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お友達の企画に応募したのがきっかけで、左手描きにハマってしまいました。(私は右利き)クレマチスこのクレマチスは、いつもブログでも学ばせていただいているひらめくカードを使った心のセルフケアコーチ・永瀬一代(みりわん)さんのブログにあった小さなクレマチスを見て「コレ描きたい!!!」となり、許可を得て写真をいただき、描いたものです。永瀬さんのクレマチスの写真↓なんと爪くらいの大きさでめちゃくちゃ可愛らしく、色も形もたまらなくて!でも描いた絵はそこそこ大きいのです
それは、気持ち。それ以外に何があるというのだろう?分かり合えない、つらさ。介護に必要なテクニックは、学んでケースに合わせて様々に応用しカスタマイズできる。そうすれば時短できる。知識と実践、実験、検証していけば、案外簡単なもの。そこに人の気持ちが入るから、ややこしくなるし、問題が起きる。人の気持ちは、テクニックだけではどうにもならない。環境の不特定多数の要因で気持ちは刻々と変化する。何かに囚われた人の気持ちは、なかなか切り離すことはできない。蟻地獄にのみ込まれる
認知症になった母と過ごした30年。母が亡くなって私は、ぼんやりするのかしら?悲しみにくれるのかしら?なんて思ってはみたものの、そちらの実感はさっぱり。悲しみよりは、母への感謝がわき上がる。日々試行錯誤し精一杯やってきたので(自己比)、母にしてみれば不満やなにやかやあったかもしれないけれど、私は母と頑張れて満足です!っていう達成感や喜びが感謝とともにあります。何も知らず、どうしてよいかもわからなかった20代の私。怒りの感情に振り回され、でも絶対にあきらめたくなくて、母
その日は突然やってきた。母の施設のケアマネージャーから、朝電話があって。「お母さまが施設から敷地内の病院に入院するので手続きなどに来てください。」と呼ばれた。のんびり路線バスで駆けつけ、看護師に説明を受ける。このコロナ禍、母には会えず、主治医のお話を聞いて、気軽な気持ちで午前中が終わった。この時点で入院は2週間程度ということだった。ちょうど翌日は、施設で両親との面会予約をしていたので、そのことを看護師に話し、入院手続きの書類について説明を受け、記入は自宅でして明日持参するという
ポストを覗いたら父の写真が見えました。これです↓いつだって父は「いつもありがとう」と私にも妹たちにも言ってくれる。でもこのはがきを見たとき、思わず嬉しくて涙ぐんだ。はがきの父に「私こそありがとう、お父さん!」と思わず独り言。先週末、母の百箇日法要をお寺で行った。三姉妹だけでお寺に伺い、ご住職とゆったりとお話。その後、面会予約をしていた父の暮らす施設へ。玄関のドア越しの面会をしたばかり。その父からのはがきにジーンとするなんて、家族での喜怒哀楽を昇華させるまでになったん
自分の役割に苦しさを感じるとき、その役割と自分の気持ちに向き合い、自分にいろいろと質問し、答えてみる。そうして一段視点を高めてみる。人のせいにしないで、自分のエゴを見つめる。そのエゴを乗り越えるには?役割を新しく切り替え楽しい方向を見つけていく。私の役割の苦しさは、人様からの期待の高さ。人のせいにすると、私に期待しないで自分でやってくれ!それをこえると、頼られる存在になり、さらに頼ってきた人の運気をもあげる気概を持ち、自分を磨き太く深く立ち上げる。自立することはもちろん、人様の自
人生をよりよくするために終活は必須。いざそのとき自分も周りも助けてくれるのは終活で得た知識と経験。終活への道と終活両親とも認知症になって、三姉妹の長女である私は、将来に不安や怖れしかなかった。母が若年性アルツハイマーの症状が出始めたのは私が20代前半。そのことで結婚を躊躇した。そうして怒涛の20年が過ぎるころ。私は終活を始めた。認知症両親が祖父母たちの第一子であり、祖母たちの介護や私自身の在り方や両親の今後についてどうしていけばいいのか?不安におそわれたから。子ども
このブログは下記3つのブログの続編です。1)認知症両親とともに~母はアルツハイマー父は血管性認知症こしょこしょこしょ(松元佳子)さんのブログです。最近の記事は「空と鳥(画像あり)」です。ameblo.jp2)『介護施設入居時に準備するもの問い合わせ編』下記ブログの続編です。『介護施設入居時に準備するものリストと内容確認のこと』介護施設入居が決まってすることは、想像以上。その中でも準備するものリストの確認はと…ameblo.jp3)『介護施設入居時に準備する
このブログは以下2つのブログの続編です。1『介護施設入居時に準備するものリストと内容確認のこと』介護施設入居が決まってすることは、想像以上。その中でも準備するものリストの確認はとても大切。安心できると思ったら真逆。えー!?こんなにいるの?どこで買うの?サ…ameblo.jp2『介護施設入居時に準備するもの問い合わせ編』下記ブログの続編です。『介護施設入居時に準備するものリストと内容確認のこと』介護施設入居が決まってすることは、想像以上。その中でも準備するものリストの確認はと
介護施設入居が決まってすることは、想像以上。その中でも準備するものリストの確認はとても大切。安心できると思ったら真逆。えー!?こんなにいるの?どこで買うの?サイズは?などと、疑問ばかりが浮かび上がります。リストを持ってそのまま買い物へ行くと大変です。と書いてもピンとこないと思うので、実際のリストをご覧ください。入居時に準備するものリスト1)普段着(シャツ、ズボン、カーディガンなど)2)パジャマ、肌着3)室内履き、外出時外履き4)オムツ他(非課税の方は助成あり)
写真を撮った後で時間を少し置いて見返し、私はなぜそれをその時撮ったのか?を自分に問うのが面白い。セルフカウンセリング的な(笑)(たまに手作りのお菓子とお気に入りの器で撮る自己満足)写真を撮るのは直感的撮りながらなぜ今コレなんだろう?きれいだから好きだから気になるから(外食したら写真撮る率高め)後でその内容に自分の物語があると知る自分を知ることはとてもパワフルなんだなーとようやく実感できるこの頃素直さを取り戻せ!そんな自己キャンペーン中【今年夫に盛大な駄々をこねた
年末年始を義父と義兄夫婦と過ごしてみて、自分や夫、義兄夫婦の穏やかさにかなり感動した。義父と一緒にいると会話がかみ合わなくて、物凄くイライラする私だった。そこにまた一緒にイライラする義兄と夫がいるわけで。なんとなく雰囲気が悪く、義兄も夫もすぐその場を離れたがった。だからめちゃくちゃエネルギーを消耗してぐったり疲れ果てる。それが嫌だった(笑笑笑)ところが今回、それぞれが少しずつ義父を尊重することができるよう進歩していて。義父の生い立ちを話ながらどうして義父がああいうおしゃべり
認知症両親や祖母たち、義両親や先輩方。私自身が歳を重ね「老い(老化)」を意識するようになって、「老い(老化)」との向き合い方はひとそれぞれ、その人の生き方そのものなんだと理解できるようになってきた。25年ほど昔。若年性アルツハイマーを発症した母が自身に起きた出来事を受け入れられなかったこと。また周囲の家族や私自身が母のカラダとココロの奥底の痛みに真に思いを寄せられていなかったこと。母を思うふりをしてそれぞれが自分を憐れんでいたこと。このようなことに思いをはせるようになったのは、自
龍門司焼陶器まつりは作業場や登り窯を解放したオープンな陶器まつり等身大で自然体なお祭り感がホッとするまるで古きよきふるさとさて広い土間の作業場風は通っているのに足下からのあのしびれるような冷えこみがない薪ストーブよく見ると大きな薪というより丸太?が土間を仕切った一角で燃えていたその横には仙人のような風格と存在感の主が椅子に座っていらっしゃる寒いはずのその場所が自然の中のあたたかさと熱をたたえ柔らかくすべてを包み込むような空気感そこに自分が居ることを自然に感じる見学者の
1ヶ月ぶり施設で暮らす認知症両親に三姉妹で会いに行く相変わらず窓越しの面会父はいつもの車椅子でいつもの様子で来てくれた「お父さん(にこにこ)元気だった?」父に声をかける父がジェスチャーで聞こえないという大きな声で繰り返しきく父「聞こえない、わからん」父の耳がやけに遠くなっていた少し悲しそうに表情が曇った父はそういうことに敏感だとはいえ父、三姉妹を見て笑顔いつものように手を合わせながら「会いに来てくれてありがとう」と何度も何度も言う握手できないことが寂しそう
金柑の甘露煮というと、一晩水につけ、下茹でするというイメージだったのですが、その工程を省けるというレシピで作ったところ、お手軽にささっとできました。とても上品で、金柑の美味しさを引き出した味だったので記録。閃きポイントは、甜菜糖と黒糖焼酎の組み合わせ。この組み合わせは絶妙で本みりんの照りが最高。材料金柑900g甜菜糖360g黒糖焼酎金柑がひたひたにつかるくらいの分量(1カップくらい)本みりん大さじ1強作り方1金柑をよく洗ってヘタをとる金柑で包丁で切れ目を入
自分の夢ってなんだった?全然思い出せなくてそんな自分がダメダメだとダメ出ししてなんでこうなっちゃった?から試行錯誤このまま惰性で生きていては死んだように生きることになってしまう焦りとりあえず、その時その時リスタートするあれやってみてこれもやってみていや違うななんて幸運にもそういうことができる状況というより私の家族は愛情深かったただ見守ってくれてさてはて私はいつもやらなきゃならないことに追われてて時間に追われててなのになんだかどれもこ
こうなりたい!と思う自分があっても、大きな変化には大きな抵抗がある。脳の働きだから仕方ない(笑)小さな変化の積み重ねで習慣化し乗り越える。と思いながら、日々戦い(笑笑笑今年を振り返ってみると、小さな変化の積み重ねがかなり習慣化されてきた。試行錯誤しながら習慣化をさぐるというのが習慣化してきた。自分にとって素晴らしい(笑)それくらい小さな変化を受け入れることを習慣化することが大事だった。・頭の中にちらかった無数のタネを丁寧にひとつひとつに分けていく・それをすぐにやって
認知症のこと、家族のこと、どうしたらいい?本人、家族にとって「認知症」という事実は、逃れられない事実です。では、どうすればいい?という問いを持っているなら、まずこの本を読んでください。「認知症の私から見える社会丹野智文」(Amazonkindleでも読めます)これから自分はどう生きたいのか?真剣に考え感じてみると、何か掴めるはずです。私の母は25年以上前に若年性アルツハイマーを発症しました。そのとき、この本を読めていたら、あんなに何もかもに絶望したり、家族親族に
時々パンが食べたくなって、レシピを考えホームベーカリーで焼き食べる。「いかに自分好みのパンを作るか?!」にチャレンジするのが楽しく面白い。ところが、「あのパン美味しかったよな~!またあのレシピで作ろう!」と「前回どういうレシピで作ったかな?」自分のブログを検索して、「あれ?書いてない!うそ~~んっ!残念~~~悲し~~~!!!」と今年何回言った?!残念な私!(笑)ということで、「試行錯誤レシピの記録抹茶編」材料強力粉250g抹茶3gピンク岩塩
車から降りようとしたときお隣の車のタイヤにいるカマキリと目が合いました「こんにちは」人でも動物でも何でも。とりあえず脅さないようご挨拶する主義。そうしてスマホカメラをカマキリさまにむけるとビクッとして、そろそろと気づかれないよう後退り(私は気づいてるけど、笑)そして、通常スタイルお邪魔してごめんなさい(‐人‐)和みのひととき(笑)~~~~~~~~~~・お問い合わせ・認知症介護の相談受付について~~~~~~~~~~松元佳子☆facebookhttps://ww
認知症両親の在宅介護。辛く厳しいとき、なぜか頭の中にもやっとしながらもあった言葉。「何が経験できるだろう?」「この経験に意味があるとしたら何だろう?」「死にたい」「死んでくれ」と同時に頭の中にあった言葉。私が苦しいときに希望になる言葉があったんだな。自分が決めたことを成し遂げるために、自分を奮い立たせる言葉だったんだな、当時は気づいていなかったけれども。「この経験に意味があるとしたら何だろう?」この言葉があったから、このブログを書き続けた。認知症両親の在宅介護の
自分以外の人はコントロールできない、人を変えることは無理、と言います。そうして、しみじみそうだよね~と実感します(笑)でもでも?!自分の心がけを変えることで、自分の周りを自分が思う快適な状態に働きかけることはできるということも実感しています。それはまあ、言ってみれば私自身の修行?!(笑)みたいなものです。40代前半までの私は、なんだかんだ言っても、口が達者で行いが伴わないダメダメちゃん。未だにそんなダメダメなところを修正すべく努力している次第です。いい歳して、大人として、
施設で暮らす認知症両親の面会、今回も三姉妹で訪れた。認知症両親に対する私たち三姉妹の想いを凝縮させて。コロナ禍、それぞれに制約が多い。そんな現在、両親にとって生きるとはどういうことだろうか?両親は家族を大切にしていて、私たち三姉妹と水入らずで過ごすとき、リラックスして楽しそうで、嬉しそうだ。両親がホッとして安心し、両親の心身が緩むことを私は知っている。今やそのちょっとした時間は、おそらく両親にとって幸せを感じる最大の瞬間だと思う。だから。両親の緊張した面持ちが一瞬でも解け
7ヶ月ぶり!三姉妹、認知症両親に会いに行くなんというかね?!7ヶ月ぶりですよ!痩せてます、父。そして、母。思うように写真が撮れなくてなんというかもうあー悲しい想像はしていたもののやはり相当ショック三姉妹で行けて良かったショック、分かち合うお互いに励まし合う父さん、母さん三姉妹育ててくれてありがとうというわけで今日はおしまいショックのセルフケアして、おやすみなさい。自分に素直にケアは抜かりなく~~~~~~~~~~・お問い合わせ・認知症介護の相
認知症の当事者や認知症の家族を介護するものにとって、ごくありふれた日常はとても特別に感じ、これまでがどんなに幸せだったかを自覚する日が来ます。家族それぞれの役割は、本人や家族それぞれが思っている以上に大きいのです。そして、些細なことの積み重ねで日常ができていて、それをやり直す・工夫する努力が必要になります。これまで慣れ親しんだ家族の生活が、根底から覆る残酷さです。そういうわけだから、家族それぞれ不安や怖れで、怒りばかりが湧いてくるのが普通というもの。険悪になって当然。それはごく
「自分を積極的に知って大切にすることの効能」今日降りてきた?閃いた?言葉(笑)効能とは、「生きているだけで幸せを感じることができる能力があがる」なぜこんなことを書いているんだろう私は(笑)さて、自分が「生きているだけで幸せを感じること」ができているのか?と問われれば、まだまだ。答えから遡ってみよう。例えてみると、地球というアミューズメントパークに生まれて生きてきたけど、ただ自動的にアトラクションをまわるだけで、わー!楽しい!キャー!怖いーーー!!!やだ
お天気にもよるけれど、10月は夕方歩くことを続けてみようと思う。歩くことによって、内面的な変化、影響はあるのか、や身体の内側を意識するとどんな変化があるのかを試してみる。日没が早くなって夜が長くなると、心身に変化が現れるらしい。生き物としてのリズムを感じてみようというわけ。夏から秋、冬へ。気候や天気の変化とわたしの心身の変化。なんとなく過ごすのをやめて、自分に気配りしてみる。そういう余裕がでてきたことは嬉しい。何に追われているのか、せわしなく生きてきて疲れ
鹿児島港北、展望灯台から風。強め。桜島フェリーと夕景神社の階段で発見何か息苦しく感じるときは、自然に五感をむけると、深呼吸がさらに深くできる。そうすると、自然の一部である自分にホッ。小さくもあり、大きくもある。自分の今にオッケーを出し認めてあげよう。そしてまた少し先に目標を立て前を見て進もう。大きな目標がしんどいときは、日々のちょっとした小さな積み重ねを大切に。時には、ドカーンと非日常を自分に許して労って。人と比べない。自分に正直に誠実に生きよう。~~~~~~~~~~
心身の状態を軽くしたいと思うようになった。50代になって、明らかに心身とも重くなったから。これまでのやり方が通用しないのだ。心は、元気、ヤル気満々、なんでもできる気がするのに、身体が思うように動かない、体力が続かない、疲労がじわじわ後に残る。心は成長し続けるのに、身体は老化していく。その差が開き加速し始める年齢のよう。心身のバランスをとるために、現状を知り、適切な対処をしていこうと決める。年齢に抗うのではなく、これまで生きてきたことに感謝しながら、これからも長持ちしてもらえるよ