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「影武者」「影武者」プレビュー(倍賞美津子登場)1980年4月26日公開。興行収入:27億円(1980年第1位)。日本映画の歴代映画興行成績(配給収入)1位。受賞歴:賞部門対象結果カンヌ国際映画祭パルム・ドール黒澤明受賞アカデミー賞外国語映画賞ノミネート美術賞村木与四郎ノミネートゴールデングローブ賞外国語映画賞ノミネート英国アカデミー賞作品賞ノミネート監督賞黒澤明受賞撮影賞斎藤孝雄
今年は久しぶりに『諏訪』付いているのです。4月2日には、諏訪信仰をテーマとしたドキュメンタリー映画『鹿の国』を青梅に観に行き、『ミシャグジとは何者か?なぜ鹿なのか?(“鹿の国”の考察)』4月2日に青梅に観に行った映画『鹿の国』のわたしなりの考察です。なぜ、今になって書くのかと言うと、(4月2日→4月22日)あれから、この考察の話しをしなければ…ameblo.jp4月19日には、甲府で行われていた『武田勝頼展』を観に行き、『『日本(ヒノモト)に隠れなき弓取』武田勝頼展
おはようございます。ブログをご覧くださいまして誠にありがとうございます。ブログ管理人の高坂美絵です。前回に続き、諏訪御料人の話の続きを書きます。美慧:とみさん、諏訪御料人は大きくは井上靖先生の「風林火山」そして新田次郎先生の「武田信玄」の中で特に取り上げられて描かれたお話をしました。それが不思議と、大河ドラマにもなり、たくさんの方々に諏訪御料人のことが広く知られるまでとなり、魔法があったのでは…と。
おはようございます。ブログをご覧くださいまして誠にありがとうございます。ブログ管理人の高坂美慧です。前回の続きで、諏訪御料人のお話を書いていきます。美慧:諏訪御料人は武田に嫁がれてお心を痛めることが重なった生涯と感じられますが、不思議と、小説の中では信玄さんに一番愛された妻として魅力的に描かれました。とみさんは、魔法がかかったのだ、と。とみ:はい、魔法と言ったわ。「甲陽軍鑑」の中で「尋常かくれなき美人」と讃えられたこ
おはようございます。ブログをご覧くださいまして誠にありがとうございます。ブログ管理人の高坂美慧です。前回に続き、諏訪御料人のお話を武田とみさんとしていきます。美慧:とみさん、諏訪御料人は、信玄さんの妻になられて2年後に勝頼公をお産みになられ、その後勝頼公が元服される姿を見ることはなく若くしてこの世を去られてましたね…。とみ:記録ではそうね…。勝頼さんが10歳にもならない頃に旅立たれてしまって、母としては勝頼さんへの想いを残しな
おはようございます。ブログをご覧くださいまして誠にありがとうございます。ブログ管理人の高坂美慧です。前回の続きで諏訪御料人の話を武田とみさんとしていきます。美慧:前回は、信玄さんの侵攻により諏訪が事実上、武田軍の配下になっていくまでを語りましたね。とみ:そうね。美慧:いよいよ、諏訪御料人ご自身が登場となります。とみ:「甲陽軍鑑」には諏訪御料人について「尋常かくれなき美人」と書かれているわ。昔の美人とは、見た目だけで
おはようございます。ブログをご覧くださいまして誠にありがとうございます。ブログ管理人の高坂美慧です。本日から、久々に武田とみさんと諏訪御料人についてお話しして行きます。美慧:とみさん、久しぶりです〜。とみ:本当ね〜。今年は暑くて暑くて、秋くらいに諏訪御料人のお話をと思っていたら、あっという間に冬になってしまったわ。美慧:そうなんですよ〜あれ?秋はいつだったっけ?ってくらい短かったような。とみ:本当だわ〜。
おはようございます。龍神でございます。やっと少しずつですが暑さも落ち着き、日によっては温かいうどんなど食べたくなる季節になってきましたね☝️長野道梓川サービスエリアの上り線で『諏訪御料人諏訪姫宴バージョン』を購入してきました。・長野県諏訪市公認宣伝キャラクター・長野県諏訪警察署公認交通安全キャラクター【好物】塩羊羹、たくあん、カレー500年前の戦国時代に、武田信玄の側室として記録に残っている諏訪御料人こと「すわひめ」。子どもの頃の彼女は天真
こんにちは。ブログをご覧くださいまして誠にありがとうございます。ブログ管理人の高坂美慧です。本日も武田とみさんとお話ししていきます。美慧:とみさん、前回のお話しの続きになりますが、ブログが始まった当初、とみさんは、諏訪御料人と信玄さんの仲は睦じいとは言えなかったのでは、とおっしゃっていましたね。とみ:そうなの。信玄さんとの間でお生まれになったお子さまの数というものがね、わかりやすく物語っているのでは、と考えていたものだから。
おはようございます。ブログをご覧くださいまして誠にありがとうございます。ブログ管理人の高坂美慧です。今月の信州の旅より紹介いたします。高遠・建福寺。武田勝頼公が高遠城主を務めた際にお母上である諏訪御料人を供養したと伝わる位牌やお墓があります。その後保科家の菩提寺ともなり、武田家とも縁の深いお寺となっています。創建は1176年、文覚上人が本堂裏手の「独鈷の池」あたりに開いたのが始まりとされています。鎌倉時代、建長寺を開き、円覚寺建立にも大きく関わった蘭渓道隆(=
会社勤めの人がインフルエンザに罹った場合、職場復帰の目安は発症から5日後、解熱から2日後と言われているようで。退職以前であれば「仕事が溜まって気が気でない…」なんつうふうに気が急いたところでもありますが、今となってはいつまで寝ていても誰もなんとも言わないという状況ですが、さすがに寝ているのにも飽いてきた(ということは回復してきた?)ので、まあ、頃合いや良しでもあろうかと。未だ万全に復してはおりませんが、この後はまた何ごとも無かったように記してまいろうかと思っておる次第でございます。さて、信
※山本勘助公の墓と信州柴阿弥陀堂案内板…千曲川河川敷にはかつて「信州柴阿弥陀堂」という寺院があり、善光寺詣での客が立ち寄り、「広瀬の渡し場」とともに大きく繫栄しましたその後、明治の廃仏毀釈や橋などのインフラ工事により、寺は徐々に衰退、昭和の大規模な千曲川改修工事のあおりを受け、移転を余儀なくされました現在は民家の片隅にひっそりと小さなお堂が残るのみとなっています山本勘助公の墓は、信州柴阿弥陀堂境内地に覆屋を伴った「霊屋」でしたが、現在は、ひっそりと河川敷の畑地にポツン
※山本勘助公の墓右側面碑文と案内板…山本勘助の出自や武田家に仕えるようになってからのことが刻まれています山本勘助公の墓信州柴阿弥陀堂跡3️⃣戦国武将の墓・供養塔シリーズ戦乱の時代は、おおまかに言うと応仁の乱(1467年応仁元年)から大坂の陣(1615年)までで3つのカテゴリに分類されると思います。1️⃣戦国時代応仁の乱(応仁元年1466年)から室町幕府の滅亡、織田信長政権の成立(天正元年1573年)2️⃣安土・桃山時代織田政権
おはようございます。ブログをご覧くださいまして誠にありがとうございます。ブログ管理人の高坂美慧です。本日は桃の節句で女の子の成長を祈る日になっています。元は、人形に厄をうつしそれを川へ流すという「流し雛」から現在の「ひな祭り」へと変化したものと言われ、京都の下鴨神社では本日「流し雛」の神事が行われます。祭典行事|下鴨神社賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)は、京都市左京区にあり。通称、下鴨神社(しもがもじんじゃ)ともいいます。式内社(名神大社)、山城
新府城址の頂上から歩いて森林浴です。梅雨時期の緑の森は木の葉が若々しくて綺麗ですね。この先にはお城の馬出があった場所なのですね。今はこんな砂利道ですが昔はどんな道だったんでしょうね。馬が走れた道だから広めだったのかな。当時のお馬さんの食べもは何だったのでしょうね。お馬さんはニンジンが好きだけど。当時は人参あったのかな。
和睦など在って、無きが如し。諏訪、甲斐の同盟は、儚く崩れ戰場は、血に染まり女、子供さえ慟哭、泣き叫ぶ、悲鳴を上げ生き地獄は、残酷にも心さえ壊れ、戻らない硝子(ガラス)の破片とする。戻らない、戻らない。一度、壊したものは、戻らないんだよ。
おはようございます。ブログをご覧くださいまして誠にありがとうございます。ブログ管理人の高坂美慧です。先週、新しく湖衣姫になられた野呂瀬千代さんが早速外交に赴かれました。その相手というのは…名古屋おもてなし武将隊の織田信長公ちょっとびっくり〜「昔のことは水に流しとうございまする…」このセリフ、美しいですね…秋の信玄公祭りに向けてのPRなのだとか。「湖衣姫」が宿敵・織田信長を訪問10月開催の信玄公祭りをPR山梨県武田信玄の側室といわれる「湖衣姫」が宿敵
おはようございます。ブログをご覧くださいまして誠にありがとうございます。ブログ管理人の高坂美慧です。10月の最終週に開催予定の第49回信玄公祭りで湖衣姫役を務める「第17回湖衣姫コンテスト」が9月17日(土)18時よりJR甲府駅北口アシストエンジニアリングよっちゃばれ広場にて行われます第17回湖衣姫コンテスト開催!(9/17)第49回信玄公祭りの湖衣姫役を決定する第17回湖衣姫コンテストが令和4年9月17日に開催されます!www.yamanashi-kankou
自分らしく自由に生きるメッセンジャー魔法使いサリーのブログプロフィールはこちら人は他愛もない話から強烈に興味惹かれることがある。今回、超絶興味深々になってしまった歴史のお話で、甲斐(山梨県)の国を治めた武田信玄と信州(長野県)の高島藩諏訪頼重の娘「諏訪御料人」の恋のお話。父頼重は信玄によって自害させられるが、尋常かくれなき美人といわれた御料人は信玄に恋われ父敵の側室となって諏訪氏の再興を願いながら勝頼を生む。
長野県伊那市高遠町高遠にある臨済宗妙心寺派大寶山建福寺ですこちら伊那諏訪八十八霊場第51番札所になっています。安元2年(1167年)文覚上人が開創したのが始まりと伝えられています。建長5年(1253年)には蘭溪道隆大覚禅師(鎌倉の建長寺の開山)が鉾持山乾福興国禅寺として再興し南北朝には寺運が隆盛したとされます。その後、永禄5年(1562年)に諏訪四郎勝頼(武田勝頼)が高遠城の城主になると庇護されたと思われ、元亀2年(1571年)には大龍山臨済寺(静岡県静岡市葵区大岩町)の住職鉄
こんにちは。今日も来て下さり、有難うございます。由布姫。(大河ドラマ風林火山)自分の死期が近い事を悟り、勘助に、わたしの事はいいから、自分の家をしっかり存続させるように、と言います・・柴本幸さん、という女優さんでしたが、若干24歳とは思えない、堂々と演じておられるのが、印象的でした。この方だけではなく、どの役者さんも、このドラマでは、まるで、役柄の人物が、降臨したかのような・・どの方も、覇気に満ち溢れた、生き生きとした演技でした。「次に、もし私が
どうりで手足から白い粉が噴出してると思ったら、来週はもう12月でした。お城EXPOまでも、あと3週間となりました。ということで、本日は、「ニッポン城めぐり」のブースイベント詳報をお届けしたいと思います!2021年も、みなさんに挑戦してもらうのは、弓矢じゃなくて、輪投げです。2年連続の“輪投ゲー”、果たして今年はどういったラインナップか!?【「姫の心を捉えよ!」2021概要】9つの的棒には、それぞれ限定の姫が紐付いています。所定の位置から投げ輪を投げ、見事入った的棒に
おはようございます。ブログをご覧くださいまして誠にありがとうございます。ブログ管理人の高坂美慧です。11月7日(日)に諏訪の八剱神社にて信玄さんの娘五人の姫さまたちを諏訪市・茅野市の高校生が演じ奉納されたのだそうです。まずはそのニュースをこちらから。清陵、茅野高の演劇部員八剱神社で奉納舞台–NaganoNippoWebwww.nagano-np.co.jp武田信玄ゆかりの八劔神社で演劇奉納長野諏訪|NHK首都圏のニュース戦国武将、武田信玄とゆかりがある
今日は山の日の振替休日。オリンピックや山に絡めた記事を書こうかとも思いましたが、差し迫った合戦イベントについて、決定事項を速やかに告知すべし、という責務がわたくしにはありますので、本日もそれを全うさせてもらいます。「第二次川中島の戦い」について、論功行賞と最低必要軍功が決定しましたので、以下の通り予告致します!★全参加者参戦者全員に、協賛楽座特典「物見・茶道具・袖印」を贈呈!■勝利軍勝利軍全員に、限定異名「第一義」を贈呈!(上杉軍勝利の場合)勝利軍全員に、限定異名「
こんばんは。ブログをご覧くださいまして誠にありがとうございます。ブログ管理人の高坂美慧です。本日は、令和3年3月3日。3が三つも並ぶ縁起のいい日であり、桃の節句です今年も武田の姫さまにちなんだお話を武田とみさんとしていきます〜とみ:美慧ちゃん、読んだわよ〜美慧:あ、はい。が、頑張って合格しました(ビシッ)とみ:みたいね〜。3度目の正直って感じかしら?美慧:そ、そうですぶっちゃけると難しかったんです〜とみ
「武るる日本全国の武将と城の旅。ときどき観光とグルメ」武将の墓めぐり、諏訪御料人の墓の紹介です。武田勝頼vs織田信長、「信長怒涛の甲州征伐~勝頼滅びへの道~天目山の戦い」史跡めぐりの旅は少しお休みです。youtubeはじめました。甲冑を着て日本刀で食材をさばき食べます。チャンネル登録よろしくお願いします。人物名墓のある施設住所諏訪御料人建福寺長野県伊那市高遠町西高遠1824誤字やリンク切れ等がございましたら、コメントにてお知らせくださいますよう、よろしくお願いいたしま
狼煙イベントもあと一ヶ月を切ってしまいましたが、現在毎日のように複数の狼煙が飛んできます。フィニッシャーになることもしばしばです。報酬が両のやつばかりですが何回もフィニッシュしました。狼煙のチェックはこまめにやっていますがあまり繋がりません。というかゴールまでなかなかつきませんね~。画面が狼煙祭になることもしばしば。さて先日は狼煙で「真田大八」をゲットしたばかりですが、今度は諏訪御料人の狼煙がやっと駿河に着いたようです。限定武将の狼煙が到着するとアプリを開いたときにこんな画
富士山のある山梨県は、富士信仰が生活に密着してるんだなぁと思うことが多々あり富士吉田市の北口本宮冨士浅間神社の他にも、それはそれは立派な浅間神社がありまして。ご挨拶に寄らせていただいたのは冨士御室浅間神社この質素なたたずまいがもうたまらなく好きです。参道楼門龍宝珠里宮甲斐武田家が崇敬していたというのは歴女としては見逃せない。北口本宮冨士浅間神社も甲斐武田家が必勝祈願をしたりなど、厚く崇敬していたとのことですが富士御室浅間神社は、木花咲耶姫の安産祈願として崇敬されていたとの
こんにちは🐾~(=^・^=)~🐾ココロンです。2020年7月13日このプロジェクトが始まって、もうすぐ2ケ月になります。先だって、諏訪大社で瞑想中に「真っ赤な地球が出て来て、皆の祈りの力と龍達の力(龍達が地球の周りをグルグル周って)で青い地球に変わっていくのが見えた」と話して下さった美龍さん。その後、他県に住むOさん(私のクリスタルボウルで瞑想中に体が龍に変わっていったという方です。)…が「諏訪が変わらなければ、
長野県伊那市高遠町:建福寺臨済宗妙心寺派。歴代高遠城主からの信仰を受け、武田、織田、保科家から与えられた古文書を多く所有します。保科家菩提寺であり、武田勝頼の母(諏訪御料人)の墓があります。鐘楼脇のモミジが盛りを迎えようととしていました。石段を登り切った本堂の左手側に、右から諏訪御料人、保科正直、保科正光の墓があります。保科正直は武田、北条、徳川家に仕えた戦国武将で正光はその長男です。正光は徳川秀忠の異母弟を預けられ、保科家の養子としました。