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百済の学問僧観勒前回のブログで観勒の名は出てきましたが百済の僧【観勒】について、観勒は実在していた人物ですが、生没不明になっています。観勒はやがて日本の陰陽道の祖と成ります。観勒は三論宗の法匠でもあり、成実宗にも通じていました。観勒は倭国の朝廷に仏教や様々な学問等を献上いたしました。その中で、占星術【インド占星術】も伝えていいます。インド占星術はインドのジャイナ教【藦登伽経】まとうがきょう(スールヤパンナッティ)の経典の中に記されています。天文占い要素では27.28星宿】ナクシャトラで
4-4飛鳥文化(6世紀末~7世紀前半、推古朝前後)最初の仏教文化。6世紀に朝鮮半島を経由して日本に伝えられた仏教は、古墳にかわって豪族たちの権威を示すものととらえられ、朝廷に保護されるようになった。➊氏寺(うじでら)の建立(こんりゅう)豪族たちが競って氏寺を建立した。蘇我氏の氏寺飛鳥寺(あすかでら)(法興寺(ほうこうじ))、厩戸王(聖徳太子)の発願(ほつがん)による斑鳩寺(いかるがでら)(法隆寺(ほうりゅうじ)、「斑鳩寺」は「斑」の字に注意)など。➋仏像彫刻仏師(