ブログ記事15件
コトバって、いろいろな役割や側面がありますが、なにせ面白い存在です。たったひとつのコトバでも、それについて考えてたら、1時間でも、2時間でも、はたまた1日たってる、なんていうこともあります。つかめたようで、つかめてないようで、色があるようで色がないようで形も決まってるようでたぶん決まってないんです。でも、たぶん、すべてのひとにコトバを入れる器があるんですね。コトバ
わるいコトバもあるし、いいコトバもあるものです。ただしくいうなら、すべてのコトバの中にいい意味にとれるものやわるい意味にとれるものもある。ひとつのコトバに、です。どちらも、まざりあっている。かんたんに白と黒にわけられるものではないんです。たとえば嘘をついたとしてもたとえば正論をかたったとしても。だれかにとってそれは白でもほかのだれかにとってそれは黒かもしれない。
だいじょうぶ?と心配するのが迷惑なんじゃないかと思えたり。だいじょうぶ!と安心を届けるのが不謹慎なんじゃないかと感じたり。だいじょうぶ、にまつわる、クエスチョンもエクスクラメーションもどちらのそれもふくめて、出すのをためらって、出せないままで心や頭にとどめているというものも多いと思います。だいじょうぶを無理して出さなくていい。でも、だいじょうぶを遠慮して控えなくてもいい。
「ありがとう」は「ありがたい」から生まれたコトバともいわれていますね。世の中にはきっと「ありがたい」何かと「あたりまえ」の何かにわかれています。その2つがあって、どちらかそれぞれに「ありがとう」と感謝したり、「あたりまえ」とスルーしたり、しているものかもしれません。ただ、不思議なことに自分にとって「あたりまえ」が他のだれかにとって「ありがとう」に成り上がっていることもあります。
だれにでも簡単にできて、なおかつ確実に自分の愛情が伝わる、そんな言葉があります。むずかしくもなく、とっても短くて、他のだれでもないその人をたしかに想っていることをしっかりと伝えられる言葉。その言葉を僕たちは伝えてもらうこともあるし反対に伝えてもらうこともあります。その言葉を伝えたことがない人も伝えられたことがない人もだれ一人としていないんじゃないかと思うんです。その言葉ははじめましての人にも
予想どおりであれ、予想以下であれ、予想以上であれ、あなたは1年間を生きてすごしてくれました。そんなあなたが、がんばれた理由は、どんな「おかげ」でしょうか。「ありがとう」と伝えたいと思える相手を想像してみてください。ものでも、ひとでも、それ以外のものでもいい。そしてできれば、その「ありがとう」をほんとうにコトバにして、届けてあげてください。---------------------
毎月15日に「ジブンとの約束」を短いコトバにして宣言して見守ってもらおう、・・・っていう企画でございます。→→→→→→→→→一語の約束って?先月のあなた自身の「一語の約束」はどうでしたか?僕の7月15日までに叶える、僕のアメブロ「一語の約束」は「はじめましての方に読んでもらいたい3つの記事を選ぶ。」でございます。こちらの三つ、読んでもらえたら、うれしいです。●「愛されことばのレシピ」の想い●きもちよく伝えて両思いの
「だいじょうぶ?」って言われなかったら愛されてないのかっていうとそれはそれで極端。「だいじょうぶ?」を伝えない理由というか伝えない愛情もあるようです。連絡がないことが「だいじょうぶのしるし」というまなざし。もっと緊急性の高い連絡を優先してもらうためにっていうまなざし。「だいじょうぶ」だと信じている証。あるいは物理的に混戦してたり知らなかったりもあるかもしれない。
お詫びの言葉は、早い方がいい。できるだけまじめな文章でできるだけミスのない文章で言い訳とか理由だとかそういうのは含まない文章。前菜は、たぶん、いらない。お詫びをうけとる側はそのとき前菜を食べたくない気分、きっと。どんなにただしい前菜もどんなにうつくしい前菜も口に入れたくなかったりのどを通したくなかったりする。お詫びの言葉
「ごめんなさい」とコトバにできたら、ちょっと自由になるもの。「ごめんなさい」を固辞しているとその分だけ頑なになって、選べる答えが少なく狭く、なっていくような気がします。「ごめんなさい」を素直にコトバにできること。手紙であれ、メールであれ、それが残るものとしてコトバにできるのってものすごく勇気がいるし、ものすごく愛情を感じます。どちらが先かどちがの方がとか、あんまり関係なくて
毒って、体だとか心とかに悪影響をもたらす刺激というか養分というかそういうものとしてあるものです。植物にも毒をもってるのもいて、たとえばユーカリ。ユーカリの中には毒素が含まれているそうで本来は食べてはならないもの。だけど、コアラは食べますよね。コアラの主食なんじゃないかと思えるほど、コアラ=ユーカリです。だれもがおいしく味わえるものをおいしく味わえるのも素
うちのムスメはよく手紙を書きます。たぶん、ムスメの友達も手紙をよく書いてくれます。一過性かなと思っていましたが、文字が書けるようになって以来、ずっと、手紙を書いています。母の日や父の日、お誕生日とかクリスマスとかそういう特別な日だけでなく、たぶん気が向いたときに、手紙を書いて、プレゼントしてくれます。子ども向けのテレビ番組を見ていて、子どもたちが大人に贈るプレゼントの多くはお手紙、で
ごめんなさいといわれたときにそのごめんなさいにどんな意味が込められてるかどんな想いをくみ取るのかは自由に選べるものです。ごめんなさいの向こう側にアカンベーした姿を想像するのか。ごめんなさいの根っこに頭を垂れ続ける姿を想像するのか。ごめんなさいの節々に差し出された手のひらを想像するのか。ごめんなさいはごめんなさいでしかもちろんないのだけれどごめんなさいの
とあることで御礼のメールを送ると、「わたしのほうこそありがとう」と御礼をお返しされました。ひとつのありがとうは3つのありがとうに増殖すると思っています。感謝する相手へそして別の相手へそしてジブン自身へ。ありがとうにありがとうをおかえしする。どういたしましてこちらこそありがとう。「ありがとう」って言えるということはなにかしあわせなことを
ふぅっと、息をふきかけたらそのあとどこに飛んでいくのか見えたりしないのが、たんぽぽの綿毛。コトバって、どんな風に伝わるのかが気になるものです。ちゃんと伝わってるのか誤解されていないのか傷つけてやしないか喜んでくれているのかなど、綿毛になって、飛んでいったあとのコトバの行方や育ち方、なにが咲くか、などが気になっているような感じ。それはとっても責任感。そしてか
おなじ言葉をもらいながら、ちがう意味を、もらうことはよくあるものです。カルシウム不足を感じているときに、どんな食べ物で吸収するのか、みたいなときに。ジブンにとってのそのときのベストの食材ってあるとは思うんです。それが例えばあるメーカーのあるヨーグルトだとします。で、カルシウム不足を補いたいと思ってるときに、ちがうメーカーのヨーグルトがあったとして。ち