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2度目歯医者大学病院空気が入ったことについて大丈夫だと思うが、大丈夫だろうか?何を聞かれるのだろうか?ちゃんと答えられるか?そして呼ばれる前回と同じ先生。顔を見るなり、だいぶ空気が抜けてきたみたいだね。と。えっ?!ちゃんと患者の顔見てる!よくみてる!!と、感動。ますます、先生がカッコよく、神様のように思える。ちょび髭で、お腹が出てて、dieselのお財布をポケットにいれてる。先生。でも、これから、どんなことをするのか?何を質問されるのか?不安と緊張。そして、そこ!
おはようございます。今日も明るく元気に目覚めることが出来ました。有難うございます。最近、芸能界の方のガン告知が多いですね。二人に一人がガンになる時代です。自分の細胞が暴走してしまったものなので、どうにもならない。先週、ステージ4と告知なさった堀ちえみさん。まずは、無事に手術が終わって良かったです。病は気からです。あの強い気持ちで病気を吹き飛ばして欲しいものです。口内炎が出来てからも病院へ通院していて、診て頂いていたのに、、、私の母もそうでした。結果は、スキルス
池江さん、堀さん、どうしてもっと、早くわからなかったのかな?こりゃウチではダメだ、で、紹介状書くんじゃなくて、違う目線で診察出来る様に、早めにセカオピを勧めるのも医師の義務ではなかろうか?不摂生して、滅茶苦茶な生活をしている訳でもなく、ちゃんと管理したり、キチンと病院に通う患者さんを、、なんで、様子を観ましょうとか言っちゃうんでしょうか?プライド?医師に聞いてみたいものです。
一難去ってまた一難なんと大腸に影があって再検査だと?!本当信用できるのか分からないけど大丈夫なん?!病院てもっとちゃんとしててカルテ間違えてないと思ってたんだけどおかしいもう本当やだー…
朝、すぐに口コミがよかった病院へ行ってきました。すると、今日は休診…。というわけでその近くにたまたまあった整形外科へ。笑凄く待って、そして昨日もらったレントゲンを渡しましたドラマとかってレントゲンって写真を封筒にってイメージやったけど、昨日救急病院で渡されたのはCDに焼いてるやつでしたー!!えー、封筒じゃない(いつの時代?)そしてその初見で入った整形外科の先生、『見たけどわかりませんねー』って『僕が見た限りは折れてませんけど』やっぱり数日咳ずっと出てたからそれが原因か?って話に
3カ月ぶりの更新になってしまいました。街のディスプレイもオレンジカラーに変身してしいました。実は体調が悪くドクターからパソコン作業やSNSを止められていました。そう言われても少し体調が良い時にSNSに書き込みやブログなど閲覧しておりました前置きが長くなりましたが。東日本大震災の年にギックリ腰になりそれから腰のヘルニアに移行し治療を受けておりましが年々、悪化しております。そして今年の元旦に階段を3段ほど踏み外し、腰を殴打しました。休日診療でレントゲン検査を受け骨には異常なく打撲と診
お久しぶりです。私は元気にしてますが、落ち込んでいます。今は何周期目だったか。。。数えるのすら億劫になっている今日この頃あ、8月はお盆休みもあったので、9月からまた再開しましたが、本日見事に撃沈しました。しかもタイトル通り、悪いことって重なるらしく、・ウトロゲスタン21個服用って言われたのに20個しかなかった。・気づいたのが昨日の夜最後に使用したときなので、今日の診察で報告。・病院側ほ「うちでは三重で確認してますから…(非はありませーん)。気づいた時に言ってくれれば。。。なので返金
たくさんの、いいねやコメントにメッセージありがとうございます。何で、医者は人を死なせても捕まらないんだろう…邪魔くさくてちゃんと診察しないのなら医者を辞めてほしいと思ってしまいます。このブログを初めてからたくさんの方に励まされました。ブログを書きながら色々と思い出し何もしてあげれないのかな…という気持ちがありずっと沈んでますが前を向いて頑張っていきたいと思います。
国立病院から転院して2ヶ月が過ぎた頃兄の容体はどんどん悪くなり、とうとう病院から電話があり、すぐに母と兄のとこに行くと何日か前の凄く荒い呼吸からとても穏やかな呼吸に変わっていました。そして尿が出なくなり、血圧も下がってきて本当にもうすぐなんだと思いました。兄にはこんな病院に来てしまってごめんね💦と、もうしんどい思いしなくていいよ…って話してると呼吸がどんどんゆっくりになっていき、最期は息をフーって吐いて呼吸が止まりました。もちろん看護師が走ってくるのかと思ったら全然来
久しぶりになってしまいました。四人部屋に移り、しばらくすると兄の呼吸が早くなり、耳や鼻からも血が出て痰にも血がまじったりする事がありました。この病院の看護師は何の説明もしてくれなくこんなに呼吸が早いのは戻らないんですか?と聞いても「もういつとは分からないけど長くはないやろね!」と言いました。それから次の日ぐらいに先生から話がありますと言われ、私だけが話を聞きましたがちょっと容体が良くないのでいつ急変するか分かりません…と言いその後胃ろうって知ってますか?と聞かれまし
四人部屋になってからは部屋も狭く隣りのベットが近すぎて面会に行っても気を使いました。兄に声を掛け続けたいけど、あまりうるさくもできないので側に居て見てるだけでした。転院先も色々調べたりはしてましたがなかなか良いとこは見つからず、かと言って兄には会いに行きたいけど今の病院に面会に行くのは辛かったです。いつまでこのままなのか?少しも良くはならず、2ヶ月がたった頃からだんだんと悪くなっていきました。毎日行くたびに痰がひどく吸引してくれるように言いに行っていましたが嫌いや吸引
兄は個室から四人部屋へ異動になりましたが雑な扱いは変わらずでした。鼻からの栄養とオムツの交換はしてくれますが、看護師がする事は鼻からの栄養ぐらい。後はほとんど介護の方がやってました。自宅では診れないし、診てもらっているので感謝しないといけないのかもしれないけどこちらもお金を払って診てもらっているのに髭は伸び放題、ベットシーツは汚れまくりある日は両手足をベットの柵にくくりつけられていてびっくりしました。兄は目を開けたりはしますが植物状態なので手も足もまして身体自体が動かない
転院してからの毎日は面会に行くと言うよりは兄が何かされてるんじゃないかと言う気持ちで会いに行ってました。病院は、ちゃんと見るので毎日来られなくて大丈夫ですよ!と言いますが全く信用出来ずになるべく毎日行ってました。相変わらずの雑な扱い…お風呂は月1がやっと…髭は剃ってると傷だらけ…鼻からの栄養の袋からは白い液体がポタポタ地面に落ちてしまっていて、部屋の中はあま~い匂いが充満してました。それを看護師に伝えると、すいませんの言葉もなく無言で拭きはじめましたがとても邪魔くさそ
転院してからは毎日不安でした。他の患者さんも、意識があっても寝たきりの人ばっかりで、院内をうろうろしてる人もいません。面会に来てる人にも会う事はありませんでした。個室に2週間ぐらい入ってましたが(病院の都合で)毎日面会に行く度に、あの看護師長が入ってきては文句を言ってきました。それに兄は気管切開をしていたのですがその病院に来た次の日から痰が酷くなり見てるだけでしんどそうでした。転院したとたんに痰が酷くなるって何で?とずっと思ってましたが、だんだん酷くなってきて、看護師
転院してからは嫌な思い出しかありませんでした…。次の日に母を連れて兄の面会に行ったのですがその時、兄は経鼻栄養で白い液体を鼻から胃に入れていました。いきなり看護師長だというすごく年配の方が部屋に入ってきて挨拶をされました。そこまでは良かったんですが…いきなりあなたのお兄さんみたいな方はうちの病院では普通引き取りません!と…その時先生が延命処置をしなくても良いと言うことなら居てもらって大丈夫です。と言われてました。でも師長は、その言葉を言い続けどこの病院も引き取らないは
転院先の病院へ着くと、まず先生と話しをしました。その時にいきなり兄は何かの間違いでうちへ来られました。と言われ…いったいどういう事?何が?という感じでした。先生が言うには、ここは看取りの病院で何かあっても何も出来ません…気管切開している若い患者さんは診れないみたいに言われました。私はちゃんと見学に来てこちらのソーシャルワーカーの方と話しをして気管切開してるのも植物状態である事もすべて話しをしていたので全く意味が分かりませんでした…。すぐに転院先を探しましょうと言わ
転院先が決まり、朝そちらの病院の方が兄を迎えに来て下さるので退院の手続きや荷物の整理のため少し早めに行きました。不安しかありませんでしたが仕方がないと思ってました。用意していると、ICUでお世話になってた看護士さん(兄のために泣いて話して下さった方)達が退院するのを聞いて挨拶に来てくれました。本当にICUの看護士さん達にはお世話になりちゃんとお礼が言えてなかったのが気になっていたので逢えて良かったです。そして迎えに来て下さったので先生達に挨拶をして車に向かったのですが…裏
兄の状態は落ち着いていて病院に行くと声を掛けたりマッサージをして刺激を与えていました。それと転院先を何軒か見学に行きました。やはりこちらの都合ですが、母が一人で電車に乗れないので家の近くで探してましたが気管切開をしていたり、若いからと言う事でなかなか引き受けてくれるとこはありませんでした。療養病院を見学して思ったのが、ほとんどお年寄りの寝たきりの方でベットがキツキツに置かれていました。自宅で見てあげる事ができないので仕方がないのですが、何軒か見学に行って自転車で何とか行
兄は二人部屋になって落ち着いていました。気管切開しているので、たまに痰が酷い時もありましたが8月になりそろそろ療養病院の方に転院をとソーシャルワーカーさんの方から言われました。私は病院の規則など知らなくてここの病院で兄は植物状態になったんだしずっと見てくれると思っていたのですが病院探しが始まりました。それと同時に、兄は一人暮らしをしていたのでもう戻れないし家を解約し荷物を運ばないと行けませんでした。この時は本当にあれもこれもと大変でした。取り敢えず兄の荷物を母の家へ運ぶ
たくさんのいいね、読者登録、コメントありがとうございます!いきなり1位になってしまってびっくりしているのですがこんなにたくさんの方に見てもらえてるなんて嬉しいです。書いていると兄の事を思い出してなかなか進まないのですがこれからも宜しくお願いします🙇
兄はしばらくナースステーションの側にある個室にいましたが、身体は落ち着いてきてるので二人部屋の方に移りました。相変わらずリハビリをして頂いたり声を掛けたり、マッサージをしたりだけど何も変わりませんでした…。兄は鼻からの栄養でしたが隣りのベットでお爺さんがゼリーを食べたりお茶を飲んだりしてるのを見て兄にも食べさせてあげたいな…何故こんな事に…誰かに(もちろんO病院のM医師にですが)当たり散らしたい気持ちが日に日に大きくなっていました。ここの国立病院は大きくて、看護師さん
今日は、兄が亡くなって一周忌です。この一年毎日兄の事を思い出さない日はありませんでした。あの、O病院のM医師の顔も😠😠ただただ可哀相だったな…とかもっといっぱい話す事あったのに…とか悔しく、いたたまれない日々でした。もちろんこれからもその思いは続いていきます。何年たっても忘れる事はないです。ナースステーションの隣りの個室に移ってからはリハビリで車イスに乗せてもらったり足や腕などのマッサージをしてもらったりしてました。声を掛けると目を開けたりする時もあったけどほとん
ICUを出てからは一般病棟のナースステーションの隣の個室に入る事になりました。ICUとは違い兄への扱いもICUのようにいかず不満もありましたが、そこに移ってからはリハビリを始めていました。車イスに乗せたり、マッサージをしたり…看護士さんから聞いた話では車イスに乗っている時は、目を開けて反応しているようでした。その部屋に移ってからも兄は意識を戻すことはありませんでした。面会も2日に1回は行き声をかけたり、擦ったりして兄に「来たよ!」と言うと目を開けて反応してくれたりし
結局、ICUには約3ヶ月お世話になり看護士さんも若い方がほとんどでしたがほんとにしっかりと兄を見て頂きました。けど1人だけ私が何か苦手だな…と思ってた看護士さんが居ました。どの看護士さんも先生に何か伝える事はないですか?とかどうしてほしい…とかあったら言っておきますよ。と言われますが兄は植物状態になってしまい会話も出来なくなり、どうしてほしいと言われても、兄を元に戻してほしいとしか思わないし言えなかったです…。ただ、その苦手だなって思ってた看護士さんが明日にはICUを
兄はたまに目を開けたりしましたがどこを見てるのかわからない感じでした。でもまだ意識が戻るのではないかという思いがあり、毎日手足をマッサージしたり呼び掛けたりしてました。何となくですが、話を聞いてくれてる感じがしてたんです。けれどICUにもそんなに長くは居れないしそろそろ出ないといけないのかなぁと思ったりしました。でも本当に、教育が出来てるのか看護士さんのみなさんに良くして頂き病院によってこんなにも違うのかと実感しO病院への憎しみはどんどん酷くなりました。兄はいつ亡くな
植物状態になってしばらくはICUでお世話になりましたが、自分の子供の年齢ぐらいの男女の看護士さんが良く見て下さり前の病院とは比べものにならないくらい良くしてもらいました。私達家族の事も心配してくれて話を聞こうとしてくれるんですが何を言っても、兄が戻ってくるわけでもなく私は別に言うことはないです…といつも怒った感じで答えてました。ここの病院が悪くないのは分かってたのにどこに怒りをぶつけていいかわかりませんでした…。もちろん前のO病院に怒りをぶつけに行きたくて仕方なか
兄が植物状態と言われてからも信じられず毎日ICUで声をかけ続けていました。そして、いつ容態が変わるか分からないので会わしたい人には会ってもらって下さいと言われました。うちは、母の親戚などは長崎に住んでいますがみんなすぐに来てくれました。母がふさぎ込んでいたので心配して1週間程居てくれました。兄の面会もその間に何回か来てくれて泣きながら声をかけてくれました。きっと兄は分かってたと思います。それから、会社の上司も何人か面会に来て頂きましたが何でこんな事に…信じられないと
兄は、心臓の手術中の脳梗塞により植物状態になってしまいました。あんなに頑張ったのに…最初のO病院が手術後に苦痛を訴えている兄の診察をちゃんとしてくれてたら…兄の事が1番である母がどうなるかも心配でなりませんでした。でも、私は兄が植物状態と言われても明日行くと起きて喋り出すんじゃないかと思ったりして信じる事が出来なかったです。だって…手術室に入る前にほんの少し話しただけでそれっきりなんて信じられませんでした…まだまだ話したい事もたくさんあったのに…だからICUに毎日行き
兄は2回も心臓大動脈弁置換の手術をし2回目は、感染性心内膜炎にもなっていてそれは酷い状態で、止血のための3回目の開腹手術は可哀相でたまりませんでした。その後出血は何とか止まりましたが身体中が黄色くなりぱんぱんに腫れてしまって輸血もされ見てられないほどでした。それからもICUでの透析は続き少しづつ腫れも取れて肌の色も元に戻ってきたのですが…覚醒をさせても意識が戻らず脳の方に問題があるかもと言う事で検査をして先生から呼ばれ兄の状態を説明されました。手術中に、菌や血栓が脳