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※こちらの記事は、平成30年7月26日に書かれたものです。皆さんこんばんは。今回は平成30年の大河ドラマ『西郷(せご)どん』第18~20回の感想です。※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。まずはあらすじ。僧月照(げっしょう)(尾上菊之助)と入水(じゅすい)自殺を図るも一人生き残った西郷吉之助(鈴木亮平)は、絶望の中、安政の大獄(あんせいのたいごく)から逃れるために奄美大島(あまみおおしま)に送られた。吉之助は大島で島民と打ち解けようとはせず、自暴自棄の日々を過ごしてい
※こちらの記事は、平成30年8月11日に書かれたものです。皆さんこんばんは。今回は平成30年の大河ドラマ『西郷(せご)どん』第21~25回の感想です。※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。まずはあらすじ。愛加那(あいかな)(二階堂ふみ)との間に男児をもうけ、島の生活に馴染んでいた西郷吉之助(鈴木亮平)。しかし、親友大久保正助改め一蔵(瑛太)の尽力により、薩摩(さつま)に戻ることが許された。吉之助にとってもはや薩摩に戻ることは不本意であったが、一蔵の願いと、愛加那や龍佐
※こちらの記事は、令和3年6月4日に書かれたものです。皆さんこんばんは。今回は令和3年の大河ドラマ『青天を衝け』第9回に関しての楽しみ方を解説したいと思います。大河ドラマを見てみたけれど、歴史もよくわからないし、どう楽しんでいいのかわからない。歴史には興味あるけど、自分では積極的に勉強する気になれない、という方必見です!※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。【『青天を衝け』の楽しみ方】・第1回―渋沢家について・第2回―身分秩序について・第3回―平岡家について
※こちらの記事は、平成30年5月3日に書かれたものです。皆さんこんばんは。今回は今年の大河ドラマ『西郷(せご)どん』第1~5回の感想です。※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。まずはあらすじ。薩摩(さつま)の西郷(さいごう)家の嫡男(ちゃくなん)として生まれた小吉(こきち)(渡邉蒼)は郷中(ごじゅう)の仲間たちとともに伸びやかな少年時代を過ごしていた。そんな中、妙円寺(みょうえんじ)参りで勝利を収めた小吉の郷中だったが、帰り道で別の郷中のものに難癖をつけられケンカとな
「維新ふるさと館」出てから、「西郷隆盛生誕の地」へここに来るのも3回目やと思うわ…西郷先生が生まれた場所に立つと、テンションが上がってしまうんや…もう暫く鹿児島にも来ることないと思うけど、また来た時は寄らしてもらいますわ西郷隆盛生誕の地西郷隆盛と弟・従道が青年時代までを過ご
※こちらの記事は、平成30年10月14日に書かれたものです。皆さんこんばんは。今回は平成30年の大河ドラマ『西郷(せご)どん』第35~36回の感想です。※記事下部に武家や公家の人物の読み仮名をのせています。まずはあらすじ。大政奉還(たいせいほうかん)の成功により、振り上げた拳のやり場をなくす西郷吉之助(鈴木亮平)。坂本龍馬(小栗旬)の無血改革路線とは一線を画す吉之助は、藩士(はんし)に命じて江戸(えど)の商家の焼き討ちを命じる。一方で、新体制を樹立するために吉之助と大久保一蔵(瑛太)は
※こちらの記事は、平成30年5月19日に書かれたものです。皆さんこんばんは。今回は平成30年の大河ドラマ『西郷(せご)どん』第6~10回の感想です。※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。まずはあらすじ。新藩主島津斉彬(渡辺謙)主催の御前相撲(ごぜん・ずもう)で斉彬を投げ飛ばした西郷吉之助(鈴木亮平)は牢に入れられてしまう。そこで出会ったのは謎の言葉を話す男(劇団ひとり)。牢役人に暗殺されそうになった彼を負ぶって帰宅した吉之助は、何とか彼と会話しようと試みる。結果、警戒
京都「時代祭」の前回の続きです。今回は、20ある時代祭の列の2番目から4番目までです。引き続き、明治維新の時代から。②「維新志士列」です。(以下敬称略)「桂小五郎」「西郷吉之助」「坂本龍馬」「中岡慎太郎」「高杉晋作」「吉田松陰」「近衛忠煕」時代は江戸へとさかのぼります。③「徳川城使上洛列」の皆さんです。「酒さえ飲めば、重い荷物も軽かなるわぁ」と元気よく行列が始まりました。重そうな傘を投げました!見事にキャッチ
こんにちは、皆さん。勝海舟の生涯から自分軸を持ち他人に影響されない生き方の大切さをお伝えする歴史大好き社労士の山路貞善です。いつもお読みいただきありがとうございます。GWに入りました。連休を楽しめる方もいれば、仕事に専念されている方もおられるでしょうね。私は会社員時代の30年余り、経理部門に在籍し働いていました。毎年この時期は3月決算業務を行うのが常でしたからGWが休日であった記憶はありません。今もあまり大きく変わっていないかもしれませんね。本当におつかれさまです。【龍
こんにちは、皆さん。勝海舟の生涯から自分軸を持ち他人に影響されない生き方の大切さをお伝えする歴史大好き社労士の山路貞善です。いつもお読みいただきありがとうございます。春本番の季節がやって来ました。地域にもよるのでしょうが、私の住む地域では早くも満開の桜が散り始めました。今年の冬は雪の降る日が多く、いつまでも寒い日が続くなと感じていましたから春の到来は例年以上に嬉しく感じています。さて今回は久しぶりにいつもの投稿ではなく、「コーヒーブレイク」の回とさせていただきます。毎年3
こんにちは、皆さん。勝海舟の生涯から自分軸を持ち他人に影響されない生き方の大切さをお伝えする歴史大好き社労士の山路貞善です。いつもお読みいただきありがとうございます。今年の冬はよく雪が降りました。でもようやく春めいてきました。少し前まで朝ベランダに出る度に寒さに身を震わせていましたが、最近は暖かいと感じる日が増えました。陽が照る時間が長くなり、夕方の空も随分明るくなりました。いよいよ春到来ですね。【伏見寺田屋で襲撃に遭う龍馬】前回の続きです。薩長盟約の成立に漕ぎつ
こんにちは、皆さん。勝海舟の生涯から自分軸を持ち他人に影響されない生き方の大切さをお伝えする歴史大好き社労士の山路貞善です。いつもお読みいただきありがとうございます。【対立する薩摩と長州の主張】前回の続きです。国事会談(慶応二年1月18日)は、長時間を要し夕方から深夜に及びました。その間、論点が手際よく整理されながら順調に協議が進んだとはとても考えにくい氣がします。複数の議論すべき論点があり、結論めいたものが決まりかけては別の視点からの指摘により議論が振り出しに戻って
こんにちは、皆さん。勝海舟の生涯から自分軸を持ち他人に影響されない生き方の大切さをお伝えする歴史大好き社労士の山路貞善です。いつもお読みいただきありがとうございます。【薩長同盟では何が決められたのか】前回の続きです。慶応二年(1866年)1月18日、夕刻から深夜にかけて薩長の幹部たちの間で国事に関する協議が行われたとお伝えしました。では何が議題となり、どんなことが話合われたのでしょうか。薩長同盟は幕末史上、これほど重要なエポックはないと断言しても構わないほどの出来
こんにちは、皆さん。勝海舟の生涯から自分軸を持ち他人に影響されない生き方の大切さをお伝えする歴史大好き社労士の山路貞善です。いつもお読みいただきありがとうございます。【龍馬を待ち受ける幕府の探索方】前回の続きです。坂本龍馬とその一行(三吉慎蔵、池内蔵太、新宮馬之助)が下関を発ち、大坂に着いたのは慶応二年(1866年)1月18日のことでした。龍馬はこの日の夜、三吉慎蔵を連れて幕府の大久保一翁の宿所を訪ねています。一翁はすでに隠居した身でありながら、大坂への召出し
新たな年を迎えました。皆様、あけましておめでとうございます。昨年も当ブログをお読みいただき、真にありがとうございました。この2年間、コロナ禍の毎日が続き憂鬱な気分で過ごすことが多かった多かったことと思います。ですが、そろそろ終焉が見えてきても良さそうな頃です。感染力の強い新たなウィルスを抑え込むには今少し時間がかかるのかもしれませんが、どんなことにも必ず終わりがあると信じて今日という一日に注力してまいりましょう。マスクやアルコール消毒は今後も欠かせないでしょうが、今では日常の生活に定着
こんにちは、皆さん。勝海舟の生涯から自分軸を持ち他人に影響されない生き方の大切さをお伝えする歴史大好き社労士の山路貞善です。いつもお読みいただきありがとうございます。【武器を手に入れた長州藩】前回の続きです。この頃(慶応元年(1865年)夏)、亀山社中(後の海援隊)に属していたのは、龍馬が国許の土佐から勝の海軍塾で学ばせようと呼び集めた者たちです。勝の江戸召還により神戸にある勝の海軍塾が閉鎖されると入塾した高松らの土佐藩士たちは国許にも帰れず、居場所を失くしました。土
こんにちは、皆さん。勝海舟の生涯から自分軸を持ち他人に影響されない生き方の大切さをお伝えする歴史大好き社労士の山路貞善です。いつもお読みいただきありがとうございます。【下関に立ち寄らなかった西郷の真意】前回の続きです。土佐の中岡慎太郎が、薩摩に帰っていた西郷吉之助に会うために鹿児島入りしたのは慶応元年閏5月6日でした。西郷の上洛を求めて帰藩した薩摩藩士岩下方平(みちひら)に同行し、薩長和解を呼びかけるためでした。中岡の説得に応じた西郷の到来を下関で首を長くして何
こんにちは、皆さん。勝海舟の生涯から自分軸を持ち他人に影響されない生き方の大切さをお伝えする歴史大好き社労士の山路貞善です。いつもお読みいただきありがとうございます。【江戸で閑居中の勝】前回まで慶応元年秋における京・大坂での動きを中心にお話しました。今回は勝がいる江戸に目を向けることにしましょう。勝は前年(元治元年)秋に軍艦奉行の職を解かれ、自邸を構える江戸の赤坂氷川で困窮と閑居の日々を過ごしていました。勝邸を訪ねた越前福井藩士からの報告により勝の苦境を知った松平
こんにちは、皆さん。勝海舟の生涯から自分軸を持ち他人に影響されない生き方の大切さをお伝えする歴史大好き社労士の山路貞善です。いつもお読みいただきありがとうございます。【外交家として名を高めた西郷】前回の続きです。第一次長州征伐の終結処理を巡って西郷の声望が高まった理由は他にもありました。兵の動員を命じられた諸藩はどの藩も財政事情が厳しい中、征討軍として出兵を余儀なくされました。渋々従ったものの戦になれば多大な戦費負担を強いられかねなかった諸藩は征長戦が回避されたこと
No.3805==============大河ドラマ「青天を衝け」。毎週楽しみに見ているのですが、30日放送分は、一つのターニングポイントになる回でした。中で、とても重要なキーワードとなるのが、「尽未来際」。徳川慶喜に仕える平岡円四郎が発した言葉です。「尽未来際、どこまでもお供つかまつりまする」というようなことを円四郎は慶喜に話しておりました。「尽未来際」とは、仏教用語で、「未来の果てに至るまで」という意味だそうです。私はこの言葉を不肖にして知らず、後から調べて理解し
こんにちは、皆さん。勝海舟の生涯から自分軸を持ち他人に影響されない生き方の大切さをお伝えする歴史大好き社労士の山路貞善です。いつもお読みいただきありがとうございます。【大河ドラマ「青天を衝け」】5月に入り、大河ドラマ「青天を衝け」の展開が急になってきました。前々回(第14回)では、慶喜が激しく怒り、久光・春嶽・宗城の三参与に対し、「天下の大愚物、大悪党」と言い放ち、「快なり」とこれまでのうっ憤を散じました(当ブログでは第129話、第130話)。前回の「篤太夫、薩摩
大河ドラマ「青天を衝け」2021/05/24西郷吉之助(博多華丸さん)を描いてみました。初描きです西郷吉之助(博多華丸さん)#青天を衝け第15回#青天絵pic.twitter.com/hm4t0RkBYD—_k(けい)(@smtk_k)May24,2021いいね、ありがとうございます
今晩は、のりちゃん本日2回目です。本日23日のNHK総合テレビ大河ドラマ『青天を衝け』第15話「篤太夫、薩摩潜入の巻」のあらすじと今週の渋沢栄一を解説します。[第15話のあらすじ]栄一(吉沢亮さん)と喜作(高良健吾さん)は武士として初俸禄をもらい、円四郎(堤真一さん)から「篤太夫(とくだゆう)」「成一郎(せいいちろう)」と言う新しい名も授かる。篤太夫の初仕事は摂海防禦(せっかいほうぎょ)の要職に就く薩摩藩士・折田要蔵(徳井優さん)の隠密調査であった。そこで出会った西郷吉之助(博多華丸さん)
渋沢栄一と渋沢喜作は、平岡円四郎から新しい名前を授かりました。栄一は「篤太夫」、喜作は「成一郎」となったのです。2人は正式に一橋家の家臣として認められました。一橋家には川村恵十郎や黒川嘉兵衛など多様な経歴をもつ家臣がいました。一方、代々つかえていた家臣には、猪飼勝三郎がいました。勝三郎が一橋慶喜の小姓として、働いていたときのエピソードが面白かったですね。また、尾高平九郎の出番が増えてきました。のちに時代の混乱に巻き込まれてしまう人物でもありますが…
「青天を衝け」第15話を見ました。いきなり渋沢栄一が改名!渋沢篤太夫に!(平岡円四郎命名)渋沢喜作もついでに改名!渋沢成一郎に!(平岡円四郎命名)篤太夫はまず薩摩に隠密を命じられる。行き先は摂海防御御台場築造御用掛の折田要蔵の下へ。そこで下働きをして仕事を認められる。折田要蔵に気に入られ、西郷吉之助に会い顔を覚えられる。篤太夫の隠密の成果で折田要蔵は山科宮様に会ってると報告した。薩摩の島津久光が禁裏守衛総督の座を狙ってると知り、一橋家も動く。一方、一橋慶喜は禁裏守衛総督
こんにちは、皆さん。勝海舟の生涯から自分軸を持ち他人に影響されない生き方の大切さをお伝えする歴史大好き社労士の山路貞善です。いつもお読みいただきありがとうございます。お久しぶりです。前週まで日本営業大学での講義と準備があり、「海舟ブログ」の投稿を休ませていただきました。どうかご容赦ください。さて大河ドラマが、『麒麟が来る』から『青天を衝く』に変わりました。描かれる時代が戦国から幕末維新に移りました。今回の主役は、渋沢栄一という農民出身で幕臣となり、明治政府に仕えた後、実業家に転じ
こんにちは最近、葉室麟さんの『大獄西郷青嵐賦』を読み終えました。西郷吉之助の物語です。今年の大河ドラマと登場人物が重なる!同じ時代だったんですねー『大獄』に渋沢栄一は出てきません。少し予習した気分
こんにちは、皆さん。勝海舟の生涯から自分軸を持ち他人に影響されない生き方の大切さをお伝えする歴史大好き社労士の山路貞善です。いつもお読みいただきありがとうございます。2月に入りました。前回の投稿から少し間隔が空いてしまいました。1月中頃に日本営業大学第3期が開校しその間、私も2回の講義(『ワーキング・ルール論』という講座を担当しています)があり、その準備も含め作業に専念していたためです。悪しからずご了承ください。【勝・西郷会談その2】さて前回の続きです。西郷は
こんにちは、皆さん。勝海舟の生涯から自分軸を持ち他人に影響されない生き方の大切さをお伝えする歴史大好き社労士の山路貞善です。いつもお読みいただきありがとうございます。今回からの数話は、勝と西郷が初めて出会ったときのお話です。私が海舟ブログを始めてどうしても書きたかった歴史のエピソードの一つです。まさかここにたどり着くのに丸三年を要するとは全く思っていませんでしたが…(笑)。【勝と西郷の初めての会談その1】さて前回の続きです。西郷吉之助が幕府軍艦奉行の勝麟太郎と初
皆さん、あけましておめでとうございます。読者の皆様におかれましては、今年はどのような新年をお迎えになったでしょうか。私の周囲でも今年は例年ほどの賑わいがなく、随分静かなお正月となりました。【年頭のごあいさつに代えて】今私たちは、危機に直面しています。でも実のところ私たちが生きる世界にはおびただしい危険があり、生きるリスクは大きかったにもかかわらず、これまで自分たちは安全な世界に住んでいると勝手に信じ込んでいたのかもしれません。本当は生命の危険にあふれた世界であったことを忘れてい