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おはニャンjunでふリバーシブルのスカートを赤に換え、次にやって来たのゎ『大覚寺全珠院』(だいかくじぜんしゅいん)開創850年の曹洞宗のお寺ですぅ。ここに来るのゎ、8年ぶり。→8年前の記事境内に鐘堂があったよといっても、下に敷き詰められている硬貨でわかる通りミニチュアサイズ。でも、鳴らしてみると、思った以上に低く荘厳な音が響きわたってビックリ!手水舎にて六地蔵尊の前で
…何と云うか?銀閣内部銀閣寺は、文明14年に足利義政が、東山浄土寺・跡で造営を始めた山荘・東山殿を始まりとする。が、大乱後の財政難で工事は遅れがちで、ようやく観音殿(銀閣)の上棟を迎えたものの、完成を前に義政が世を去ると、遺命により禅寺となり、義政の法号から「慈照寺」と名付けられた。東求堂創建時の建物で残るのは「観音殿と東求堂(いずれも国宝)」で、2層の楼閣である観音殿は1層が和様の住宅・2層は禅宗様仏堂、東求堂も持仏堂ながら住宅の
10月16日(月)友人の車で京都までGo~北白川でランチ手打ち蕎麦みな川目的の一つ、「銀閣寺秋季特別公開」・国宝東求堂・本堂・弄清亭10月1日~12月3日迄秋の特別公開行事|銀閣寺|臨済宗相国寺派正式名称を東山慈照寺といい、相国寺の塔頭寺院の一つ。名の由来は金閣寺に対し、銀閣寺と称せられることとなったといわれています。本山である相国寺・金閣寺・銀閣寺で行われる行事、坐禅会・研修会の予定をご紹介いたします。www.shokoku-ji.jp
こんばんはー♪♪v(⌒o⌒)v♪♪法然院を後にし、800m程北に向かって歩いて慈照寺にやってきました。総門から境内に入ります。総門慈照寺は足利義政が山荘として造営し、義政が亡くなった1490年に禅寺に改められました。観音殿が銀閣と言われていることから銀閣寺として知られており、「古都京都文化財」の一つとして世界遺産にも登録されています。ここから少し入ったところで拝観料を払い、中門をくぐります。中門ここからは順路の案内板に従って歩きました。庫裡の
…に倣って「東山殿(銀閣寺)」を造立した将軍は?室町幕府8代将軍「足利義政」である。義政の執政期には、彼自身の後継者問題に端を発して応仁・文明の乱が勃発するなど、室町幕府体制は大きく揺らいでいった。一方、義政は芸術・文化に造詣が深く、その功績は大きい。晩年の義政は東山の山麓に自らの山荘としての東山殿を建てた。これは義政の死後、禅宗寺院に改められ、慈照寺(銀閣寺)となった。観音殿(銀閣)東求堂同寺には、義政時代の建物として観
雪の金閣寺も綺麗でしたが、銀閣寺もなかなか素敵ですよ国宝観音殿の周りも雪が覆う寒い境内でしたこの美しい雪の模様銀砂灘の上に積もった雪です雪の向月台すっぽりと雪の衣装を被ってますね~雪の銀閣寺は、侘び寂びの美しさが一層引き立つモノトーンの世界…京都の雪景色、寒いながらも美しい、冬の京都をご覧くださいね
昨日の銀閣寺の続きです国宝観音殿が、秋の彩に埋もれてしまいそうな光景です月待山の高台から境内がそして京都市内まで一望できます銀沙灘を美しく修復されている行程最初はこんな感じの土の台座から美しい波模様の銀沙灘になるんですねー秋の銀閣寺はおすすめです是非、見に来てくださいね
…文明15年に完成した常御所(ツネノゴショ)である。その後、・西指庵(セイシアン)・超然亭(チョウネンテイ)・浴室・東求堂・会所・泉殿(イズミドノ)などが創建され、長享3年に【68】観音殿が建てられた。義政は翌年に没したから、存命中最後に完成した建物が観音殿と云う事になる。「銀閣」と呼ばれるのはこの観音殿(カンノンデン)の事である。近年の科学調査により、銀箔は貼られなかった事が判明している。
南禅寺から銀閣寺へ団体さんと重なって、いいのがなくてネットからお借りしました銀閣慈照寺銀閣慈照寺(銀閣寺)観音殿観音殿屋根の上の鳳凰向月台向月台美しい造形富士山の様銀沙羅お庭の苔が美しかった展望所から銀閣寺を臨むズームで・・・銀閣寺境内山から降りてきたときは、夕暮れ近くになってました
またしても、、銀閣寺に面白い松の形を見つけ、、構図遊びをしてしまったょ逆光好きのワタクシとしては、、面白い木の組み合わせだが、、順光は面白くない逆光だと、、狙ったものが強調されるから好きなのよ観音殿を撮ったふりして、、メインは木だからね手入れの行き届いた松は、、形が良いいや、、もちろん松以外も手入れが行き届いていると言うこと
吉田山を半周して辿り着いた銀閣寺、、まずは、、ほとんどの方が写す場所で撮ってみたょ銀閣寺橋からは少し上り坂もっとフラットな場所にあると思っていたが、、人の記憶っていい加減だったね銀閣寺の全体図、、ワタクシたちが行かれるのは、、切り取った部分だよ誰もが写す定番位置の観音殿、、太陽光が写真撮影には向かない時間帯だったもちろん、、向月台も定番位置
今回久しぶりに観光主目的の京都の休日。いくつかの世界文化遺産を精力的に回るつもりだったので、暑くてもいいからなんとか晴れてくれと願っていた。曇りのち昼頃から雨、そんな予報だったが、朝食を終え、部屋から外を眺めるとすでにまぁまぁの雨降りにテンションダウン。ビニール傘片手に最初の目的地『銀閣寺』へはタクシーを利用した。「総門」への参道そして「銀閣寺垣」、写真の出来のいい悪いは別にして、雨にしっとりと濡れ、開門直後の時間ということもあり、そこには私だけ、なかなかの風情。片手に傘をさしながらの撮影だっ
もうねー朝からずーーっと、、、陳情令昨日、久しぶりに「シャオ・ジャン」のすね毛見たくて(笑)1年後の「乱葬崗」から「16年後」まで見ちゃったから今日はねー「義城」にするか「観音殿」にするか迷って…(笑)結局「義城編」「束の間の安息」から延々と…「清心音…」までやっぱりこの表情が好き!でも最初はここしか開いてなかったのに興味津々のお子ちゃまたちだけに…どんどん穴が増えてくのがここまでボロボロにしちゃアカンよねー(笑)
吉田神社から哲学の道を歩いて銀閣寺へ。何年振りだろう…景色は変わらず美しいですね御朱印を拝受しました。観音殿(銀閣)には観音菩薩が祀られています。銀閣寺の俗称のとおり、慈照寺の象徴というべきものがこの観音殿(銀閣・国宝)です。義政公は自らの宗教観を託し、一層を心空殿(シンクウデン)、二層を潮音閣(チョウオンカク)と命名しました。鹿苑寺(ロクオンジ)の舎利殿(シャリデン)(金閣)、西芳寺(サイホウジ)の瑠璃殿(ルリデン)を踏襲、唯一現存する室町
…8代将軍・義政が造営したのは?室町幕府8代将軍・足利義政が造った建物は、「銀閣」の通称で呼ばれている。洛東の如意ヶ嶽の西麓(浄土寺の墓地)に「東山殿」を造営し、そこに居住した。これに因んで、義政の時代を主とする室町中期の文化を「東山文化」と呼んでいる。東山殿は義政の死後に禅宗寺院・慈照寺に改められた。「銀閣」は義政時代から残る建造物で、正式には「観音殿」と呼ばれる。その他、当寺には義政の持仏堂としていた東求堂が残り、銀閣と共に
金閣寺の次は、銀閣寺に向かいました。向月台銀閣(観音殿)銀閣(近影)いただいた御朱印はこちらです。銀閣寺は、落ち着いた和の雰囲気がありました。砂の庭園も素晴らしかったです。この後、哲学の道を散策しました。
みんなの回答を見るホントに今夜も今朝の「陳情令」見たんですよねー久しぶりにどうしても見たい場面があるから…(笑)1年前は「座学羨羨」だったようですけどねー(写真見てるだけで可愛くって堪らんわー何の悩みもなかった頃だし)明後日で終わってしまうから今朝のは「観音殿」での話「暴かれた呪い」これの最初の10分程度だけでいいんですけどねー私は(笑)魏嬰と江澄のわだかまりが溶ける回だから…そこだけが…好きなんですよね最初はまた江澄の言いたい放題が始ま
オミクロンが猛威を振るっている。京都に向かった。YouTubeに登録した。https://youtu.be/udhP3uCHmaY東山文化の象徴だという、銀閣寺に向かった。8代将軍義政が隠居して建てた。蓄財家で有名な日野富子は、義政の正室だ。観音殿が観える有名なアングルだ。縁台の踏み石に座り、時間を掛けて眺めていた。国宝の建物を池越しに観ている。いろんな感想を浮かんでは消える。ただ観ていた。観音殿の軒下から庭園を眺めた。わたしは、
先日の銀閣寺です。人が少なくて貸し切り状態でした東側の小高い山手からは冬の京都の街が一望できます国宝銀閣寺観音殿正式には慈照寺といい、室町幕府8代将軍の足利義政が建立しました金閣寺とは対照的に侘び寂びの美しさ義政が愛した簡素ながらも高貴な雰囲気漂う世界観を堪能できます。どこかしら控えめな華やかさ、隅々まで手入れの行き届いた美しい庭落ち着いた中にも気品が漂う上品な佇まい京都の冬は底冷えがすると言います朝夕、身を切る様な冷たい空気が寒いながらも心と体を清めるように
今朝は銀閣寺をご案内しましたとても寒い大晦日の京都金閣寺に続き、銀閣寺へヤッパリ雪が…猛吹雪国宝観音殿の周りも雪が舞う寒い境内です観音殿前での記念写真も寒そうですよねぇ~東側の小高い山手からは、白く雪に覆われた境内と、京都市内が一望できます。京都の街も、すっかり雪色です日本最古の書院造り国宝指定の東求堂の周りも、雪・雪・雪…京都の冬の雪景色は、いつもとまるで違う姿を見ることが出来ます寒いながらも美しい、冬の京都をご覧くださいね
銀閣寺へご案内いたしました。秋の銀閣寺をご覧くださいね月待山の高台から境内が一望できます。紅葉に覆われる観音殿、絵になるでしょう秋の庭園は木々が色づき国宝と秋景色とも云える自然が織りなす華やかさ紅く彩りを添えた国宝の観音殿の気品は、いつもながら侘び寂びを感じる佇まい、高貴な雰囲気が漂います。火灯窓からのぞく銀沙灘ここは皆様が写真を撮られるフォトジェニックな撮影スポットです銀砂灘の周りも華やかに色づいてきましたね展望台から眺める境内の秋景色は圧巻ぜひ一度は、銀閣寺の
昨日の話ですけどねー(遅いっ!)タイトルに華麗なる弁舌とあるだけあってほぼほぼ金光瑶の独り舞台に近かったかも?勿論、魏嬰も話してたけどね(言わんでええ事まで)やはりこの回は役者がそろったというべきか金陵も仙子の様子がおかしくて来たんだろうし懐桑もわざと蘇渉に遭遇したんだろうしホントは最後の切り札にしたかった江澄まで来ちゃって…色々と悪事がバレる回でもあるし…金光瑶も蘇渉も昼間に2人だけで偵察に行って(境内でもキョロキョロしてるの魏
苦手なんですよ…。OP映像でもう、「この人悪い人だ」っていう微笑み浮かべてるじゃないですか(笑)表面上はニコニコしてて、裏でひどいことしてるタイプの典型というか何というか…。最初の頃…。「湖の怪」より前だから、本当に初期の頃。「何でこの人わざわざ名前のクレジット出るんだろう?脇役なのに(笑)」って思ってました。ところがところが…。とんでもない野郎だったでも…。観音殿で、藍湛、魏嬰、曦臣、そして江澄ら相手に、っていう台詞だけは、「そうだよね…」と同意します。金光
2022.10.22改訂物語も最終コーナー。三話連続ず~っと「観音殿」画像引用元:©ShenzhenTencentComputerSystemsCo.,Ltd.いろいろな想い出話に花が咲く場所、とか。まあ、切り取りますけどね(ΦωΦ)フフフ…細切れに。…あっちに行ったり、こっちに来たり…。何の計画性もない行き当たりばったり!その日の気分で語りますある意味、トラブルメーカー・金凌。魏嬰じゃないけど…。「何でここにいる?」…のか。君のお
公式で今日発表とは聞いてましたけどねー昼間のニュースでもやってましたけどね~パンダの赤ちゃん、名前は楓浜(ふうひん)に…主婦「響きがかわいい」(読売新聞オンライン)-Yahoo!ニュース名前が決まった赤ちゃんパンダ(18日午前11時17分、和歌山県白浜町で)=枡田直也撮影-Yahoo!ニュース(読売新聞オンライン)news.yahoo.co.jpそう言えば、彩ちゃんの時も大きな紙に書かれてましたっけ光浜、咲浜、楓浜の中から投票で決まったようですけどね(
銀閣寺へご案内いたしました。人が少なくて、もう貸切状態正式には慈照寺といい、室町幕府8代将軍の足利義政が建立しました。金閣寺とは対照的に侘び寂びの美しさ義政が愛した簡素ながらも高貴な雰囲気漂う世界観を堪能できます。火灯窓から銀沙灘はフォトジェニックな撮影スポットです国宝指定の東求堂は極めて貴重な建築物義政の持仏堂兼書斎、その気品ある姿に義政の美学が垣間見えるようです銀閣寺は、どこかしら控えめな華やかさ隅々まで手入れの行き届いた美しい庭落ち着いた中にも気品が漂う上品
前回からの続きです(令和2年6月20日のことです)突き当たりのとこを右へ行くと、この光景が目に飛び込んできます右手には観音殿(銀閣・国宝)そして池(錦鏡池)が広がっています銀閣寺の庭園は特別史跡で特別名勝この最強な組み合わせって、実は庭園の多い京都市内でもメチャクチャ少ないんです他は金閣寺と醍醐寺・三宝院だけちなみに特別名勝に指定されてるとこもそんな多くないです京都で特別名勝に指定されてるのは天龍寺大仙院・書院大徳寺・方丈龍安寺・方丈西本願寺・大書院金地院法金剛院
今日の放送分は既にダビング済です!!しかも最後の2話はオンタイムで見ることが出来て(いつもの「清心音の謎」と「重なり合う心」)大きなTVで見るとやっぱり違いますねー!!またしても泣いちゃって…ティッシュが…今日放送の4話の中で、コレとコレのある回ですけどねー(魏嬰ってその時々で可愛いんだなー)ついでに、今日は18日観音様の日なんでちょっと気になった事を…ホントに初めて見た時から何か違和感があって…しょっちゅうお寺に行って
お正月の銀閣寺へご案内しますと境内は、薄っすらと雪が積もっていました。東側の小高い山手からは、白く雪に覆われた境内と、京都市内が一望できます。京都の街も、すっかり雪色でした国宝銀閣寺観音殿です。砂盛りで作られている銀沙灘と向月台雪の銀沙灘、白い波が寄せてくる冬の波打ち際のようでした室町幕府8代将軍の足利義政が建立しました。義政が愛した簡素ながらも侘び寂びの美しさ高貴な雰囲気が漂う世界観を堪能できます。京都の冬の雪景色は、いつもとまるで違う、その姿を見ることが出来ます
もうね、毎日何話も続けて見てるから少しでも関係ありそうな言葉に弱い!(笑)ご利益ありそう?絶景パワースポット!崖観音に行ってきました!@館山|TRILL【トリル】こんにちは!!じゅあんじゅあんです。今回は、電車息子と共に、千葉県は館山市...trilltrill.jp写真が一杯あるから行かなくても詠むだけでそこそこ分かるのも嬉しい(笑)元々、母が西国三十三ヵ所巡りしてましたから(御朱印は私も手伝ったりして…)観音様にも多少は知識もあると思ってた