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今日の古文の授業で扱った『十訓抄』は、こんな話です。白河院の時代に殺生が禁止され、魚が手に入らなくなった。ある僧の老母は魚しか食わず、衰弱して死にそうであった。僧は桂川で魚を獲り、役人に捕まった。事情聴取を受けた僧は、院の前で言った。罪に当たることは承知の上であり逃れるつもりはない。ただ、獲った魚は川に戻しても生きられない。この魚を母に届けて母が食べたことを聞いてから、私を処刑してください。院は感動し、僧にさまざまな食べ物を与え、足りなければ知らせてくれと言い、釈放した。
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ハローです。☀️今日はこの前参加した講座で話を聞いて興味を持った、お坊さんの法話会に行ってきました。それについては後ほど。そのため、外出中。今朝はお散歩はお休みです。今日のスケジュールで動くと朝がキツキツになるので今日はゆったりと。しかし、早く着いたので手塚治虫記念館のそばの座れる段差で返却期限(今日)がきてしまった本を読んで時間を潰しました。まだ読み終わっていません明日返却しようと思うので今日頑張ります。今日は…またミスをした…。日々完璧に生きられない。うーむ。今からお
今日は珍しく「小野道風」の話です。出典は『古今著聞集』です。(醍醐寺)「二八八小野道風醍醐寺の額を書く事延喜の聖主、醍醐寺を御建立の時、道風朝臣に、額書進(かきまゐらす)べきよし仰せられて、額二枚をたまわせけり。一枚は南大門、一枚は西門の料也。眞草両様に書(かき)てたてまつるべきよし勅定ありければ、仰(おほせ)にしたがひて両様に書(かき)てまい(ゐ)らせたりけるを、眞に書(かき)たるは南大門の料なるべきを、草の字の額をはれの門にうたれたりけり。道風これをみて、「あはれ、賢王や」とぞ申
『古今著聞集』の中の、わたしの好きなエピソードを紹介します。京都大学や中央大学の入試にも出題されたことがある、有名な段です。こういう話を読むと、古文を読むのが楽しくなります。頼光朝臣の家来の季武の従者に、屈強の者がいた。季武は、ぶら下げた針も射損なうことのない、弓の名手であった。その季武に、従者が言う。「ぶら下げた針を射ることはできても、3段(約30m)先の私を射ることはできないでしょう。」自分の主君に対する、とんでもない挑発です。季武はこの挑発を受けて立たないわけにはいきませ
2022年7月7日七夕天の川をはさんだ彦星と織姫が再会するという説話は中国の星祭に由来。また、笹に歌や文字を書いた短冊を吊るして手習いの上達を祈る風習は、中国の乞巧奠(きこうでん)という習俗に由来している。
七夕の短冊に書く短歌かなたくさんの短歌を七夕のときにたくさんの短冊に書いていた。七夕は「牽牛星と織姫星の伝説に基づいた星祭りの説話と日本古来の農耕儀礼や祖霊信仰と結びついた」という意味の五節句の一つです。
さて宝論部分の説話を少し見てみたいと思います。(非金宝論)・楊震が道を行くと多くの金があった。楊震は取らずに行き過ぎた。一緒にいた者が「どうしてこれほどの宝を取らないのか」と聞くと「天知る、地知る、汝知る、我知る。どうして自分の物でないものを取ろうか」と言った。これを四知を恥ずという。・兄弟が各々五百両を父親から貰った。帰り道で弟が五百両を捨てた。兄が理由を聞くと、弟が泣く泣く答えて言うには「兄を殺し五百両を奪い、千両にしようという心が起こった。金は嫌なものだと思い捨てた」との事だった。兄
YouTuberにして社長の、マコなり社長、と言う方が動画でそう言ってました。飾り物、置物は、部屋の中に、何を、幾つ置くのか、目的を考える必要があり、そぐわないなら全て捨てろと。また、あれもこれもとやってしまって、自分が傾けるべきエネルギーが分散してはいけない、などとも。一つの意見としては、アリです。いや、かけるエネルギーを最小化して、最高のパフォーマンスを得ると言う観点からは、正しいでしょう。問題は・・・、うん、自分の場合、美少女フィギアやぬいぐるみを収集する理由が、「
日本古典を読むと、日本文化の伝統・知恵が身につくと思います。大切なことでしょう。『日本霊異記』は現存最古の説話集です。上・中・下巻各巻に第一話からの番号が付いています。順を負いながら、私が興味を持った説話を取り上げていきます。私は自分のコメントを書きますが、感想は人によって実に様々です。読む人の数だけ感想があります。話によっては読者が男か女かで感想が大きく異なることもあるでしょう。一人ひとりが面白い感想を持ってくれたらうれしいです。男が嫁を探していた。道で良い女に出会い
(『新・人間革命』第1巻)49〈慈光〉4参加者は、吸い込まれるように、伸一の話に聞き入っていった。「・・・やがて、男は別の土地に行き、おちぶれて食べるにも事欠くほど貧乏になってしまった。しかし、自分の衣服に、そんな高価な宝石がつけられていることなど、全く気づかなかった。おちぶれた果てに、男は親友と再会する。親友は、男の衣服に、高価な宝石を縫いつけたことを教える。その宝石のことを知った男が、幸せになったことはいうまでもありません」「これは、法華
以下、『新日本文学体系32』(岩波書店、1997)より引用です。吉備大臣[きびのおとど]入唐[につとう]して道を習う間、諸道、芸能に博[ひろ]く達[いた]り、聡恵[そうけい]なり。唐土[もろこし]の人すこぶる恥づる気有り。密かに相議[はか]りて云はく、「我ら安からぬ事なり。まづ普通の事に劣るべからず。日本国の使到来[たうらい]せば、楼[ろう]に登らしめて居[ゐ]しめむ。この事委[つまびら]かに聞かしむべからず。また件の楼に宿る人、多くはこれ存[あ]り難し。しかれば、ただまづ楼に登らせて試
五十九年間五十九年間苦労をかけたひとを死なせてなるものかじっと寝ているだけでもいい側に居てくれればいいのだそう念じもうすぐ花を開こうとする朴の木の下で祈る五千羽の鶴五千羽の折鶴たちが妻を守り妻を快き方へと導いてゆくそれは思い浮かべるだけでも実にさやけく説話的だ夜明けになると呼びにくるのであろう五千羽の鶴たちがさわさわと音をたてると言う妻は病んでこういう世界を知った妻よ喜べ坂村真民*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆
この写真の中にトラツグミがいるが…トラツグミは、暗い森や林の中を好む性質から、市街地ではあまり見かけることはない。最上部の写真の中央部を拡大しかしこの数年、開けた林の中や明るい場所でも餌を探す姿を見るようになった。このトラツグミの模様は、かなり保護色になっていてちょっとでも目を離すと、どこにいるか分からなくなる。枯れ葉の中に溶け込むように佇む
(1967年6月)。私のイメージで、渡辺照宏氏の岩波新書を順位づけると、①『仏教第一版』②『仏教第二版』③『日本の仏教』④『お経の話』という順になる。あくまで、私の中での話。『仏教第一版』は私の人生全体の読書の中でも第一に挙げたい本だ。衝撃的だった。夢中で読書した経験はあるが、この本ほど前後裁断して夢中になった本はない。「三昧」を味わった唯一の本かもしれない。さて、『お経の話』は、前半が「小乗仏教」と大乗仏教の経典史・概説で、後半が具体的お経を取りあげて
P1416(一〇六ウ)物ニ狂テ、竹ノ中ヘ走入テ、竹ノ切クヒニタウレ懸リテ、ツラヌカレテ、二人ナガラ一度ニ死ニケリ。忽ニ報ニケルコソオソロシケレ。三十六〔讃岐院之御事〕1廿九日、讃岐院御追号アリ。崇徳院ト申ス。此院ト申ハ、去ヌル保元々年ニ、悪左府頼長公ノ勧ニ依テ、世ヲ乱リマシ<シ御事也。其合戦ノ庭ヲ逃出サセ御シマシテ、仁和寺ノ寛遍法務ノ御坊ヘ御幸ナリタリケルガ、讃岐国ヘ被移一マシマス由ヲ聞テ、其比西行ト聞ヘシ者、カクゾ思ツヾケシ。2コトノハノ情絶ヌル折節ニ有合身
シリーズ?富裕層の実態(奇行?)も最後の方になってきました。日本語崩壊してる表現にて失礼致します。お金持ちさんってバーキン持ってお手入れ行き届いた顔身体にブランドの服着飾って登場するイメージ?今まで私が会ったお金持ちさんはちょっとそれとイメージかけ離れています。まずじゃあ例えばどんなバッグなのかというと?バッグは持ってなかったw紙袋という…どのみち運転手待たせてるからなんも持ってきてないのかも?服もどっちかっていうと
明治期に日本を訪れた欧米人の多くは「木と紙でできた家」に非常に驚いた、と言われます。そんな日本の町並みですから、火事は恐れられてきました。街全体が燃料と言っても良いくらいなので、一度火の手が上がると凄まじく燃え広がったことでしょう。江戸時代には「火消し」が組織され、更に放火を取り締まる「火付盗賊改」が組織されました。「鬼平犯科帳」は大好きな時代劇です。さて、今回は鎌倉時代の説話集『宇治拾遺物語』から火事にまつわる変人のお話です。これも今となっては昔のこと、良秀りょうしゅうとい
一昨日、読み切り小説「・・・じゃね~?の法則」と言う時間をテーマにしたお話を投稿しました。それに関連したお話を思い出しました。今回のお話は私の創作ではありません。ある実在の住職(お坊さん)の説話です。私は面白いなぁと思って印象に残っているので皆さんにも是非読んで欲しいのです。(一部記憶が曖昧な部分があって若干元のお話と違うかもしれません)「禁煙をした男の話」あるところにヘビースモーカーの男がいました。あまりのチェーンスモーカーぶりに彼の体は
ご覧いただきありがとうございます38才noriです。ブログ説明20代で一戸建てを購入し、ローンもあるのに貯金ゼロ。夫は38才で年収240万!高1と小6がいる4人家族。節約術や節約レシピなど公開していきます。ガルワカやイケメンについても語ります。本当なら夏休み終わってるのに…コロナ禍のためオンライン授業はやく1人になってあんなことやこんなことしたいのに~~はやく音声通話で手っ取り早く稼ぎたい…クレア求人TOP|スマホ(モバイル)ライブチャットクレアスケベ
「付喪神」とも書くが、同じ「つくもがみ」のようである。器物が百年経ると化ける、というヤツである。神=魂とか霊、の意味のケースなので、今なら精霊とか妖怪とか鬼とかいった感じなのだろう。(「鬼」も本来、この場合の「神」と同義。だから「魂」って漢字には「鬼」が入っている。)明治生まれだった祖父の家を解体する時、かなり古い道具や本が出てきたが、残念ながらほとんど捨てられてしまったと思う。かなりいいものだと祖母が大事にしていた座卓などでも、捨てざるを得ない傷み方なのだ。木製の器物で数十年持つものは少ない
(講談社学術文庫、2020年3月)。ものすごく勉強になりました。「一を聞いて十を知る」という言葉がありますが、私は「一を聞いて十を知った気になっていた」ことが判明。天台宗の歴史、天台教学の変化などが小著の中にぎっしり詰まっています。こういう本が書けるのは、とても力のある学者さんなのでしょう。最澄が南都六宗との融和を図っていたことを知りました。天台宗内の派閥対立を具体的に知りました。一乗円教を謳っている宗派ですさまじい派閥対立があるのですね。一
『宇治拾遺物語』伴大納言の事これも今は昔、伴大納言善男は佐渡国郡司が従者なり。かの国にて、善男夢に見るやう、西大寺と東大寺とを跨げて立ちたりと見て、妻の女にこの由を語る。妻の曰く、「そこの股こそ裂かれんずらめ」と合するに、善男驚きて、よしなき事を語りてけるかなと恐れ思ひて、主の郡司が家へ行き向かう所に、郡司きはめたる相人なりけるが、日比はさもせぬに、殊の外に饗応して、円座取り出で、向ひて召しのぼせれば、善男怪しみをなして、我をすかしのぼせて、妻のいひつるやうに、股など裂かんずるやらんと恐れ
『注好選』上巻第二十八話は「桓栄は己を励ます」というタイトルで、桓栄という人は父に異見されても貧しい中で読書をやめず、後に栄達したという話である。この話について新日本古典文学大系本は「現拠不明。桓栄については、同名の人物で、後漢の竜亢の人、字は春卿、関内侯に封ぜられたのは同人か。」とある。桓栄とはどのような人物なのであろうか。小川環・木田章義『注解千字文』(岩波書店、1984年12月、146頁~147頁)は101堅持雅操102好爵自縻のところで、李注の後漢の桓栄は、字
ウンスが抱いたピンク色の疑問ふたつが解決すると、チェ・ヨンがグイと顔を近づけてくる。目には力が宿り、口は一文字。久しぶりに目にする戦闘スイッチ・オンといった表情だ。「話しがあります」「…改まっちゃって、何かしら?」「チョナにお目通りをして参るので、貴女は旅支度を」今、この男(ひと)旅って云ったそれって一体…「どのくらいかかりそう?着換えは何日分必要かしら?」「謁見が叶うまで一時。お許しを頂くのに一刻ほど。荷物はできるだけ少なめに」「わかったわ」☆☆☆
日本文学ともかかわるものとして『捜神記』の説話の陰陽五行説について考えてみたい。ただし本格的な中国の陰陽五行説に対して、私の持つ知識はごく初歩的なものなので、その点ご海容願いたい。テキストは竹田晃訳『捜神記』(平凡社東洋文庫、昭和39年1月)である。巻三「ぶち犬の効験」ある人が東に向かって旅をしようとする。占ってもらうと、凶と出た。厄除けとして「西の郊外の後家さんのところから、白い牡犬をもらってきて、船のへさきにつないでおく」ように言われる。探したが、ぶち犬しか見つからず、効果は薄い
『宝物集』(小泉弘・山田昭全・小島孝之・木下資一校注『宝物集閑居友比良山古人霊記』岩波書店、1993年11月)十二門の第五門「願」の条下にインドの大古典「ラーマーヤナ」のあらすじを内容にした説話がある(240頁~244頁)。説話の最後に「こまかには六波羅蜜経にぞ申ためる。」とあるが、実際にはこの経典にはなく、出典不明とされている。これについては早く南方熊楠が解明しているので、それを紹介する。ラーマーヤナの譚をわが国で最も早く載せたのは『宝物集』で治承の頃平康頼が筆すという。(説話内容
私は、このブログの1027番「『愚迷発心集直談』の蝙蝠――イソップとの係わり」の中で、『愚迷発心集直談』の蛇の頭尾の争いがイソップにもある「体の部分の争い」のパターンと同じであることを指摘した。この度、『イソップ寓話集』の中に相当近い話を見つけたので報告したい。塚崎幹夫訳『新訳イソップ寓話集』(中公文庫、1987年9月)に次のようにある。ヘビの尻尾と胴体あるとき、ヘビの尻尾は胴体を先導して先頭を歩きたいと主張した。他の器官がいった。「目も鼻もない君が、ほかの動物たちのよう