?吉村道明?どちらも帯に短したすきに長し・・・将来の日本プロレスを悲観して泣きだす友人もいた熱狂的なファンだった私がアレってショーなんだぜと先輩に教わったのは校舎裏の緊急会議から20年近く経った時だ以来友に裏切られたような感情が湧いてきてプロ
プロレスの試合見たことある?子供のころから観たのはテレビ中継された試合ばかりでした。生のプロレスの試合を一度も観たことが無いと言うのは、芸能好きと称するには恥ずかしいことですね。ただ、私が生まれたときに住んでいた祖母所有の家には3世帯が同居していて、経済観念皆無で浪費家のおばあちゃん(父方の祖母)が買っていた白黒テレビがあったので、その当時日本一と呼ばれたプロレスラーの試合をテレビで見ることはできていました。「力道山対ザ・デストロイヤー(1963年)」ザ・デストロイヤー
格闘技を生で見たことある?生で見たことはない!が…昭和30年代、少年雑誌にはプロレスの特集が沢山載っていた「ぼくら」「少年」そして「少年サンデー」のおかげで観たこともないのにプロレスラーや技の名前はたくさん知っていた▼本日限定!ブログスタンプ得意技はらいでんドロップ小学生の頃、一才下の弟と良く取っ組み合いのケンカをしたある日のことミカンひとつを食べたとか隠したとかで言い争った「隣の部屋で思いっきりやれ!」と父が呆れて言った体格に勝る姉のMちゃんは弟Rちゃんを投げ飛ばす
と言っていた中学の体育の先生。ものすごい剣幕だった。真面目で情熱的な先生だったなあ。豊登っていうレスラーが近所に住んでいた。デカかった。影響されて、何となくプロレスとは距離をとっていた。虚実皮膜の間、なんてのを習うのはもっと後のこと。結局、生で見たことある格闘技は相撲。▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう
メルカリで1000円で入手。豊登時代は短く力道山が死んでから馬場が台頭するまでのわずか二年。この本はその豊登がエースの時の貴重なものです。昭和40年1月号なので60年前のものですが、状態もよく満足です。表紙は豊登とファイティング原田。内容は殆どが豊登の記事です。あと馬場も少し。
お家に鯉のぼり飾ってる?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう馬場より低い豊登~~~♪なんて替え歌当時あったかなぁ
自分が小学生のころ、国際プロレスが中継されていた。30分番組ではあったが、けっこう記憶に残っている。確か豊登の引退セレモニーも見た覚えがある。裸足の豊登がリングインして神妙な顔つきで誰かのあいさつを聞いていた映像が頭の中に残っている。調べたら豊登の引退は1970年で、自分はまだ保育所時代。自分の記憶が正しかったら、なかなかのものである(笑)。今思うと、国際プロレスはなかなか味わい深かった。所属レスラーも来日レスラーもキャラが立っていたし、デスマッチ路線もいい意味でキワモノ感が◎。全日&新日の後
大量の紙幣を渡すときは・・・よく読むと、嘘ばかり「3月28日にダウンタウンのリトル・トーキョーで馬場、豊登、ミスター・モトと合流。直後に日本に帰国する馬場は、この時に大量のドル紙幣をムンズと掴み、『俺はもう使わないから、完ちゃん、取っておけよ』と言いながら猪木のポケットに突っ込んだ。」(110頁)大量のドル紙幣をムンズと鷲掴みに掴んだら、それを相手のポケットに入れるのは難しい。「大量のドル紙幣をムンズと掴み」も流智美の創作であろうか。現場に居合わせていない新間寿が、ジャイアント
おいおい、暑いってどうゆうことよ!!??それはさておき・・・1点の曇りなく、世界的英雄となった日本の誇りになったショウヘイnot馬場に、意外なところからほころびが発覚してしまいました。ゆうまでもなく一平ちゃん問題ですね。ショウヘイnot馬場は違法賭博には一切関与していない、とのことなので、信じたいところですが、疑おうと思えば疑える案件なので、そういう影が出てしまったのは残念です。ショウヘイnot馬場に、迷惑をかけない、という形で、座りのいい形になってますが、万が一、一平
プロレスの試合見たことある?1度も観たことない!小学生の頃(昭和34から40)プロレスが大流行!映画のニュースでも力道山等が画面いっぱい大活躍だったその頃買っていた雑誌「少年サンデー」でも毎週特集が載っていた嫌でもレスラーの名前や技を覚えたものだ▼本日限定!ブログスタンプ得意技は雷電ドロップ❗️一才下の弟とは良くケンカをしたミカン1個で言い争いになった父親が「そっちの部屋でやりなさい!」と言うので隣の部屋で2人は本格的に取っ組み合いをする小学校高学年は男子より女子の方が体格が
豊登がエース時代の日本プロレス。豊登、エースの割には圧倒的な強さがないです。僕は豊登時代を生で見てなかったのでこんなものかという印象。もっと圧倒的に勝つシナリオにした方が良かったと思います。
Flipper'sGuitar-GrooveTubeyoutu.beプロ奢ラレヤー「プロ奢(ぷろおご)」本名は中島太一。「他人のカネで生きていく」という信条のもと他者から食事や金品を無償で提供される(おごられる)ことで生計を立てており、「ひとに奢られて生活してる浮浪者」と自称している実際には毎年確定申告をしている個人事業主。いやぁ、色々な職業というか、生活・人生スタイルがあるもんだなと思う。多様化ってこういうことですな。社会が変わる、ことは変じゃなく当然と言え
ひとつ前の当ブログで、かつてプロレス団体が分裂、拮抗して、いかにテレビ局と放送契約をとるかの暗闘があった話を書きました。力道山さんの下で修業したジャイアント馬場さんとアントニオ猪木さんですが、読売ジャイアンツの投手だったという話題性もあり馬場さんは最初から注目されており、ブラジルでスカウトされた猪木さんは常に2番手ということで不満があったようです。それで、豊登さんの設立した「東京プロレス」に参加しますが、わずか3か月で倒産してしまいます。豊登さんがギャンブルに狂い、会社の金を使ってしまう放埓
数回に渡り、自分がリアルタイムで見たジャイアント馬場さんのタッグパートナーを書きました。ジャンボに始まり、ハンセンまでだったね馬場さんのタッグパートナーというとリアルタイムでは見ていませんが、アントニオ猪木さんが最高だったと思います。この2人がタッグを組んでいたと思うだけでゾクゾクワクワクしてきます。過去の動画でも猪木さんのタッグは見ましたが、見たことないのが、吉村道明さんとのタッグ。インタータッグを最初に取った日本人タッグが馬場さんと吉村さんのタッグだったのです。馬場さんと吉村さん
1965年。いよいよ昭和40年代に突入。まだまだ歴史の教科書の話ばかりだが。1965年(昭和40年)流行・出来事|年代流行1965年(昭和40年)に流行したファッションやヒット曲や邦画・洋画ランキングやヒット商品やベストセラーや出来事などを紹介いたしますnendai-ryuukou.comいざなぎ景気という言葉は知っている。どの程度好景気だったのかは、さっぱり分からないが。今の若い世代だと、好景気というのが何なのかも分からなくなっている。数字上どうこうであっても
勿論この頃はまだ正式なアームレスリングという競技はなかったですが、所謂腕相撲という存在はありました。日本式腕相撲も戦前からありましたが、そこの所属選手も含めて誰がその頃一番強かったのか興味があります。この前購入した1973年のボディビルディング誌に若木竹丸が連載していた「吹き荒れる腕角力旋風」にその頃の第一人者の名前や誰と誰の優劣、勝ち負けなど興味深い記事があります。まず戦後10年経ったこの頃はもう既に若木竹丸はじめ戦前の腕相撲選手は第一線を退いており、また実際力も落ちているので除外されてい
※間がありましたが、再び国際プロレスを語っていきます。ずいぶん久しぶりになったね1970年1月3日より新春チャレンジシリーズが開幕しました。このシリーズの9日に豊登が引退しました。東京プロレス崩壊後、シリーズ第2弾から参加し、旗揚げしたばかりの国際プロレスを支え、サンダー杉山、ストロング小林ら若手レスラーのタッグパートナーとしても活躍しました。杉山さんとはTWWA世界タッグ、小林さんとはIWA世界タッグを獲得し防衛を続けていたね。豊登引退により国際プロレスは若手の台頭が進んでいきます
◆今回の〈W★INGチャンネル〉は…‥10月1日に逝去した猪木さんのレスラー生活37年余りに渡る数多くの名勝負の中から゛私見゛ながらアントニオ猪木のベスト・マッチをお話します。また,アントニオ猪木さんが1レスラーから一気に゛トップ・レスラー゛となった陰には2人の人物の存在があった,と思う。その2人とは‥…。是非,今晩配信の〈W★INGチャンネル〉をご覧ください❗️◆今日は,大相撲から《東京プロレス》でプロレス・デビューし,後に《国際プロレス》で活躍‥…(事故による)引退後はブッカーとして数々
1969年5月、国際プロレスの事務所では1本の国際電話があり、盛り上がっていた。吉原功社長が嬉しそうだね、それにしてもレスラーの皆さんのシャツ…ガラシャツばかりだな5月18日にフランスはパリで行なわれたIWA世界タッグ王座決定トーナメントの決勝で豊登、ストロング小林がモンスターロシモフ、イワンストロゴフに勝ち、チャンピオンになったのです。左から2番目がロシモフさん…後のアンドレ・ザ・ジャイアントさんだね小林にとっては初めての王座でした。そして国際プロレス生え抜きのレスラーが初めてチャン
1969年3月25日から始まった国際プロレスのワールド選抜シリーズ。パンフレットの上のロビンソンさんがイケメンこのシリーズは5月5日で終了ですが、ビルロビンソンは日本滞在の契約が終わり、シリーズ中、IWA世界ヘビー級王座を防衛したのでタイトルは海外流出となったのです。タッグ王座ではTWWA世界タッグの豊登、サンダー杉山組は順調に防衛を重ねていました。シリーズではスタンスタージャック、タンクモーガン組の挑戦を受けました。スタンスタージャックさんは東京プロレスで猪木さんのUS王座に挑戦した
昭和39年の日本プロレスから。力道山死後一年経過してますが、豊登と馬場をエースとしてプロレス人気を維持していました。この頃の馬場はまだいい体してますね。
1968年1月31日にTBSプロレス(国際プロレス)の新シリーズ・TWWAワールドタッグシリーズが開幕。オープニングシリーズの閉幕から、わずか2日後に開幕なんだよねシリーズ名どおり、タッグがメインなシリーズで外人レスラーは、ザ・カンガルーズがメイン。ザ・カンガルーズとはアル・コステロ、ドン・ケントのタッグチーム。ちなみに、このカンガルーズは2代目で初代がいたんだね他にはブレッドカリー、トシ東郷が参加、さらに前シリーズからの残留でダニーホッジ、ブルドッグブラワーも参加しました。トシ東
旗揚げパイオニアシリーズを終えた国際プロレスでしたが、莫大な借金を抱えてしまいました。外人レスラー、東京プロレスのレスラーとギャラがかさみ、テレビ中継もないからだねそんな時にテレビ中継を検討していたTBSから東京プロレスのアントニオ猪木さんを国際プロレスに入団させることの要請がきました。ところが国際プロレスの吉原功社長と猪木さんが旗揚げシリーズのギャラで揉めていたのです。旗揚げシリーズには東京プロレスのレスラーが参加していましたが、豊登、田中忠治の2人は参加していませんでした。豊登さん
姉弟げんか勃発!あの狭い教員住宅での毎日は思えば楽しいことばかりだった一才下の弟とは誰も遊びに来ない時は2人で仲良く遊んでたものだこれを話題にすると弟は面白くないらしいのだが、また公開しよう!39年か40年かな?テレビドラマで「恐怖のミイラ」というのがあった。エジプトから日本に持ってきたミイラが何と生き返って色々問題をおこす古代エジプトの王女に似た女性が日本にいて、彼女を追いかけてるって設定?…あり得ん❗️ツタンカーメンの黄金のマスクが東京で公開されたのもこの頃かも?