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フリースクール2年から、学びたいことがある大学のオープンキャンパスに何度も通った僕ちゃん一生懸命に勉強をして、受験資格の評定を確保しフリースクールの先生との話し合いやら面接やらでボコボコに詰められて、折れそうになりながらも自分がそこで学びたい‼︎と頑張ってました。途中で折れるかもって思いながら、見守りましたよ通信制高校の校長先生に、なぜ推薦をしてもらいたいのか、何が学びたくてその大学を受験するのかという作文を提出ブログの前の方にも書きましたが作文とかの部分が凹んでる僕ちゃん何度も
ちび子さんだだ今大学生を楽しんでるようです先日、電話がかかってきて「大学のテストは覚えることが多すぎる」まだ1年生なので、内容は高校の延長みたいなんだけど高校で選択していなかった教科はちょっと苦戦するらしい「キレイにノートに書いたんだけど覚えられん」今までどんな風にして高校までは覚えてたんだと聞くとノートに書いたり、教科書読んだりしてたとノートにキレイにまとめたら覚えられると思ってたキレイに書いても覚えてないことがわかったと勉強の仕方がわからんかったから、高校であんな成績し
普段、なんとなく使っている言葉そういうことそういう人話の中でニュアンス的なこの言葉ってよく使いますよね?ある時、フリースクールでのこと落ち着かなくて、時々大きな声を出したり周りの人の邪魔をしてみたり所謂発達障害系の生徒さんがいたんですよねフリースクールだから、ある程度の人数はそういう系のおこさんがいらっしゃるのは普通なことだと思うなんなら僕ちゃんだって、限りなく黒に近いグレーその頃の僕ちゃん、自分の行きたい大学を決めて彼なりに勉強を頑張っていた頃です。その生徒さんのこと
不登校のお子さんのこと、全てを受け止めて丸ごと包み込んでやりたいほとんどの親御さんがそう思っているはず私もそう思って、必死で子どものことを丸ごと受け止めようと頑張っていた時があった子どもからの超豪速球の重たい球ばかりが投げ込まれて、対応でヘロヘロ状態になっていた受け止めてやるのが親の仕事こどもを丸ごと受け止めねばならないなんかそんなことを思い込んでいた思い切り投げつけられる球、真っ正面に立って受け取るのが正しいなんとしても受け止めなくてはと必死になってた子どもの投げつけてくる
本日までの予定で募集しておりましたセッションですが、おかげさまで満席となりました。ありがとうございました。近いうちに、また行いますので、お楽しみにお待ちください今度は、不登校の親御さんとのお茶会しようと考え中でございます。乞うご期待‼︎午前中のブログでは、怒り💢爆発でしたが午後から、推し活?っていうのか今の私の元気の源⁉️、行ってきました。今回は、夫が仕事の都合で参戦できずなんとちび子のお友だちの可愛い女の子と参戦してきました。大きな声を出して応援してスッキリ勝ってくれた
ここ何日か、家庭のことでいろいろとあった。ひとつひとつは、本当に些細なことなんでそんなこともあるよねって、気にせずに流して生活してたのにそんな些細なことが何個も続いて起こるとこちらのストレス、イライラはMAXようやく没頭してお片付けをしてたのにあと少しで終わるからって時に限って「腹減った。今晩のご飯なに?」「いつ頃なら食べれるの?」あー💢となっちゃうんですよねほんとに些細なことが重なってただけなのにいつもと変わらないご飯の催促なのに積み重なってくると、心が悲鳴を上げるん
家の中でお母さんが笑ってたら大概のことはなんとかなる私は、そう思ってます。不登校、引きこもり、発達障害グレーなどの私の当たり前や普通がものの見事にぶち壊されて子ども、私自信を責め続け、もがき苦しんでいた頃なにもする気が起きず、笑うことも出来なくなっていました。普段から仕事で、家の事は全て人任せな夫私が笑うこともせず、廃人のようになっているのを見て「ママが笑ってないと仕事がうまく出来んのだ。ママが笑ってると安心して仕事が出来る。だから笑え」笑うことさえ忘れていた私でした。作
暮れも押し迫ってくると、何かと慌ただしくなってきますよね。大掃除だったり、クリスマス、お正月の準備だったりと私も大掃除しなくては、と思いながらそのうちしよう、明日しようと思って、現実逃避しているところです。子どもが不登校、引きこもりの時は、楽しいはずのクリスマスもお正月も全然楽しめなかったなそれでもイベント事だからと思ってやってはいたけどね世の中は、親子で楽しそうにプレゼント選んだりしてるのに、なんで我が家はこんなんなのなんでうちばっかり、こんな辛い思いで過ごさんといけんの私だっ
4月からねねさん、何かの資格を取りたい‼️と通信制の大学に編入?だかなんだかをしました。自分のやりたいことのために資格を取る‼️お仕事をフルでしながらだから大変だろうなとは思ったけど、自分で決めた事だからねすごい志なので、私は陰ながら応援してた学費は、バイトや仕事で貯めていた貯金で賄い「何日までにレポートの提出がある。大変だ」と言いながら、パソコンに向かって頑張ってる姿に大人になったなと感心してたそしたらね「ママ、大変だ‼︎単位が足りんくて来年もやらんといけんみたい」はい?
12月に入ってあっという間に半分近く過ぎてしまいました。今年の12月、いつもより暖かかったので早くから大掃除を始めようと心に決めて、ゴソゴソしようと思ってたのですが掃除、片付けは大の苦手なので、できるだけ楽に済ませたいなんならやりたくない夜中に寝てる間に妖精さんが出てきたやってくれたらなと思ってしまう必要最低限の掃除はしてたけど普段の掃除では出来てない所にホコリがやらなきゃとは思ってるところではある4月にメンバーチェンジのあった我が家ちび子と夫との3人の時は、なんとか汚部屋にな
ご縁ある皆さまおはようございます。いつもお世話になり、ありがとうございます。NPO法人親育ネットワークのくろちゃんこと黒田です。※このメールは、イベントにご参加いただいた皆様、会員の皆様へお送りしております。子どもに関する社会問題の解決を目指し、クラウドファンディング「親の育ちの重要性を世の中に発信するため『親育白書2024』を作りたい」を実施し、目標額を達成しました。~「親育白書2024」掲載する「親に届けたい声を聴く」アンケート調査を回答数1000件目標に12月15日(金)まで実施
我が家のねね様、とにかく何事にも一生懸命なんです。家のこととかは一切手伝ってくれないけどね仕事場では、みんなが楽に仕事できるならねねが頑張る、みたいなねねがやらないと、みんなが困るからとかねねがやりたいからやるんだもんと言いながら頑張ってるらしいいいんだよ人のことまで考えて頑張れるねねはすごいなと思うとにかく何事も楽がしたいママからみたらよくやるよねもっと楽に生きたらいいのにと思ってしまうわけですよ。ねねの特性として、自分でやらないと気が済まないってのもあるんだろう
子ども達の行き渋り、不登校で悩んだ私ブログでもいろいろと書いてきましたが本当にハゲ散らかすほどに悩み抜きました。ずぶずぶの不登校沼にハマって抜け出せなくなっていました。あの頃から何年も経って、今では笑い話になるくらいになっています。不登校の沼でもがき苦しんでいた頃の私は、なんとか這い出して、今を生きてはおりますがあの頃の私に教えて欲しい‼️自分の中に渦巻くイライラや怒り涙が自然と流れるほどの辛さ、落ち込みなどみなさんは、どのようにして折り合いをつけて楽になってこられたのか私はこ
どうしたらいいのかわからないどこにも相談するところがなく途方に暮れていたんですよね。本とかを読めば、何かの役に立つことが書いてあるかもしれないけれどそんなの読む気力もありませんでした。ねねの学校に行かない理由もわからないなんで、どうしてこんなことになっているのか当たり前のことができない、させることができないダメな親子あの頃の私には、ねねのことが本当に理解できなかったんです。グルグルと回る考え、イラつきとか抑えることに必死でした。赤の他人とか、薄い関係の人のことならば放っておけた
ねねが、初めての高校1年生の時のことです。1学期は、普通に当たり前のように学校へ行ってました。部活もやって、お友だちも何人かできて楽しんでいましたね。このまま楽しく学校生活を送ってくれたらいいなでも、もう少し勉強はがんばってねってくらいの意識でした。確かにお勉強には力を入れていると評判の進学校でしたから、ある程度のレベルでいて欲しいと思っていました。中学校も、自由な校風でいろんなお楽しみが多い学校だったけれど、お勉強もしっかりとさせてくれる学校だったから、中学と高校の勉強への向き合い
私は、3人の子育てをしてきました。上の2人の子どもは、行き渋りや不登校でした。なんで、どうして当たり前のことができないのかどこで子育てを間違ったのか私が親だから、私がこの子たちを産んだからダメだったのか私が何か悪いことをしたから、神様がこんな仕打ちをするのかどうしたら治るんだろうかなど、そんなことばっかり考えていました。自分の当たり前と思っていることができない子どもたちにイラつき、怒鳴り散らしたりしてました。私自身の子育てを間違いだったと否定しながら学校に行けない子どもたちを
これは私の周りの不登校でかつて悩まれていたご家族を見ていて思ったことなのですがどのお子さんを見ても、本当に優しい不登校で辛い時期は、捻くれたような、口もきかない、昼夜逆転、何か語りかけるとキレられる感じだったかもしれませんが人としての根っこの部分がとにかく優しくて素直なんだと思います。だからよけいに周りのいろんなことを受け取りすぎちゃうんじゃないだろうか当たり前に普通に学校に行ってるお子さんならばスルーしてしまう出来事、感情までもをこの根っこの優しさで受け止めてしまうから疲れち
つづきあの頃は、不登校に対して少しずつ認知されてきていたけれど学校とかに相談窓口はあったけれど子どもの事だけなんですよね、相談できるのはあの頃の私は、子どもの不登校を口に出して相談するのも恥ずかしいと思ってたし相談する相手は、いろんな相談に乗ってはいるんだろうけど実際に不登校で苦しんだ経験なんて無い人だろうしそんな人になんで、自分の恥を言わないといけないのか話したところで、私のこの辛さはわかってはもらえない本当には理解してもらえない誰か助けてと思いながらもがき苦しんでいまし
12月に入りましたね。この冬は受験も引越しも無い、久々に穏やかな年末になる我が家早めに大掃除を始めて、31日には優雅におせちを作ったり、こたつに入ってテレビを見ようと心に決めていたのに目につかない引き出しとかクローゼットしか片付けてないという状況それでもやった感満載の母は、褒めて欲しいのに家の男2人は「ふーん」だけって酷いと思いません?ちび子に話したら「普段目につかない所は、しばらく何もしなくていい所だから、片付いたらそのまま放置できるからよかったやん」とそうか、そう考えたら
私が看護師の仕事をしてよかったことは昼も夜も関係無く仕事をすることで、お給料は普通の年代の女の子よりもよかったバブル終盤ではあったけれど、欲しい物がちょっと高くても買ってたまた来月にはお給料入るからいいかってまあ実家暮らしでもあったしねあと海外旅行に行っても時差ボケが無かったことくらいですかねバリバリ⁇仕事してた時には、夜寝ている時にも夢の中でお仕事してるんですよ普段リアルで仕事している時と同じように夢の中で働いているんです。そんでやらかして、ハッとして目が覚めるというすんごい
私のブログを読んでいるみなさんならばご存知かと思いますが私、看護師という国家資格を持っております。なぜ、看護師になったのか人のために何かをしたいという思いもありましたけれど、なんとなくというのも間違いではないような本当は普通の短大に行きたいなと思ってたんですよその話を両親にしたら父は、お前が考えたのならばいいよと(いや、深くは考えて無いけど)母は、これからは女の子でも手に仕事があるのがいいよ。看護師とかなら、普通の事務職よりもずっとたくさんお給料がもらえるし、食いっぱ
今日のこのブログは、不登校にあんまり関係ないかもしれません。いや、思いという部分では少しはあるかな?私が日々、思った事を書かせてください。いろいろな人とお話する機会がたくさんあるじゃないですか。そんな時、自分のイタい部分をグサーっと刺される言葉を投げつけられたり、谷底に落とされるくらいのダメージを負う出来事が起こったりうわーと思うことって長く生きていたら何度も経験されてきていると思うんですね。私もたくさん経験してきました。ほんとにハゲそうなほどに悩んだり何も手につかなくなるほど
私、看護師の学校に行っていた3年間以外結婚するまでずーっと実家でお世話になっていました。私が看護師をしてた時は、今はどうか知らないけど、3交代でした。もちろん日勤の時には、お昼のお弁当を作ってもらい、深夜勤の時にも途中で食べるお弁当を作ってもらってました。当たり前のようにです。朝早くや夜中に出かける時には、もちろん起こしてまでもらってました。当たり前のようにです。これ逆だったら、私だったら気が狂うかもしれんわなんで私がこんな時間に起こしたり、弁当作らんといけんの自分でやってくれ
私は、どんな人なのか?興味無い方がほとんどかもしれませんが書きます‼️ごく平凡な普通の家庭で育ちましたね。両親が共働きだったから、小さい頃から近所に住んでいたおばあちゃんに育てられたようなもんでした私が悪さをしようが、何をしようがダメなことはダメとは教えられていたけれどおばあちゃんに叱られた記憶はあまりありませんいつもニコニコして、私が過ごしやすいようにと気遣ってくれて、いろんな話をしてくれてました両親の仕事の関係で月に何度かは、おばあちゃんの家で晩ご飯を食べてから帰ることが
気分の浮き沈みの激しいねね落ちてる時には、ほとんどベッドの上の生活朝、部屋をのぞいて息をしてるのがわかるとホッとする感じでした。いい時には、ベッドから出て来て、あれこれとやってました。おやつを作って食べさせたくれたり元からおしゃべり好きなので、ずーっとお話に付き合わされたりもっといい時には、2人でランチに行ったりしてました。通信制高校というのは、普段は送られて来る画像を見て、提出物を出せばよいそうで全日制高校の時よりも簡単な内容だったと言っていました。周りの生徒さんは、小学校か
ねねの通信制高校での初めてのスクーリング「ママ、一緒に行ってくれんの?」と正直、ねねを一人だけ行かせるのには不安がありました。ずーっと引きこもってたんですから私だって一緒に行きたいに決まってるじゃない最初くらいは一緒に行ってやりたい、あの子の様子を見ていたいどんな学校なのかも見てみたいでもね、私が何日か家を空けるとなると僕ちゃんはどうする?学校に行けば行ったでお迎えコールがあったり、脱走しましたって連絡がある状態で学校に行かせずに家に居させたらいいかちび子はどうする?ま
私は子どもが小さい頃から、子供が痛い思いをしないように、困らないようにと思って声かけをしたり、先を見越して何かをやってやったりしていました。それが子どものためになるから子どもが辛い思いをして泣いたり、困ったりしなくていいようにと思って、手を出したり声をかけたりそれが親の役目、親心だと思っていました。私自身がそうして育てられてきたんでしょうね困らないように、手をかけ声をかけられてそうするもんだと刷り込まれてたんだと思います。子どもの頃の私、うるさい、息苦しいと思っていたはずなのに、
高校1年生を2回やって、通信制高校に転校したねね様僕ちゃんが行き渋りやら不登校をしているのを見て「バカじゃないの?楽しいのに、学校行けばいいのに、あいつのやってることは意味わからんわ。」と言っていたのに高校1年生の2学期から突然、起きてこなくなりました。「行きたくない、嫌だ。」朝、叩き起こしてみたり、ふとんを引っ剥がしてベッドから引きずり出して学校に行かそうとしたりしてました。ほとんど昼夜逆転の生活明け方までケータイを見続けて、世の中が動き出す頃に寝るほとんどをベッドの上で
穏やかな天気で、洗濯物もよく乾いて気持ちのよい日ですね。僕ちゃんは、行き渋りが始まった中学1年の終わり頃から発達障害外来に月1回、受診しておりました忘れたけど、薬も何種類か試してみたりしてました結局、合わなくてやめましたが発達外来の先生がいつも僕ちゃんにかけていた言葉があります。「君は大丈夫だから。何か好きなことはあるか?自分の好きなことをみつけなさい。そうするとすごく生きやすくなるよ。」あの頃の私は、さっそく僕ちゃんに「なにが好きなの?何をしてたら楽しい?」しつこいくらいに聞
フリースクールに通い出した僕ちゃんゆるく登校してました。昼前まで寝てて、昼ごはんをスクールの子たちと食べるために出かけて行ったりめんどくさいとお休みしたり単位の為に必要な体育とかは、歩いて30分くらいかかる所の体育館までスクールから歩くのは辛いからと送って行ったこともありました。基本、バカ親ですから通ってくれる姿が見れるなら、母はなんだってお手伝いしてました。フリースクールに行き出してから親子でランチに行ったり、遊びに行ったりと自由な時間を共に楽しんでいました。学校に縛られな