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第42回離れゆく心荒木村重信長に謀反光秀、鞆の義昭に会う第43回闇に光る樹信長、誠仁親王を二条御所へ織田・家康軍が武田勝頼を討ち取る見ていただきありがとうございます。今年はもっとソフトを使いこなして魅力あるイラストを描けるように頑張りたいと思います駒、戦国時代のキャリアウーマン、と言えるのでは。2024.1.01エンターテインメントランキング
本日は旧暦6月1日で、朔日、つまり新月の日となっています。旧暦では、1日は新月、15日は満月となっていて、日付で月の状態がわかりやすくなっています。このことを知ってから、国史上の事件は旧暦でみなければわからない、と思うようになりました。例えば、赤穂浪士の討ち入りは、12月14日ですが、これは吉良上野介がこの日家に確実にいるという情報が入ったのも重要ですが、この日が翌日が満月という14日の晩で明るい晩であったことも討ち入りにもってこいの日であったのだと思うのです。実際この日は良く晴れた
本日は旧暦6月1日で、朔日、つまり新月の日となっていて、11:53に新月となります。旧暦では、1日は新月、15日は満月となっていて、日付で月の状態がわかりやすくなっています。このことを知ってから、国史上の事件は旧暦でみなければわからない、と思うようになりました。例えば、赤穂浪士の討ち入りは、12月14日ですが、これは吉良上野介がこの日家に確実にいるという情報が入ったのも重要ですが、この日が翌日が満月という14日の晩で明るい晩であったことも討ち入りにもってこいの日であったのだと思うので
本日は旧暦6月1日で、朔日、つまり新月の日となっています。旧暦では、1日は新月、15日は満月となっていて、日付で月の状態がわかりやすくなっています。ツキとタイヨウと暦@_NichiNichi_˙7/10(旧暦6/1)@東京[today'smoon]月出:4時17分南中:11時52分<高度79.5度>月齢:0.1<輝面比0.0%>(南中時)月没:19時24分※7月10日の10時17分が新月です。…https://t.co/CmE7l2ccN82021年07月10
丹波篠山で窯元めぐり21日から催し/兵庫毎日新聞新型コロナウイルスの影響で中止された丹波焼陶器まつりに代わるイベントで、開催期間と場所を例年より広げて来場者の分散を図る。陶器まつりは2...北斗星(10月18日付)秋田魁新報歴史学者・磯田道史さんの「感染症の日本史」(文春新書)によると、国内だけで45万人が亡くなった「スペイン風邪」が流行した100年前、...武田信玄、斎藤利三、誠仁親王、織田信忠ほか登場で、敢えて諫言。「これは来年3月までやらない...sera
天皇の歴史を知ると、実は実際には天皇に即位していないけれども、天皇号や院号、太上天皇号が贈られた天皇が何人もいることがわかります。それは追尊天皇、不即位太上天皇といい、在世中に皇位には即かなかったけれども天皇号を贈られたものです。これはただ天皇になったから親に贈ったのではなく親よりも上の地位にいってしまったことから、自分の地位を下げるために贈ったものと考えるとわかりやすいと思います。岡宮天皇・・・草壁皇子草壁皇子は天武天皇と持統天皇の皇子で、持統天皇称制三年に皇太子のまま薨去されましたが、
本日は旧暦6月1日で、朔日、つまり新月の日となっています。旧暦では、1日は新月、15日は満月となっていて、日付で月の状態がわかりやすくなっています。このことを知ってから、国史上の事件は旧暦でみなければわからない、と思うようになりました。例えば、赤穂浪士の討ち入りは、12月14日ですが、これは吉良上野介がこの日家に確実にいるという情報が入ったのも重要ですが、この日が14日の晩で満月の明るい晩であったことも討ち入りにもってこいの日であったのだと思うのです。実際この日は良く晴れた晩だったと
-本能寺の変とはなんだったのか09/?-2021/10/15今回は、本能寺の変が起きる少し前の1580年に行われた人事整理について今一度、触れていきたいが、今回もどんな状況だったのかの話を中心とするため、余談も多くなる。それぞれの人物の事情も話しておきたいため、戦国後期から終焉に向かうまでの当時の様子を知る上でも、それらの関係者たちも触れ、そのため今回も説明が少し煩雑になる。まず、織田氏の重臣筆頭であった佐久間信盛が厳しく叱責され、これまでの全ての権限が剥奪され、その次代
-本能寺の変とはなんだったのか23/?2022/04/09今回も1582年までの状況がどのようなものであったのか、議会史的な考察と、社会心理学的な考察を中心に、中央関係者らの特に廷臣たちの内心と、その調停役をしていた明智光秀の内心について触れていく手法を採っていく。繰り返すが、独裁主義(敷居向上の手本姿勢狩り優先・リーダーシップ主義)であろうが合議主義(敷居維持の完結落ち度狩り優先)であろうが等族主義(公正な公文書・誓願書といえる身分謄本登録の管理。国際指導責任としての信
本能寺の変とはなんだったのか51/??2023/07/10今回もスペイン王室(西方教会圏の主導国)その外交大使役のイエズス会士(カトリック再生委員会)たちと織田政権(織田信長と、外相の重役予定の羽柴秀吉と明智光秀)海外貿易の今後のことに備えて積極的に関わっていた堺衆たち日本の今後の国際交流のあり方(=今後の外国教義との国際対応の方針と、今後の日本の前近代的な国際教義議会としての評議性・議決性の敷居改革)をただ問い質(ただ)しただけのことに見苦
天皇の歴史を知ると、実は実際には天皇に即位していないけれども、天皇号や院号、太上天皇号が贈られている天皇がけっこういることがわかります。これは追尊天皇、不即位太上天皇といい、在世中に皇位には即かなかったけれども天皇号を贈られたものです。岡宮天皇・・・草壁皇子草壁皇子は天武天皇と持統天皇の皇子で、持統天皇称制三年に皇太子のまま薨去されましたが、その皇子と内親王が後に文武天皇と元正天皇に即位し、また聖武天皇、孝謙(称徳)天皇と続く皇統となりました。またその妃であった阿閉皇女(あべの
【平成29年10月10日(火)参拝】引き続き月輪陵。陽光太上天皇妃藤原晴子墓(月輪陵)所在地:京都市東山区今熊野泉山町泉涌寺藤原(勧修寺)晴子(かじゅうじはるこ、天文22年(1553年)-元和6年2月18日(1620年3月21日))は、安土桃山時代から江戸時代の女性。
【平成29年10月10日(火)参拝】引き続き月輪陵。陽光太上天皇月輪陵所在地:京都市東山区今熊野泉山町泉涌寺陽光太上天皇月輪陵誠仁親王(さねひとしんのう、天文21年4月23日(1552年5月16日)-天正14年7月24日
東京丸の内・出光美術館にて18日までの展示「時代を映す仮名のかたち」を見てきました!仮名のかたち(書様)は時代ごとに変遷します。ふつう古筆展というとせいぜい鎌倉時代を下限としますが、今回は平安~鎌倉~南北朝~室町までの書が並びました!なかなか稀少な機会かもしれません。書様が変化するには重層的な理由があるはずですが、ここではなかでも特に仮名を“和歌を記す文字”として捉え、そこに理由を探っています。つまり平安では私的な位置づけだったのが鎌倉に近づくにつれて公的な性格を持つよう