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さて、親鸞会に入会したはいいものの(?)ぼくはいろんな点において会内で違和感を覚えるのでした。独特の不自然さ。たとえば、新入生勧誘(巷では新歓、と書くのが普通ですが親鸞会内では新「勧」という字を使いました)のときの導入的ご法話(といっても、新入生にはご法話とは言いません。東洋哲学を学ぶ会、などのダミーサークル名を使って勉強講座として知的好奇心を煽るような形で成されていました)で、講師の方(院生と名乗った専任講師)が大して面白くもないギャグめいたことを時折
親鸞会体験の続きを書いていこうと思います。どんなんだったかお忘れの方はテーマ「わたしの経歴」を遡ってみてください。前回はこちら↓『わたしの経歴⑩親鸞会に入会するまで一②』①からだいぶ空けてしまいました。こちらが入会するまでその①です⇓『わたしの経歴⑨親鸞会に入会するまで一①』ぼくがなぜ親鸞会に傾倒していったか。それは…ameblo.jp親鸞会を前にして、まず、宗教的雰囲気がどうしても肌に合わない。たとえば、仏壇の存在。そして、それに向かって手
いっつも新聞に大きく本の紹介がされてて、なにかと思って読もうかとも思ったのだけれど、調べてみたら新興宗教だった。親鸞会という団体の主宰者なのね、高森顕徹というのは。コレだから宗教は厄介だわ┐(´д`)┌ヤレヤレよかった買わなくて📖
今回は永遠の幸福と悟りについて、私見を書いてみました。ユーチューブで親鸞、浄土真宗を開くと、必ず浄土真宗親鸞会の人、特に菊谷隆太さんが出てきますね。言っていることは、正しい親鸞(≒仏教)の教えは、信心を得ることと言っています。それは、ただ念仏をするだけではだめ、それは自力の念仏で、他力の念仏をすることだと仰っています。これは本願寺派の意見と真っ向対立しています。本願寺派はただ念仏しなさいと言っています。どちらが正しいのかは、普通はわかりません。それから、菊谷さんが言うには、信心を得
平成24(2012)年1月9日にお勤まりになりました、ご本山本願寺における親鸞聖人報恩講法要。この報恩講の中では、即如上人が改悔批判をお勤め下さいました。大変学びになりますので、下記に記させていただきます。本日の御逮夜から16日の御日中まで、宗祖親鸞聖人の御正当報恩講が勤修されています。この度の報恩講は宗祖750回大遠忌法要御正当にあたり、50年に一度の法要になります。わたくしは今から31年前、一度改悔批判を勤めました。それは門主継職の奉告披露にあたります伝灯奉告法要の
平成24(2012)年1月9日にお勤まりになりました、ご本山本願寺における親鸞聖人報恩講法要。この報恩講の中では、即如上人が改悔批判をお勤め下さいました。この改悔批判の中には、領解文についての説明があり、大変学びになります。領解文について解説される部分のみ、下記に記させていただきます。さて、この御座は改悔批判の御勝縁でありますので、御参集の皆さま、各々異口同音に改悔出言なさってください。(一同領解出言)「もろもろの雑行雑修自力のこころをふりすて
①からだいぶ空けてしまいました。こちらが入会するまでその①です⇓『わたしの経歴⑨親鸞会に入会するまで一①』ぼくがなぜ親鸞会に傾倒していったか。それは「死の解決」ができると聞いたから、だと、言いました。あれだけ関心ない、いや、毛嫌いしていた宗教に近づく、という…ameblo.jpとにかくうさんくさかった会長の講演会、ぼくは半分怒りを持って、残りは悲しさを持って泣きながら会場を後に帰途に就いたのでした。会を知らせてくれた恋していた彼女にも何も告げずに出てい
ぼくがなぜ親鸞会に傾倒していったか。それは「死の解決」ができると聞いたから、だと、言いました。あれだけ関心ない、いや、毛嫌いしていた宗教に近づく、ということはぼくには完全に予想外でした。というか始めは宗教とは明言されてなかったのですが。毛嫌いしているものも関心のあるうちだと、よく言われますがそういうことだったのでしょう。ここで話を聴いていけば「信心決定(しんじんけつじょう)※」できるよ、まずは合宿に参加してみよう、そうすればどういうことか解るよ
前回のわたしの経歴シリーズ⑦ではぼくが親鸞会に触れ、身構えつつもかなりの興味を抱いたことをお話しました。とはいえ、ぼくのもともとの宗教的関心は「ほぼゼロ」でした。どんなに宗教が死の解決をしてくれるといっても、疑いの眼差しでしかそれらを見ることができなかったでしょう。しかし、初めて親鸞会の集い(名目は「古典哲学を学ぶ会」)に参加したぼくは、そのロジックに見事にずんずん入り込んでしまっていたのです。「そんなの、あんたが単純だからそうなったんでしょ」と
はい、タイトルの通りなんですが。これから、死の問題を何とかするためにある特定の宗教宗派の話をしていきますがまあ、ここまで読んで、それでも「宗教はちょっと…」という方は多いと思います。それどころか「やっぱりただの宗教の話なのか、ならば読むのやめるわ」という方もおられると思います。まあそういう方はたいてい、もう脱落しているかと思われるのですが。宗教と言ってもまず第一にいわゆる「カルト宗教」では断じてありません。と、カルト宗教の信者の人も言うとは思う
経歴⑤と⑥の間辺りに入れる話を忘れていました。バンド活動を始めるころになると薄れてきましたが、それでもぼくはタナトフォビアと心気症に悩まされていました。死ぬのが怖い。幼いころからの「がん恐怖」が依然として続いていました。ぼくのタナトフォビアは、発作的なものではなく、いつでもじんじんと心痛を起こしている感じのもの。発作は起こさないものの、常に弱い恐怖感・不安感に見舞われているというのもそうとう辛いものです。大学時代前半、バンド活動が本格
バンド活動も下火になった大学時代の後半ごろの話になります。ぼくには、大学入学ころから好きだった子が居ました。高校の後輩です。完全な片想いでした。(というか、今の今までほっとんど両想いというのを経験したことが無い!…それでも恋愛至上主義者です)その子に告白したり、いろいろアプローチしたりしましたがまるでダメでした。それでも友だちとしてなら関係を続けていいよ、とのことだったのでずるずると友人関係を築いていました。その関係は15年ほど続くのですが…
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全員で同じポーズを取って記念写真、よく見かける光景ですね。これまではピースサインが多かったですが、最近はそれぞれで独自の決めポーズをつくったりもしてます。指で丸をつくって、そのものズバリの金儲けセミナーもあります(笑)。ここまで来ると笑えるレベルですが、どんなポーズでも半強制的なのはやはり嫌ですね。何が嫌かというと、それで洗脳されていくような気がするからです(笑)。その洗脳の輪の中にいることが気持ち悪いのです。以前もそんな経験をしました。化粧品関係のセミナーで、最初にみんなでマツケンサンバを
今回の記事はyoutubeからのshare(シェア)だらけ☝ライブ配信の最新アーカイブ『浄土真宗の再興-日本の心-』☝☝以前にシェアした『み教えは、御文章で伝わって来た』☝とあわせて、当山門徒の皆さんに是非とも。そして、宗門のあらゆる世代の方々が視聴するべき内容と感じました。・~~~~~~~~~~~~・阿部先生のお話は何度も繰り返し聴いてしまいますお聖教に基づいてわかりやすく、また、目からウロコもそれぞれズバ抜けた再生回数が物語っていますが、いつでもどこでもフリー(無料)だなんて、
この話をもとに調べてみたら、どうやらこちらの方の言い分が正しいようです。今まで、親鸞会の菊谷隆太さんの動画がいいと思っていたのですが、振り返って見直すと「???」というところが多いと判断し、これからは、共有しないことにしました。浄土真宗親鸞会出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より浄土真宗親鸞会(じょうどしんしゅうしんらんかい)は、1958年(昭和33年)に発足した仏教系の集団。親鸞会は自らを新宗教と呼ばれるのを好まず、浄土真宗の宗派の一つである
複数の門信徒からご質問がありましたので、ここに明記しておきます。「親鸞会」および「親鸞聖人に学ぶ会」は、伝統教団の浄土真宗(真宗教団)とは一切関係がありません。教義的にも【異安心/いあんじん】です。浄土真宗親鸞会被害家族の会(coocan.jp)偽装勧誘が多発!宗教団体「親鸞会」とは?|おにぎりまとめ(eternalcollegest.com)・~~~~~~~~~~~~・宗教系カルチャースクールのような催しは、カルト教団の入り口(偽装勧誘)であることがあり
お寺さんからラインが届きました。
好きではない野菜も食べるようにしてます。以前だったらブロッコリーは避けていた。「ブロッコリーと野菜のコーンスープ」「トマトの麻婆豆腐」今回は麻婆豆腐の素を使わず、初めて一から作ってみました。イマイチだった。「枝豆と長芋の和サラダ」「鶏肉のトマトソース煮」「豆腐のさっぱりサラダ」本日は「歎異抄」と「歎異抄をひらく」の紹介です。本を読むまで気付かなかった。「歎異抄をひらく」は仏教界でカルト扱いされている親鸞会が出版している書籍でした。まずは「歎異抄」から。念仏さえ称えた
今日もなんとなく記録を付けておくことにする。と言っても、今日も虚無感に悶えていたぐらいである。一言でまとめるならそうだろう。今日は対応として、『意味と脱-意味ソシュール、現代哲学、そして……』(中田光雄)を読んでいた。西洋哲学、特に言うならば言語学の側面から見た意味論である。「意味」という語を、「存在」という根源語に対する「準根源語」と見る立場から、「意味」ということがいかにして成立するかについて、ソシュールやハイデガーをはじめ、サルトル、メルロ=ポンティ、ドゥルーズ、バルト、デリダ
年度が替わりそれぞれ新しい生活が始まるわけですが、この季節は「就職や進学など思い描いていた未来」に進める人もいればそうでない人もいます。4月はそれでも「それが今の自分なのだ、受け入れよう」と頑張るのですが、5月の頃になると無理がたたってうつ気味になる人が多い。そんな心の隙間を狙って信者獲得を狙うのが「カルト集団」です。カルト、とは「破滅的熱狂」を表し、様々な方法で人間の正常な思考能力を奪い、経済的搾取や労働搾取を行う存在です。ボランティア団体等様々な形態をとりますが、一番
●朝日新聞・・進級、進学、卒業、就職という節目にある人々に向けた広告●浄土真宗親鸞会の教祖・高森顕徹会長の著書『歎異抄をひらく』・『歎異抄をひらく』は、偽装イベントの「教材」として活躍。●親鸞会・浄土真宗各派とは無関係・偽装勧誘・カルト勧誘で有名(問題の広告に。。池上彰さんもいた(左下)。。)・・・・・https://news.yahoo.co.jp/articles/6b4605a5b556a47cc191f37529167e25241faca6朝日新聞が全面広告企画で偽
こんにちは。久々の更新ですね最近は仕事と来週末に受験予定の教学試験勉強で忙しく、ブログ更新できていませんでした。今日も二千畳ご講演がありましたが、体力とスケジュール的に内容について書くことも難しいのです来週の教学試験終了後、手応えと結果について触れた内容のブログを書こうと思っています。思い切ってブログを始めてみましたが、想像以上に続けることと人に伝わる文章を書くことが難しいですね。より精進して生きていきます。
是非ご購入頂いて読んで頂きたいという思いで書きます。宣伝です著者は1974年東京生まれ。今は滋賀県東近江市の真宗大谷派玄照寺住職をされている瓜生崇さん。まず「第1章私の入信と脱会体験」ですが、ここはご自身のこれまでを振り返りつつ、「人が真実を求めて真実に迷っていく思いを知ってほしい」という思いによって書かれています。「人は何のために生きるのか」という疑問を持ちながらもしばらく忘れていた著者。しかし、大学の入学を控えたある日、声を掛けられたことがきっかけでその疑問の答えを求める
今朝の新聞折り込み健康講座医学講座としかし講師の1人の肩書き浄土真宗布教使に???下にチューリップ企画なるほどぉ!チューリップ企画は親鸞会といういわゆるカルトといわれている団体の関連会社真っ当な団体なら堂々と名乗れるはずところがカルトは宗教とは無関係であるかのような文化サークルなどを装って勧誘する困ったもんだ
このブログに以前にいいねをしていただいたことのある、親鸞会の仏教講師の方の通信講座を受けているのですが、その人の事前の約束では一年間の無制限の質問無料です。ということだったのですが、今までに2回メールで質問したのですが、何の音沙汰もないのです。その人には講座申し込み時に1万円お布施を払いました。親鸞会に直接苦情を言うこともできるのですが、私としてはもう今後は、親鸞会とは関わらないつもりです。
2019年06月04日(火)、本荘市広誓寺を会場に西組(にしそ)公開講座が開催され、参加して参りました。このお寺は行円寺をひらかれた釋正賢(信玄)氏が最後に建てられたお寺でここで御遷化されたという、行円寺とゆかりの深いお寺です。この歴史は六郷の善証寺を建てたという事に由来しているのですが、信玄氏は廣誓寺では異なる法名を名乗られています。このお寺も火事になり、古文書等全て焼失していましました。今回の講師は平野善之さんで、カルト宗教にはまっている人たちの脱会支援をされている方です。この方は先
樋田昌志@toyodatv[浄土真宗破折(親鸞会・講師)]「無量義経が偽経」説は浄土門系の学者の仮説に過ぎない(反論論文QRコードあり)01https://t.co/SJphBKTtQx2018年12月12日08:42樋田昌志@toyodatv[浄土真宗破折(親鸞会・講師)]浄土三部経には「衆生が成仏できる」とは全く説かれていない02https://t.co/2YMUwClCIP2018年12月13日18:21樋田昌志@toyodatv[浄土真宗破折(親鸞会・講師