ブログ記事607件
https://note.com/nakayamate/n/nc5497c9ff8af恥の嫌だのイメージ連想の方向を変える言葉情報を持ってくると嫌だが和らぐ恥の嫌だ「自分という人間そのものがダメだ」と全否定されたように感じる、深く痛みを伴う感情。常に他人の評価を恐れ、自己肯定感を著しく低下させる恥。言葉みんなバカどうせバカどうでもいい情報諸法無我https://note.com/nakayamate/n/nc5497c9ff8af
◆四法印とは(1)一切皆苦(いっさいかいく)この世の全ては思い通りにならず、苦に満ちているという真理。(2)諸行無常(しょぎょうむじょう)この世の全ての現象や物質は、絶えず変化し続けており、一瞬たりとも同じ状態にとどまるものはないという真理。(3)諸法無我(しょほうむが)全てのものは、相互に繋がりあって存在しており、単独では存在しないという真理。(4)涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)すべての煩悩(迷いや執着)の炎が消え去り、静かで穏やかな悟りの境地に達した状態。
『武の道』とはなんぞや昔合気道を習っていた頃稽古の前に必ず全員で唱える『合気道の精神』っていう言葉があってその冒頭部分『天地の心をもって我が心とし万有愛護の大精神をもって自己の使命を完遂することこそ武の道であらねばならぬ』今日はその言葉を掘り下げてみようと思います『天地の心をもって我が心とし』私たち全ての生きとし生ける『命
私、自分なんてどこにもない!メタボ和尚大丈夫?そう思われた方ごもっともでございます。では、最近ノーベル賞が話題なので科学的な話をしましょう(🤭)私って何ですか?皆さんどうですか?私考えた事もないですよねぇ当たり前のように自分ですからね。その自分ですが•••••人間の細胞って、たった3ヶ月で入れ替わるようです。細胞が死んで新しい細胞に生まれ変わるそうです。貴方の体は3ヶ月前の体では有りません。手も足も頭も内臓も脳も全て入れ替わっております。10年前の貴方と今の貴方は違います。じゃ
自己を忘れて『ありがとう』『南無阿弥陀仏』『今日もありがとうをたくさん言うぞ』『ありがたいお念仏をいっぱい唱えよう』なんでそこになにか意味あんの『ありがとう』をたくさん言ったら幸運になれるのお念仏をいっぱい唱えたらいいこと来るの何かを求めての『ありがとう』『お念
おはようございます☀️貴重なお天気です💦昨日……ふっと思いました。「しあわせ」って……思い……なんだなって。美味しいものを食べた時「あぁ〜幸せ💓」その思いが少しは続くけど…簡単に消える🫥……ゆっくりお風呂につかる🛀「あぁ〜幸せ💓」上がったら終わる。マツコデラックスさんが……「他者(ひと)を介在させない幸せ」について話していた。好きな人と結婚できたら…マイホーム🏠を建てたなら…欲しかった子供が産まれたら…夫婦仲が良かったら…そ
仏教とは何ですか『仏教』とは『仏(お釈迦様)の教えられたこと』ですねまぁ、そりゃそうですわなでは、仏様は何を教えられたのですかこの世はすべて原因があり縁と結びついて、結果が現れるという『縁起の法』を教えられました。あなたが生まれたのもお父さんとお母さんという存在がありそこに『出会い』という『縁』が重なりあなたが生まれたという『結果』が生じ
『軸』があると『拠りどころ』があると楽に生きられそうだね『自分らしく』『その人らしく』って言うけど『らしさ』って何だ仮に『自分らしさ』を持っていたとしてもその『らしさ』に縛られていては逆に動きにくい時もあったりしてやっぱり無理せずとも軽快に動ける『自然体』が一番快適だしそれが『自分らしさ』といえばそうなんだろうけど
干渉・見守る日常的には他者の行動への口出し国と国なら内政干渉など。あまり良い印象のない言葉ですが相手を尊重しているという気持ちがあればその印象も違ってくるように思います。家族や近しい間柄でもさりげなく見守るような気遣いがあれば後になってあの時はわからないようなカタチでサポートしてくれたんだ、と気づくかもしれない。ありがたみは後でじんわりと感じることってありますね。物理的には複数の波が強めあったり弱めあったり位相が揃えば強め合い建設的な干渉になり、位相がズ
『私はここにいるけど?』から始まる“無我”の話。松井先生から引き継いだ「心の学び」。今回のこころセラピスト講座、第5回のテーマは「諸法無我」でした。「私というものは無い」なんて言われても、初めて聞いたら、「いや、私はここにいるけど?」って思いますよね(笑)私も、最初からすんなり理解できたわけではありません。でも、この「無我」というものが、単なる知識ではなく、本当に腑に落ちていったら…人間関係で起きている問題の見え方も、ずいぶん変わってくるのではない
相手の為、自分の為、社会の為、何何の為に、と考え出した瞬間からそれは、自我意識のエゴであり、損得勘定であり、無意識に自分の都合よく考えている事に全く気付けなくなる、という心の働きが観えてきた。昨夜は深い苦しみがきて、その感情を消化も開放もできず、以前のよくない習慣での対症療法に頼って、一時しのぎで本質的な事から逃げた。真理は、誰かの為や何かの為に存在している訳ではなく、唯そこにある、だけなんだ。相手の為、自分の為、社会の為になるというのは結果論であり、目的にする事で
自分がぶれそうなときは思い出してください『諸行無常印』『諸法無我印』『一切皆苦印』『涅槃寂静印』この4つを『四法印』といって悟りと出会うための4つの目印とされているんだけどこの世は常に移り変わるという『諸行無常印』により命のはかなさと今日1日を生きられたという感謝苦しいことも楽しいことも永遠に続きはしないという『時の効用』を知り
コラム「仏教の教えには興味があるけれど、厳しい修行や座禅が必要なのでは?」そう思われる方もいるかもしれません。しかし、現代の心理アプローチを活用すれば、特別な修行をせずとも仏教が説く「心の解放(解脱)」を日常で体感できます。私自身、かつて家庭崩壊の危機や過酷なストレスによる激しい反芻思考の中にいた頃、現実の苦しみから逃れるように原始仏教の書籍を読み漁っていました。心のメカニズムを論理的に解き明かす原始仏教の知見は、現代心理学や脳科学、マインドフルネスのルーツでもあります
MykathakbolKunjubihariKathakonInstagram:"カタックのボールだよ!"1likes,0comments-kunjubiharikathakonSeptember8,2026:"カタックのボールだよ!".www.instagram.com最近カワサキw175を整備に出しました。多分週末には帰ってくる予定です。気付きの瞑想とは、観察日記を書く事では無い。凡人凡夫の我々が私だと思っている想いの流れとは、雲の流れの様なもの。
仏様は車の運転しても事故しないんだそうです。。。。そう、自己が無いから。何かといえば、この前読んだ漫画の話です。上手いこと言ったなと思いましたね。ということで、サカナクションアイデンティティでした。子供の頃は、親や周囲の影響を大きく受けて、性格ができていきます。でも子供から大人になるにつれて、周囲との関係が気になったりして、時に周囲に合わせてしまったりして、自分がわからなくなることもあります。自分が無いとか、これでいいのかとか悩んだりしますね。そして音楽の旋律を聴いて感傷
我が家の墓石をカスタマイズしました。そのお墓は地域財産区内にあって、特定寺院の敷地ではありません。ゆえ、お墓のデザインはある程度自由です。でも、周辺に建つお墓の持ち主は、慣例的に昔から集落にあるお寺を菩提寺にしている人が多いようです。菩提寺は浄土宗なので、本尊は阿弥陀如来、お題目は南無阿弥陀佛、経典は阿弥陀経と観無量寿経、法然の一枚起請文が基になる教えです。大乗仏教でもいまの日本では真摯な信者は少なくて、宗教そのものにも関心が薄い人が多いらしい。実はわたしもその一人です。最近、歳
おだやかな人だけがたどり着く場所:ブレずに成果が出せる禅的思考のススメAmazon(アマゾン)2024年6月21日発行・・・2026年]8月27日読みました私の心に残ったことあなたの命を、人々役に立てようと思うなら、まず自分自身が幸せになるのが一番です・こころおだやかに生きるためのヒントたとえば、こんなことです〇喜怒哀楽に「逆らわない」〇自分を盛らず「ありのまま」の自分を生きる〇「考える」より「動く」を
おはようございます😊ご訪問いただきありがとうございます!🍁ある時から、何となく生きにくさを感じていて、パニック障害にはなるし、うつ病にもなった💧とにかく、楽になる道を探しに探し、スピリチュアルにもハマるが楽になれず、けれど、唯一の救いの道に縁がきた、、、【諸法無我】固定された「私」はいなかった!---🌄◆1.苦しみは「固定した私」という錯覚から生まれる日常の苦しみのほとんどは、“固定した私がいる”という前提から生まれる。-私が傷つけられた-私が
「盂蘭盆会」は、通称「盂蘭盆」または「お盆」といい、お釈迦様の弟子である目連尊者(もくれんそんじゃ)が、餓鬼道に落ちて苦しむ亡き母を救うため、多くの僧侶を供養して功徳を積んだという『盂蘭盆経』の説話が起源で、日本最古の寺「飛鳥寺」が推古天皇4年(596年)に建立された飛鳥時代から伝わり、日本古来の祖霊信仰と融合して現在の行事として定着しました。父の葬儀以来のご縁で「門信徒」の「真宗大谷派(東本願寺)興福寺」の「盆会法要修行」に参列しました。ちなみに、父の故郷では「浄土真宗本願寺派(網
吉野山アホな自分が、感覚だけで捉えたエントロピー増大の法則を語る。そもそも、エントロピー増大の法則って何かというと、、、。「物事は放っておくと乱雑・無秩序・複雑な方向に向かい、自発的にもとに戻ることはない」という宇宙の大原則。らしいw。仏教の「諸行無常」にも当てはまる法則だとは思うけど、人間の意識を感覚的に捉えるとなんか重力のようなものを感じる時がある。目に見えない世界にも、心の世界にも物理的な構造があるような気がする。たとえば、意識にも密度があって、ネガティブな意識
本日も昼から勉強会の講師だったので、シナリオ準備していたので早目に行って、ホワイトボードに書いておくことなんかも含めてやっておきました。集合して時間から始めて、振り返りを行いながらこの1ヶ月間どうだった?を発表してもらいます。前回は、三宝印と苦の捉え方がテーマでした。諸行無常、諸法無我、涅槃寂静が三宝印です。簡単に言えば…諸法無我(全て変化する)諸法無我(全て支え合い)涅槃寂静(穏やかな心)みたいな感じです。なので、今が苦しくても、長くは続かない。逆に良いことも長くは続かない。そ
今週は苫米地博士の新理論の山をひたすら登り続けています^^その中で、昨日と一昨日の2日間は「公式LINE」で生配信レクチャーをしました!もちろん生配信の内容は苫米地博士の新論文である「苫米地四法印定理」の解説です!※「ほとんど至るところ」は数学用語です!生配信での「苫米地四法印定理」の解説すでに先週1回行いましたが、いくつか説明に曖昧な部分があったことと、1時間半で無理くり詰め込む形となったため改めて解説しました。「苫米地四法印定理」の論文は全13定理で構成されていますが、そ
一昨日は公式LINEで「苫米地四法印定理」を数式無しで一気に解説しました!論文はこちら!(やさしい完全版)https://tomabechi.jp/TomabechiFourDharmaSealsMini13LayJA.html全13定理で示された骨太な論文です。全体像(ゲシュタルト)を伝えるために、途中で区切ることなく、1時間半でエッセンスを全てレクチャーしました😊エッセンスだけでしたら、1時間半あれば数式無しでもかなり解説できるものです。レクチャー後に「分かり
昨日、突如として公開された苫米地博士の新論文『苫米地四法印定理』!https://tomabechi.jp/TomabechiFourDharmaSealsMini13LayJA.html昨日の段階では理解するのが絶望的に難しいように感じていましたが、本腰を入れて論文を読み込んでみたところ、意外とスルスルと理解が進んでしまいました!ほぼほぼ数式ベースでの解説もできるようになっています。※凄い抽象度の風景でした!もちろん、当然のように生成AIをぶん回して理解を進めました。
「他人のNPC化」〜我を捨てたとき、世界はどう見えてくるか〜「私(アバター)」に自由意志がないということは、同時に「目の前のあの人(他人のアバター)」にも自由意志はないということです。上司が怒るのも、パートナーが不機嫌なのも、彼らの意志ではなく、そういう「プログラム(イベント)」が目の前にレンダリングされているだけです。そう捉えると、他人に腹を立てたり、変えようとしたりする執着(我)が完全に消え去ります。「自分に自由意志がないように、他人のアバターにも自由意志はない。嫌な上司も、街で
『この世にあるものは全て実は繋がっている』日本に住みながらブラジルで起こったことも実は繋がっている?んな、アホなブラジルはともかく今日すれ違っただけの人や隣に住む顔も名前も知らない隣人テレビで見る、遠く離れた赤の他人そんな人たちとも繋がっている?どう考えても、信じられない
おはようございます😊ご訪問いただきありがとうございます!---❄️思考は私ではないーー観るだけで静まる理由頭の中では、いつも何かが語り続けている。予定、心配、評価、反省、比較、未来予測。それらは止めようとしても止まらず、静めようとしても静まらない。けれど、その思考を「観る」だけで静まる法則がある。努力ではなく、コントロールでもなく、ただ観るだけで、思考は力を失う。なぜか。---🍃1|思考は“私”ではなく、ただの現れだから思考は、私の本質では
おはようございます😊ご訪問いただきありがとうございます!---🌿一次的な現象は、本来すぐ消えるもの思考も感情も身体反応も、すべて一次的な現象。-ボッと湧く-スッと消える-また湧く-また消えるこの“一時性”が本来の姿。現象は、掴まれなければ流れていく。水面に波紋が広がって消えるように。---🌙でも掴むと「固定化」が起きる掴むとは、-これは私の問題だ-これは意味がある-これは考えなきゃいけない-これは
“釈尊の仏教”は、その大前提として、「在家・家族・社会」と「出家・非社会」の“二元論”である!この「在家・社会・宗教<バラモン教>」で、救われなかった人が、「出家」に<逃げて>来て、<そこ>で、ようやく、救われる。・・・これは、「自己の死」の問題解決である。この世界が、三法印・四法印「諸行無常、一切皆苦、諸法無我、涅槃寂静」!つまり、「在家・社会・宗教<バラモン教>」の部分を、「<大乗仏教>」が、新たに、担った。しかし、インド大陸では、仏教が、ヒンドゥー教の
おはようございます😊ご訪問いただきありがとうございます!---🏵️場に戻るとはどういうことか観照が深まると、「観られる側」=思考、感情と「観る側」が自然に分かれて見えてくる。そしてさらに静かに見つめていると、ふと気づく瞬間がある。観る側は“私”ではなく、ただ在る“場”なんだ。この“場”に戻るとはどういうことなのか。---💮1.戻るというより、気づくことまず大切なのは、「戻る」という言葉は比喩であって、実際には“気づく”だけだということ。場