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週末にゴネる娘を連れて小児科へ行きました。わざわざ混む通りの小児科だが、お目当ては鼻水の吸引。耳鼻咽喉科では?と言われそうだが、今回はしつこいコロナの痰をなんとかしたく吸引カテーテルを使用して欲しかったので。めちゃくちゃ嫌がって泣きましたが(チアノーゼ出た)、その日の夜から咳が痰絡みから普通の咳になりました。数日毎にSpO2が短時間とはいえ80前半に落ちてアラームで起こされてたので、流石に痰が怖くなりまして。娘は「カテーテル嫌だ。カテーテルは嫌だ。」と聞くだけで全力拒否ですけど。吸引
こんにちは、ライフスタイリングコーチのLifeKoselig(ライフコーシェリ)senriです。心地よい空間×お気に入りの時間で自分が整う世界を開くためのヒント、そして日々の暮らしや雑談をお届けしています。昨日は念願だった家族でお好み焼きを食べに行く!を実現させました。いつも子どもに拒否されるか、はたまた行く時間が遅くなってもうCLOSEDだったり…したので、三度目の正直でした。生まれも育ちも関西のわが子ですが、たこ焼きやお好み焼きが得意でないのです。
物質に拘らない人は、憂鬱になる癖を持たない。憂鬱は、一種の病氣だとも云えます。そして、その憂鬱は、私たちの精神や肉体に決して良い結果は及ぼさない・・・。分かり切ったことですよね。憂鬱というのは、嫌な氣分です。心が弾まず、やる氣が萎え、人間を暗い氣分に陥らせてしまう・・・。人生にとって、一番厄介な精神状態だとも云えます。しかし、その憂鬱という病氣に罹るのは、私たちが物質や物事に拘るからだと、云うんですね。世の中の物質に、拘る・・・。つまり、物事への執着心が、私
一番苦しいと思う時、あなたは目的達成の寸前にいる。「夜明け前が一番暗い・・・」とは、よく云われる言葉です。何かを目指した道を歩く中で、その道のゴール、即ち「成功の一寸手前・・・」が一番苦しく、先が見えないほどの困難にぶつかり、危うく方向を見失いそうになるほど自分が、混乱させられるということですよね。事実、私たちが、何かに向かって歩んで行く中では、多くの艱難が「これでもか・・・、これでもか・・・!」と行く手に塞がり、私たちの氣持ちを萎えさせ、「もう諦めろ・・・、もう諦め
英雄は、普通の人より勇氣があるのではなくて、ただ5分ほど勇氣が長続きするだけのことである。エマソンの言葉です。世の中に「英雄」と呼ばれ、認められる人たちの人間的素質の第一に「勇氣という要素・・・」が称えられるでしょうが、その英雄たちの勇氣と、私たち凡人が持ち合わせている勇氣に「大差はないのだ・・・!」と云ってくれています。ただ、その英雄と呼ばれる人たちが、じゃあ何故英雄に成り得たかというと、それは、私たち凡人よりもほんの僅かだけ、勇氣が長く続いただけなのだと・・・。つ
自分では前を向いているつもりでも、実際はバックミラーを見ている。マクルーハンの言葉です。実に面白い言葉の表現ですが、極めて真実を突いていると思いませんか・・・?私たちの心の実相を、鋭く見抜いた言葉だと云えます。この言葉については、私があれこれ能書きを垂れるよりも、皆さんが各々じっくり味わって頂くのが一番いいと思います。自分を「車」に置き換え、「人生」を道路として、その運転席に座っていることをイメージして、この言葉を味わえば、深く悟れるものが見えて来ます。どうでしょう
人は、自分一人の力では出世できないことを認識すべきである。上から引き上げてくれる人と、下から押し上げてくれる人がいてこそ、チャンスは巡って来るのだ。「そうだよなあ・・・・・」と、改めて肯(うなず)かされる言葉です。確かにその通りなのに、私たちは、案外この事実を疎かにしたり、忘れてしまっているのではないでしょうか・・・?私たちが、自分の人生において上達(=成功)していくには、決して自分一人の力だけでそれが叶うわけではありません。必ず自分の周りに、自分を理解し引き上げてくれる
人間の最も偉大な力とは、その人の一番の弱点を克服したところから生まれるものである。私たちが発揮する一番の偉大な力とは、「自分の一番の『弱点・・・』を克服することで、生まれる・・・!」とは、耳の痛い言葉ですね。なかなか考えさせられる言葉だと云えます。それに、非常に示唆に富んだ言葉でもありますね。自分の「弱点」を克服する・・・。そういう考え方をすることそのものが、ユニークですよね。私たちは、「自分の『弱点』というものを、理解しているか・・・?!」と問われると、そもそ
どうでもいいことに対しては、自分から謝ること。意地になるのは、小人のすることだ。笑って自分の誤りを認め、すべてを水に流して出直すのが、大人物である。私たちは、自分の価値観や小さな拘りを譲れないばっかりに、「後から考えればどうでもいいような小さなこと・・・」に意地になり、結果、敵をつくったり、世間を狭くしてしまっていることって案外多いのではないでしょうか・・・?!自分の人生に重大な影響を与えるような大きな問題ならともかく、何でもない些細なことに拘り、意地になってしまっているこ
人を批判する前に、先ず褒める材料を探そう。何とも、訓えられる言葉ですね・・・。私たちは、自分以外の人を観る時、よく先ずその欠点を探し、それを批判することから始めてしまう嫌いがあります。それは、自分が常に自分の価値観、つまりは自分のものさしでその人を観て、そのものさしに合致しない部分を見つけ、そこに自分の眼を注ぎ過ぎることから生まれる弊害ですね。そして、それは私たち人間が、自分の中に「異」を容れたくないと想う本能的性格かも知れません。しかし、そんな姿勢では、人を喜んで受け
健全な「自惚れ」が、自分の力を100%発揮させる。面白い言葉だと思いませんか・・・?元来、「自惚れ」と云うのは、褒め言葉としてはあまり使われないですね・・・。どちらかと云うと、人間の欠点として云われることの方が多い言葉です。しかし、その「自惚れ」でも「健全なものもある・・・!」と云うんですね。そして、その「健全な自惚れ」は、私たちの持っている「力を100%発揮させてくれる・・・!」と云うのであれば、私たちは、人生を成功させ充実したものとする上で「自惚れる必要も
才能乏しければ、自分を生かすことが出来ない。才能に愛が加わらなければ、人を生かすことが出来ない。何となく、新鮮な感じのする言葉ですね。世の中にあって、自分という人間をそれなりに生かして生きるには、自分の中に「才能」というものが「少なからず必要だ・・・!」という言葉は、私たちに自分を生かして生きる時に、自分には「何が必要か・・・?」「どうすればいいか・・・?」を考えさせててくれます。確かにそうですね・・・。自分にその才能がなければ、何の道であろうが、事はそう上手くは運
人間は、誰でも先ず自分の為に生きるのである。他人のためではない。それが自然な姿である。人間、誰だって一番大事なのは自分です。だから、私たちは先ず自分の為に生きていると考えて間違いない・・・。それが、「人間の自然な姿なんだ・・・!」と云っています。ところが、この自然な姿を、私たちは表に見せないで、どこかに隠して生きようとしている嫌いがあります。「自分のために生きている・・・!」という感情を表に出すことは、どこか利己的なようで他人から蔑んだ眼で見られるような警戒感が働いて、
呑舟の魚は枝流に遊(およ)がず。鴻鵠(こうこく)は高く飛んで、汚池(おち)に集(とど)まらず。列子の中にある言葉だそうですが、鴻鵠というのは「おおとり」という意味で、汚池とは「水溜り」の意だそうです。直訳すれば、「舟を呑むほどの魚は、細い流れの枝川では遊がないし、大鳥は、水溜りのような小さな池に、いつまでも集まっては居ない・・・!」とでも云えば善いのでしょうか・・・⁈何とも、ダイナミックな言葉だし、如何にも大陸(=中国)的で、好きな言葉です・・・。如何な中華の大陸でも
成功するまでやれば、必ず成功する。失敗とは、成功する前に止めることである。「経営の神様・・・」と云われた松下幸之助氏の言葉だそうです・・・。云われてみれば、その通り・・・。至極当たり前のことです。でも、私たちはこの当たり前のことをなかなか実行できないんですよね。「よーし・・・、やるぞ・・・・・!!」と意氣込んで始めたにも関わらず、進んでいくうちに、なかなか見えない結果に、つい自分の進行方向や目標に疑問や不安を覚えるようになる・・・。そして、終いには「自分の目指す
誰でも思い違いをして生きている。「自分だけは間違いない」という思い違いをして・・・・・。何とも、訓えられる言葉ですよね・・・。自分では氣付かないですが、確かに、私たちはいつも「自分は間違っていない・・・・・」という思い込みの元に、人にものを云い、行動をとっています。自分の価値観が、最良なんだと思って・・・。そして、私たちは、自分の考えや行動と違った考えや行動をする人を批判したり、時には否定したりすることで、自分の立場や地位を守ろうとします。世の中の人が、みんな多か
徳に常師なく、善を主とするを師とする。書経の中の言葉だそうです・・・。私たちが、人生を人間らしく穏やかに行き抜くために必要なのが「徳」という素養ですね。「徳」とは、自分以外の人にいい意味で「あの人は・・・・・」と云う「感心、感動・・・」を与えるような人間性を云うのでしょうが、それは、その人が持って生まれた人間性もありますが、人生を生きる上で身につけていくものでもあります。その「徳」を身につけるのに、「常師」、つまり「それを教わるような先生はいないのだ・・・!」と云っ
口舌の徒になるな。それが「利口バカ」に付ける薬である。「口舌の徒」とは、口先ばかり達者で、その割には実行力の優れていない者のことですが、他人のことは云えないのです。今の自分が、そんな「利口バカ」になっているような・・・⁈自分の知っていることや経験をやたらとひけらかし、喋りたがる人・・・。何か、自分だけが頭が良くて、周りの人が「モノを知らない愚かな人たちだ・・・!」と思い込んでいる人も、多いです。確かに、頭はいいのでしょう・・・。ただ、そういう人って、単に頭がいい
大地が人間に属しているのではない。人間が大地に属していることを知れ。インディアンの言葉だということですが、私たち人間の傲慢さに対する戒めの言葉として、噛みしめなければならない言葉ではないでしょうか・・・・・?云われる通り、私たち人間もこの地球という美しい星の上に生きる一生物であり、そういう意味においては、この大自然を構成する他の動物や植物のすべてと、何ら変わる存在ではありませんよね・・・。しかし、現代に至って、私たち人間だけが唯一この大自然の破壊者となってしまっています。すべ
夢を実現させるには、好奇心、自信、勇氣、そして持続性の四つが必要である。その中でも、最も重要なことは自信である。私たちが、自分の夢を実現させるために必要なものが四つあるという訳です。それが、好奇心と自信と勇氣と持続性・・・・・。好奇心というのは、私たちが世の中の何事かに興味を持つということ・・・・・。この興味が探究心になり、その物事を深く突き詰めていこうという氣が起こり、私たちを一つの事に集中させてくれます。この集中が、物事を実現させる力になる訳ですから、好奇心が重要な
真っ直ぐでなくていいんだョ。回り道に味がでる。小生が、昨夜宿を取った兵庫県新温泉町湯村温泉の「旅館・朝野家・・・」の夕食膳に添えられていた一言画だが、この画は、この宿の主(=社長)の筆に由る・・・。氏(=朝野社長)とは、小生がまだ23歳の頃に、2週間の船上海外(=主に台湾)で縁を得てからの付き合い(=途中、空白の25年が在るが・・・汗)であるのだが、氏に、こんな絵心が有ったことは、最近になって識った次第・・・。毎月、文と画柄を変えて、訪れるお客さんの心を届けているの
ツキをもたらす5つの条件一、やりたいこと、愉しいことをやる。一、自信のあることは、やってもいい。一、自分だけでなく、世の中のためになることならやる。一、責任が取れることならやる。一、恨まれることはしない。船井幸雄さんの著書の中にあった言葉です。船井さんの著書は非常に多いですから、読んだ方も多いと思いますが、私たちが、自分の人生にいわゆる「ツキ」を呼び込み、心愉しく生きるために心掛けるべき要点を、端的に表した分かりやすい言葉ですね。
誰でも、知っていることしか知らない。だから、威張ることはない。だから、学ぶことも止められない。自分を謙虚にしてくれる言葉ですよね・・・。確かに、私たちは今自分が持っているだけの知識しか持っていません。しかし、世の中には、私たちが今持っている知識を遥かに超える膨大な情報や真実あるのであって、私たちが現在持っている知識なんて、その量に比べればほんの微々たるものでしかありません。その微々たる量の知識しか持たない自分が、ちょっと人よりものを識ったり齧(かじ)ったからといって、「訳
一生の務、今日のこと。戦国武将、上杉謙信の言葉だと伝えられています。もう過ぎ去ってしまった「過去」や、明日の先の「未来」に捉われるな・・・!!今日というこの一日に「集中しろ・・・!!」ということですね。それが、自分の一生の中で一番重要な務めだと・・・。私たちが、生きる上での真理を衝いた、いい言葉ですよね・・・。ところが、私たちにはこれがなかなか出来ない・・・。つい終わってしまった過去の出来事をいつまでも引きずり、「あの時、ああしておけば善かった・・・」とか「あの人の
事業の進歩発展に最も害を為すものは、青年の過失ではなく、老人の跋扈(ばっこ)である。住友中興の祖と呼ばれる伊庭貞剛の残した言葉です。伊庭貞剛という人は、1847(弘化4)年の生まれと云いますから、ちょうど江戸時代末期から維新の動乱期に多感な青年時代を過した人だと云えますが、若い時は裁判官をしていて、後に住友の経営に携わり、別子銅山での労使問題や環境再生に力を尽くし、後に住友の第二代総理事として、住友の経営に功績のあった人です。その伊庭が、56歳で経営のトップを退くにあたり残したの
欠点を克服することは非常に難しい。むしろ、欠点を自分の一部として、それを愛し、慈しむことで、自分の長所を伸ばすことを考えよ。とても深くて、教示に富む言葉ですね。確かに、私たちが自分の欠点を克服し、それを矯正するには非常な決意とエネルギーを要します。何故なら、私たちには、生まれ持った性格や癖は、そう簡単には直せませんから・・・。残念ながら、その性格や癖は、既に私たち自身の一部として現れているのであって、元来、「自分と別物ではない・・・」んですよね。それを、自分という人
人を馬鹿にするのは、自分が愚かであることを意味している。実に、耳の痛い言葉です・・・。私たち人間は、誰もが自分が一番可愛いのは当然のことなのですが、それ故犯す愚があります。それが、人が自分より馬鹿に見えたり感じられたりすること・・・。自分の考え方や価値観こそベストであり、その考え方や価値観を受け入れない人を「馬鹿じゃないの・・・⁈」という眼で見てしまう・・・。私たちは、そういう愚かな考え方をしてしまうことが、実に良くありますよね。しかし、良く考えてみれば、これは同時
自分の人生は、自分で決めないと後悔する。極めて当たり前のことで、今さら改めて云うようなことでもありません。しかし、私たちは、この極めて当たり前のことを案外実践できていないのでは・・・⁈自分の人生を他人に決められたり、人に影響されたり、はたまた人に振り回されたりして、自分自身でしっかり主導権を持った生き方になっていない人が、案外多いような気がします。そういう人の人生というのは、常に愚痴と後悔の連続になります。自分の不幸、不遇が、何でも「他人の所為・・・」になり、「自分は
悟りなば坊主になるな魚喰え地獄に行って鬼に負けるな一昨日に続いて一休禅師の歌ですが、これもまた、如何にも一休和尚らしい頓智と皮肉の利いた歌ですよね・・・。どの宗教にしろ、その教義にはたくさんの「戒律」が並べられているものですが、仏教の戒律の主なものに「不殺生」があり、仏の使いである僧侶は、生き物の肉を食することを堅く禁じられていると聞きます。それは、現代でも同じで、葬式や法事の際の料理などには生き物を食材とした料理は慎まれ、いわゆる「精進料理」と呼ばれる野菜類を主とした料理
強さ、長さ、広さ、深さ。人生に欠くことの出来ない四大条件。中村天風翁の言葉ですが、私たちが人生を生きる上で「持ち合わせているべき資質・・・」を、非常に端的に云い現した言葉ですね。この言葉を味わうとき考えてみればいいのは、この四つの言葉の反対語を想い描き、自分は、「人間として、どっちが善いか・・・?」を考えると善いのではないかと思います。先ず、「強さ」の反対語は「弱さ」・・・。自分は、「強さ」と「弱さ」のどっちを持ちたいと想うか・・・?ほとんどの人は、迷わず「強さ」