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昨日購入した書籍BOOKOFF2026.4.22(水)購入昨日、BOOKOFF❲16号柏店❳で書籍を1冊購入しました。購入書籍は以下の通りです。海の紋章海軍青年士官の本懐豊田穣(光人社ノンフィクション文庫)Amazon.co.jpウェブサイトより“死ぬならば、美しく死にたいものだ。海の上にただ一つの紋章を残して……戦火の時代と共に歩み、艦爆搭乗員となった武田中尉は昭和18年春、ラバウルに飛んだ!”“著者について大正9年,満州に生まれる.昭和15年8月,海
滋賀海軍航空隊と大津海軍航空隊琵琶湖の周りには、滋賀海軍航空隊と大津海軍航空隊がありました。滋賀海軍航空隊は、滋賀県大津市の滋賀里町にありました。通称「滋賀空」。太平洋戦争中は秘密基地であったそうで、当時の記録や資料は限られているそうです。太平洋戦争が進むにつれ、飛行予科練習生(予科練)の人数が急増したので、予科練生を育成する目的で1943年(昭和18年)に設立されました。滋賀海軍航空隊では、甲飛第13・14期をはじめとした生徒の教育を行い、最終的に甲飛第16期生までが入隊しました。
豊田穣さん豊田穣(とよだじょう)本名は同じ字であるが、「とよだみのる」と読む。1920年3月14日生まれ、1994年1月30日、73歳没。満州の四平街生まれの小説家、作家、元海軍軍人(最終階級は海軍中尉)。第29代・第30代連合艦隊司令長官豊田副武とは血縁関係ではないが、海軍時代に機関長から豊田副武の息子かと聞かれるくらい体格が似ていた。1942年6月、第36期飛行学生を卒業、艦上爆撃機操縦員となる。12月、空母飛鷹所属となる。1943年4月、い号
海軍陸戦隊の皇族再び、多磨霊園を訪れて参りました。今回は割とスムーズにお目当ての方々のお墓を見つけることができました。その一人が、音羽正彦海軍大尉。墓番号は7-1-1。角にある大きい敷地なのでわかりやすいと思います。鳥居があって特徴的です。音羽正彦(おとわただひこ)大尉(戦死後少佐)は、朝香宮家の宮様、朝香宮鳩彦王の第2王子で、皇族の一人でした。侯爵様です。(↑写真はWikiからお借りしています)戦前の皇族の男性は軍人にならなくてはいけないという明治天皇の定めたルールがあった
1月30日が命日・忌日の有名人・著名人1649年満48歳没(公開処刑)チャールズ1世さんイングランド王1652年58歳没(ペスト)ジョルジュ・ド・ラ・トゥールさん画家⇒『ジョルジュ・ド・ラ・トゥール(1593年3月19日生~1652年1月30日没、画家)』1867年満35歳崩御(天然痘?)孝明天皇陛下第121代天皇仁孝天皇の第四皇子1948年満78歳没(暗殺)マハトマ・ガンディーさんインドの宗教家、独立運動家⇒『マハトマ・ガンディー(1869年10月
『俘虜』豊田穣【3】戦争に翻弄された兵士たちのドラマ(潮書房光人新社)前回のブログ記事は以下の通りです。『俘虜』豊田穣戦争に翻弄された兵士たちのドラマ(潮書房光人新社)【2】アメーバブログ記事より『俘虜』豊田穣戦争に翻弄された兵士たちのドラマ(潮書房光人新社)【2】アメーバブログ記事『『俘虜』豊田穣戦争に翻弄された兵士たちのドラマ(潮書房光人新社)【2】』『俘虜』豊田穣【2】戦争に翻弄された兵士たちのドラマ(潮書房光人新社)前回のブログ記事は以下の通りです。『俘
『俘虜』豊田穣【1】戦争に翻弄された兵士たちのドラマ(潮書房光人新社)関連ブログ記事は以下の通りです。最近購入した書籍❲2025.12.23❳神田神保町書泉グランデアメーバブログ記事より“『俘虜』豊田穣戦争に翻弄された兵士たちのドラマ潮書房光人新社ウェブサイトより著者:豊田穣288ページ定価:本体800円+税ISBN:978-4-7698-2992-8発売年月日:2017年1月20日潔く散り得た者は名優にも似て見事だが、散りきれなかったものはどうなるの
最近購入した書籍神田神保町書泉グランデ①『俘虜』豊田穣②日中戦争一兵士の証言川崎春彦③最悪の戦場独立小隊奮戦す緩詰修二2025.12.23(火)冬至が過ぎて、日没時刻も徐々に遅くなりつつあります。日没時刻は、12月初旬が一番早かったようですね。すぐに忘れてしまいます。東京は底冷えのする寒さでしたが、千代田区内を散歩しました。帰り際に神田神保町に寄って、書籍を物色。厳選した結果、上記3冊を購入しました。書泉グランデは、だいぶ前からセルフレジオンリーとなってしまいまし
海兵四号生徒豊田穣【2】潮書房光人新社前回のブログ記事は以下の通りです。海兵四号生徒豊田穣(潮書房光人新社)【1】アメーバブログ記事より海兵四号生徒豊田穣(潮書房光人新社)【1】アメーバブログ記事『海兵四号生徒豊田穣(潮書房光人新社)【1】』海兵四号生徒豊田穣【1】潮書房光人新社最近購入した本書を読み始めています。第一部柔道部の五人第七節まで読み終えました。ここまでをざっくりと解説しますと、…ameblo.jp目次となります。目次第1部柔道
海兵四号生徒豊田穣【1】潮書房光人新社最近購入した本書を読み始めています。第一部柔道部の五人第七節まで読み終えました。ここまでをざっくりと解説しますと、作家の豊田穣氏(作品中では盛田)が、柔道部の同窓会出席の為、岐阜県の郷里に帰るところから物語は始まります。戦後二十年が過ぎた東京の日比谷公園、野外音楽堂で学生集会が開かれており、警官隊が学生の行動を見守っている描写となっております。昭和七年から十一年までの、著者の中学校時代の回想と、昭和四十年と推定される時代の同窓会出席へ
戦艦「武蔵」レイテに死す未曾有の大艦孤高の生涯【7】(光人社NF文庫)前回のブログ記事は以下の通りです。戦艦「武蔵」レイテに死す未曾有の大艦孤高の生涯(光人社NF文庫)【6】アメーバブログ記事より戦艦「武蔵」レイテに死す未曾有の大艦孤高の生涯(光人社NF文庫)【6】アメーバブログ記事『戦艦「武蔵」レイテに死す未曾有の大艦孤高の生涯(光人社NF文庫)【6】』戦艦「武蔵」レイテに死す未曾有の大艦孤高の生涯【6】(光人社NF文庫)前回のブログ記事は以下の通りです。戦艦「武
戦艦「武蔵」レイテに死す未曾有の大艦孤高の生涯【6】(光人社NF文庫)前回のブログ記事は以下の通りです。戦艦「武蔵」レイテに死す未曾有の大艦孤高の生涯(光人社NF文庫)【5】アメーバブログ記事より戦艦「武蔵」レイテに死す未曾有の大艦孤高の生涯(光人社NF文庫)【5】アメーバブログ記事『戦艦「武蔵」レイテに死す未曾有の大艦孤高の生涯(光人社NF文庫)【5】』戦艦「武蔵」レイテに死す未曾有の大艦孤高の生涯【5】(光人社NF文庫)前回のブログ記事は以下の通りです。戦艦「武蔵
戦艦「武蔵」レイテに死す未曾有の大艦孤高の生涯【5】(光人社NF文庫)前回のブログ記事は以下の通りです。戦艦「武蔵」レイテに死す未曾有の大艦孤高の生涯(光人社NF文庫)【4】アメーバブログ記事より戦艦「武蔵」レイテに死す未曾有の大艦孤高の生涯(光人社NF文庫)【4】アメーバブログ記事『戦艦「武蔵」レイテに死す未曾有の大艦孤高の生涯(光人社NF文庫)【4】』戦艦「武蔵」レイテに死す未曾有の大艦孤高の生涯【4】(光人社NF文庫)前回のブログ記事は以下の通りです。戦艦「武蔵
戦艦「武蔵」レイテに死す未曾有の大艦孤高の生涯【4】(光人社NF文庫)前回のブログ記事は以下の通りです。戦艦「武蔵」レイテに死す未曾有の大艦孤高の生涯(光人社NF文庫)【3】アメーバブログ記事より戦艦「武蔵」レイテに死す未曾有の大艦孤高の生涯(光人社NF文庫)【3】アメーバブログ記事『戦艦「武蔵」レイテに死す未曾有の大艦孤高の生涯(光人社NF文庫)【3】』戦艦「武蔵」レイテに死す未曾有の大艦孤高の生涯【3】(光人社NF文庫)前回のブログ記事は以下の通りです。戦艦「武蔵
戦艦「武蔵」レイテに死す未曾有の大艦孤高の生涯【3】(光人社NF文庫)前回のブログ記事は以下の通りです。戦艦「武蔵」レイテに死す未曾有の大艦孤高の生涯(光人社NF文庫)【2】アメーバブログ記事より戦艦「武蔵」レイテに死す未曾有の大艦孤高の生涯(光人社NF文庫)【2】アメーバブログ記事『戦艦「武蔵」レイテに死す未曾有の大艦孤高の生涯(光人社NF文庫)【2】』戦艦「武蔵」レイテに死す未曾有の大艦孤高の生涯【2】(光人社NF文庫)前回のブログ記事は以下の通りです。戦艦「武蔵
今、この時!―南太平洋海戦真珠湾攻撃の後も、村田少佐率いる雷撃隊は戦い続けます。しかしミッドウェー海戦で日本海軍は惨敗。ミッドウェーの雪辱を果たそうと必死の南雲忠一長官率いる南雲機動部隊。南雲長官は、旗艦翔鶴に乗り、南太平洋海戦に挑みます。村田少佐は翔鶴の飛行隊長となっていました。南太平洋海戦は、ソロモン海域で行われた空母決戦。1942年(昭和17年)8月にアメリカがガダルカナル島に上陸して以来、ガダルカナルを巡る激しい攻防戦が展開されます。起こった海戦を時系列にみれば第
春風駘蕩村田重治少佐(むらたしげはる)。海軍兵学校卒58期。長崎県出身。戦死後、二階級特進で大佐。享年33歳。(↑写真はWikiからお借りしています)豊田穣氏によれば村田少佐のあだ名は「ブーツ」。いつも飛行ブーツを履いていたからとか。山本悌一郎氏によれば村田少佐のあだ名は「ぶつ」。仏をさすということ。春風駘蕩とした仏様のような風采だったからとか。どちらが本当かわかりませんが。あるいはどちらも本当かもしれません。豊田氏も山本氏も共通して書いているのが、村田少佐は闘志を胸に秘
戦艦「武蔵」レイテに死す未曾有の大艦孤高の生涯【2】(光人社NF文庫)前回のブログ記事は以下の通りです。戦艦「武蔵」レイテに死す未曾有の大艦孤高の生涯(光人社NF文庫)【1】アメーバブログ記事より戦艦「武蔵」レイテに死す未曾有の大艦孤高の生涯(光人社NF文庫)【1】アメーバブログ記事『戦艦「武蔵」レイテに死す未曾有の大艦孤高の生涯(光人社NF文庫)【1】』戦艦「武蔵」レイテに死す未曾有の大艦孤高の生涯【1】(光人社NF文庫)現在、表記の書籍を読み始めたところで
戦艦「武蔵」レイテに死す未曾有の大艦孤高の生涯【1】(光人社NF文庫)現在、表記の書籍を読み始めたところでございます。本書に関するブログ記事は以下の通りです。神田神保町掘り出し物❲2025.1.30❳アメーバブログ記事より戦艦「武蔵」レイテに死す未曾有の大艦孤高の生涯(光人社ノンフィクション文庫895)神田神保町掘り出し物❲2025.1.30❳アメーバブログ記事『神田神保町掘り出し物❲2025.1.30❳』神田神保町掘り出し物❲2025.1.30❳神田神保町
男前な海軍士官以前、「偵察の神様」千早猛彦少佐がテニアンからのメジュロ環礁まで飛び挺身偵察を成功させたというお話を書きましたが。『「吾ニ追ヒツクグラマンナシ」偵察の神様千早猛彦』重要な偵察任務千早猛彦(ちはやたけひこ)少佐は、日本海軍航空隊において偵察のエキスパートとされ、「偵察の神様」と言われていました。彩雲の偵察員として、決死…ameblo.jpそのテニアンで千早少佐の下で分隊長をしていたのが長嶺公元(ながみねきみもと)大尉。彼も千早少佐の後、メジュロ環礁への強
誰もが尊敬した瑞鶴飛行隊長納富健次郎大尉といえば、海軍航空隊ではその名が轟いた零戦パイロットで、空母瑞鶴の飛行隊長。海軍兵学校卒62期の名物男。佐賀県出身。海兵62期といえば、名物男揃い。真珠湾攻撃で戦死した飯田房田大尉、千早猛彦大佐(吾に追いつくグラマンなしの偵察の神様)、志賀淑雄少佐(超イケメン零戦パイロットで、343空飛行隊長を務めた)、周防元成少佐(歴戦の零戦隊長)、壹岐春記少佐(陸攻。マレー沖海戦で、日本軍とイギリス軍の戦死者に向けて二つの花束をマレー沖に投げた人)などなど、この
栃木へGO!体感温度40度越えの猛暑の中、fuyunoA&B姉妹は栃木まで出かけていきました。8月30日に小山市立博物館であの「戦場に輝くベガ」が上映されるということで見に行ったのです。(プラネタリウムではなく映画バージョンでした)。栃木に行くなら他の戦跡も回ってみようということで、大谷資料館や栃木護国神社の特攻の碑も訪問してきました。栃木戦跡訪問を3回に分けてアップしたいと思います。じゃがまいた~JR宇都宮線の間々田駅で下車。下車すると、じゃがまいた一色。「じゃがまいた
『雪風ハ沈マズ』豊田穣著【4】❲潮書房光人新社❳前回のブログ記事は以下の通りです。『雪風ハ沈マズ』豊田穣著❲潮書房光人新社❳【3】アメーバブログ記事より『雪風ハ沈マズ』豊田穣著❲潮書房光人新社❳【3】アメーバブログ記事『『雪風ハ沈マズ』豊田穣著❲潮書房光人新社❳【3】』『雪風ハ沈マズ』豊田穣著【3】❲潮書房光人新社❳前回のブログ記事は以下の通りです。『雪風ハ沈マズ』豊田穣著❲潮書房光人新社❳【2】アメーバブロ…ameblo.jp目次と
イギリス艦隊を発見した帆足少尉機太平洋戦争関連の本を読んでいると、あれ?この名前、前にも見たな・・・と思い、調べ直すことがあります。帆足正音(ほあしまさと)少尉もその一人で、いろいろな本のマレー沖海戦の記述のところでチラッと出てくる。その名前が独特なので印象に残っていましたが、豊田穣著『マレー沖海戦』を読んで、索敵に大活躍したすごい人だったのだとわかりました。戦争中は国民学校の教科書にも掲載されるほど有名な海軍士官だったそう。今では、帆足少尉のことを知っている人は少ないと思うけれど・・・
8月15日から『雪風YUKIKAZE』という日本映画が公開されることを知ったので数日前から長らく本棚に飾ってあった本を引っ張り出して読んでおります映画の原作本ではないですが予備知識を入れたところで映画館に行きたいと思います(現在昭和19年10月あたりまで読み進めています)今朝のサタプラ(MBS毎日放送)に映画に出演されている女優の田中麗奈さんがゲストで来られていて映画の宣伝をされていましたがヒューマンドラマらしいので戦争映画を期待して観に行ったらいけ
忠魂祠堂先日横須賀の馬門山海軍墓地を訪ねた後、バスに乗って「衣笠十字路」まで行き、衣笠商店街の裏(衣笠町内会館の隣)にある光心寺も訪ねてきました。ここには軍艦比叡の鎮魂碑があります。光心寺には、明治33年に建てられた(昭和12年に再建)忠魂祠堂があります。ここは日清戦争、日露戦争、満洲事変、支那事変、そして大東亜戦争の戦死病没者を祀っています。この「忠魂祠堂」の文字は海軍大臣だった米内光政さんによるものです。忠魂祠堂の前に「軍艦比叡鎮魂碑」が建っています。昭和57年に比叡会及び遺
重要な偵察任務千早猛彦(ちはやたけひこ)少佐は、日本海軍航空隊において偵察のエキスパートとされ、「偵察の神様」と言われていました。彩雲の偵察員として、決死の偵察飛行を行い、連合艦隊司令部に重要な情報をもたらしています。正直、海軍航空隊といったら零戦のパイロットが花形だと思っていた私です。でも、航空隊のことを調べるようになってわかったのは、確かに零戦のパイロット達(当時は搭乗員といった)が華々しい活躍を見せていたことは事実ですが、偵察員もとても重要な役目を担っていたことです。今みた
念願の尾崎伸也大尉の乗った零戦を見に、浜松の航空自衛隊浜松広報館エアパークに行ってきました。浜松には、現在航空自衛隊の浜松飛行場になっている所と、三方原に、陸軍飛行場がありました。この一帯の戦跡を巡ってきたのでアップしていきたいと思いますが、まずは、尾崎大尉の零戦です。エアパークの2階に展示されている零戦・・・。1960年(昭和35年)、グアムのジャングルで発見された零戦です。発見された時は、敵弾を受け蜂の巣のようになっていました。↑動画で紹介されている蜂の巣状態の発見
海軍士官パイロットの理想形まんまるお目目の鴛淵孝(おしぶちたかし)大尉。(写真はWikiからお借りしました)海軍士官パイロットの理想形。誰からも慕われた人格者。戦闘機隊指揮官のお手本のような方。零戦と紫電改の両戦闘機を駆った撃墜王。夫にしたい海軍士官ナンバーワン(←オイ・・・(;^_^A)だって尊敬する宮野善治郎大尉は素晴らし過ぎて神棚に上げておかないといけないレベルの方だし。笹井醇一中尉はハンサム過ぎて芸者にモテモテだったそうなので芸者遊びが心配だし。やんちゃな菅
月光、斜銃、小園安名遠藤幸男(えんどうさちお)大尉といえば、月光、斜銃、小園安名。私にはそう思えます。遠藤大尉は「戦跡訪問:厚木空神社」で書きました、厚木航空隊の反乱を起こした小園安名大佐とは切っても切れない間柄。でも、それが遠藤大尉にとってよかったのかどうか・・・。『戦跡訪問:厚木空神社』いろいろなことがあった厚木航空隊豊田穣著『出撃海軍航空隊決戦記』(集英社文庫)の中の一編「本土防空戦」の冒頭、「昭和四十五年十一月一日、私(筆者)は、相模平…ameblo.jp遠藤大尉