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地元のローソンに討ち入りしてきました🔥水曜どうでしょうDVD第34弾『北海道で家、建てます』発売!この企画、テレビで見逃して観れなかったんですよね💦これでやっと観ることができます😭そして、もう一つのお楽しみの初回予約特典。ジャケットで大泉さんとミスターが被っているヘルメットのフィギュアですね(笑)次作の35弾はヨーロッパ企画でしたかね。35弾となれば5作品毎に発売されているDVDを収納できる専用ボックスも発売されるんでしょうね。以上、『水曜どうでしょう/北海道で家、建てます』で
歴史ドラマで好きだったのはもう40年近く前だけど大河ドラマの「峠の群像」赤穂浪士の話なのですがわりと事実に基づいたドラマで討ち入りまでのやりとりがなかなかリアルで面白かったです最近のだと「鎌倉殿の13人」北条義時がだんだん冷徹になっていく様がよかったなぁあんまりドラマって見ないけど面白いと止まらなくなりますね
私は兵庫県在住で、この春は仕事で赤穂まで片道1時間以上かけて自動車通勤してました。最終日は夕方出勤でいいとなったので、ちょっと昼間に観光めいたことをしようと思い立ちました。赤穂といえば、塩(ご存知ですか?)そして「時は元禄〜」で始まる『忠臣蔵』が有名かと思います。「殿中でござる」というセリフや、討ち入りの場面、主たる人物たちの名前くらいは知ってますが、私はこれまで映画化やドラマ化されている『忠臣蔵』をちゃんと見たことありません。そんな柄でもなかったのです。ネットで検索したところ大石
能力がない柔軟性がない決めつけが多い頑固になったどれでしょうもう限界かなあ相性もあるのでしょうこれ以上やっても時間の無駄無駄といえば受験期化学は無駄に時間が流れていきついつい得意科目の勉強をしてしまいますと正直に言ったら赤穂浪士の討ち入りのときに出てくる武士に似た名前の先生が目を三角にして怒りまくって暴言浴びせかけてきたなあ教頭先生が慌てて遮ってたなああれ今で言うパワハラで皆の前で恥をかかされ暴露され注意指導案件昭和は何でもあ
映画を見てきました久しぶりです身代わり忠臣蔵✨智紀くんが出てます最近は日記にあんまり書きませんがマイペースで智紀くんを応援しています✨配信などしてくれているのですがなんせアナログ人間だしコメントとかもなかなか出来ず…でも見てるだけでも楽しいです頑張っている姿を見ると嬉しい😄身代わり忠臣蔵では凛々しいお侍姿も浪人姿も討ち入り姿も見れて台詞も沢山あり台詞ないときも沢山映っていて嬉しい✨先月の事ですが日記に書き忘れたので書きました(笑)映画、忠臣
好きな隊士?わかんない。興味ないし?四十七士討ち入り。大石内蔵助。名前的に出てくるのは大石内蔵助だけかなぁ。山口組は、有名なヤグサの組?山口組-Wikipediaja.m.wikipedia.org大林組・奥村組・は有名なゼネコン大林組株式会社大林組のオフィシャルサイトです。最新情報、会社情報、事業内容、プレスリリース、IR情報、サステナビリティ、採用情報、施工実績、ソリューション、技術情報、研究開発情報、歴史などをご覧いただけます。www.obayashi.co.jp奥
こんばんは身代わり忠臣蔵観ました思いがけず泣いちゃったもちろん終始お笑い要素満載ストーリーは嫌われ者の旗本・吉良上野介からの陰湿ないじめに耐えかねた赤穂藩主が、江戸城内で吉良に斬りかかった。赤穂藩主は当然切腹となったが、実は斬られた吉良も逃げ傷で瀕死の状態に陥っていた。逃げて死んだとなれば武士の恥、お家取り潰しも免れない。そこで吉良家家臣の提案により、上野介にそっくりな弟・孝証を身代わりにして幕府を騙し抜こうという前代未聞の作戦が実行されることに。一方、切腹した赤穂藩主の部下
鑑賞しました。松の廊下の刃傷事件で実は上野介は死亡しており、その事実を隠す為弟が上野介に成り代わる物語です。喜劇・悲劇として、なかなかよくできた作品でした。刃傷事件の直後に、吉良家は本所に屋敷替えを命じられているのですが元々、吉良家と仲が悪かったとされる徳川家が命じた陰謀とも云われています。江戸城下で討ち入りされたら幕府や北町奉行所の顔も立たないので、わざと屋敷替えを行って、討ち入りを煽り浅野家の残党と吉良家の両方を抹殺する設定でこの映画は演出されていま
評価4/5☆☆☆☆★忠臣蔵を描いた映画は多くあるが、大概は赤穂側から描いており、本作は吉良側から描いているのが面白い。しかも吉良上野介は浅野内匠頭から受けた傷が原因で亡くなり、吉良家が取り潰しになるのを防ぐために、そっくりな弟を替え玉にするというアイデアが優れている。その替え玉の孝証は、てっきり架空の人物かと思ったら、パンフレットを見たら実在の人物なのに驚いた。ただ、上野介が長男で孝証が六男と歳がだいぶ離れており、一卵性双生児でないので瓜二つとは思えないが。もう一人の主人公の大石内蔵
監督:河合勇人2024年主な登場人物(俳優)役柄【吉良家】吉良上野介:きらこうずけのすけ(ムロツヨシ)江戸幕府の高家・吉良家の当主。吉良孝証:きらたかあき(ムロツヨシ)吉良家の末弟だが、家を追い出された金無し怠け坊主。斎藤宮内:さいとうくない(林遣都)吉良家の筆頭家老。桔梗:ききょう(川口春奈)吉良家に仕える侍女。清水一学:しみずいちがく(寛一郎)吉良家の家来の剣客。堀江半右衛門:ほりえはんえもん(本多力)吉良家の門番。【赤穂藩】浅野内匠頭:あさのたくみのかみ(尾上
身代わり忠臣蔵世の中が平和になった江戸時代の1701年、江戸城内で赤穂事件が勃発。この赤穂事件を歌舞伎などで描く際に忠臣蔵と呼ばれる。1701年、第五代将軍・徳川綱吉の時代。江戸城内での旗本・吉良上野介(きらこうずけのすけ)が赤穂藩主の浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)に対してパワハラ行為。怒った浅野内匠頭は江戸城・松之廊下で吉良上野介を切りつけて重症を負わせる。徳川綱吉は浅野内匠頭に切腹を命じ、赤穂藩はとりつぶしに。赤穂藩に残された大石内蔵助(おおいしくらのすけ)らは、
今日は、あの「忠臣蔵」をベースにコミカルに製作された「身代わり忠臣蔵」を観てきました。なんと、同名小説をムロツヨシ主演での映画化したものなのですよそれと後半は、歴史探訪してきた本物の大石内蔵助、浅野内匠頭が眠る「泉岳寺」のことを綴っているので、興味のある方は覗いて行ってください・・・(笑)これは映画のポスターMOVIX川口久々に行ったらスナック関係はタッチパネル注文方式に変っておりましたよ。人手不足が、ここにも感じられますね・・・確かにスタッフの人数が減っていました映画が上映さ
先週は心身ともにクタクタになっていました。それでも、今日の事を考えて乗り越えてきました。相変わらず雨模様が続き、散歩は叶いませんでしたが、そんなの関係ねぇ~♪①映画を観た!7時55分の回で、『身代わり忠臣蔵』に参戦。休日の早朝の回でしたが、始まったばかりなのでお客さん多数。内容は、面白かったです。NHKの『LIFE』で観ていた頃から、ムロツヨシという俳優の面白さが堪りませんでした。本人は至って真面目なんでしょうが、存在感にフツフツと笑いがこみ上げてくる。今回の役は、『
【東大VS藝大】藤井総長と日比野学長ホーム&アウェー戦先攻東大駒場篇Vol.2東京大学/TheUniversityofTokyo東大と藝大がホーム&アウェイで行う不忍池合戦。東大ホームバージョンでは、藤井総長の本丸である生産技術研究所に日比野学長が「討ち入り」。月面の高精細画像は100%撮られているのに海底面の画像はまだたったの20%しか撮られていない、という藤井総長のコメントを発端に、ふたりの好奇心(話)はますます加速して...前:https://yo
きょうも療養中。せきが止まらん!そろそろジョギングしたいお!肉と魚よく食べるのはどっち?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう赤穂事件-Wikipediaja.wikipedia.org1703年の今日は家臣の大石良雄以下47人が本所の吉良邸に討ち入り、吉良義央らを討った事件、いわゆる忠臣蔵が起きた日です。歌舞伎にもなるほどでした。
1月30日その11703年(元禄15年12月14日)-大石良雄(おおいしよしたか)旧赤穂藩士47人が吉良義央(きらよしひさ)邸に討ち入り。(赤穂事件)忌日(崩御)1867年慶応2年12月25日孝明天皇孝明天皇は暗殺説が根強い天皇での。明治維新に否定的な立場であったというのがかなり大きな要因ではないかと思われるんだろう1948年-オーヴィル・ライト。飛行機の発明者番外1877年西郷隆盛が鹿児島で主宰していた私学校の生徒が新政府に反発し、政府の武器を奪取。(西南戦争の発端)
▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう✋おいっす✋今日の記念日はなんじゃいな?孝明天皇例祭孝明天皇例祭は宮中祭祀として執り行われる宮中行事のひとつで、新暦1867年1月30日に御崩御された第121代孝明天皇を祀るため祭事となっております。1874(明治7)年〜1912(明治45)年までは国の祭日として設けられておりました。現在では宮中三殿のひとつでもある皇霊殿と、天皇の墓である陵所において祭典が執り行われております。宮中三殿とは皇居・吹上御苑の東南に位置する賢所・皇霊
こんにちは。今朝はお世話になっている方を始発の電車に間に合うように出撃しました、空はまだ暗かったです。しかしもしかしたら十五夜の満月だったかもしれません、今は旧暦のおそらくは師走、忠臣蔵の討ち入りは12月14日ですね。これはたしか旧暦ですから、討ち入りは今頃、1番寒い時期にあったのですね、討ち入りの時に雪も降っていたようですしね。今季、最強の寒波が来たそうで列島は冷え込み、北日本や日本海側は積雪もすごいようですね、暖冬でもやはり寒くなる時は寒くなりますね。寒いことを考えていたら思い出した
東京両国にある吉良上野介邸の跡地へこの場所で討ち入りが行われたと思うと感慨深いです吉良上野介↓討ち入りの日にイベントがあるらしく準備されていました吉良邸はとてつもなく広かった実際に外周を周って歩いてみましたが10分以上はかかりましたこのあと吉良上野介を討ち取り赤穂浪士が引き上げたルートを実際に歩いてみることに永代橋へ向かって歩いていたら途中回向院という場所にあの有名な鼠小僧のお墓を発見なかなか捕まらなかった鼠小僧この手前の石を削って持ち歩
ずっと行きたかった大石内蔵助ゆかりの地に行ってきました。実は私の母の先祖が赤穂浪士のひとりなのです。(残念ながら直系ではありません)大石内蔵助や赤穂浪士といっても知らない方もおられるでしょうね。なんせ1701年のお話ですから。多くの日本人が大好きな忠臣蔵、是非知っていただきたいなぁ。訪ねたのは大石内蔵助が隠遁生活を送っていた京都・山科。大石神社・内蔵助像内蔵助と赤穂義士を祀った神社です。赤穂浪士を「義士」と呼んだのは東郷平八郎
忠臣蔵で有名な泉岳寺今日は赤穂浪士討ち入りの日なので泉岳寺は22時頃まで開いているあまり私と年の変わらない男達が、約300年前の今日討ち入りして後日切腹なんだが人間としてのポテンシャルが違いすぎる
私が大学生の頃のアイドルと言えば、モーニング娘。でした。見かけなくなったなと思ったら、2014年以降、その年ごとにグループ名の後ろに西暦下2桁の数字をつけ、今も活動しています(今年はモーニング娘。'24)。デビュー当初から今も在籍しているメンバーは誰もいないので、さすがに今のメンバーは誰かさっぱりわかりません。知ってる方がすごすぎます。今のアイドルと言えば、○○46または48のグループです。不思議なことに○○47というグループは聞いたことがありません。47と言えば、赤穂
昨年末に貰って来た映画のチラシです…「身代わり忠臣蔵」(2024年2月公開予定)監督河合勇人原作・脚本土橋章宏出演ムロツヨシ永山瑛太川口春奈林遣都北村一輝etc…「忠臣蔵」と言えば年末の12月公開のような気がするのですが2月ですか?…😅ただ、今まで「忠臣蔵」物は沢山扱われてますので…今回は吉良上野介目線?…吉良上野介は嫌われ者で赤穂藩の浅野内匠頭に切られてあの世行きで浅野内匠頭は切腹、これを機に幕府は吉良家も取り潰そうとするが吉良上野介にそっくりな坊主の弟が居た…
回向院の裏手に回ると、赤穂浪士が討ち入った吉良邸があります。ここが裏門です。大石主税や堀部安兵衛ら24人は、ここから主君の敵を取る為に押し入りました。場所的にはここで間違いないんですけど、今はもうご覧の通りです。この辺り一帯3ブロック位の広さ(2,550坪)があった吉良邸は、討ち入りの翌年に発生した元禄大地震や大火で壊滅状態となってしまいました。今遺されている吉良邸跡は、昭和10年(1935)に公園として開かれた場所です。広さは29.5坪。中へ入ると狭く感じられますが、昭和初
「志ほ万」は赤穂の菓舗・かん川の塩饅頭です。関西では、赤穂の土産物として広く知られています。赤穂は初代藩主・浅野長直により入浜式塩田が整備され、江戸時代を通して塩の生産地として有名でした。その赤穂の塩を使った塩饅頭なのです。赤穂といえば、高校の運動会で赤穂浪士の討ち入りを演じたことを思い出します。演出兼お軽役は同級生の北村文典君。後年、森光子主演の放浪記を演出した人物です。私は浪士•間喜兵衛役でした。そんなことを思い出しながら、「志ほ万」をいただきました。真っ白で、固めの生地に
皆さん、こんばんは12月14日。※でした!1503年、ノストラダムスが生まれた今日。そこから200年ほど後の話。赤穂浪士の吉良邸討ち入り、「忠臣蔵の日」ですね。東京の泉岳寺と、播州赤穂の大石神社、花岳寺では「義士祭」が行われ、"AKG(赤穂義士)47"の菩提が弔われています。*そもそも「忠臣蔵」とは?ですが、元禄15年12月14日、赤穂浪士47人が吉良邸に討ち入りをし主君の仇討ちを果たした…っていう史実を基に1748年に人形浄瑠璃として公演された『仮名手本忠
家族とうまくいっていなかった時にマヤ暦に出会い、学び、楽に生きられるようになりました。マヤ暦で夢を叶える私になる次元上昇開運メソッド提供中シンクロナビゲーターもんどうかおり◆はじめましての方は【こちら】◆そもそもマヤ暦って何なん?って方は【こちら】◆フラーレンの販売はじめました【manikahau】***岩屋寺へお参りしたならその記事→こちらより大石神社へも行ってみよう山道で大石神社までの参道が繋がっていますそ
忘年や忠臣蔵の大歌舞伎明弘12月といえば、忠臣蔵。たまたまいただいた歌舞伎座のチケットは「十二月大歌舞伎」の「俵屋玄蕃(たわらやげんば)の演目。槍の名手、俵屋玄蕃を中心とすり討ち入り前の話から当日の討ち入りの立ち回りの内容。雪中の立ち回りは美しかった。
赤穂義士の討入りは師走の15日でした。もう十日も経ってしまいましたが、赤穂事件•忠臣蔵に関わる本としてお勧めしたい本が二つあります。元禄十四年(1701)といえば、戦国乱世が治ってもう百年が過ぎていた。この先も、ずーっと泰平楽な世が続くだろうと、そんな時に珍奇な事件が起こった。山田風太郎は「…この一大名のアタマにきた行為は、はからずも日本武士道の一大叙事詩を作り出した。もしこの事件がなかったら、いわゆる徳川三百年はただのっぺらぼうの印象を残したろう」と書いている。事実
聖夜より討入忌(うちいりき)かな我が師走のぶ葉▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲今月の第一日曜日のランチに行ったら、ランチ会?で貸し切りだった、線路の向こうの隠れ家カフェにリベンジ!土曜日(23日)は我々だけてした。まあ時間早かったからね😀明太子パスタバラカツ丼さあてここで問題です。私は、明太子パスタとバラカツのどちらのランチにしたでせう?ちなみに、明太子パスタのランチは1000円、バラカツ丼のランチは1200円なり。メ