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『沙石集』に、こんな笑い話がある。あるケチな男が虫歯を抜いてもらうために歯医者にいった。歯医者が1本2文だ、というと、男は1文に負けろ、という。歯医者は断るが男は食い下がる。結局、2本で3文で歯を抜くことで、両者は納得した。男は、虫歯1本と虫歯でない歯1本を抜いてもらい、3文払って喜んで帰っていった。1本あたり1.5文で治療できたのだから、25%引きであり、一見、得したように見える。しかし、虫歯1本の治療に3文支払い、その上健康な歯まで失ったのだから、大損である
ズーム例会のお知らせ開催日令和6年2月8日(木)時間夜7時から8時まで内容方鑑学についてのお話し料金会員は無料。非会員は1,100円(後日振込み)参加者名(フルネーム)と携帯番号とご住所、参加人数をメールを送信して下さい。ズームの招待を返信します。ズームのご招待を返信します。初めてズームを使うかたでも、割と簡単な操作で参加出来ます。場所も関係なく、日本からのみならず海外からも参加出来ます。お問い合わせ及びお申込みは、zoom-reikai
あけおめでございます。本年も宜しうお願い致します。昨年は事情がありまして、ブログの更新頻度が極端に落ち込んでおりました。元々毎日書くようなブロガーではないですが。その事情というのもカタがつきましたので、ブログの更新頻度を少し戻したいなと思っています。さて、それではさっそく。新年の最初にお届けするのは『今物語』に収録されている話です。『今物語』は鎌倉時代に作られた説話集で、編者は藤原信実です。信実は画家でもあり歌人でもあったそうです。ある所で、当世の連歌の
日曜日は、朝日歌壇である。今日は、わたしの歌が入選していた。高野公彦氏選第3席である。歌により罪赦さるる説話読み郷氏を思ふ叶はぬ願ひか『今昔物語集』や『古本説話集』に、仕事をサボって鞭打ちの刑を受けることになった郡の役人が、歌を詠んで大隅の守に罪を赦される話がある。『枕草子』には、蟻通明神の前を下馬せず通ろうとした紀貫之が明神に咎められ、歌を献上して赦される話がある。歌を詠むことで罪を赦されるというのは、歌徳説話の一つの型である。『古今和歌集』の「仮名序」にある通
YURAILIVE@中道寺2023.12.10(日)ご来場下さった方々お力添えを下さった方々応援して下さった方々皆様のおかげさまで大盛況で終えることができましたYURAIさんに室戸(中道寺)で奏でていただいたことはもちろん、10月に中道寺で初開催されたリトリートに続いて、今回も地元から初めて来寺された方がいらっしゃったこともとても嬉しかったです💓当日は住職のお寺の説明に始まり鯨にまつわる説話(室戸市の民話・伝説より)の朗読をしたのですが、「鯨があがった」ということを
下記の商品は本日入荷したホンの一部です。『中世長谷寺の歴史と説話伝承』(横田隆志)2023年、和泉書院刊定価18,000円+税売価14,400円+税『世継物語注解』(神戸説話研究会編)2023年、和泉書院刊定価13,500円+税売価10,800円+税『源氏物語の享受-注釈・梗概・絵画・華道-』(岩坪健)2013年、和泉書院刊定価16,000円+税売価12,000円『『源氏物語』宇治十帖の継承と展開-女君流転の物語-』(野
『宇治拾遺物語』は鎌倉時代の説話集です。面白い話がたくさん収録されていますが、今回は笑い話ではなく、「ほう」という感じのお話。まず『物名もののな』という技法をご存知でしょうか?以前にも取り上げたことがあるのですが、和歌の中にテーマとなる名詞(物の名)を隠して詠み込む技法です。例えば、次の歌は「淀川」を読んだ歌です。あしひきの山辺にをれば白雲のいかにせよとかはるる時なき〔山の麓にいると白雲が空を覆っており、いったい私にどうしろというのか、晴れる時がないよ〕これのど
今日の古文の授業で読んだ、『法然上人行状絵図』の一段は、わたしの好きな話の一つである。西仙房は法然上人の愛弟子である。あるとき、親しい修行仲間がいる寺では念仏に専念できないと、寺を出る。河内の国の道心ある尼入道に山中の庵と食事を世話してもらうことになり、ひとり静かに念仏に打ち込むために移住を決心する。師に、極楽で再会しましょう、と別れを告げ隠居生活に入る。師は西仙房が充実した修行生活していると思っていたが、3年目のある日、西仙房が寺に帰ってきた。事情を聞くと、慣れ親しんだの
【修史作業の歴史】応神記までに記されている事柄をチェンバレンは史書としてはかなり怪しい内容だと疑ってかかっている。修飾されて物語化したものが多くあるためにどこまでを信用していいのか戸惑っている。仁徳記までは神秘的な出来事も多く含まれるが、履中記以降になると内容が一変する。この変化についてチェンバレンは、『日本書紀』履中四年八月条の「始めて諸国に国史を置く。言事を記して、四方の志を達す。」との一致を指摘している。五世紀の初めころからということになるが、古事記の内容が「奇妙
2023年7月7日七夕天の川をはさんだ彦星と織姫が再会するという説話は中国の星祭に由来。また、笹に歌や文字を書いた短冊を吊るして手習いの上達を祈る風習は、中国の乞巧奠(きこうでん)という習俗に由来している。毎日新聞社より
鎌倉時代の説話集『宇治拾遺物語』です。たくさんの説話が収録されていて面白い作品ですが、今回は巻一の十七段「修行者、百鬼夜行に逢ふ事」です。百鬼夜行ひゃっきやこうとは夜中に妖怪や鬼の群れが徘徊したり行進したりすることを言います。今となっては昔のこと、ある修行者が摂津国まで行き着いたところで日が暮れてしまったが、近くに龍泉寺という、大きくて古びた人もいない寺があった。これは人が一晩泊まるような所ではないとは思ったが、その辺りには他に泊まることができそうな所もなかったので、仕方がないと思っ
これは、凄く考えさせられる話です。結局、悪口を言って、不当に相手を貶めようとする人間は、めぐりかえって結局、自分がより貶められるものだと自覚すべきです。でも、こんな人間は、結局変わらず、世間の鼻つまみ者になり益々おかしな人生を送ってしまうことが多いんですよね。
~これまでのあらすじ~ある日、お婆さんが、子どもたちに石をぶつけられて腰を折ってしまった雀を助けました。毎日かいがいしく世話をしていると、徐々に雀は快復し、ついには飛んで行くのでした。それから二十日ほど経ったころ、その雀がお婆さんのもとに戻ってきてヒサゴの種を一粒落としていきました。お婆さんがその種を庭に植えてみると、大きなヒサゴが無数に実りました。とても食べきれないので、取りわけ大きな実は瓢箪にしたのですが、妙に重かったのを不思議に思いつつ口を切ってみると、ぎっしりとお米が詰まっていたので
さて、お婆さんがかいがいしく手当てをして世話をした雀は元気を取り戻して飛び立っていきました。その後の展開やいかに。そうして二十日ほどたって、このお婆さんが座っているあたりで、雀がしきりに鳴く声がしたので、「雀がしきりに鳴くようだ。あの雀が来たのだろうか」と思って出てみると、まさしくその雀だった。「なんと、忘れずにやってくるとはかわいいのう」と言っていると、お婆さんの顔を見て、くちばしから何かをちょっと置くように落として飛んで行った。お婆さんは「何だろう、雀が落としていったも
雀が登場する昔話だと、「舌切り雀」が有名です。お爺さんが大事に世話をしていた雀の舌をお婆さんがちょん切ってしまう話です。今回は、それとは少し違うお話で、鎌倉時代の説話集『宇治拾遺物語』に収められているものです。昔々、春の穏やかなある日、六十歳くらいのお婆さんがシラミをとっていた。すると、庭を雀が歩いていたところ、こどもたちが石をぶつけて腰を折られてしまった。羽をバタバタさせて倒れているところに、カラスが近くを走り回っていたので、「おやまあ、かわいそうに。カラスが捕まえてしまうだ
娘が春休みに京都に旅行する。神社仏閣を観光して回るらしい。どうせ見学するならその場所についてのエピソードなどを知っていた方が楽しい。古典の面白いエピソードを教えてあげようと考えている。親心である。清水寺に関して、わたしがいちばん好きな話は、これである。同内容の話が色々な説話集に採られているが、『古本説話集』のお話を要約しておく。検非違使(京の警察のような役職)の忠明が、京童(京の不良少年)たちと乱闘になった。京童が刃物を持って取り囲んだので、忠明は清水寺に逃げ込んだ。御堂の
既に公開していますが、近江国風土記「伊香小江(天女の羽衣)」の見所を紹介します。まだ、ご覧になっていない方は、是非どうぞ(ま)公開は、まだまだ先にはなりますが、の説話も予定しております。楽しみにお待ちいただけたら嬉しいです
前回の続きです。さて、腹が満たされてひもじさも失せた。力も湧いて生き返った心地がする。「とんでもないことをしてしまったことよ」と思って泣いていたところに、多くの人がやって来る声がする。聞くと、「この寺に籠もっていた聖はどうおなりになったことだろうか。人が通ってきた跡もない。召し上がるものもなかろう。人の気配がないということは、もしやお亡くなりになってしまったのだろうか」と口々に言う声がする。「この肉を食った痕跡をどうにかして隠そう」などと思うが、どうしようもない。「ま
京都の天橋立を北側に渡ったすぐ先に成相寺なりあいじがあります。すぐ近くまで行ったことがあるのですが、参詣はしたことがありません。いつか必ず行ってみよう。でも京都市内と違って遠く感じるんだよな~。今となっては昔のこと、丹後国の北部に、雪深く風の険しくございます山寺に、観音様が霊験を現しなさることがあった。その寺に、貧しい修行者が籠もっていた。冬のことで、高い山だったから雪がたいそう深く積もっていた。そのため、並大抵の人では通ってくることもできない。この法師は食糧が尽きて数日がた
有名な日本の昔話に、「六地蔵」というお話がある。こんなお話である。年の瀬に、貧しいおじいさんが、薪を売ったお金で六地蔵のために笠を買ってかぶせてやった。笠が五つしか買えなかったので残りのひとりには自分の手拭いをかぶせてあげた。その夜、六地蔵がおじいさんの家にたくさんの食べ物を届けてくれた。おじいさんは、幸せに年を越すことができた。思いやりの心を持って、仏さまを大切にしたために、御利益を受けた、というのである。いい話である。わたしには真似できそうにない。雪の中で自分の手拭
あるクラスでの授業での出来事でした。私「テスト、みんな、頑張れた?漢字、書けなかった人が多かったみたいなんだけど……。もうちょっと頑張って勉強してきたらよかったんじゃないのかな?漢字勉強は、受験直前にやっても意味ないんだよ。まだ時間があるうちの『こつこつ勉強』が大切なんだぞ。A君、どうだった?」A君「いや、覚えていたはずなんですけど、度忘れしちゃうんですよね。あ~、なんで忘れちゃうんだろ!!」私「勉強は、ただ覚えこむことじゃないんですよ」教室「ん?」私
晴明とは、陰陽師界のスーパースター・安倍晴明のことです。実際の陰陽道は学問的なものだったのでしょうが、物語に登場する陰陽師は超能力者です。映画『陰陽師』では安倍晴明と蘆屋道満が超能力バトルを繰り広げます。道満の早九字かっこいいさておき、物語における安倍晴明は式神を駆使する話が印象的です。式神とは陰陽師に仕える精霊です。安倍晴明は式神を駆使して格子の上げ下げをさせていた、という「便利使いするんじゃないよ」と誰もが突っ込むお話もあります。笑今回は、安倍晴明が蔵人少将を守るお話
■あらすじ■起源と受容■日本語訳■関連作品春香伝春香伝-Wikipediaja.m.wikipedia.org春香伝『春香伝』www.werde.com広寒楼苑広寒楼苑|南原(全州・光州・全羅道)の観光スポット古典の名作「春香伝」誕生の地、時代劇ロケも多い-「広寒楼苑」の詳細情報。地図、行き方、口コミも紹介。www.konest.com春香テーマパーク春香テーマパーク|南原(全州・光州・全羅道)の観光スポット韓国の名作ラブストーリー、「春香伝」のテーマ
お彼岸ですね!うちは中日にはお寺の法要に行きます。お坊さんのお経ってすごくいいお声🥰カラオケも上手なんだろうなぁ!って🤣お経の後にいつもいい説話をしてくださる。その時はうんうんって、でも帰る頃にはいつも忘れてる…昨日は、雨だったので今日お墓参りに😊といっても家からゆっくり歩いて5分😆
☆施餓鬼供養8月某日、市内某寺で施餓鬼供養のお手伝いをさせていただきました。担当は、塔婆を書くことです。ちなみに施餓鬼の由来は、「救抜焔口餓鬼陀羅尼経」というお経にあると言われています。お釈迦様の弟子の一人である阿難が、餓鬼に死を予告された際に、お釈迦様の教えに従って、陀羅尼を唱えながら餓鬼に食事を施したところ、その功徳によって餓鬼が救われ、阿難も寿命を延ばすことができたそうです。こうした説話に基づいて、施餓鬼が行われるようになったようです。
突然ですが、リスの妖怪、ご存じですか?妖怪というのは語弊があるな、リスに関する説話。言い伝えというもの。あのカワイ子ちゃんのリスさんに、そんなものがあるのか?!リスは、「魔物であり、殺すと殺した分だけ次々と現れる」「獣の中の山伏で、魔法が使える」という言い伝え。なんせカワイイから、全然怖くないけども南方熊楠は和歌山県内の伝承を集めていたので、それが全国的に言われていたかは分からないですが、和歌山県の安堵山付近では、そのように言われていたそうです。なぜこのように言われ
↑この本を読んで、熊楠さんの偉業に感銘を受けました!南方熊楠は民俗学者として、とくに人々の信仰や民間説話について探求しました。信仰や説話の中には、妖怪も多々登場!フィールドワークと、国内外問わずの文献を読み漁った熊楠の知識はハンパない!井上円了は、妖怪学で、妖怪の存在をあらゆる知識の面から否定し、妖怪に怯える人々を救おうとしました。南方熊楠も、同じように、民間説話や妖怪の正体を追求します。でもそれは説話や妖怪を否定する姿勢ではなく、説話や妖怪の「起源」を明らかにするという、それ
“カフェの間”通信便り人それぞれ思考が異なるのは必然なのですね【人生論】昨日、地名研究会例会に出席し、私も研究成果を発表しました。私が地名の由来を調べる手法として、①地名の発生時代や歴史的事実、時代背景を把握すること、②地理的に地形や地質に関わること、③地名の呼び方や発音、話し言葉、地域語、方言から探ること、そして最後に④人々の日常形態、民間伝承、伝説説話から探ることを軸にしています。一般的によく言われていることですが、伝説説話はあてにしないほうがよいとよく言われことがあります。私もそ