ブログ記事14件
探索日2018/10/07大牟田線大善寺駅と西鉄大川駅を結んでいた路線1951年9月25日休止、1966年5月6日廃止元は縄手(後の上久留米)と榎津(後の西鉄大川)を結んでいた大川鉄道津福~大善寺が大牟田線に編入、残された上久留米~津福/大善寺~西鉄大川が上久留米線/大川線として独立した福岡県道47号になった大川線跡右の酒造工場は、大川線現役時からある?道路が廃線跡右は大川市立清力美術館『大川市立清力美術館』撮影日2018/10/07場所は
探索日2018/10/07大牟田線大善寺駅と西鉄大川駅を結んでいた路線1951年9月25日休止、1966年5月6日廃止元は縄手(後の上久留米)と榎津(後の西鉄大川)を結んでいた大川鉄道津福~大善寺が大牟田線に編入、残された上久留米~津福/大善寺~西鉄大川が上久留米線/大川線として独立した西鉄大川駅跡には、にしてつストア明治町店が立地廃線跡は道路になった橋梁跡翼壁の石積みは鉄道時代のものと思われる線路跡の道は突き当りでいったん途切れる
日曜日のお出かけ記事の続きです・・・・。久留米城跡、久留米水天宮の後は、温泉へ。元々お風呂に入りに行く約束でお出かけしましたが、久留米方面ならば・・・・ということで、游心の湯へ。温泉で暖まった後は、某コンビニで名物のプリンパフェを(笑)。もう少し足を伸ばして・・・・。やって来たのは、三潴小学校前の保存蒸気機関車。もともとは大川鉄道(西鉄大川線)で使用されていたコッペル製4号機(何故か5番と表記)です。大川鉄道は、もともと上久留米~大川間を結ぶ非電化1067ミリ路線として開業しました
2023年4月15日(土)かねひろでうなぎのせいろ蒸しを食べたアナログ。せっかくここまで来たのだから、南下して大川市へ。といっても、あるものを見に来ただけ。西鉄大川線(1951年休止1966年廃止)の橋脚跡があるのだが画像では水面から生えている草むらでほとんど見えなかった。肉眼で直接見て辛うじて見える。道草を終えたところで本来の目的の場所であるあおき温泉に戻って来た。浴場内は人が多かったから写真は撮れなかった。浴場は以前来た時と変わったけど、温泉自体は変わってなかったような気が
今日は久留米市城島町にあるあおき温泉で日帰り温泉。その前に近くにあるかねひろでうなぎのせいろ蒸し。ついでに西鉄大川線(1951年休止1966年廃止)の橋脚跡も見てきた。スマホではあおき温泉の写真が一枚も撮れてなかった。
3月に入って仕事が忙しくて火曜日恒例のサブトラックランもできず、昨日までまったく走れませんでしたしかも在宅勤務なので、ほぼ家から出ることもなく今日はやっと走れますどこか新しいところを走りたくて、以前から目を付けていた、西鉄大川線廃線跡ランにしました西鉄大川線とは、戦前に上久留米から大川まで走っていた大川鉄道を、九州鉄道(西鉄の前身)が買収した、大善寺から大川の区間です。西鉄大川線ja.m.wikipedia.org戦後まもなく廃止されましたが、その廃線跡は歩道として整備されています
2010年12月4日鐘ヶ江大橋がかかっている道を横断して、歩行者しか通れない堤防を引き続き歩いて行く。県道47号線に合流して、そこに三又バス停を見つけた。近くには若波酒造がある。犬はいないようだ(笑)堤防沿いの県道47号線の右側をひたすら歩き続ける。再び県道47号線を歩く。左手に大川家具工業団地が見え、その入口を過ぎた辺りで堤防の内側、筑後川の方を視ると大川線の遺構を発見!近くに寄ってみた。橋脚はかなり川のギリギリの所にある。少しでも増水すればたちまち運休を強いられたに違いな
2010年12月4日遊歩道に戻り、大川方面に向けて歩き出した。だが、遊歩道はすぐに県道701号線に合流。コンビニの前に城島新町バス停を発見。バス停には屋根付きの待合室があり、大川線現役時代の待合室を復元させたかと思った。この辺りから遊歩道ではなくて普通の歩道になって、大川線の面影はなくなった。ただ、路面は“城島特産である瓦”が続いており、それがせめてもの救いだった。しばらく歩くとポッポ汽車の描かれたフェンスを発見。更に少し歩くと城島瓦を階段に瓦がこれでもかというくらいに使われてい
2010年12月4日「汽車ポッポ公園」を後にして、再び城島方面に向かって歩く。塚崎付近では廃線跡の歩道が県道から少し離れている。この辺りに駅があったと思われるが、駅の痕跡は全くなかった。タイルで線路が描かれているので、容易に線路があったことを思い浮かべながら歩くことができる。このレンガの建物は大川線が現役の頃からあったのだろうか?この辺りの廃線跡の歩道は田んぼに囲まれているが、その中にポツポツと民家がある。その民家の前を通る時や、たまにすれ違う歩行者からの視線が気になる。しばらく
今年のGWは旅行に行く予定だったのに、“あの”ウィルスや宣言によって中止を余儀なくされた人は少なくないと思う。更に、アメブロの会員さんの中にはどこにも行けなくなってお出かけネタのブログが書けなくなった方もいるだろう。アナログもその中の一人である。なので、今から10年前にパソコンで作成した廃線跡巡りをアメブロ向けに編集して公開したいと思う。それが西鉄大川線の廃線跡巡り。西鉄大川線は1951年に休止して、1966年に廃止された路線。休止から70年が経過した路線。実際にこの廃線跡を歩いた
もともとは大川鉄道(西鉄大川線)で使用されていたコッペル製4号機(何故か5番と表記)です。大川鉄道は、もともと上久留米~大川間を結ぶ非電化1067ミリ路線として開業しましたが、後に西鉄に買収され、津福~大善寺間が標準軌に改められて電化路線になった為、西鉄大川線と称しました。しかし、1951年の筑後川岸改修工事の際に休止路線となり(この段階では再開前提だった)ましたが、結局1965年に正式に廃止となりました。もとは到津遊園に展示されていましたが、現在は旧大川鉄道の廃線跡に移設展示さ
2019年2月16日(土)大善寺駅から大川橋行きに乗って筑紫の誉を目指す。大善寺駅から県道23号線までの50mくらいの道が狭く、離合が難しいくらい。県道23号線の交通量は多かったが、早津崎を右折して県道701号線に入ると一転して交通量は少なくなった。歩道には線路がデザインされている。そして、三潴小学校前バス停には小さなSLがあるが、これは実際に西鉄大川線で使われてたやつ。途中で見かけたレンガの建物はひょっとしたら大川が現役の頃からあったのかもしれない。すれ違ったシャトルバスは超満員
撮影日2018/10/07場所は福岡県久留米市三潴町高三潴「5」になっているけど、正しくは4号らしい
当店の近隣にある保存車両をご紹介しておりますが、今回の保存車両はとても小さいです。もともとは大川鉄道(西鉄大川線)で使用されていたコッペル製4号機(何故か5番と表記)です。大川鉄道は、もともと上久留米~大川間を結ぶ非電化1067ミリ路線として開業しましたが、後に西鉄に買収され、津福~大善寺間が標準軌に改められて電化路線になった為、西鉄大川線と称しました。しかし、1951年の筑後川岸改修工事の際に休止路線となり(この段階では再開前提だった)ましたが、結局1965年に正式に廃