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名称:布川城別名:府川城城郭:平山城築城年:1519年頃築城主:豊島頼継主要城主:豊島氏、松平氏所在地:北相馬郡利根町布川指定文化財:町指定史跡主郭跡(徳満寺)縄張図
※こちらの記事は、令和2年7月15日に書かれたものです。皆さんこんばんは。今回は「ビジネスに活かす戦国合戦術」第22弾として、過去に書いた「江古田沼袋原合戦(えごたはら・ぬまぶくろ・がっせん)」について、ビジネス的視点で見直したいと思います。※記事下部に人物の読み仮名をのせています。上記記事を読みたい方は、下記リンクをタップしてください:各合戦の動員人数について(1)江古田原沼袋合戦第1回今山の合戦第2回耳川の合戦第3回沖田畷の合戦第4回小豆坂の合戦第5回
主催している(仮称)歴史散歩サークルにおいて、横浜シーサイドライン散歩を、先日行った私ですが。このシーサイドライン沿線沿いも、それ相応に史跡をめぐる散歩コースがあります。先日少し歩いてきたので、その紹介を3度に分けて致します。今回は、②孫文と慶珊寺です。富岡八幡宮を後にして、慶珊寺へ向かおうとしたら…。え!孫文!?なにゆえ孫文の石碑が…?(;´・ω・)実はここ、孫文が2度目の亡命をした際に上陸した地でした。(当時はこの辺りまで海岸線であった)孫文清王朝を倒し、中国
練馬区石神井台の豊島山無量院道場寺へ行きました石神井公園の散歩の途中の寄り道です石神井城主豊島景村の養子輝時(北条高時の孫)が大覚禅師を招き南北朝時代の応安5年(1372)に豊島氏の菩提寺として創建と伝えられています慶長6年(1601)に臨済宗から曹洞宗に転宗~本尊は釈迦如来武蔵野三十三観音霊場2番札所~山門豊島山の標柱道場寺の標柱大本山永平寺高祖承陽大師の石柱豊嶋山の扁額参道本堂三重塔柏葉紫陽花供養塔地蔵菩薩無縁仏鐘楼帝釈天交通安全地蔵尊
江古田浅間神社の前は、もう西武池袋線江古田駅日本大学芸術学部(日芸)や武蔵野音大に武蔵大学とアートに造詣の深い学生が集まる土地柄「のだめカンタービレ」のモデルは武蔵野音大だとか・・・知りませんでしたアニメではなくて、上野樹里と玉木宏、ドラマの記憶がなんとなく駅改札口江古田の読み方については「えごた」「えこだ」「えこた」が混在地名としては古くから「えごた」であり中野区民は「えごた」と読むことが多く「えこだ」の読み方は、江古田駅駅名から広まった可能性が高い
あけましておめでとうございます!石神井公園の三宝寺池と東屋あっという間に1年が過ぎてしまいましたね。2回目のウィーン旅行記ものんびり書いているうちに、足かけ3年目に突入してしまいました。でも、ウィーンの街は3年くらいではその魅力が変わったりしないでしょうから、焦らずいきたいと思います。今回は、大詰めのウィーン旅行記を1回お休みし、地元練馬の初詣の話題を。***今年の初詣は、いつも行く氏神様の春日神社のほかに、その近くにある練馬城址(旧豊島園遊園地
夫と映画を観に行った時としまえん跡地を通りました。私が子供の頃は後楽園ゆうえんちが家から近かったので後楽園ゆうえんちにいつも行っていて、としまえんに行った事はありませんでした。大人になってまた東京に引っ越して来てからはとしまえんに行くようになりました。10月1日の都民の日は入園無料でしたが(のりもの代はかかる)区の互助会で割引券が買えたのでそれ以外にも四季折々にちょこちょこ訪れていました。木馬の会という年間パスポート制度をディズニーが出来る前から
今回は、現在の神奈川県川崎市中原区にあった城、丸子城です。静岡県静岡市にある丸子(まりこ)城が有名ですが、今回ご紹介するのは丸子(まるこ)城です。丸子城跡は現在、日枝(ひえ)神社の境内になっているとされています。武蔵小杉駅または新丸子駅から徒歩10~15分くらいで行くことができます。武蔵小杉駅横須賀線口。JR東日本の横須賀線(総武快速線、湘南新宿ライン、相鉄JR直通線直通含む)と南武線、東急電鉄の東横線と目黒線が乗り入れています。2010年(平成22年)に横須賀線のホームが新設された
これから書く事は私がどうしようもないアンポンタンだということを告白しなければならないのでお恥ずかしいのですが、正直に包み隠さず今から書きます。その前に、皆さんの理解を助ける為に皆さんの知らない長命寺さんでのエピソードをまず書いておきますね。私が生まれて初めて御朱印をいただいたのは、練馬区高野台にある長命寺さんというお寺です。以前人間ドックで再検査と言われて練馬の順天堂大学病院に精密検査に行った帰り、私は病院の裏手にあった大きなお寺にお詣りして、「ど
連日の登録作業が終わりましてのお休み。東博のポンペイ展を見に行こうと予約したんだけど、よく考えたら苦悶の表情の石膏像とか無理なので、一転『鹿の王』を見に行くことにしました。映画館はいつもの豊島園、帰りにぶらりと周辺散策するかなー鹿の王は未読です。そして感想は『難解』でした。うちに帰って本読もう。^_^さて、豊島園シネマの裏は閉園した豊島園。ここは豊島氏の居城練馬城の跡と言われておりますが、跡地の痕跡が何もない。色別標高地図に等高線を上書きしてこの➕の当たりが本丸ですかね?城
飛鳥山から滝野川城に行くか平塚城に行くか、どちらから先に行くか悩みましたが、どうせどちらも行くのだからと開き直り、まずは平塚城へと歩を進めました。途中に一里塚があったり郡衙跡の遺跡があったり、飛鳥山同様に歴史の宝庫的な風景が続くその先に、目指す平塚神社が見えてきました。諸説あるものの、ひとまずここが豊島氏の平塚城跡と言われているところです。平塚神社の手前で見た郡衙の遺跡と平塚城とは、見た当初はあまり繋がりを感じなかったのですが、後になって「そうか、豊島氏は豊島郡衙に拠点を構えたんだ」と合点が行
☆2021年7月15日木曜日カルチャーセンター建築史&街歩きの毎月1回の午後からだけのクラス午後1時から4時過ぎ頃までこの期の課題は「練馬区」で、「石神井公園」〇私実はこの日のクラスの案内書に「石神井城址」に行くと書かれてあったので都内にもう10年以上住んで居るのに行った事が無く
今回のお城は練馬区の石神井にあった城跡、現在の東京一帯に勢力を持ち、太田道灌と戦った豊島氏の本拠地であった石神井城(しゃくじいじょう)です石神井城は荒川水系(荒川に集合するという意味)の支流の1つである石神井川を中心に開拓していた豊島氏の城で、城郭構造は連郭式の平山城だったとされます築城は鎌倉時代後期頃に開始したのではないかと思われ、豊島氏が築城後にここを本拠地として武蔵国一円を支配していました豊島氏は平一族秩父氏の出で、平安の時代から武蔵国を治める名家として名を馳
23区にある数少ない、JRで降りたことがない駅「上中里」今回初めて降りてみた京浜東北線横は、湘南新宿ラインになります。よく運転していましたゲーム(電車でGO!)での話です今は息子が、まだまだ現役古いゲーム機にて運転しています駅舎改札口は、台地と下町の境界(際)にあります駅前の道を少しのぼり西ヶ原方面へ脇階段から「平塚神社」境内へそこはもう拝殿横へ平塚神社ご祀神は八幡太郎源義家命(はちまんたろうみなもとのよしいえのみこと)賀茂次郎源義綱命
石神井城🏯中世豊島氏ここにあり✨リタイア@湘南ヒロたん!のmyPickAmazon(アマゾン)Nikonデジタル一眼レフカメラD780ブラック189,000〜274,243円AF性能を強化し、幅広い撮影シーンに対応。狙った被写体をより高精度に捕捉強化された51点AFシステムです♪
石神井公園の三法寺池です。ここは、太田道灌公、豊島氏と照姫の伝説があり、毎年照姫祭りが行われるそうです。太田道灌公の伝説は、私が写真を撮影する場所に行くと、不思議と必ず太田道灌公の伝説があり、まるで導かれているような偶然が重なりますが太田道灌公の活躍した当時の東京は武蔵ノ国と呼ばれ、太田道灌公は当時この地域周辺の実力者であったため東京、武蔵ノ国周辺には太田道灌公の伝説が多いことも、当然のおいて不思議ではなく自然なことであるとは思います。
鎌倉幕府の御家人でこの地の豪族だった豊島清光(清元)の一人娘が逝去されたときにその悲しみから冥福を祈り屋敷内に建立したのが始りとされ真言宗豊山派醫王山淸光寺。保元2年(1157年)には七堂伽藍が建立されたとも永禄2年(1559年)には大寺院だったとも読取れる記録があるそうです。参道の石仏(延命地蔵尊)六地蔵尊山門本堂ご本尊:不動明王(行基が造った豊島七仏のひとつ)豊島清光供養塔清光坐像弘法大師像弁才天石仏・宝塔江戸図(清光寺)
東京都練馬区立石神井公園ふるさと文化館2階企画展示室にて企画展『石神井城中世豊島氏ここにあり』5月30日まで開催されています難波田城、石神井城と戦国初期の在地領主についての企画展が開催されるのは嬉しいことですね石神井城は公園内に保存される中世城館跡です豊島氏はこの辺りを治めた有力武将であり石神井城はその居城でありました太田道灌に攻め滅ぼされるまで反映しました企画展では発掘調査の成果を中心となるようです私は二十数年もここを訪れておりません久しぶりに訪れたい気持ち
三宝寺から氷川神社へ向かいます。松と銀杏の大木が立つ参道に出て来ました。参道は、手前奥から続いています。横に広がった銀杏の枝葉が剪定されてしまうのは、住宅が迫った場所では致し方ないのでしょうね。境内へ入ります。鳥居もさることながら、生い茂った木々が神域の結界を表している印象を受けます。応永年間(1394~1428)の創建と伝わる石神井氷川神社は、石神井郷の領主であった豊島氏の手厚い保護を受けました。社殿の前にも、鳥居のように大木が聳え立っています。「皇太子御生誕記念
阿夫利神社にお参りに行って来ました大山阿夫利神社関東総鎮護大山阿夫利神社公式HPです。神奈川県伊勢原市。ご祈願・各種行事・アクセスガイド・大山のハイキングコースなどについてご紹介しております。www.afuri.or.jp巨人軍の原監督や菅野投手がお参りをする神社だと聞いて、その勝ち運に少しでもあやかりたいと…ノコノコ出掛けて行ったのですが…(^_^;)でも、もう、着くまでがグダグダで…ナビはなぜかUターンさせようとするし…やっと『第一駐車場』に着くとケーブルカー乗り場入口まで10分も
令和2年8月11日参拝JR京浜東北線王子駅北口より都バス(都41系統新田一丁目ゆき)に乗り「新田橋」バス停下車、徒歩3分です。武蔵野観音霊場には豊島氏の菩提寺や祈願寺があるんだけど2番道場寺では豊島氏墓所が非公開だったりとなかなかお近づき(?)になれず。北区豊島にも豊島氏のお寺ないかな〜と探したらありましたっ♪(´▽`)ここは豊島清光の館跡という事ですが、遺構が残されているわけではないそうです。清光寺は真言宗豊山派の寺院で本尊は不動明王。開基は豊島清光(または父の康家)と伝
今回は石神井城主の豊島輝時が開基したと言われ、豊島氏の菩提寺とされる道場寺(どうじょうじ)です山号は豊島山で宗派は曹洞宗、開基は豊島輝時の開山は大覚禅師で御本尊は釈迦如来です道場寺の始まりは西暦1372年、冒頭の通り、練馬区の西にある石神井にあった石神井城の城主である豊島輝時が開基、そして大覚禅師を招いて開山しており、豊島氏代々の菩提寺として建立されました豊島氏はこの練馬区から豊島区や板橋区にかかる土地を治めていた一族で、豊島区という名称もこの豊島氏から来ているとされて
ウォーキングや寺社巡りをしていると城祉も最近気になってきました東京だとやはり「江戸城」ですがもうお城は都内のどこにもないのは寂しいですね。お城がある県は羨ましいですこちらはJR赤羽駅から徒歩五分ほどのところにある「稲付城跡」太田道灌が築城したもので、今はお寺になっています。早朝だったのでお寺には入らず(階段が大変そうというのもありますが)毎月26日には木像の太田道灌が公開されています。板橋区の由来の「板橋」がありました石神井公園にも初めて行きました。豊かな三宝池があります。たくさんの鴨
今回は石神井公園の石神井城跡がある側に三宝寺池という池がありますが、この池名の元である古刹の三宝寺(さんぽうじ)です山号は亀頂山で宗派は真言宗智山派、開基は幸尊法印と言われ御本尊は不動明王です地元では石神井不動尊とも呼ばれるこの寺院は、西暦1394年に鎌倉の大楽寺の僧・幸尊法印によって石神井池のそばに開かれたとされ、この石神井や練馬などを治めた豊島氏が築いた石神井城が近かったこともあって豊島氏から帰依を受けていましたしかしこの石神井豊島氏は太田道灌と戦いの後に滅亡、三宝
昨日書いた豊島園閉園のニュース豊島園がなくなるかも?!2023年をメドにだってまだちょっと先で安心したスパ♨️はまだ何回か行けそうだ遊園地🎢はともかく、園内の施設のひとつ『庭の湯』があるから閉園してほしくない旨を書いた訳だけど。。よくよくニュースを追ってみると、そもそも2011年の東日本大地震の後、避難施設の重要性から都の『優先整備地区』として指定されていたのだそうだそれが西武側との交渉が特に進展はせずに今日に至っている状況だったらしいハリーポッター🧙♀️のテーマパーク🏰になる
去年の年末、12/30暮れも押し迫りあと1日で今年が終わるという日に石神井公園祈り散歩を開催いたしました。集まりをひらめいたのは12/27、、、この日は池袋から王子まで歩いて、、、さらに王子から荒川区の家までも歩いたんですよ。自分でもびっくり家に帰って万歩計みたら16.6キロ歩いてましたけど昔の人にはなんでもない距離さと想いながら足が勝手に歩いてるような感覚でした。上中里駅近くの平塚神社にお参りしてたら石神井公園に行こうって思いました。
昨日池袋祈り散歩でした。71年前の12月23日この地で処刑された、東条英機さんら7名の方々。ここでお亡くなりになった方々のお話をしてここにいらっしゃった方々のお話をしてここで働く方々のお話をしてここに訪れる方々のお話をしてすべてのすべての永久平和を願って池袋駅パルコのすぐ隣にある四面塔(しめんとう)江戸時代徳川吉宗の時代、一晩で17人が斬り殺されるという哀しい事件が
No.30846月10日、月曜日です。今朝の東京の空…ではなくて駅。今日は一日雨。時折強く降っておりました。さて、歴史と文化の散歩道15-4の記事も今回が最後です。石神井氷川神社から三宝寺池に向かいます。前回の記事で書いた三宝寺のそばにあるから、三宝寺池。まずは、南側の丘陵地に向かうと…。石神井城跡があります。室町中期までこの地域で勢力を持っていた豊島氏の居城だったそうです。現在は崩壊のおそれがあって、立入禁止…。池のほとりに出てみます。多くの神社がありました
メリークリスマス‼️なりたの憩にクリスマス会が来ました。まず、EM豊島氏より挨拶です。そして乾杯、皆さんで合唱へと続きます。皆さん神妙に聴いています。さあ、乾杯です。クリスマス会スタートです。皆さんで「赤鼻のトナカイ」「ジングルベル」合唱です。続く…今日も1日入居者様の笑顔があふれますようになりたの憩では介護スタッフを募集しています皆様とゆっくり、一緒に、楽しく過ごしてみませんか?お問い合わせはこちらまで0476-40-4088千葉県成田市三里塚グ
今回は、現在の茨城県北相馬郡利根町にあった城、府川城(布川城)です。府川城跡は現在、徳満寺となっていて、布佐駅北口から徒歩20分くらいのところにあります。布佐駅は千葉県我孫子市にあり、利根川を渡って県境を越えていきます。布佐駅北口。先週と同じ画像です(笑)JR東日本の成田線(我孫子支線)が乗り入れていて、常磐線や上野東京ラインへ直通する電車もあります。徳満寺の入口。布川城跡の標柱があります。府川城跡は利根町指定史跡となっています。布川城跡の碑。入ってすぐのところにあります。