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起業家のミカタ、ライティングコンサルタントのシカタです。毎度どうも。言葉にならない思い、強い感情が湧き上がってきた時、無力感を覚える。この思い、この感覚を伝えるためのちょうどいい言葉がどこにも見つからない。見つからないのは私の力不足か?それとも言葉の限界なのか?うまく言い表せなくても、ちょうどいい言葉が見つからなくても、それでも私は書きたいと思う。それでも私は書き続けたいと思う。言葉にならない思いに、湧き上がった
こんにちは。離婚カウンセラーのKomaです。言葉には限界があります。日本という国では、等しく義務教育で1つの言語を習い「同じコトバ」を「同じ意味」で会話していると誰もが思っています。だからこそ「伝わるはず」と錯覚しがちです。ところがでうでしょうか。こんな実験があります。10人の大人が集まり同じ指示の元で、簡単なイラスト絵を描いたら。見事に10人は違う絵を描きます。シンプルな条件を指示しても受取る人のイメージが異なるので描こうとす
対話検索型人工知能のbingchat、本日も対話の結果を、順次掲示していきます。本日第1の話題は、「宇宙人の来襲」です。というわけで、明らかに迷信であっても、その人が家族を含めて誰にも迷惑をかけていないなら、そっとしておきなさいと言うのが、人工知能様のご託宣です。この人工知能は、個人の納得と満足という自由を、最優先としているようです。本日第2の話題は、「花か団子か」です。「暖かいところで楽して一生を終わりたい」、これに対してもこの人工知能様は、「努力しろ」とかそう言
外気はマイナス1度。廊下とトイレは5度。私の寝床はトイレの近く。上半身は5枚。下は2枚。いずれも冬用を着て眠る。敷布団に厚手毛布2枚と電気毛布とアンカ。起きてそのままトイレに行ける。起床後は、厚手靴下3枚。冬はこのようにしている。人であることの限界を知る。私のテーマ。人であることの限界。最大限界は、言葉を使うこと。言葉は概念である。ものや事柄から、共通の性質を見つけて、それに記号(言葉)を与える。抽象という作用。例えば、犬という言葉は、犬なるもの
初めましての方は、こちらをご覧ください。✨自己紹介または、⏬『連載プロフィール目次』連載プロフィール目次太字になっているのは、すでにアメブロ掲載済みのものです。1.体育会系文学少女だった☆☆☆2.自分を守れなかった☆☆☆3.好き…ameblo.jpコロナ禍で問題になったうちのひとつに、ふれあいの欠如があります。リモートが増えたために、人と実際に会って話すことが減ったためです。
私は理屈っぽい。典型的な左脳人間。天使(娘)は左脳が死んで、右脳だけで生きている。とても、幸せそう。何事も説明したいのが左脳の特徴。言葉はもともと、大事で大まかなことを伝える手段。危ない。逃げろ。集まれ。やっつけろ。など集団にとって重大事を示す。それが言葉の始まり。コミュニケーションや意思疎通。ものごとを客観的に説明する働きはない。なぜなら、言葉には感情が付きまとうのだ。プリントされた文字には感情はない。しかし、その言葉を使う個人個人は、多様な
こんにちは~今日もあなたに逢えて、ありがとう!どうしてるかしらと、考えていたところさて。17(日)はヒーリングの会でした。そこで話題になったことについて、今日はお話します。それが、「言葉の限界」です。具体的に云うと、スピ界でよく使われる表現「〇〇が見えた」というのは、厳密に「脳裡で見た」とは違うということです。同じように「〇〇が降りてきた」というのも、本当に「上から下へ何かが降りてきた」ではありません。言葉で表現すると、「見えた」「降り
どうも、何も考えてなさそうな女、しほです〜絡みづらい挨拶をするやつは気が遣えないと思うんだけど、逆に絡みづらい挨拶をすることで気が遣えないやつというセルフハンディキャップを自分に課して、相手にまともさという優位性を持たせるところまで考えているタイプの人は、尊敬しています。気を遣わせない、気遣いみたいな…そのさじ加減こそセンス。くどいね!昨日、寝る前に書いた文章を朝に読み返したらものすごく自分の考えてることと一緒でびっくりした〜〜🤭いや、そりゃ自分だけど。何書いたかとか忘れてるか
「あっ、消えた!」お相手は、しばし沈黙の後指先で胸から気道を上に撫で上げるようにしながら「問いを聞いたら、ふわ~っと何かが上がってきたのに言葉にしようとしたら、ここで消えてしまった」と、喉元に蓋をしながら仰ったのでしたまるで海から水を掬い上げるように全体から離れてしまった瞬間に、それは消えてしまう言語の限界を、こんなにもくっきりと見せてもらえるなんて澄みきったお相手の在り方に、手を合わせたくなりましたこの前の週末は文字通りマインドフルネス漬けの濃密な
『不思議な体験INDEX』上の写真は、アメリカ・カリフォルニアにあるシャスタ山です。僕が実際にシャスタ山に旅行して撮影した写真で、帰国後、確認すると、雲が龍の形になっている事に気が…ameblo.jp☆次の記事>『025シンクロニシティ(四神のフィギュア)』『僕の不思議な体験INDEX』上の写真は、アメリカ・カリフォルニアにあるシャスタ山です。僕が実際にシャスタ山に旅行して撮影した写真で、帰国後、確認する…ameblo.jp☆前の記事>『023基本的な考え方
こんにちは。神社昌弘です。本日、神凛チャンネル「第21回」を公開しました!おかげさまで20回を超えて、いまも楽しく続いています。見てくださっている皆様に感謝です。ありがとうございます。◆今回のテーマは…言葉の限界◆動画内容は…言葉にできないモノ感覚、感性、感受性相手に伝えるために…自分の存在で伝えるリアルなエネルギー交換を!いつも頑張り過ぎなあなたが、ホッと安らかな時間をもてますように♪
『不立文字』この言葉は、「真理は文字に表せない、概念規定できるものではない。普遍的な命題の形で立言しない、その命題にしたがって行動しない。」という意味の禅語(禅の教えや悟りの境地が短い語句に凝縮された言葉)だそうだ。これは、ブログなどを文字で書いている自分としてはある意味、残念な言葉だ。が、しかし、非常に納得する言葉だ。文字にした瞬間に、考えていたことと違う意味合いになっていたり、言葉足らずということを以前から感じていたこともあった。作曲をする人に、聞いてみたこともあったが、曲
相手を変えようとする前にもっと相手に興味を持ってみよう。相手が、言葉の上で何を言っているかよりも本当は何を感じていて何を伝えたいと想っているのかそこへ意識を向けて考えるのではなく感じるただそれだけのことで対人関係の問題は魔法のように溶解して新しい現実が姿を見せる。
「私ねお母さんが忙しくて大変そうだからお手伝いがしたいの」「お母さんが忙しくて大変だからお手伝いをしなくっちゃ、って思うんやね」「違うの。私がお母さんのお手伝いをしたいの」「そうなんだね。お母さんのお手伝いをしたいんだね」「うん、そう。私、お母さんのことが大好きだからお母さんのお手伝いをしたいの」私は今日、とても大切なことを友人から教わりました。現在、1
「寿命をまっとうするとは、どういうことか?」質問に回答してみた。寿命をまっとうする、とはどういう状態なのか説明できますか?に対するInoueToshihiroさんの回答-Quora人として生きることが、どういうことか、だいたい分かれば、人生を納得して終えられると思います。私は人生経験から、だいたい分かったという気分です。核心は、人として生きることの限界を知ったことです。言葉や概念を使って思考する限界です。そして、人類社会の未来についての危惧があります。人で
外はマイナス4度。禅の部屋は、1.2度、湿度62%。ひざ掛けだけでいい。すぐに、お腹と背があたたかくなる。ぬくもりが背骨をあがり、肩へとひろがる。とても気持ちいい。昨日は良いニュース。トランプさん、ついに敗北を認めたようだ。大統領の就任式には欠席という。たぶん、どこかで不正選挙糾弾の集会でも開くのだろう。先月から、戒厳令を出すのでないかと、私はいくらか心配した。これでほっとできる。人は悲しい生きもの。脳があり、概念・言葉を操作できる。概念とは、ある要
人はあわれな生きもの。自分が何者かも分からない。これは、釈迦もキリストも同じ。知性というのが、とくに頼りない。この世のものごと、事象、ありさまの全てが、分割できると思い込んでいる。分割して細部に至ることができると。あるいは、最小の単位があると、素粒子があると、信じている。そんなものはない。この世のことは全て、分割不能。すべてがつながっている。細部は存在しない。知性は単位を作りたがる。しかし、この世には単位がない。単位は人がつくった幻影。数も存在
人から言葉を奪えば、人と動物を比べて大きな差異がなくなる。意識も感情も、動物にある、人間にもある。言葉の起源や、言葉を使うことの限界。今、私が一番関心をもっていること。地域社会で暮らしていると、人は円熟するというのは、うそだと思う。年寄りは賢くない、人格が優れていることもない。若者と年寄りの違いは、元気がないという違いだけ。世間一般で常識になっていることに、うそがいっぱいある。一つは、死について。多くの人は、死は苦しいと思っていますが、私は73年の人生経験
「良いも悪いもないそう想う心があるだけ」【正観さん】「人を助けなきゃいけない、と思うのは、エゴ」【師匠】ふんふんと、今までわかったつもりだったが、わかってなかったってことがわかった。言葉でしか伝えられない。でも、言葉だけじゃ分からない。
何かを丁寧に伝えようとすれば、するほど埋まらない部分がでてきて「言葉には限界があるなぁ」と感じることがあります。だけど「言葉には限界がある」は、自分がつくりだしている世界。本当は、言葉の限界という一言では片づけられなくてそのスキマを埋める方法もいくつもある、ことも知っています。何かを感じたときにその反対の可能性も同時に感じてしまうと結局、何も言えなくなってしまう。だからすべてがピッタリでなくて未熟な部分があったとしても
今日は、叔父が死亡してから20日経ち、事務処理がほぼ片付いた!あとは、納骨だけだ。体はそんなに疲れていないはずなのに、気が抜けたのかグッタリしちゃって、私はソファで爆睡していた。今日私は、叔父の部屋で、通信機器の撤去作業を立ち会ったんだけど、家具も何もなくなった部屋で、彼が塗ってしまったダイニングの床のオレンジ色のペンキだけが叔父の痕跡を残すのみになっていた。下の会に住んでいる自治会長の方から、自治会費の返納をされて、少し叔父の話をした。物質的には、叔父の痕跡はなくなりつつあるけど、彼
言葉の限界200822知識で感動する以上のものを伝えられるのは詩歌だけかも知れないそれも五七五の俳句もどきの短い詩かもしれない英語の俳句ですら心が和む文字でなく声ならば一言一音で深い思いを共有できてしまうかもしれない「あ〜」でも「お〜」でも言霊とはそうしたものかも知れない
釈迦の考えには、同感することが多い。一つだけ、私と違う点がある。人の世は苦であるという認識。私は、人生は楽園で天国だと思う。我欲も認める。人は愚かだが、楽しむ能力がある。人の欲は生きるエネルギー。生命力、そのもの。他人を犠牲にしても、おのれだけ満足。愚かでかわいいではないか。私なら、利己主義も許す。私への執着、自我への執着。人であるかぎり、しかたない。人の思考力や考える力。私は、そんなに評価しない。言語を使う限界もある。人が考えることは、主に合理化
昨日のブログ。「私がいないのだから、死ぬことはありえない。」少し説明したい。人の意識は、どのように生まれるのか。受精後、胎内体験で記憶が積み重なっていく。感覚系、主に身体内部の感覚系の記憶が大きい。誕生後は、運動器官の記憶が増えていく。手足の動きと、目や耳などの感覚系との連携。記憶の質や量が飛躍的に増えていく。脳に蓄積した記憶量が、ある一定のレベルを超えると、意識が生まれるのだろう。言語認識、人は生まれながら能力をもっているようだ。音節を聞き分ける能力。視覚
『言葉の限界値』言葉には限界があって届かなくなる事はある。そして、行動とは裏腹であることもある。意識、無意識関係なく。どの言葉を見るかでも、聴くかでもなく誰から聴くのか、ってのは大事だそして、その誰かの言葉に信頼感が揺らぐならそれは既に歪な状態なんだろう。もちろん、言葉を紡ぐ相手への信頼もそうなんだけれど、自分へのそれも歪な状態だってことは、認知するそういうことに気付けると言葉の限界値を悟った上で伝えたいこと、確認したいこと冷静にやりとり出来るんだろう時として
73年生きて、私の考えの結論を書くと。この世には善も悪もないということです。勿論、人が社会生活を営むための便宜や方便として、役立つ道具としての善悪という基準はあります。正義も真理もあります。しかし、それらは一時的な間に合わせでしかありません。長い年月を耐えるような立派なものではありません。今の時代に有効というだけです。要するに普遍的なものではありません。たぶん、人が言語を使って考えることしかできない、という限界を示していると思います。そもそも言語が不完全な道
以前、このようなことを想ったことがありました。それを文字に起こすこともあれば、心の中でつぶやくこともあります。心に棘が刺さると引き抜きたいが、引き抜くと心が壊れてしまい、そのままだとチクチク痛む。どうしたらいいのかと悩んでいると、いつの間にか棘のチクチクは無くなっていて、刺さったままの棘を忘れながら、今日も人は日々を過ごしてる。この時、私に決定的な何かがあったわけではなかったのですが、ふいにこんな感覚が浮かんでは、にじんでいきました。短絡的
最近、今まで感じたことがないことを感じる機会が増えてる。いや、正確に言うなら、今まで意識してこなかった感覚にフォーカスをあてた、という感じか。別の表現をするなら、言葉で表現出来ていたことをずっと捉えていたけど、言葉で表現できないことを捉えることが多くなった、という感じ。今日の記事は、うまく言葉にできないことを言葉にしようとしているので、なにやら意味が分からないかもしれませんが、わたしにとっては大きな気付きなのでここ