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クラスや講座のご案内、お知らせなどはこちらから→はじめての非二元・ノンデュアリティAmazon(アマゾン)古典インド哲学のアドヴァイタ・ヴェーダーンタ(不二一元論)から現代のノンデュアリティまでを一気に読み解く!脱非二元難民、誤解だらけの非二元・ノンデュアリティを府におとす本。「それ」とは何か?シャンカラの説いたアドヴァイタ・ヴェーダーンタ(不二一元論)とはどのような教えなのかアドヴァイタと仏教の悟り「私はある」のか「私はいない」のか、真我と無我に
今日はシェア会をしていたのですが、ある女性がとっても答えを聞きたがっていました。「それで、どうなった?」「その時、何を感じた?」モモ・ルカ「それは自分で体験して感じることが大事だよ」と言っても、答えを聞きたがるのです。それで、ある男性が自分はこう感じたよ~ってシェアしてくれるのですが、納得したいから質問がずっと続いていたんです人生のゴールを急ぐのではなく、人生の過程が大事です私たちの人
悟りを開いた丘尼による頭と心で理解する悟りの開き方明日も更新します✨見てくーださーいo(^-^o)(o^-^)oありがとうございます❗
みなさん、こんばんは~。満月は来週の火曜日ですが、なんとなく満月の写真を載せてみました念を飛ばされて夜中に大変だった話しを書きましたが、モモ・ルカがまだ起業する前、お勉強中だった時の事モモ・ルカの勉強って言うのは、毎日の生活の中で、スピリチュアル的なことを試して、検証するという勉強でしたそれで「念を飛ばす」と本当に霊体として見えるのか?を検証するため、ちょっとした知人へ怖い怒りの念を飛ばしてみたんです。その方
こんつあ~!冬至のせいか?敏感になっている景呼です。一昨日から説明できない感覚があり、雰囲気はつかめるけど難しくて言葉にすることができなかったです。なんですが、今日ここにきてめっちゃスッキリしてるので書いてみよかと思います。☆今日は個人の私の正体についてとその後ろにあるもについて。結論から書くと私たちヒトは有機体の自動意思決定装置です。と書くと味気ないように感じるかもしれませんが、それが科学で証明されてる客観的事実です。我々は普段何気なく「意識が変わる」とかい
今年の4月ごろの体験を書こうと思います。その時は、なんとなく頭が痛く、ベッドに横たわって目を瞑っていると、かすかに頭の表面をわずかな電流のようなものがピクピクとうごめいているのを感じた。そのまま半分眠った状態になり、しばらくして意識が戻ると、脳内に白い光がふわーっと迫ってきて、その光に包まれた感覚になった。これは瞑想中に何度か体験していた光である。でもこの時は瞑想中ではない。その光には中心があり丸い感じがした。さらに神聖幾何学模様もうっすらとあったような気がする。さらに光の強さも
PCとの格闘ほぼ1週間。Windows10最新バージョンのインストールを無事完了しました。(ほっ)最後はMicrosoftのカスタマーサポートを頼りました。問題があっという間に解けたわけではないのですが、ちょっとした裏技で問題を回避することができたので良し。何度も初期設定に戻したりして、あれこれ試行錯誤しまして、時間を相当浪費しましたが、お陰でかなり詳しくなりました。まだいくつかやるべきことはあるのですが、メモリ増設、SSD換装からOSの再インスト
昨日から妻が北海道出張のため久しぶりに一人生活を堪能しています。(笑)まぁ、独身生活は長いので慣れてはいるのですが、それでも日常当たり前にそこにあるものがないと寂しくなるものです。石の上にも3年。人間の適応能力というのはそういうところからもすごいものだと思います。男性脳、女性脳という区別があります。後天の性格や性質の問題はもちろんあるのですが、そもそも身体的機能の違いや役割の違いが元々あるので、男女は基本的にわかり合えない存在なんですよ
日常のほんの些細な出来事の中に目覚めの種といいますか、そういう奇蹟が散らばっているのだとつくづく思います。すべての人・事・物は見性体験の元ですね。ちなみに、目覚めは自分の意識に委ねられます。一つ一つ丁寧に、何事も素直に体験してみることが大切です。喜怒哀楽すべての中に本来慈しみはあるのだと先日教えていただきました。普段ぼーっと生きていると、そんなことは目にも入らないし、また気づかない。いつどんな時も一生
種を蒔く時期も、花が開く時期も、そして実をつける時期も、一人一人本当に違います。慌てず騒がず、じっと待つことですね。「私の価値観」というものほど曖昧で、当てにならないものはありません。真に相手(の価値観)を理解、受容するにはアドラーがいう共同体感覚を真に体感せねばなりません。人は皆、間違いなくわかり合え、受け入れ合うことができます。しかし、フリッツ・パールズ(ゲシュタルト心理学)の「もしわかり合えなければ、それは仕方がない」という言葉の通
過去を振り返り、すべての出来事が、自分の本性に目覚めるために起きたことだとわかったときに、人は本当の意味での自分に戻れるのだと痛感します。それぞ「見性体験」。コツは何てことない。ただ、自分の性格や思考、感情に振り回されないことです。振り回されないというのは、客観視できるということ。心を自由に。今日も素晴らしい機会と時間をいただきました。ありがとうございます。※夏限定マンゴーパフェはまもなく終了です。(笑)メルマガ始めました!
人生は、理論理屈ではなく体験がすべてです。体感のない知識は不要だと言っても言い過ぎでないかもしれません。僕の周囲でも、今は学校に行けなくなっている子どもたちが本当に多い。それは、子どもに問題があるのではなく、世の中の仕組みがもはや古くなっていることの証しの一つでしょう。学びのあり方を、大人は考えなければならないのだと思います。いかに体験を増やすか。それも、自らの、そして他者の本性を垣間見る体験をどう増やすか。自分に正
女性の方が一般的には感覚的なせいか、僕の周囲でも、いわゆる「見性体験」は、女性の方が早いですね。それも、心の狭い、疑いの目で何でも見てしまう人よりも素直な女性の方が早い。そういう人たちはほとんど即効です。(笑)素直さというのは心の器の大きさに比例しているのだと思います。素直に何でも体験してみることが大事ですね。昨日もゴッドクリーナーを試しました。相変わらず出ました、出ました。とにかく3日間は連続でやった方が良いというアドバイ
見性体験はそもそも日常にあることを知りました。性格性質を超え本性が感じられたとき、私がワタシになったとき、心の器は大きく広がります。そこには許しがあり、感謝がある。それは、特別なことではなく、実は当たり前にいつもあることなんだと知ることができるのです。中央道の事故による通行止めのお蔭で車中、仲間とゆっくりじっくり語り合いました。素晴らしかった、楽しかった。そういうすべてがやっぱり見性体験なのだと思うのです。今日も気づきの連続。自分を
【「見性体験」へのとらわれが悟りの妨げに】なんか、ニュースのタイトルみたいですが。禅の書物にみる見性の体験談は、すごく楽しそうです。先輩方は「宇宙との一体感」「夜空に吸い込まれるような」などと言ってます。昔から、醍醐だ甘露だと、修行者は期待してきたんだと思います。しかし、長じて、これが「憧れの経験」として、がっつり根付いてしまっていたらどうでしょう。今日の今まで、私(とん)は、この、一種「意図せぬトラップ」に気付かないままでした。かえって「必要な装備」として認識していたようにも感
北海道苫小牧市小さな魔法とモノ作りの工房AtelierSEI(アトリエセイ)です☆クリスタルとケルトの叡智・スピリチュアルセッション☆☆魔法の杖・不思議雑貨制作☆☆各種ハンドメイド講座☆ココんとここちらのブログは制作モノ寄りになってますが、チョイト箸休め的に本の話なんぞ。若いころから今まで読んできた本をピックアップして書いてくのも面白いかも、なんて考えてたもんで、時々ネタに困った時なんかに差し込んでいこうかな、と。(。・ω・)ノ゙さて、物心ついたころから
思考の作用は強力です。例えば、日常のちょっとした事でもめんどくさいつまらないやってもどうせ変わらないなどと考えたなら、あっという間にそうなります。「事実」つまらないこととなりやってもしょうがないことと、成り下がるのです。その思考は、瞬時にそれを創造しています。しかし、そこでもしも次に思考から離れることができたなら、それは跡形もなく、なくなるでしょう。思考が現実を生み出す瞬間がここにあると、体験することになるのです。例えば親や