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昨年のちょうど今頃、かつて関西と長崎・佐世保を結んで走っていたブルートレイン「あかつき」に乗車した時の思い出を記事にしましたが、今回は「あかつき」と同じ関西と九州を結んでいたブルートレインで、その歴史の末期にはその「あかつき」との併結運転も行っていたブルートレイン「なは」に乗車した時の思い出を振り返りたいと思います。寝台特急のイメージが強い「なは」でしたが、1968年10月のダイヤ改正でこの列車名が命名されたのは、大阪ー西鹿児島(現鹿児島中央)間を結ぶ昼行の気動車特急で、那覇というより沖縄を
このたびの相次ぐ九州での線状降水帯発生に伴う被害に遭われました方に心よりお見舞い申し上げます。一刻も早い復旧を心よりお祈りしております。ーーー人吉から少し足を伸ばして多良木町に行ってみました。人吉温泉物産館で1枚のポスターが貼ってあって多良木町に珍しいものがあることを発見しました。場所は多良木駅のすぐ横。その昔活躍していたブルートレインはやぶさが置かれていました。この車両は今でも宿泊施設として利用できます。行き先表示も当時のまま。B寝台ソロの車両もあります。星3つは二段式ですね。
皆さんこんにちは。寝台特急安芸。1975年に新大阪ー下関間を呉線経由で運転されていた列車でした。当初は20系でしたが、最後は24系25型使用でした。下関20時5分広島発23時29分呉線経由大阪には5時29分新大阪5時36分着。距離が短く時間帯も悪かったため利用が芳しくなく特急になってわずか3年後の1978年10月に廃止になりました。阪急神戸線の始発列車で大阪駅につき階段を駆け上がった時には発車していて慌てて撮った一枚です。寝台特急彗星1号新大阪行。当時の「彗
その後は…日南線に乗り海など見ながら末端の志布志に到着色々と写真を撮りまくりました。そして…鉄道記念公園へ行きあっ…塗装がとても綺麗…感激…その後は駅へ戻り…国鉄型キハ40にて南宮崎そして…特急きりしま号に乗り西鹿児島…じゃなく…鹿児島中央に着きました。
小学生の頃、ブルートレインに何回か乗ったことがある。その一つが東京から西鹿児島まで走っていた「はやぶさ」だ。日豊本線経由の西鹿児島行きだった「富士」が一番長い走行距離を走っていたが宮崎までに短縮されていたので「はやぶさ」は日本で一番長い距離を走るブルートレインだった。そのときの写真はどこかにしまい込んでおり下りはやぶさから上りはやぶさを撮影した写真を1枚だけ解像度は低いがデジタル化していた。鹿児島本線の鹿児島県北部の牛ノ浜駅での1枚。当時は車掌さんもおおらか
皆さんこんにちは。上下の「はやぶさ」号を撮影後は、再び西鹿児島駅に戻りました。座席夜行連泊はちょっときついのでビジネスホテルに泊まりました。まだ日があったので少し撮影。特急つばめ24号門司港行。一日往復だけ門司港ー西鹿児島間運転のつばめ号が走っていました。指宿からの快速なのはな14号日豊本線国分行です。普通電車出水行。475系とキハ200の並び。普通444D国分行。当時はほぼ終日西鹿児島ー国分間に30分間隔で普通列車が運転されていました。【購
皆さんこんにちは。早朝博多から到着した西鹿児島駅に戻ってきて時間潰しがてらに撮影中。少しぼろぼろ感のでたキハ58系の724号車。指宿枕崎線普通列車の山川行です。当時の普通列車に運用されていたキハ58系は車内外とも結構老朽化が激しかったような気がします。西鹿児島11時20分発の普通熊本行に乗り降りたのがホームから東シナ海が望める牛ノ浜駅に向かいました。牛ノ浜駅ホームから臨んだ海。カレンダー2025絶景鉄道(月めくり/壁掛け)(ヤマケイカレンダー2
皆さんこんにちは。肥前大浦駅から夕方の長崎本線を南下して長崎駅に到着。駅構内の食堂で長崎チャンポンを食べて折り返し特急かもめで深夜の博多駅に戻りました。デジカメだったらもっといろいろ撮影しているんでしょうが。時刻表を見ていると寝台特急みずほさくらあかつきともすれちがっていました。【購入者限定特典付き】カレンダー2025四季を駆ける特急カレンダー(月めくり/壁掛け/「スマホ・PC壁紙に使えるオリジナル特急デザイン画像」データ配信)(インプレスカレンダー202
「一度乗りたかった」シリーズの前回は、東京と鹿児島を鹿児島本線経由で結んでいた急行「霧島」を中心に、東京ー九州間直通の急行列車を取り上げましたが、今回はともにかつて東京ー西鹿児島間を結び、日本最長距離走行の列車として名をはせていたブルートレイン「富士」と「はやぶさ」についてです。まず「富士」は昭和初期からの長い歴史のある列車愛称ですが、ブルートレインとしての運転開始は1964年10月のダイヤ改正の時と、東京ー九州間ブルートレインとしては最後発でした。このダイヤ改正まで、東京ー熊本間を結んでいた
鹿児島本線を経由して東京へ行く。ってのも、かなりアリだろうなって思ってしまうんだよね。間違いなくね。西鹿児島から東京。つばめ号で博多まで行って、ソコから東京へ行く。ってのがオイラが行ったルートだったりするんだよね。大昔は乗り換えなしで夜行列車で行けたんだよね。そりゃかなり遠い昔話にしかならないんだろう。はやぶさ号で行けたからね。ぶっちゃけね。ちょっと早い時間に行くのでは?13時に出発して、朝10時に到着。だからねぇ💦
昭和の特急の象徴だったりもするんだろうね。夜行特急の富士号。西鹿児島を朝9時40分頃に出発して、東京を翌日の10時10分に到着。コレも凄いなって。利用してみたいなって思ってしまうくらいの魅惑的な世界が詰まっている感じがする。朝は早めにチェックアウトして、夜行特急に乗る。そう言う旅の仕方をしなくちゃならない。って思ってしまうんだよね。西鹿児島から東京を24時間30分を利用するってなったらね。そうなれば?九州地区だけでも9時間をかけて行く感じになるんだろうな
大昔はかなり走っていたんだよね。東京から夜行急行がね。新幹線が開通する前はかなり走っていたんだって。在来線がパンクする寸前まで。頻繁に走っていた。29時間をかけて走った夜行急行などもあったんだよね。高千穂号だけどね。日豊本線を経由して西鹿児島まで。凄いなぁ💖朝に出発して、翌日の夕方に到着って感覚になっていたんだろうな。きっとねぇ💦長距離で走るのがニーズとして高かった。確実にあったんだって。
東京から日豊本線経由で西鹿児島まで24時間30分。当たり前に毎日、運転していたんだからね。信じられないのかもしれないが。東京横浜熱海浜松名古屋福山広島柳井防府宇部下関門司中津別府大分佐伯延岡日向市宮崎都城霧島神宮隼人鹿児島西鹿児島本当にロングラン。東京を1800に出発して、名古屋に2249に到着、広島に翌朝の557に到着、下関に909に到着、大分に1145に到着、
東京から、日豊本線経由で西鹿児島まで行く富士と言うブルートレインがあった鉄道にロマンがあった時代同じ区間は寝台特急「はやぶさ」もあったけれど、「はやぶさ」は鹿児島本線の熊本駅を経由「富士」は日豊本線の大分駅・宮崎駅を経由なわけで鉄道トリビア(284)東京~西鹿児島間を31時間以上かけて走った列車があった2014年12月19日、東京駅100周年を記念し、寝台特急「富士」の復活運転が行われた。「富士」といえば、かつて東京駅と西鹿児島(現・鹿児島中央)駅を往復した
昔はあったんだよなぁ24時間運転の夜行列車があったのは確かだよ。富士号。東京から西鹿児島。東海道本線山陽本線鹿児島本線日豊本線を走っていたのよね。因みに西鹿児島って?今の鹿児島中央駅。ココを24時間以上をかけて走っていた時代があったならば?もう一回、オイラのために実行してぇってなるよねぇ
西鹿児島行寝台特急「はやぶさ」発車間際の賑わう東京駅ホーム。25型客車も艶やかだ。。1976
昨日、ハイジャン男は和白干潟を後に、白浜バス停へ向かった。先ず、西鉄貝塚線の踏切を渡る。遮断機が降りて、電車が来た。下りの新宮行きである。西鉄貝塚線-Wikipediaja.m.wikipedia.org西鉄貝塚線のWikipediaである。西鉄貝塚線は2007年までは、西鉄宮地岳線と呼んでいた。現在は、貝塚と西鉄新宮との間を結ぶ単線の鉄道である。さて、白浜バス停に来ると、JR九州鹿児島本線が道に並行していた。下りの特許ソニックがやって来た。大分と博多を結ぶ特急である。
皆さんこんにちは。特急有明11号熊本行です。短編成化の際先頭車改造されたクモハ485-5になります。乗降口を編成で揃えるためにトイレ洗面台のある方に運転台を増設したためにクハ481とは側面の印象が異なります。特急みどり11号佐世保行特急ハウステンボス11号ハウステンボス行特急かもめ19号長崎行です。赤一色でわかりにくいのですが、手前の4両が特急みどり11号その前の3両が特急ハウステンボス11号。その前に5両編成の特急かもめ19号が併結された3階建て12両編
皆さんこんにちは。指宿で一泊翌日は定期観光バスで開聞岳〜池田湖〜知覧などを巡って鹿児島に戻り桜島にも行って一泊しました。そして翌朝帰途に。特急ハイパー有明24号博多行。1988年3月に登場したJRグループで初の新型特急電車783系。「ハイパーサルーン」の愛称がつけられていました。西鹿児島方先頭車はクロ782。783系の特徴として乗降口が車体の中央に設けられていて客室が前後に分かれていたことでした。最後尾のクロ782は、展望席になる運転席側が12名後
皆さんこんにちは。次の列車まで時間があったので改札を出ました。乗車してきた特急にちりん1号。霧島神宮での写真では、中間車まではわからなかったのですが、混色編成でした。後の宮崎より先頭車は、ボンネットのクハ481。小窓の並ぶ元クロ481からの改造車600番台でした。モハ485-154モハ484-256中間車の2両は、JR九州のREDEXPRESS化リニューアル改装がなされていました。ただこの2両は、のちのちは、特急かもめ専用の車両になるものでした。
皆さんこんにちは。急行えびの3号に乗って人吉駅に。くま川鉄道KT200車両。1989年にJR湯前線から第3セクターくま川鉄道に転換されました。その開業時の車両です。KT200の車内はロングシートでお手洗いが設置されていました、そのお手洗いのある窓のない部分には、人吉地方の民芸品の「きじ馬」が描かれていました。このKT200型は老朽化で2014年ごろに引退しています。このくま川鉄道も2020年の豪雨災害で全線運休の甚大な被害を受けましたが、2021年
皆さんこんにちは。九州特急シリーズ??最後は鹿児島本線の代表的列車だった有明号です。1980年代に九州で走っていた列車で唯一廃止になった列車名です。(特急おおよど号は除く。)博多駅にて直流専用クハ181改造のクハ481−500番台先頭の特急有明号。こちらはクハ481−0番台の特急有明。漢字の列車名ってどれだけありましたかねえ。絵入マークの方ですが、翌1985年の九州乗り鉄の時に初撮影。西鹿児島駅(現在の鹿児島中央駅)にて。先頭車化改造のクモハ4
小学校の時に憧れていた寝台特急富士EF65にけん引されている姿もEF66にけん引する姿も大好き初めてNゲージを始めた小学校の頃は、お金がないため24系客車を購入することが出来ませんでした。しかし、Nゲージ熱が再燃してからは、いつかは24系客車を買いたいと毎日ヤフオクをチャックしていました。そしたら、未使用状態に近い24系客車が出品されていたので、気合を入れて落札先日、24系客車が自宅に届きました。外箱に傷はほとんどなし。では、ケースをオープン
皆さんこんにちは。早岐駅で撮影した後は、現在は第三セクター鉄道になっている松浦線を乗りつぶしに行きました。早岐から有田に向かい伊万里を通って反時計回りで佐世保へ出ました。佐世保からは、時間を潰しながら小倉へ小倉では事前に調べていた駅前付近の銭湯に行き門司港に向かいました。確かその夜は、急行日南に乗車、座席夜行連泊で疲れていたのでB寝台で西鹿児島まで向かったように思います。西鹿児島駅。ホームの時計を見ると10時20分ごろ。快速錦江2号宮崎行。レ車自体は、川内駅始発
皆さんこんにちは。今回からは、1987年3月の九州乗り潰し旅行の最初からになります。九州入りする前には、関東の友達を訪ねておりどういう旅程だったか覚えていないのですが、記録を残していない。。。夜行急行かいもんで西鹿児島に到着した朝から始まっています。特急有明10号博多行。6時54分発で博多には11時23分に到着していました。現在だと7時発のみずほ600号に乗ると10時49分に新大阪に到着してしまいます。新幹線は早いですね。特に熊本ー鹿児島中央間の時短効果が大き
模型の導入順に、当時の思い出を話しながら同時に交検(定期運転検査)を行っている「模型紹介シリーズ」。今回は「24系25形100番台寝台特急なは」になります。かつて新大阪~西鹿児島間を結んでいた寝台特急で、客車列車の他に581系なんかも走っていた時期も有りました。名称の「なは」は、当然沖縄には行きませんが、昭和の一部、沖縄が「米軍の領土だった時代があり」変換を願って車名に付けたという話も子供の頃見た記憶があります。これは「ウィキペディア」には載ってないですね。模型の方なんですが、「
皆さんこんにちは。1985年3月の西鹿児島駅。越後ときめき鉄道で復活するらしい交直流国鉄急行色。この写真では、現役の時ですが、急行での運用はなく、普通電車となっています。先頭のクハ455は、見た目どおりのグリーン車改造の600番台です。そして文字どおり昼寝中のブルートレインは、はやぶさです。14時36分に西鹿児島に到着して翌日の発車は、12時11分ほぼ一日この中線で休憩していたようです。日豊本線の国分駅か隼人駅だったと思います。特急有明に連結されていた
皆さんこんにちは。1985年3月で廃止になったあるサービス。ネガが変色してお見苦しいですが、文字幕時代の特急にちりん。乗降口横にビデオ特急のステッカーが貼ってありました。車内も記録していました。正面のスクリーンに映画や、観光案内を上映していました。1980年代前半に特急有明の一部に連結されていて確か自由席扱いだったと思います。これを撮影した時には、サービスは廃止になっていたと思います。御覧頂きましてありがとうございました。