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おはようございます。閏年の2月29日の朝は雨、気温は10.5℃です。ということで閏年で2月は29日まで。月給を貰う人たちは一日多く働かねばなりません。日給なら変わりませんが・・・・。閏年はオリンピックイヤー。パリオリンピックはもうすぐです。そうそうオリ・パラリンピックと言わないとクレームが付きそうです。ちなみに昨夜は女子サッカーがオリンピック出場を決めました。めでたしめでたし。さて、昭和の漫画でこんなものがありました。「鼻血ブー」や「アサー」の言葉で有名な谷岡ヤ
昭和17年(1942年)8月29日、愛媛県宇和島生まれの故・谷岡ヤスジ氏は高校生時代から児童マンガのプロとして活躍していた人ですが、大ブレイクを果たしたのは昭和45年(1970年)から翌年にかけて「週間少年マガジン」に連載した『ヤスジのメッタメタガキ道講座』でした。昭和45年第19号から昭和46年第38号の1年強の連載にもかかわらず同作は社会現象と呼べるほどの反響を呼び、同作を原作にした劇場版長篇アニメ映画やLPレコードも制作され、「アサーッ!」(ムジ鳥)、「鼻血ブー!」は流行語になり、ことに
『谷岡ヤスジ「(仮)ウナギの死」(『ヤスジのアニマルどー!!』より)』孤高の天才マンガ家、故・谷岡ヤスジ(1942-1999)画伯による、1970年代後期の動物まんがシリーズ『ヤスジのアニマルどー!!』より、わずか5ページに土…ameblo.jp秋と言えばサンマ、サンマと言えば秋ですから、10月のうちに載せておきましょう。これは以前ご紹介した、同じ巨匠の手になる生と死の本質を抉った傑作「(仮)ウナギの死」と同工異曲の作品ですが、「ウナギ」の方は『ヤスジのアニマルどー!!』、本作は『ヤスジの
『谷岡ヤスジ「(仮)ウナギの死」(『ヤスジのアニマルどー!!』より)』『真冬のウナギ蒲焼き丼』『少しの寿司だけでも』『今年もカップラーメン初め』『自宅牛丼祭りの喜悦と悔恨』『あけまして中華丼』初春のお喜びを申し上げます。皆さま…ameblo.jp引っ越ししてまる三週間が経ちました。土用の丑の日は一週間前の7月30日(日)でしたが、広島原爆忌の今日は一週遅れでスーパーのお弁当で買ってきて食べた、ウナギのひつまぶし丼の画像を載せて、これまで何度かご紹介してきた天才マンガ家・谷岡ヤスジの傑作「(
ソフトクーラーボックスをテーブルにするのは安定が悪かったのでポチったやつ。高さ調整もできてガンジョー。KingCampキャンプテーブルアウトドア折りたたみテーブルコンパクト高さ調整可能耐荷重30kgバンブーテーブル収納付きピクニックレジャー60*40*30/40cmAmazon(アマゾン)Amazon(アマゾン)で詳細を見る楽天市場で詳細を見るそれはさておき続きです。
前回下手しー柵のままのヒラマサをかじることになりかけたんで、ナイフ1本持っとくかなとポチったヤツ。十特ナイフみたいなやつが便利かなとも思ったけど、高価なエエやつでないとゴミみたいな気がするから、単機能の手ごろな値段のヤツにした。[オピネル]OpinelアウトドアナイフNo.8ステンレススチール8.5cm折りたたみナイフ123080N°08inoxキャンプ魚釣り登山[並行輸入品]Amazon(アマゾン)1,499〜1,699円Amazon(アマゾン)で詳
「全国的に、アサー」今朝、目覚めてもさぁブログだと思っても書くことも浮かばず、面倒臭いから「おはよう!」とだけ書いて終わりにしようとか考えてたら、なぜかこの全国的にアサーが脳内に降ってきた……なんだこりゃ、確かなんかそんな漫画かあったような……ググッてみたらあった!画像検索したら。あぁ、この絵ね。すっげぇ昔やん。少年マガジン1970年連載開始って……確かに物心はついてる、でも夢中になった記憶はない。子供ながら好きな絵ってのがあって断然に「ちばてつや」さんが好きだった……なんと言っても「
少年時代から漫画大好きな私・・・『巨人の星』・『あしたのジョー』に始まり、現在も連載が続く『ゴルゴ13』に至るまで、数え切れない作品を読んできています。その中でも、ストーリーは関係なく画風のみで強烈に印象が残っている漫画家がひとり・・・それは谷岡ヤスジさん今日は昭和時代に圧倒的な異才を放った、この漫画家の命日にあたります。谷岡(本名・泰次)さんは戦時中の1942(昭和17)年に、愛媛県宇和島市で生まれました。幼少期から漫画家を志していたそうで、東
毎度のご訪問誠にありがとうございます。もういいかな…?と思いつつ4コマラインナップでおます。文字数多くてすいません…説明過多で笑えんわね…。第2章豊饒の海へChapter1おとなの漫画その3「週刊漫画ゴラク(日本文芸社)」の表記は70年代初頭からですが、創刊時(1964年)は隔週で「漫画娯楽読本」…如何にも昭和。この後、一時「漫画ゴラクdokuhon」の表記時代も…。「松本零士」の初めての青年誌連載「セクサロイド」はこの雑誌。
ヤスジのオラオラ節(歌:谷岡ヤスジ/作詞:浅井英雄・野沢ミツオ/作曲:鈴木邦彦)今日は、谷岡ヤスジが歌う「ヤスジのオラオラ節」を聴いています。漫画家の谷岡ヤスジが漫画のヒットに乗っかってレコードを出したという流れだと思います。谷岡ヤスジの漫画はケッコーエロが強かった記憶があり、大人向けの漫画家だと認識していたのですが、ウイキペディアに『『週刊少年マガジン』に連載した『ヤスジのメッタメタガキ道講座』で大ブレイク』とあり、少年誌で火がついていたのでした。へ~、そうだったんですね。
CartoonbyMrs.marietty今日は雨の日、筆者は午前中に眼科と内科の定期健診を受診してきて、雨の中傘をさしてとぼとぼ往復してきましたが、帰宅してふとスマホを見るとイラストレーターのまりえさんことmariettyさんから四コマ漫画が送られてきていました。今日は今日で載せる予定で書いていた文章があり、また受診への行き帰りで歩道に落ちていた買い物メモでもネタに何か新しく書こうかなとも思っていたのですが、せっかく送っていただいた四コマ漫画ですから予定を変更して掲載させていただくこ
完成してみると、『あのときあーすればよかった!』的なことがいっぱい。せっかくなので未練たらしくここに書き連ねてみます。その1【幻の谷岡ヤスジ仕様】この状態で世に送り出してやりたかった。アラ還世代の絶大なる支持を得る確証ありです!★(真岡市のんび里館にて撮影。バックの限定カラーのZ400FXは、赤い羽根のCBさん製作。)その2【シリンダーブロック】プラ板で1mmふかしたんですが、さらに2mm太くしてもよかったかも。その3【フロントフェンダー】穴を明けたり取り付け部を削ったり
今日は昭和の日。もう少しだけ、このネタで逝きます。先日、おとーさんのお膝元である千葉県某所で二人だけで大々的に行われたZ400FXの中間検査、おとーさんがきっと気に入ってくれるって思ってプレゼンした谷岡ヤスジVer.のZ400FX、みごとに却下されてしまいました。(↓↓↓検査のようす)ラジドリチームENDLESSのステッカーの新しいデザインにもぴったりマッチするのに・・・あれっ?でも拡大してよく見ると・・・・なんだ、採用してくれるんですね!?昭和40年代、アラ還にとって谷岡
今日は朝10時から、おとーさんによるZ400FXのクオリティチェックがありました。だから新幹線はいつもとおなじ。7:36に富士山の前を通過します。で、千葉県の某所です。念入りに細部までチェックするおとーさん。お供のカピバラが優しく見守ります。詳しい内容は、おとーさん自身のブログに譲ります。↓↓↓↓ワタシは検査に合格したご褒美に、おとーさんのお友達darumamaさんお手製の『邪エナガさん』をゲット!(写真右下)かわいーっ!darumamaさん、ありがとー!おとーさんからは
今日のひとコマミンネにてイラスト原画を販売開始しました。よろしくお願いします‥minne.com/@p0710160904今日の寄り道‥じゃあまたね
おはようございますルー。
今日も東京の空は雨模様で雲に覆われています。今週は青空が無い朝が続きそう。だから朝からフラメンコ音楽聴いて、スペインの青空妄想しています。朝からフラメンコの手拍子(palmas)でリズム整えて、かけ声(jaleo)で元気づけ。!OLE(オレ)!!ALA(アッラー)!そして!ARZA(アッサー)!聴いているのは「サビーカス」の「フラメンコの世界(!!OLE!!)。録音は1972年。名手サビーカスのギターの音色は重厚でかつ澄んでいて美しいです。アデーラ・ラ・デ
朝を歌った歌を何曲か拾ってみました「朝だ元気で」「朝」「朝はどこから」「劇音楽ペールギュント」より「朝の気分」
■特に無いけど■今朝TVで見た4枚刃のフードプロセッサーデロンギ製品はあってもいいかも?性能1位になってるの見るとね~こんばんよう!週末恒例の深夜の更新です。今日は8月29日●フジTV見てたら松本さんが内村さんに電話して、明日の出演交渉してる奇跡的な状況見てました。TVの力を見せる番組かな?●夕飯はボンカレーゴールド●久しぶりです『大五郎、3分間待つのだぞ』さて、今日の誕生日紹介です。谷岡ヤスジ(1942~1999)漫画家。日本のギャグ漫画
今日も遅い朝の目覚め。6時間くらい寝た。当然朝食も遅くなるわけで・・・そんな時は頭の中でいつも「昼に近い朝~」と唱える。あのニワトリって何ていう名前だったっけ?「ムジ鳥」だった(全然覚えていない)「少年マガジン」は読んでいないがこの強烈なキャラクターは覚えていたしマスコミへの露出度も多かった人。「アサー」と「鼻血ブー」で70年代のギャグ漫画シーンを塗り替えた、天才・谷岡ヤスジが描く「ヤスジのメッタメタガキ道講座」70年代、エロ漫画の概念をあっけらかんと少年誌に持ち込んだ谷
今更ながら鼻でかの写真をとってみたくなって挑戦してみたればこんな事にミルクを飲んだ後のひげ状態でもこの白い口元全体がウッホー卑怯なくらい可愛いまあまあな鼻でか写真茶々丸の目はよーく観察していると右目が単独で動くのです横目で見る時って両目が片側に移動するけれど茶々丸くんはカメレオンのように右目だけチロッと動くのです引っ張りっこしてご機嫌だったからカメラ目線が出来ましたもうね、あまりの可愛さに親バカ丸出しであさー鼻血ブーの世界です
ElectricEels-DieElectricEels(SuperiorViaductSV59,2014)rec.1972-1975DieElectricEels(1975)作成した動画を友だち、家族、世界中の人たちと共有youtube.comDieElectricEels(1975)作成した動画を友だち、家族、世界中の人たちと共有youtube.com孤高の天才マンガ家、故・谷岡ヤスジ(1942-1999)画伯による、1970年代後期の動物まんがシリ
ピーターマックスはインチキ♥チッチポッポだった♥それっ💃(#^.^#)👂バッハッハーイ
こんにちは。僕のブログ【アデュー・ロマンティーク】へ、ようこそ。コロナ禍でいろんなことを我慢していると。僕の場合、突然、踊り出したくなることがある。今回は、そんな衝動に素直に従おう。緊急事態宣言下だけど。『サイケでハレンチな時代の、和モノで踊ろう!」という訳で。「和モノもかけちゃえ」と、横山剣が『かっこいいブーガルー』で歌ったように。60年代末から70年中頃までの、サイケでハレンチで、アングラでナンセンスな(あくまでもイメージだよ)、そんな時代のGroovyでカッコいい「和モノ
漫サンの講座でサトウサンペイさんが「投稿漫画のような一枚ものでは食えません」。と投稿漫画家にとっては衝撃的なことを言ったことがありましたが、たしかに当時週刊誌に掲載されているナンセンス漫画は2,3ページに及ぶコマ漫画ばかりでした。谷岡ヤスジ、黒鉄ひろし、白木卓、はらたいら、高信太朗等、華々しい活躍をしていた時代です。加奈井さんたちもご多分に漏れずコマものでした。だが彼の場合ははオイルショックのあおりを受け発行を減らした出版社とかかわっていたため仕事が少なくなり他社に売り込み活路を開かねばなり
ご無沙汰しております。ルチャグレです。2021年始めてのブログでございます。最初からやばいやつを紹介していきたいと思います。今回は伝説のアニメ映画『ヤスジのポルノラマやっちまえ‼︎』について話して行きたいと思います。時は1971年、1970年から1971年にかけて『週刊少年マガジン』で連載されたギャグ漫画『ヤスジのメッタメタガキ道講座』で「鼻血ブー」や「アサー」など数々の流行語を生みだしたナンセンスギャグ漫画の巨匠・谷岡ヤスジさんの原作とした映画が公開された、その名は『ヤスジのポルノ
これは以前ご紹介した《7月21日「谷岡ヤスジ「(仮)ウナギの死」(『ヤスジのアニマルどー!!』より)」》(書庫「アニメーション・コミックス」)と、同じ巨匠の手になる生と死の本質を抉った傑作「(仮)ウナギの死」と同工異曲の作品ですが、「ウナギ」の方は『ヤスジのアニマルどー!!』、本作は『ヤスジのドッチラケ節』によって別々の連載で発表されており、出典が明らかではなくどちらが先かは断言できません。「ウナギ」が5ページを費やしていたのに対しこちらは3ページとより簡潔であり、「ウナギ」が盛夏なら「サンマ