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【Kohほぼ日刊】エナジーカウンセラーエナジーコーチKoh煌です。本日も皆様からのリクエストにお応えします。本日のエナジーチャート(気流図)は、平安時代後期の真言宗の僧、真言宗中興の祖にして新義真言宗始祖、『覚鑁さん』です。(かくばん)https://ja.wikipedi
苦しかった事や悲しかった事を思い出して書くのは、苦しい作業です。緩和ケア病棟を退院してナーシングホームに入ってからの母の事を早く書きたいのに、ちょっと苦しくなったので寄り道して、最近の日記を書きます私はこの苦しみから救われたくて、少しでも心の平安を求めて生きる力を得る為に、神社仏閣を経巡っているのでしょうね…。14日は父の月命日なので、私は東日本橋にある薬研堀不動尊様へと出かけてみました🎵https://www.yagenborihudoin.com
23.12/31sun.11:20-12:35南海樽井駅、バスアクセスに数分岩出図書館バス停から東に根来寺大門金剛力士阿形像金剛力士吽形像広大な境内、塔中の蓮華院を過ぎて北に石段を上り、根来寺総鎮守「三部権現社」真言宗の教えを伝える仏部・蓮華部・金剛部を守護する神々伽藍を守護する…戻って東に…北に、鐘楼門根来寺光明真言殿本尊興教大師覚鑁を祀る左に、行者堂・聖天堂右に、本坊を過ぎて根来寺の核心秀吉の雑賀攻め(紀州征伐)にも大塔とともに焼き討ちをまぬが
ブログにご訪問ありがとうございます。発酵ぷらす食養生かきもとやすこです。☆自己紹介はこちら☆『【発酵ぷらす食養生かきもとやすこ】自己紹介』はじめまして発酵ぷらす食養生かきもとやすこです。産まれた時から虚弱体質、アレルギー体質で、低血圧からの貧血、頭痛、副鼻腔炎、蕁麻疹は日常茶飯事だったので、…ameblo.jp10年間で、2000名以上の子供から大人まで虜にする講座を開催。1人1人それぞれに合った体質改善の方法を伝授。多数の方に喜ばれています。発酵と食養生のオリジナルメソッド
残暑お見舞い申し上げます。いつも読んで下さり有難うございます。和歌山の根来寺に参拝しました。こちらは初めてです。根来寺の、本堂です。(大伝法堂)(新義真言宗)元々は、伝法院は、高野山にあったそうです。。覚鑁(かくばん)上人という、佐賀県生まれの、「空海以来の学僧」と言われたお坊さんが、高野山に、学問探求の場として、「伝法院」を建てたのが、そもそもの始まりだそうです。これは高野山で、大いに隆盛したそうですが、これに反対する勢力と、覚鑁上人側との間に、対立が起こり、伝
5年前に初めて高野山に一人で上り御影堂の前で不思議な体験をした頃は、私はまだ苦しみの海に溺れていました。5年たった今はまるであの頃の事が嘘のように、霧が晴れたように晴れやかな日々を送れています。ずっとお礼を申し上げたいと思い続けてきた事がやっとやっと叶うのだと私の胸は高鳴りました。5年前に宿泊した蓮華定院さまは高野山入口の女人堂近くにあり壇上伽藍は少し遠く、夜道を一人で歩いて行くのは初めての道ですし少し心細かったです。今回宿泊した総持院さまは壇上
清水寺から茶碗坂を下りました。東山五条です。さて暑いしここからは交通機関使うか?しかし道案内標に五条駅12分智積院13分とあります。ということは京阪の駅に着くまでに智積院に着ける。暑い中だけど休憩すればもつだろうで東大路を南へ歩いたのでした。蔭に入らせていただき、はて座れんかいな座るとこはないですね~木陰を選んで歩いたら自然ここに近づく不動堂。さらに金堂。座れないねー木陰を歩くと北海
今から、粉河寺様初参詣の続きを書きます。昨年の春大学時代のお琴の師匠の引退公演を観に行く為に関西へ旅行した時、生まれて初めて滋賀県を訪れました。その時に石山寺様を訪れ西国三十三所巡礼を発願いたしました。その旅行では三井寺様と竹生島宝厳寺様にもお詣りいたしました。秋には奈良を訪れて長谷寺様、岡寺様、興福寺様にお詣りいたしました。今年の春は再度奈良を訪れ壷阪寺様にお詣り出来ました。今回の旅でも出来ればどこかの札所にお詣りしたいと願っていたところ、念
根来寺様で大師堂および大塔と大伝法堂へお詣りした私と夫は、いよいよ真言宗智山派および豊山派と新義真言宗の開祖である興教大師覚鑁上人の御廟奥の院へと向かいました。ねごろ歴史資料館を訪れた時のブログにも既に詳しく書きましたが、覚鑁上人は康治2(1143)年12月12日に入滅され奥の院にお眠りになっていらっしゃいます。根来寺様の前には覚鑁上人が荼毘に付された菩提院があるそうですが、この日はわかりませんでした。また、御廟の手前左右の墓地は歴代座主と長老の墓所だ
庭の半夏生が半白になってきました。半夏生の葉が白くなって来ると半夏生の季節が本当にやって来るのです。半夏生は涼やかだから大好きです❤半夏生は三白草とも言って漢方薬にもなるそうですよ🎵思いがけず根来寺様で大師堂へお詣りして大変感動した話を一つ前のブログで書きましたが、お大師様にお礼とお祝いとを申し上げた後、私と夫はいよいよ真言宗智山派と豊山派の開祖であり、新義真言宗の開祖である覚鑁上人様の御廟にお詣りしました❤こうして少しずつ細かく思い出しながら
根来寺様のお話にようやく戻ります❗バンザーイバンザーイ🙌伽藍の東側へと歩いて行った私と夫は、一番手前にあった大師堂にまずお詣りしました。大師堂は天正の兵火を辛くも逃れ今も残っている大変貴重な建物で、重要文化財に指定されています。弘法大師様の坐像が1391年に造られた事から同時期に建立されたと考えられるそうです。弘法大師様以来の正しい教学を再興させようとして同じ高野山同士で諍いひどい迫害を受け、根来の地に下りてほどなく遷化された(一言も、どこにも
昨日、根来寺様への初参詣についてブログに書こうとした所、なぜか何度やっても記事の下半分が消えてしまう現象が続きました。そこでハッと気づいて大黒様の事を書いた部分を消したところ、無事残せました。私はこの度有り難いお導きにより、祖父母の寺の真言宗智山派の開祖である、覚鑁上人が開創した根来寺様へと高野山に上る前に辿り着く事が出来ました。また、たまたまお昼を食べに立ち寄ったねごろ歴史の丘では、根来寺様の歴史について事前に学ぶ事が出来ました。さらに、本坊の入
今こうして2週間前の和歌山旅行のことを細かく思い出しながら、根来寺様について間違いがないようによくよく調べながら心ゆくまでゆっくりと少しずつブログに書いていると、なんて自分は幸運なんだろうと、我が身の幸せと有り難いお導きに打ち震えるような思いです。心に移りゆくよしなしごとを徒然なるままにそこはかとなく書きつくれば、うたかたのように消えてゆく日々の記憶が私の指を通して繋ぎ留められ、後でスマホを開くとそれはまるで貴重な宝石のようにキラキラと輝きを放って、
5年ぶりに高野山様に上り、弘法大師様に一目お目にかかってご誕生1250年をお祝い申し上げると共に、お陰様ですっかり幸せになりました、ありがとうございますとお礼を申し上げたいその一心で、万障繰り合わせて万感の思いで、和歌山へと旅立ちました。思えば、何年も何年もどうか妹達をお助け下さい、闇から救って下さいと泣きながら一人あちこちをとぼとぼと歩き回り、休みごとにコツコツと供養を祈る行脚をしていたのに、今では妹達も信じられないくらい幸せになったばかり
おはようございますお訪ねくださってありがとうございます😊旅好き好奇心旺盛英語通訳案内士のTinaです😸和歌山県の根来寺そして、根来塗をご存知でしょうか?先日、お訪ねしましたので書き記しておきます私は取材に同行して横から拝見しました高野山から移られた覚鑁上人が開創されたお寺が根来寺で一時期、大層栄えたそうですそれが脅威だったのでしょう秀吉に燃やされて大部分焼失しました歴史を語ると長くなるのでそちらはまた改めます本題の根来塗です根来塗も火攻めで廃れ塗師
粉河寺から緑化センターに寄った後、根来寺に行きました桜が満開と聞いたので行きました【根来寺境内】大伝法堂(本堂)豊臣秀吉の紀州攻めで根来寺が焼失大伝法堂は焼け残ったものの解体され1827年に再建本尊は大日如来・金剛薩埵(こんごうさった)・尊勝仏頂(そんしょうぶっちょう)の三尊です秀吉の紀州攻めの際、京都嵯峨へ運び出され、1827年に修理が完成しますとても大きい三尊像、そのように運びだしたのか、いつも感心します大日如来の御朱印を授与しました大塔(国宝
信貴山玉蔵院(ぎょくぞういん)は、信貴山の山内塔頭として平安末期に創建されたと伝えられている。平安時代の興教大師・覚鑁(かくばん)上人が信貴山に参篭の際、毘沙門天より授かった摩訶不思議な玉「如意宝珠」をこの寺に蔵められたことから、「玉蔵院」と呼ばれるようになったとされる。そして、祈願寺として、浴油堂、融通堂、地蔵堂を中心に諸願成就の祈りの場を設け、また、宿坊のある寺として親しまれている。宗派:信貴山真言宗御本尊:毘沙門天所在地:奈良県生駒郡平群町信貴山
23.01/02mon.10:45-11:35初めての参拝は、2012年(平成24年)近畿三十六不動尊霊場第34番根来寺不動堂JR和歌山線岩出駅から歩いて…今回、南海樽井駅からバス前回の岩出図書館前でなく根来寺門前ただし、駐車場に並ぶ参拝車と共にバス…帰りの岩出図書館前発バス時間を確認して根来寺鐘楼門開山覚鑁上人(興教大師)が本尊光明殿、初詣に並ばれてます皇大神宮御正宮に列をなす参拝は不可能「横に広がって御参拝ください」右に、本坊を過ぎ谷川を渡っ
紀州根来寺(ねごろじ)の最後は不動堂に行きました4年前にもブログ書いてました。せっかく写真読み込んだし紅葉がきれいだったのでブログ書きます香川県にも「ねごろじ」がありますが、根香寺と書きます。四国八十八ヶ所霊場の一つです。余談でした入口です。奥が本堂。紅葉が見頃でした不動堂は豊臣秀吉によるの焼き討ち後、1667年までに再建されました根来寺の中で一番早く再建されました拝殿本尊は、きりもみ不動(不動明王)高野山で発生した”錐もみの乱”で興教大師覚鑁(かくばん)の命
足守神社観音寺所在地:和歌山県和歌山市木枕343電話番号:073-478-2635主祭神:足守大明神ご利益:足病平癒、スポーツ成就駐車場:あり足の神様「あしがみさん」として親しまれている足守神社(あしがみじんじゃ)に参拝しました。現在に残る神仏習合の面影神仏習合の姿がそのまま残っているようで、右側の階段を登ったところに神社⛩があり、正面にお寺があります。高野山の高僧、覚鑁上人が大池造営の難工事で足を痛めた人々を憂い、都から愛宕山足千現大明神(あたごさんあしせ
紀三井寺編5からのつづき根来寺は1132年(長承元年)高野山に開かれた大伝法院を始まりとする新義真言宗の総本山です。開祖は、興教大師覚鑁(かくばん)上人です。元は高野山にあったのですが、覚鑁上人と高野宗徒との間に不和が起き、この根来の地に移ったそうです。現在の境内は36万坪で、広々とした境内に堂宇や塔がゆったりと建っています。まずはゲートを抜けて入って行くと、立派なお堂が見えてきました。重要文化財の大伝法堂です。1826年(文政9年)中に入ると、圧倒されるような大
皆様こんばんは。いかがお過ごしでしょうか?いつもブログを見て下さりありがとうございます。実は昨日の夜、お酒をいただき、寝ぼけてドアと床の間に左足の小指を挟んでしまいました。クスリを塗って寝ましたが、今朝もズキズキしていたのでテーピングをしました。だけど、、、歩く度に痛くて、、、辛かったんです。ヨガが出来なくなったらどうしよう。お仕事できるかな?などなど、、でもね。ふと、思い出しました。近くに足の神様がおられたこと。和歌山市東山東の足守神社さまに行ってきました。
2019.11恐るべき大移動をし、北国と南国の紅葉を追ってますね雪が来そう!なとこからもう来てた空港のはしっことらえたりもうこわくないぞ大都会と紅葉が一体化する街こうよう①パークホテルの外壁はコントラストに向き過ぎ。建て替え話はどうなったか?個人的札幌紅葉スポット
ブログ書きの進み方どんどん見えてきて楽しいです。前稿に昔のアルバムから撮った写真上げさせていただきました。きれいじゃないが、多少セピア色かかってるも味わいだと思うし、何よりビジュアルを広げられるのでそれなりにあげさせていただきます。その古いアルバム、本棚からゴロリと出てきたんです。活用されるのを待ってたかのように・・一応2016~なのでそれ以前の写真も度が過ぎなければ上げてOKですよね?これにより多くの都道府県記事をよりよく
伊勢の占い師☆月美結貴です。信貴山☆朝護孫子寺戒壇(かいだん)巡り前回の続きです。大般若祈禱のあと、「戒壇(かいだん)巡り」を案内されました。戒壇巡りとは本堂の地下にある暗い回廊を手探りで進んでいきます。真っ暗なので、右手で壁を触りながら少しずつ移動していきまし。暗い回廊の奥には、願い事を叶えてくれる「如意宝珠(にょいほうじゅ)」が納められています。その宝珠が納められている錠前にふれると「心願成就」のご利益があるのです!その如意宝珠は覚鑁(かくばん)上人(=興教
一昨日に続き、新規参入の霊場を紹介します。根来寺。紀州で一つの霊蹟札所です。行者さんとのご縁もさることながら日本の歴史に大きな足跡を残した寺院です。マニアックにはまりすぎないように紹介したいと思います。概略右半分が根来寺山内ですね。5つの部分からなるように思います。一番上は⓵お塚です。葬られている方は開祖(中興とも)者です。右上、平行四辺形は大きい、②伝統建築ゾエリアです。中央寄り長方形③お堂エリア。右端は④不動エリアでい
出勤前に近くの公園で桜の蕾チェックしたらかなり膨らんでいて慌てて開花予想をチェックしたら満開が3月末だったヤバい!今年は例年通りだと思っていましたが昨年と同じく一気に咲きそうですこれは早く予定を立てなくちゃと浮き足立っているこんばんわ味醂です{あそこにもあっちにも行きたい!さて、今回は3月5日に友人達と行った泉佐野市神社仏閣めぐりラストを飾るのはコチラ根来寺(ねごろじ)えっ・・?ここって和歌や・・・{シッ‼寺標と石段車で来たので駐車場から直接、入山したので大
東山七条にある真言宗智山派の総本山智積院に行ってきました。さりぃは1月30日までの京の冬の旅前期公開に行きました。現在は堂本印象さんの襖絵が公開されています。智積院特別公開|【京都市公式】京都観光Navi京都の祭りや季節の行事、アートイベント、体験・ツアー、寺院の特別公開まで。今知りたい、旬の観光情報を発信しています。ja.kyoto.travel900円で収納庫と庭園(通常500円)にも入ることができてお得感もありました。歴史:豊臣家vs徳川家智積院の歴史は複雑。さ
四十三番明石寺唐破風という形、そして明るい色の瓦屋根。一目で明石寺とわかる。額には源光山と。なんと源頼朝中興という、タイムリー?な由緒ある霊場。本堂。ご本尊千手観音。大師堂。本堂も、ですが、お賽銭、床下に入れる風になってる。お堂と山門の瓦。頼朝さんは、命の恩人池禅尼さんの菩提を弔うとして、この霊場に多額の寄進してます。将軍ではあるが、信仰への傾斜の深い人。鎌倉期は、武家政治の始まりという時代相が強調されがちだったが、この度の大河は、頼朝さん
令和3年11月21日参拝JR宇都宮線蓮田駅西口から丸谷ゆき朝日バスに乗り「高虫」バス停下車徒歩5分です。赤坂光蔵院の住職が埼玉のお寺を兼任してるなんて興味深いじゃない🙄この辺ではめずらしくない梨畑や防風林という風景の中を歩き妙楽寺へ到着(´◡`)ノこちらは「あの日のオルガン」という映画にもなった初めて乳幼児の疎開を受け入れたというお寺さんなのです。映画ではひどく荒れたお寺という設定でしたが現在の妙楽寺はとてもキレイです。石灯籠の手前に天明2年(1782)建立の百万遍講中と刻まれ