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『銀嶺の果て』映画トーキー89分白黒昭和二十二年(1947年)八月五日封切製作国日本製作言語日本語製作東宝製作田中友幸原作黒澤明脚本黒澤明谷口千吉撮影瀬川順一美術川島泰三録音亀山正二照明平田光治音楽伊福部昭監督補佐宇佐美仁音響効果三縄一郎編集長沢嘉樹特殊技術東宝技術部現像キヌタラボラトリー出演三船敏郎(江島)志村喬(野尻)若山セツ子(春坊)河野秋武(本田)小杉義男(高杉)高堂国典(スキー小
月刊「シナリオ」2024年1月号では『野良犬』他について書かせて頂いています。
ひとつ前の当ブログの続きです。『銀嶺の果て』(1947谷口千吉監督)は、三船敏郎さんのデビュー作であり、『ゴジラ』(1954本多猪四郎監督)の音楽で有名な伊福部昭さんの映画音楽デビュー作という風に映画史においても重要な作品です。その『銀嶺の果て』で出会った若山セツコさんと谷口千吉監督は結婚します。『青い山脈』(1949今井正監督)という国民的大ヒット映画で「メガネっ子」を演じアイドル的人気を得た1949年のことです。このとき若山さん20歳、谷口監督37歳ですから17歳の年の差。既に書
ひとつ前の当ブログで書いたように、八千草薫さんの夫、谷口千吉監督の最初の結婚相手は脚本家の水木洋子さんでした。結婚生活10か月というスピード離婚をした谷口助監督、戦後、監督に昇進します。そのデビュー作が『銀嶺の果て』(1947谷口千吉監督)です。助監督時代からの盟友、黒澤明さんと脚本を共作した山岳アクションの傑作です。谷口監督第1作というだけでなく、三船敏郎さんのデビュー作としても知られます。3人組の強盗の一人を演じ、それまでの日本人俳優にない野性味を発散、以後の黒澤映画の三船さんにつなが
ひとつ前の当ブログで書いたように、八千草薫さんは「宝塚歌劇団」を退団後、東宝に入社、特撮映画でも活躍されます。そして、円谷英二さんが特撮を担当した『乱菊物語』(1956谷口千吉監督)で出会った谷口千吉監督と結婚されます。当時、八千草さんは25歳。谷口監督は44歳でしたから19歳の年の差がありました。しかも、谷口監督には若山セツ子さんという妻がいましたから、不倫、あるいは八千草さんの略奪愛、という感じでスキャンダルになりました。結局、谷口監督は若山さんと離婚、『乱菊物語』公開の翌年、1957年
ひとつ前の当ブログの続きです。八千草薫さんが「宝塚歌劇団」入団5年目に主役に抜擢されます。それが『文福茶釜』の子狸役だったということで、スタートから「人間ならざるもの」の物語に縁があったのです。映画女優に転身、東宝に入った八千草薫さんは「特撮」に縁が深く、ひとつ前の当ブログで紹介した『白夫人の妖恋』(1956豊田四郎監督)と同じ1956年には『乱菊物語』(1956谷口千吉監督)に出演しています。八千草さんの役は高貴な者しか相手にされない遊女・「陽炎」で、いい寄る男に容易に手に入らない宝を
《私の秘密》も数えて其の七となりました。俺、秘密が多いんだなぁ。今日はどんな話を聞いて貰いましょうか。行き着く先はNHKテレビ指定席『生活の河』です。頑張りましょう。そこへ行く前に、突然ですが皆さんは《松川事件》というのを知っていますか?【解説】松川事件とは、1948年8月17日に福島県の東北本線で起きた列車往来妨害事件、戦後最大の冤罪事件である。日本国有鉄道【現JR】福島市松川町の線路が何者かによって外され、通過した列車が脱線・転覆し、乗員三名が死亡した。事件発生から24日後
20231102夜忘れられない日本映画谷口千吉監督の「暁の脱走」をめぐって映画の映像、音源等は、使っておりません。チャンネル登録といいねをぜひお願いします。↓をタップして下さい。「暁の脱走」(谷口千吉監督。1950年)をめぐって(映画の音源、映像等は、使っておりません。)2023年11月2日藤谷蓮次郎・製作#暁の脱走#谷口千吉#山口淑子#李香蘭#池部良#黒澤明#新東宝#映画youtu.be藤谷蓮次郎2023年11月2日
1963年(昭和38年)公開作品。三船敏郎主演、谷口千吉監督、円谷英二特技監督の娯楽作。戦国時代に実在した豪商・呂宋助左衛門を主人公に、架空の国を舞台にした作品です。宮崎駿監督にも影響を与えた、日本映画の隠れた傑作です。この先ネタバレ有り、注意!!!!!物語は戦国時代。策略により処刑の危機に遭った貿易商人・呂宋助左衛門が船で日本を脱出しますが難破し、とある王国に漂着しました。その王国は国王が病に伏しているため宰相が実質的に支配して
松田美智子「サムライ評伝・三船敏郎」野上照代「もう一度天気待ち」ブログ「三船敏郎/資料置場」他より三船にとって軍隊生活の中で一条の光と言えるものがあったとすればそれは東宝の撮影助監督だった大山年治と出会ったことだった三船より一足早く除隊となった大山は「おまえも除隊になったら、俺のところへ来い」と言ってくれた戦争中に両親は亡くなり復員した三船はひとまず弟の住む横浜で下宿しながら大きな倉庫に備蓄されている進駐軍の飲むコカコーラの原液
「銀嶺の果て」(1947)三船敏郎のデビュー作を観ました。初見。監督は谷口千吉。脚本は黒澤明。銀行強盗をして長野県下の北アルプスに逃走したリーダー格の野尻(志村喬)、ギラついた若造の江島(三船敏郎)、気弱な初老の高杉(小杉義男)の三人組。『鹿の湯』という温泉に一般客を装って宿泊しますが、後を追う捜索隊の犬の鳴き声を聞いて、従業員や他の宿泊客を脅して現金を強奪後、北上して無人の小屋に移動。さらに北上する途中で雪崩に巻き込まれた高杉が死亡。運良く助かった2人はポツンと建っていた
剣御前小屋では「通りすがり」(なつかしい名称、内航海運組合総連合会の通りすがりよ、音沙汰ないな)の登山者が入って休める所で1時間弱休めた。雨風にさらされた体にはありがたかった。この日の目的地まで40分と書いてはあるが、足を悪くしてから下りが苦手になった自分にはもっとかかると思われた。剣岳を眺めながらノンビリ、というわけにはいかない岩とガレ場の下り道。はるか下には青い屋根の登山研修所と小屋らしき建物の屋根。振り返れば剣御前小屋。積雪するとスキーには恰好のスロ
年間68本目(1月68本目)1956年公開邦画76位合計120本中通算邦画8,171本洋画6,665本合計14,836本谷口監督と言えば、黒澤明と一緒に山本組の助監督で兄弟弟子であり、デビュー当時は、「暁の脱走」など黒澤よりも「男らしい作品」で名をはせた監督であるが、その後はパッとしていないで表舞台から消えて今では記憶に残っている人も少ないであろう。柔道もので「男らしい」世界を描こうとしているのであるが主人公の三船をイノセンスな人として描こうとし
「激流」1952年10月23日公開。谷口千吉監督と三船敏郎とのコンビによる作品。1968年に三船敏郎自ら製作して大ヒットした『黒部の太陽』(第100作)の先駆けとなった作品。脚本:谷口千吉、西亀元貞監督:谷口千吉出演者:三船敏郎、久慈あさみ、若山セツ子、田代百合子、島崎雪子、清水将夫、高堂国典、多々良純あらすじ:山また山の東北のある山中に、ダム工事のために出来た急造のバラック建の街が出現した。ある日この街へ無精ヒゲの小杉俊介(三船敏郎)という大学出の技師
今日は戦後の二枚目トップスターだった池部良のポスターです。俳優業の他にエッセイストとして著書も多数出版されています。1957年「脱獄囚」は近年、再評価されている鈴木英夫監督作品です。1951年「宝塚夫人」は宝塚出身スター総出演です。1952年「若い人」は豊田四郎監督作品を市川崑が再映画化した文芸映画で60年代、70年代にもリメイクされています。1950年名作「暁の脱走」は黒澤明脚本。1952年「愛と憎しみの彼方へ」も黒澤明脚本。1964年「乾いた花」は篠田正浩監督作品でコッポラや
1950年『羅生門』から黒澤明監督の全作品にスクリプターとして参加された野上照代さんのご本から。「黒澤明と三船敏郎」1997年12月24日クリスマス・イヴの夜三船敏郎さんは亡くなった。77歳だった。黒澤さんはその訃報を車椅子の上で聞いた。この2年前、「雨あがる」の脚本を執筆中京都の旅館で転倒骨折しそのまま車椅子生活となったのだ。黒澤さんは三船さんの告別式にも出られず弔辞を長男の久雄さんが代読した。「僕が、三船君を想うとき
9月6日は黒澤明監督の命日です。今日は黒澤監督が脚本を担当した作品のポスターです。監督作品は入手困難ですが脚本作品はわりと手に入りやすいです。1950年「暁の脱走」は黒澤監督の盟友だった谷口千吉監督による反戦映画の代表作です。主演は山口淑子と池部良で共演の若山セツコは前年に谷口千吉と結婚しています。ポスターはB全の大判サイズです。1949年「ジャコ萬と鉄」も谷口千吉監督作品で47年にデビューしたばかりの三船敏郎が出演しています。これもB全サイズのポスターです。1951年「愛と憎しみの彼
八千草薫やちぐさかおる宝塚時代の八千草薫さんを紹介する際に必ずと言って映し出される写真。八千草薫八千草薫-Wikipediaja.m.wikipedia.org宝塚歌劇団34期生宝塚歌劇団34期生-Wikipediaja.m.wikipedia.org八千草薫女優・八千草薫さん写真特集:時事ドットコム女優の八千草薫さん。1965年1月撮影www.jiji.com追悼特集追悼特集女優・八千草薫www.cinenouveau.comダンナ様は映画監督の谷口千
〜ハレルヤーー〜今年もニシン漁の季節がやって来た。漁場は盛り、九兵衛の漁場も例外ではない。そんな中、一人の男がその漁場を訪れる。通称・“ジャコ萬”と呼ばれるその男は、九兵衛に復讐すると言ってそのまま居座ってしまう。また、戦死したはずの九兵衛の一人息子の鉄が復員してくる。一昨年ぐらい前でしょうか。発売された『黒澤明DVDコレクション』。手頃な価格で、チャプターが無いのが欠点ですが、画質は良く、ラインナップも貴重なものばかりで、予算が許す限り集めました。その延長戦の中で初DVD化を果
アメーバのマンガ「鬼滅の刃23巻」最終巻で是非!Amebaマンガ鬼滅の刃23谷口千吉:1912年:映画監督マーロン・ブランドに口説かれた八千草薫さんの秘話公式長編記録映画日本万国博[DVD]Amazon(アマゾン)5,889〜21,880円東宝・新東宝戦争映画DVD56号(独立機関銃隊未だ射撃中1963年)[分冊百科](DVD付)(東宝・新東宝戦争映画DVDコレクション)Amazon(アマゾン)3,929〜3,950円黒澤明DVDコ
今日は去年生誕100年だった戦前からの女優「山口淑子」のポスターです。戦前は中国で李香蘭、戦後は山口淑子、ハリウッドではシャーリー・ヤマグチの名前で活躍しました。昭和25年「暁の脱走」のB全サイズポスターです。谷口千吉監督、黒澤明と谷口千吉の共同脚本による山口淑子の戦後の代表作です。この頃の谷口千吉は黒澤明のライバル的な存在でした。昭和27年「上海の女」は稲垣浩監督作品で山口淑子はイメージ通りの役柄です。東宝と新東宝の違いもありますが暁の脱走から2年後でポスターの紙質もデザインもレベルが
池袋新文芸坐三島由紀夫文学と映画より三島由紀夫の生誕95年・没後50年ということで企画された特集で、三島の命日の11月25日にあわせて、11月17日から25日まで彼に纏わる映画が上映されました。私はこの機会に、未見だった「潮騒(1954)」「愛の渇き」「肉体の学校」「美徳のよろめき」「音楽」「燈台」を鑑賞しました。製作:東宝監督:谷口千吉脚本:中村真一郎谷口千吉原作:三島由紀夫撮影:完倉泰一美術:松山崇音楽:黛敏郎出演:久保明青山京子沢村貞子上田吉二郎
映画ひとつ、谷口千吉監督『独立機関銃隊未だ射撃中』監督:谷口千吉製作:東宝作年:1963年出演:三橋達也/佐藤允/太刀川寛/堺左千夫/寺田誠/夏木陽介鈴木則文は戦争を告発する映画は存外つまらないと言って自身が感銘を受けた同時代の戦争映画を挙げながら(まあ横並びに書きつけていくのは性に合わないらしく『暁の脱走』『春婦伝』に言葉を添えると後は十把一絡げに列挙して)そのわらわらとした中にあるのが本作です(鈴木則文『下品こそ
もうすっかり秋でして。やっぱり恵比寿の濃い味はおいしい。ハイ、昨日は長距離ランをしてきましたが、そのことはまたゆっくり書きますのでまずは土曜日から。お仕事は、FAXの入れ替えです。FAXなんぞ使っているのは、もう日本くらいなものです。ま、お役所はこれで新型コロナの統計なんかを取っているし。新型。売っていても、「いいのか?」と思ったり。で、別なお客さんからは、お菓子をいただきました。先日やった、とても面倒だったエアコン工事。おまけにエアコン自体は量販で買ってきたという
年間249本目(6月20本目)1957年公開邦画101位(111位)通算邦画7,492本洋画6,402本合計13,894本黒澤の兄弟子でありデビュー当時は黒澤よりも男性的で荒々しい作品で評価が高かった谷口がデビュー当時の三船を使っての作品。結局、黒澤の戦時下映画であった「姿三四郎」的な作品であるが主人公が柔道家で朴念仁でイノセントで、周りは金の亡者(あるいはキレイなお嬢様の)である単純な勧善懲悪もので単細胞過ぎていらいらする。
昨年(2019年)逝去された宝塚歌劇団出身の八千草薫さんを知ったのは、東宝特撮作品「白夫人の妖恋」(1956年豊田四郎・監督)と「ガス人間第一号」(1960年)でした。その「ガス人間第一号」のDVD(発売元:東宝)特典に、何と八千草薫さんが本編映像に合わせて解説するのオーディオコメンタリーが収録されています。聞き手は娯楽映画研究家の佐藤利明さん。圧倒的な美しさの八千草さんは必見スタッフは、監督・本多猪四郎、特技監督・円谷英二、製作・田中友幸の東宝最強特撮トリオ。生体実験でガス
「独立愚連隊」から数えて4作目は、初のカラー作品。平良少尉と若菜少尉が配属された北支最前線を守備する大田原部隊は、ゲリラに悩まされていた。街には親日会の李洪白一派に日本料亭の親父、大田原少佐と同期で仲の悪い万年中尉の一色など様々な人間が入り乱れて収拾不能。そんなある日、前線監視哨が全滅し指揮官の平良が行方不明に。やま猫作戦[VHS]Amazon
とうとうこういう日が来たと思った。10月24日、貴女は逝去した。享年88歳。初めて彼女の存在を知ったのは、小学生の頃だったと思う。NHKのテレビだった。古い映画を放送している番組の中だった。タイトルは、かの『蝶々夫人』。主演は山口淑子。年配の方はよく知っている、かの李香蘭である。戦前、戦中、戦後と波乱に満ちた人生を送り、ハリウッドにも足跡を残した国際女優である。結婚の為、芸能界を去ったりもしたが、数年間の沈黙を破り、フジTV『三時のあなた』の司会者として復帰。その後、参議院
名女優八千草薫さんが先日お亡くなりになりました…。宝塚歌劇団を退団されてからも、ドラマ映画等でご活躍されその笑顔や優しい語り口調に和まされた方も多いと思います……。ご冥福をお祈り致します。実は………わたくし浦島銀……12年程前に八千草薫さんとささやかなご縁がありました…。今回は八千草薫さんヘの追悼ブログとして…書かせて戴きたいと思います。ささやかなご縁を戴いたのは20