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ご訪問ありがとうございますカフェモカです昨日の記事がアメトピに掲載されましたありがとうございました『感動的だった長男夫婦の結婚式』ご訪問ありがとうございますカフェモカです1年前の今日長男夫婦が結婚式を挙げました二人は高校の同級生で進学先が決まった後に交際が始まったので県外の大学の…ameblo.jpいつもいいねをくださる皆さんもありがとうございます私が夜、爪を切っているとときどき夫に注意されていました「夜、爪を切ったらダメ
数あるブログの中からこちらにお越しいただき本当にありがとうございますアラフォーママみよですよろしくお願いいたします\最短翌日着/写真立てフォトフレームプリザーブドフラワー【あす楽15時迄】【写真印刷0円】花ギフトメッセージカード記念日結婚式おしゃれ誕生日母親義母還暦ブリザードフラワー【2023年5月月間優良ショップ】プレゼントホワイトデー卒業祝い楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}お母さん、息が止まっています母のいる施設か
昨日の夕方の春めき桜・・・d(^O^)b今朝は不計画休足だった・・・(-_-;)走る気は満々だったのだが、目が覚めて、どうしても強烈な眠気に勝てず「ま、体が休養を欲してるんやろ~」と自分を納得させて、二度寝に突入してしまった・・・^^;こんなに疲労を感じるのは、なんか体調でやばい事でもあるのか?って~思うほどの疲労感だったな~・・・。「歳のせい」と言ってしまえばそれで終わりなんやけどね・・^^;さて、↑の画像は、昨日S社退社時の旧成徳中前の春めき桜であるd(^O^)
また今年も3月11日が来た。この日が近づくとテレビでは特集が始まる。でも違うんだよな。防災は毎日の積み重ね。万が一の時にどう行動すべきかは頭の隅に常に意識していなければならない。元日に起きた能登地震。先々週の一日に10回の有感地震があった千葉東方沖。どうにもならない時の死ぬ覚悟はできている。死ぬときは仕方がないと思っているし死ぬこと自体は怖くは無い。いつかは誰でも迎える事だから。今死んでも良いとは思っていないけれど。私は両親の死に目に会っていない。母は不慮の事故、
私の人生は思い返せば逃げてばかりでしたもちろん精一杯何かに乗り越えてきたこともあります耐えたこともありますメンタル的にもう無理!!と思えることは避けてきました一例親の死に目が怖くてその場を離れてしまったことモラハラ夫との生活に耐えられないこと小さいことは沢山ありますが大きいことはその2つですそれが今は心残りであり自身なりに良かったと思うんです逃げない人生の名言をよく目にしますが耐えられないことなら逃げても良いと思うんですそれで自分が自分でなくなる
お次は家賃ですあれ?15000円?25000円じゃなかった?なんで給料から家賃が引かれる?実はこれ吉本くんが引越しした一軒家の家賃じゃないんです皆様覚えてますか?✩.*˚この記事です✩.*˚⬇『【元カレY】私の腰抜ける』私はこの頃からもう吉本くんに「とにかく自分で考えて自分で動け!お前はだだの指示待ち人間や!」ってことを伝えてきました。とにかく常にヌボーと生きてる吉本くん。(…自閉症スペクトラムの娘が大学生に!?映えブログは出来ないけど娘映えは出来ます!⬇『【元カレY
鈴木おさむ氏、あの芸人のプロ根性に衝撃…母親が危篤状態でもいいとも出演「全員が号泣しました」(スポニチアネックス)-Yahoo!ニュース放送作家・鈴木おさむ氏(51)が22日に更新されたプロデューサーで演出家・佐久間宣行氏(47)のYouTubeチャンネルに出演。あの芸人の“プロ根性”に心を揺さぶられた出来事について語る場面があっnews.yahoo.co.jp私が異常で薄情なのは自覚してますが‥‥。「親の死に目に会う」って、そんなに重要なんですかねぇ?亡くなる本人が「会いたい」って
こんにちは、こけしです娘、昨日の午後からは微熱程度で、そしてとっても元気です今んとこ息子にうつりそうな気配もなく、良かった良かった(せっかくテスト勉強してるのに、受けられなかったら悲しすぎる)おまかせ広告です★普段、夫はほぼ毎日お酒を飲みます健康のために週に1回くらいは休肝日を作ってもらうようにはしていますが。ですが、娘が熱発した時などは、何も言わずに、お酒は控えてくれます夜に急遽何かある事態
今日はちょっとバタバタしてたので、サクっとしたお話を…。よく、トラックの求人で、「パワーゲートでカゴ台車の積み下ろしのお仕事です!女性でも楽チンです!」…と、アピールしていますが。ここamebloで商品紹介としてpickできる某大手通販も、センター間の輸送は大型車でカゴ台車です。焦げ猫もカゴ台車の仕事はトータルで2〜3年やってましたかね。なんでトラック人生の晩年はやらなくなったかというと、1年に2回も骨折を続け、トラウマレベルになったからです…。ーー
みんなの回答を見るNIEと呼ばれる身分証明書≒滞在許可証が切れる1週間くらい前のことだった。まあ、手続きすれば再入国は認められたらしいんだけれど、それには帰国のためのエアチケット(5年前のことなのでおそらく物理的な紙のチケット)を買ってから当該の役所に出向き、予約がないので何時間でも待つ覚悟で再入国許可証をもらわなければならなかった。ということさえ、そのずっと後に知った。マフィアが人海戦術で予約の時間を全部埋めていて、早い時期に予約を入れたければ金銭を払って順番を譲ってもらわなければならな
夜爪を切ると親の死に目に会えない、って言うでしょう?あれ、本当なのかもしれない。私ね、仕事してた頃は夜爪を切ることが多かったの。迷信だと思っていたから。。。だけど、母の時も父の時も傍にいてあげられなかった。仲良し親子だったのにね。父の時はコロナでずっと面会禁止だったし、悲しかったなぁ。母の時は亡くなってから連絡きたからね。ここは最低の病院だった。面会に行っても、スタッフを見かけたことがなかった。両方とも、どうして早く連絡くれなかったの?って悔しかった。連絡もらえたらすぐに行っ
私は幼少期に、なぜ私は生まれてきたのかな⤵️多分、生まれてきたくなかったと、思っていたのだと思います。三兄妹で、意外と裕福でした。でも、父が、得に母に厳しくて。今思うと、あれは、母へDV行為が行われていました。父は自分が一番なので、母が口答えすることも許せなかったのではないかと。でも、母は抵抗してました。内容は、全く覚えていません。けれど、母を庭に出し、父はバケツいっぱいに入れた水をかけていましたまた、他の日には。夜、母は私達を連れて、近くのレストランに行き。多分、帰りたく
あっという間に2月10日。気づいたら一つ前の1月11日の投稿がもう1年前くらいに思えるほど遠い記憶でもありだいぶ未来の新しい見解のようにも思えた。やっぱりブログに書き記しておくのは大事だと改めて思う。本当に忘れ去ってしまうのだから。先日僕とやまぴの共通の知人が公の場で「私は親の死に目に会えないかもしれない覚悟はできている」というようなことを言っていて僕たちはもやもやしてしまった。もちろん僕たちは誰がどういう価値観で生きようが自由だ
親の死に目に立ち遇うこととは?それを叶えてあげられなかったことに積年の念を感じる月地元を離れるときに主人は実父とは今生の別れをしたらしいがその実父に寄り添えずにお別れした約20年前。結婚したことで親が4人。今は主人の母だけが存命。主人と出逢えたことで、この母に出逢えたことが嫁の私には宝物。その母が、昨年末に入院♿🏥『何をしてあげられる?』ではなくて『何がしたい?』いつかは来る親とのお別れ。主人の気持ちに寄り添いつつも息子を想う母の気持ちを汲み取り帰省させてあ
今日も母の最期の日の記録ですいつも長いけどかなり長いです~~~~~~~~~~~~~雨上がりの濡れた道を「気をつけて気をつけて急ぐんだけど慌てちゃ駄目」母ならこう言うだろうと頭の中で繰り返しチャリを走らせ気がついたら病院に到着していた受付で、病院から呼ばれて来た事と名前を言うと面会の札も省略されすぐに病棟に上がる許可がおりたエレベーターを降りると看護師さんが待っていて病室に案内してくれた病室に入ると母は酸素吸入してやや窓側を向いていた最悪の覚悟をしていた私は心
ブログネタ:子供のころに信じ込んでいた伝説や迷信参加中本文はここから皆さんわんばんこです☆今度のブログネタは『子供の頃に信じていた伝説や迷信』ですが・・・これかなり前にも同じようなお題で書いた記憶あるけど・・・もう1回!(笑)昔よく家の親や、周りの人の噂話しとか・・・沢山ありましたよね・・?特に我々が小さい頃の時代はそういうの信じてる人が多かったので。今で言えば【都市伝説】みたいなものかな・・・??よく親から『昼間の蜘蛛は神の使者なので家の中に侵入して
ブログネタ:爪を切るタイミングは?参加中本文はここから皆さんわんばんこです☆今日は普段の日曜日より結構忙しかったので(しかも相方がいない午前中に)疲れてしまったわいのぉ~~儂も歳じゃのぉ~~~~・・・な~んて言っても私より年上のパートさんも何人かいるので老成してる場合じゃないYO~~(笑)今日は更に気温が下がって夕方にが小雨も降ってて寒かったので寒暖差で体調崩さず気をつけて下さいね◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
古からの、戒め。夜爪を切ると親の死目に会えと戒めている。お江戸のお侍さんの夜の城勤め(夜詰/よつめ)は親の死に目にも会えないほどの大事なお努めであったので、と、あとは『世を詰め』で親より早死にするからとも、、でね、なんと今夜爪を切っていたら、出血してしまいました。古の言伝えはある意味ちゃんとしなればいけないと思いしらされた次第です。
母が入居していた施設に後始末の挨拶に行ってきました。なんでも、多くの施設で「息を引き取る瞬間」に家族が立ち会えるのは、年に一人くらいなのだそうです。今から思えば、母の最後は涙をポロポロこぼしながらニッコリ笑っていたのでした。「あと数日の命です」とお医者さんから宣告されてから、延命措置をせずに2ヶ月も生きることができた例も珍しいそうです。そう言った意味で、母はラッキーだったようです。ラッキーだった理由は、楽しい体験をいっぱいして、笑顔になれたことなのだそ
いろいろあった。日曜に親が亡くなって、月曜から怒涛のスケジュールとなり。お客様にはご迷惑をおかけしました。スケジュール調整に協力していただいた方々、本当にありがとうございました。有給?分担?んなもんありゃしねぇw個人事業主の運命というか、「ひとりでやる」厳しさを痛感しましたね。いつか来ること。覚悟はしていたものの、いざ来るとなかなかの次元で切羽詰まった。でもオヤジも協力してくれていたのか、月末を外してくれたwワタシのスケジュールを確認してくれて
げんかつぎでやってることはある?夜中には爪を切らないことでしょうか…親の死に目に会えるかはわからないですが、何となく意識しています▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう
おはようございます(*^^*)いつもブログを読んでくださりありがとうございます♡さて日頃お世話になっているお父さんやお母さんが、病院で人生をまっとうした時どこまでの延命処置を望みますかうちの病院は治療専門でなく慢性期の患者さん看取りの患者さんが殆ど家族は大概何もせず自然のまま見送りますという方ばかりですがたまに点滴で延命してや心臓マッサージしてなど望む方もまれにいます。もちろんそれは間違いとは言えませんがもう90すぎた人に点滴で延命↓↓↓浮腫んできます床
父と過ごした時間は、わずか二十三年間である。高校時代から札幌で寮生活をしていたので、実際は十五歳までだ。実家は、北海道の小さな漁村様似(さまに)で、父はその町の漁業組合に勤めていた。酒もさほど飲まないのに肝硬変で死んだ。五十一歳だった。京都での大学時代、卒論に追われている最中、母から父の病を知らされた。昭和五十七年(一九八二)十一月のことである。「父さん、年、越せないって……。先生がいってた……」電話口で母が泣き崩れた。その日、私は紅葉が色づき始めた嵐山を散策した帰り道、四条河原町で
アロハ3年ぶりの帰国。母に会うために帰った帰国。コロナでまだまだ制約もあり、大変だった今回。短期のビザをアメリカ人爺夫は、日本領事館で取り、計3回のPCRを経て、やっと祖国の地を踏んだ。面倒で大変で時間もお金もかかったし、帰国したとたん、叔父にまさかの「ウイルスバイ菌扱い」されて、泣いたりもしたけど、もうそんなことはどうでもいい。やっぱり無理して帰ってよかったと、今、改めてしみじみ思う。生きている母に会えた。母の笑顔を見つめ、母の声を聞き、そして、手を繋いだ
父が入院してから和室の端に小さいスーツケースを準備している。突然連絡が来て実家に飛んで帰るために、お泊まり道具など入れて、あとは衣類や普段使いの化粧ポーチなどを入れればいつでも出かけられるようにしてある。こういうことは縁起でもないことなんだけれど、現実には大事な準備だ。実際には飛行機のチケットを取らねばならないので、すぐに飛んで帰ることはできないのだが。いざという時に飛んで帰って私が間に合ったとして、県外からの人は入場禁止になっている病院に入ることができるのか、、、聞いておくと弟は言って
こんにちは先日、髪の毛洗ってたら指の爪が割れて髪の毛に引っ掛かって洗えない切らなければしかしまてよ夜に爪は生まれてこの方一度も切った覚えはないです昔から言いますよね夜に爪を切ったら親の死に目に会わないと〜今の若い子達はもしかして知らない❓死に目に会わないのは嫌だから一度も切ってなかったのにそれなのに父親の死に目に会われなかったそして今回母の死に目にも会われなかったやはり迷信だったんだもうこの世に親はいてないもう関係ないんだ気にしなくていいんですねお風
おばんです~。先日は生前の父のブログで、ふざけたように書いてしまいましたが、今日はちょっと可愛らしいお話です。(父が煙となって天界に還っていってる間に、館内のレストランで待っていました。目の前に綺麗な山桜のある席に座りました。火葬が済んだとアナウンスが入ったとほぼ同時のタイミングで、今まで曇っていた空から山桜に向かってパァ~ッと一筋の光が当たりました✨🥺なんだか父からの挨拶のように感じて、何とも言えない安心感に包まれました。)父が亡くなったときの姿が、とっても愛らしくて、眠っているよ
えー?幸運ジンクスとかゲン担ぎ??ない!よく言われてることをやったとて、繋がったことがないので最近は気休めにやってます。そういや昔、逆の話だけど……霊柩車見たら親指隠すってあったわね。親の死に目に会えないとか言われました。しかし、あのTHE霊柩車って最近見かけないから、そんなことしなくなったわね……てか、アレじゃないシンプルな霊柩車って見分けがついてないだけなのかな?全然見ない気がする。シンプルな霊柩車も霊柩車には違いないから親指隠すが妥当なんだろうけど、今時の子は聞いた
こんばんは、さいとうです。父親が60歳になりました。還暦おめでとう、父さん。8万円のギターをプレゼントしたら、とても喜んでくれたみたいで。。よかったよかった。そもそも20万覚悟してたから、少し安くなった気がしたけど、気がしただけだった。たか。...おめでたいお話で並べる話題ではないけども、父の父は64歳で亡くなったとかなんとかいう話を聞いて、あと4年で家族とお別れ。なーんてこともありえない話ではない、なんならそれより早くお別れが来てもおかしくないんだな、と思ったらなんとも言
春分の日母はひとりで旅立った。誰にも看取ってもらえずベッドに突っ伏して。知らせを聞いても泣けなかった。新幹線の中でも泣けなかった。お通夜葬式共に泣けなかった。それから20日くらい経った今も一粒の涙も流れない。心が動かない。このまま石のようになってしまったら楽なのかなぁ。