ブログ記事41件
名称:平塚城別名:豊島城城郭:平山城築城年:鎌倉時代築城主:豊島近義主要城主:豊島氏所在地:北区上中里1-47-1「平塚神社」平塚城跡
練馬区石神井台の豊島山無量院道場寺へ行きました石神井公園のぶらり散歩の途中の寄り道です石神井城主豊島景村の養子輝時(北条高時の孫)が大覚禅師を招き南北朝時代の応安5年(1372)に豊島氏の菩提寺として創建したと伝えられています慶長6年(1601)に臨済宗から曹洞宗に転宗していますご本尊は釈迦如来武蔵野三十三観音霊場2番札所です山門豊島山の標柱道場寺の標柱大本山永平寺高祖承陽大師の石柱豊嶋山の扁額参道本堂三重塔柏葉紫陽花供養塔地蔵菩薩無縁仏鐘楼
2026年6月11日(木)は、池袋の古代オリエント博物館と練馬区立石神井公園ふるさと文化館・石神井城跡を見学した。上井草のちひろ美術館も見学する予定だったが、3週間の旅行で歩き過ぎたせいなのか、池袋駅に戻って西武池袋線石神井公園駅へ向かうため西武池袋線に乗車したころから動悸が激しくなり、JA東京あおばのバス停で下車し、たどり着いた石神井公園ふるさと文化館で1時間30分ほど休憩し、見学後バス停へ歩くのも苦労したのでちひろ美術館は諦めた。もともと史跡として戦国期豊島氏の居城として石神井城跡をリスト
先日、練馬区の石神井公園に行ってきました。石神井公園は私が住む所から北へ10kmほどの所に位置します。真っ直ぐに行ける交通機関がないことから滅多に行かない場所です。しかし、だからこそ行ってみようということで出掛けました。^_^;小径を下ると見えてくる三宝寺池石神井公園は、西側の三宝寺池と東の石神井池の2つの池を中心に構成された公園です。豊かな自然が広がっており、武蔵野の面影が色濃く残されています。さらに公園内には石神井城跡などの史跡もあり、周囲には氷川神社や三宝寺、道場寺などの神社仏閣も
フォローをご希望してくださる方へご一読お願い致します。➡https://ameblo.jp/tsukitotaiyo0311/entry-12951731154.html➡https://ameblo.jp/tsukitotaiyo0311/entry-12952886440.html-------------------------------------------------------------------------------------ご覧下さり、ありがとうございま
フォローをご希望してくださる方へご一読お願い致します。➡https://ameblo.jp/tsukitotaiyo0311/entry-12951731154.html➡https://ameblo.jp/tsukitotaiyo0311/entry-12952886440.html-------------------------------------------------------------------------------------ご覧くださり、ありがとうござい
フォローをご希望してくださる方へご一読お願い致します。➡https://ameblo.jp/tsukitotaiyo0311/entry-12951731154.html➡https://ameblo.jp/tsukitotaiyo0311/entry-12952886440.html-------------------------------------------------------------------------------------おはようございます。石神
東京都練馬区石神井台にあった城、石神井城のレポートだっちゃ石神井観光案内所で買った戦利品練馬大根ようかんと練馬大根饅頭すっきりした甘さでおいしい石神井城(しゃくじい城)東京都練馬区石神井台にある石神井公園内にあった城この辺りを支配していた豊島氏の本拠地東京都指定文化財史跡14世紀末ごろ(南北朝か室町時代の初め)ころ、豊島氏によって築かれたと思われる1477年に太田道灌によって攻め落とされ、そのまま廃城となったと考えられている太田道灌(おおた
とても見晴らしがよい高台!内田家の屋敷林東側の早宮三丁目(石神井川の向こう側が練馬総合運動場)付近は、道灌山(読方=どうかんやま)と呼ばれていた高台である。理にかなっている場所!△道灌山からの夕日これは文明9年(1477年)、扇谷上杉氏(読方=おうぎがやつうえすぎし)の家宰である太田道灌(読方=おおたどうかん)と練馬城を守る豊島氏との戦いで、太田道灌が陣取った場所といわれている。△道灌山からの西側の風景△としまえんのフライングパイレーツが見える△20
練馬区石神井台の豊島山無量院道場寺へ行きました石神井公園の散歩の途中の寄り道です石神井城主豊島景村の養子輝時(北条高時の孫)が大覚禅師を招き南北朝時代の応安5年(1372)に豊島氏の菩提寺として創建したと伝えられています慶長6年(1601)に臨済宗から曹洞宗に転宗~本尊は釈迦如来武蔵野三十三観音霊場2番札所です山門豊島山の標柱道場寺の標柱大本山永平寺高祖承陽大師の石柱豊嶋山の扁額参道本堂三重塔柏葉紫陽花供養塔地蔵菩薩無縁仏鐘楼帝釈天交通安全地蔵尊
石神井氷川神社から武蔵野観音霊場の4番札所に移動します🏃🏃🏃移動中にチラッと小さな鳥居⛩️が見えました👀🔍️すると厳島神社の鳥居⛩️これはお詣りせねば…鳥居を潜り、階段をおります見えて来ました太鼓橋と社殿らしき建物が…太鼓橋と三宝池三宝池厳島神社創建は不詳氷川神社の兼務社で、豊島氏が石神井城在城中に創建したと考えられていて、江戸時代には、弁天社水天宮としての史料に残されています明治41年と大正4年に、字観音山の稲荷神社、字沼辺愛宕神社、字西村の御嶽神社を合祀して、昭和5
5月9日の武蔵野巡礼の続きです〜三宝寺から4番札所に向かいますが、裏手には石神井城跡地🏯と氷川神社が有るので、ちょいと寄道道場寺や三宝寺の裏手は石神井城の跡地🏯が有ります金網の隙間から石神井城址跡🏯これだけじゃなんだか分かりません🤪案内板が有りました金網が途切れて中に入れる様な入口も有りましたが、入って良いのか分からずそのまま先を急ぎました🏃🏃🏃暫くすると氷川神社が見えて来ました不動霊場や御府内霊場でも氷川神社の傍を歩きましたが、立ち寄らずでしたので、今回は寄らせて貰いました石
石神井氷川神社を参拝し、石神井城の主郭跡横を通って…『⛩️石神井氷川神社参拝⛩️⇒照姫まつりで豊島氏を思う①』4月のある日、石神井氷川神社⛩️へ参拝。東京ドーム約5個分に相当する石神井公園の中にあるので、まるで森の中に静かに佇んでいるような感じ。美しく、とても好きな神…ameblo.jp三宝寺池付近まで来ると、恐ろしいほどの自転車の数、数、数…自転車の係りの方まで。(普段はいません)これはどうした事と思えば、この日は照姫まつりだったのでした照姫まつりとは…照姫まつり
所在地〒114-0016東京都北区西ケ原2(平塚神社)特徴秩父平氏の庶流豊島氏が築いた城で、同氏は石神井城を本城としたが、江古田原で道灌に敗れて没落した。感想神社に高台の地形は残っているが改変が著しい。
横浜市戸塚区にある妙秀寺さんにやってきました。空は雲一つない晴天で晴れ渡る青空ってこんな空のことをいうのでしょうね。妙秀寺さんは創建と開基の兼ね合いで豊島氏や池上本門寺さんととても関係が深くねこの足跡さんの妙秀寺さんの概要のリンクです。↓妙秀寺。横浜市戸塚区吉田町にある日蓮宗寺院、池上本門寺を創建した池上宗仲の妻妙宗禅尼開基妙秀寺さんはそんな意味でもとても歴史の深い寺社さんなん
例年よりも遅れていました2024Seasonの東京都心の紅葉、満を持して巡って来ましたそしてここからの撮影は2024年12月5日です都内…と言っても区部(23区内)ですから各所の紅葉スポット、何とか一日で回り切れるかなと思っていたのですけど無理でした日を改めましてやって来た最初の場所が杉並区今川にあります「観泉寺」chuは初訪問でしたがその素晴らしい紅葉に感動しまくりましたこちらにて御紹介させて頂きました👇『2024紅葉東京の紅葉めぐり(^^)/初訪問の「観泉寺」にビックリ!@杉並区今川
りん散歩、東京都練馬区内を歩いています(2024年8月31日に歩きました)。こちら、石神井公園の近くにある池淵史跡公園。庚申塔がありますね。こちらは縄文時代の竪穴式住居跡。池淵遺跡と言われているそうです。池淵遺跡(いけぶちいせき):練馬区公式ホームページwww.city.nerima.tokyo.jpこた
所在地〒300-1622茨城県北相馬郡利根町布川(徳満寺)特徴豊島氏が利根川左岸の台地を空堀で分断して築いた平山城。寺院や市街地になっているが、徳満寺の背後に大きな空堀が残る。感想空堀はかなり大規模なので、史跡として整備してほしい。
荒川土手の上、目の前に見える江北橋へ荒川を越える江北橋、右に首都高速の2段アーチ橋左、下流の草野球場先には東京スカイツリーも見えます荒川土手を草刈り作業中その先、鎮守の森の木々だろうか行ってみよう荒川(放水路)と隅田川にかこまれた地区、町工場の敷地には紫陽花が見えてきたのは、宮城氷川神社手水舎に開けた境内右側に、富士塚そして境内社の浅間神社と三峰神社左にも、境内社の稲荷神社と水神宮狛犬さん宮城氷川神社拝殿宮城氷川神社は、足立区宮城
4月16日、赤塚城、志村城を攻略した後は、東武東上線のときわ台駅へ降り立つ。駅から南へ10分弱の地点環七通りと川越街道(国道254線)の交差点このお寺と小学校がある区画が板橋城の跡地です。お寺(長命寺)の前にある解説パネル。長命寺が1650年頃に創建されたことは書かれているが、板橋城については最後の2行に「伝承地」としか書かれていない。板橋城は元々は赤塚城、志村城と共に豊島氏の配下。豊島氏のメインの城は石神井城(現在の石神井公園)で、次に有名な城は練馬
名称:布川城別名:府川城城郭:平山城築城年:1519年頃築城主:豊島頼継主要城主:豊島氏、松平氏所在地:北相馬郡利根町布川指定文化財:町指定史跡主郭跡(徳満寺)縄張図
※こちらの記事は、令和2年7月15日に書かれたものです。皆さんこんばんは。今回は「ビジネスに活かす戦国合戦術」第22弾として、過去に書いた「江古田沼袋原合戦(えごたはら・ぬまぶくろ・がっせん)」について、ビジネス的視点で見直したいと思います。※記事下部に人物の読み仮名をのせています。上記記事を読みたい方は、下記リンクをタップしてください:各合戦の動員人数について(1)江古田原沼袋合戦第1回今山の合戦第2回耳川の合戦第3回沖田畷の合戦第4回小豆坂の合戦第5回
主催している(仮称)歴史散歩サークルにおいて、横浜シーサイドライン散歩を、先日行った私ですが。このシーサイドライン沿線沿いも、それ相応に史跡をめぐる散歩コースがあります。先日少し歩いてきたので、その紹介を3度に分けて致します。今回は、②孫文と慶珊寺です。富岡八幡宮を後にして、慶珊寺へ向かおうとしたら…。え!孫文!?なにゆえ孫文の石碑が…?(;´・ω・)実はここ、孫文が2度目の亡命をした際に上陸した地でした。(当時はこの辺りまで海岸線であった)孫文清王朝を倒し、中国
練馬区石神井台の豊島山無量院道場寺へ行きました石神井公園の散歩の途中の寄り道です石神井城主豊島景村の養子輝時(北条高時の孫)が大覚禅師を招き南北朝時代の応安5年(1372)に豊島氏の菩提寺として創建と伝えられています慶長6年(1601)に臨済宗から曹洞宗に転宗~本尊は釈迦如来武蔵野三十三観音霊場2番札所~山門豊島山の標柱道場寺の標柱大本山永平寺高祖承陽大師の石柱豊嶋山の扁額参道本堂三重塔柏葉紫陽花供養塔地蔵菩薩無縁仏鐘楼帝釈天交通安全地蔵尊
江古田浅間神社の前は、もう西武池袋線江古田駅日本大学芸術学部(日芸)や武蔵野音大に武蔵大学とアートに造詣の深い学生が集まる土地柄「のだめカンタービレ」のモデルは武蔵野音大だとか・・・知りませんでしたアニメではなくて、上野樹里と玉木宏、ドラマの記憶がなんとなく駅改札口江古田の読み方については「えごた」「えこだ」「えこた」が混在地名としては古くから「えごた」であり中野区民は「えごた」と読むことが多く「えこだ」の読み方は、江古田駅駅名から広まった可能性が高い
あけましておめでとうございます!石神井公園の三宝寺池と東屋あっという間に1年が過ぎてしまいましたね。2回目のウィーン旅行記ものんびり書いているうちに、足かけ3年目に突入してしまいました。でも、ウィーンの街は3年くらいではその魅力が変わったりしないでしょうから、焦らずいきたいと思います。今回は、大詰めのウィーン旅行記を1回お休みし、地元練馬の初詣の話題を。***今年の初詣は、いつも行く氏神様の春日神社のほかに、その近くにある練馬城址(旧豊島園遊園地
夫と映画を観に行った時としまえん跡地を通りました。私が子供の頃は後楽園ゆうえんちが家から近かったので後楽園ゆうえんちにいつも行っていて、としまえんに行った事はありませんでした。大人になってまた東京に引っ越して来てからはとしまえんに行くようになりました。10月1日の都民の日は入園無料でしたが(のりもの代はかかる)区の互助会で割引券が買えたのでそれ以外にも四季折々にちょこちょこ訪れていました。木馬の会という年間パスポート制度をディズニーが出来る前から
今回は、現在の神奈川県川崎市中原区にあった城、丸子城です。静岡県静岡市にある丸子(まりこ)城が有名ですが、今回ご紹介するのは丸子(まるこ)城です。丸子城跡は現在、日枝(ひえ)神社の境内になっているとされています。武蔵小杉駅または新丸子駅から徒歩10~15分くらいで行くことができます。武蔵小杉駅横須賀線口。JR東日本の横須賀線(総武快速線、湘南新宿ライン、相鉄JR直通線直通含む)と南武線、東急電鉄の東横線と目黒線が乗り入れています。2010年(平成22年)に横須賀線のホームが新設された
これから書く事は私がどうしようもないアンポンタンだということを告白しなければならないのでお恥ずかしいのですが、正直に包み隠さず今から書きます。その前に、皆さんの理解を助ける為に皆さんの知らない長命寺さんでのエピソードをまず書いておきますね。私が生まれて初めて御朱印をいただいたのは、練馬区高野台にある長命寺さんというお寺です。以前人間ドックで再検査と言われて練馬の順天堂大学病院に精密検査に行った帰り、私は病院の裏手にあった大きなお寺にお詣りして、「ど
連日の登録作業が終わりましてのお休み。東博のポンペイ展を見に行こうと予約したんだけど、よく考えたら苦悶の表情の石膏像とか無理なので、一転『鹿の王』を見に行くことにしました。映画館はいつもの豊島園、帰りにぶらりと周辺散策するかなー鹿の王は未読です。そして感想は『難解』でした。うちに帰って本読もう。^_^さて、豊島園シネマの裏は閉園した豊島園。ここは豊島氏の居城練馬城の跡と言われておりますが、跡地の痕跡が何もない。色別標高地図に等高線を上書きしてこの➕の当たりが本丸ですかね?城