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おはようございます。今日は、1140年の10月15日に鳥羽上皇の北面の武士・佐藤義清が出家し西行と名乗った日です。西行というとどのようなことを連想されるでしょうか?歌人として多くの歌を残されています。私は、能の「西行桜」を思い出します。【西行とは】西行像MOA美術館蔵出典Wikipedia西行(さいぎょう、元永元年〈1118年〉-文治6年2月16日〈1190年3月31日〉)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての日本の人物。武士であり、僧侶、歌人でもある。俗名は佐藤義清
ブログにお越しくださりありがとうございます。いいね、フォローをありがとうございます。今日も秋晴れでした。私は、大きい物のお洗濯を。10月号仮名大人の方の課題です。初級「あかあかと日はつれなくも秋の風」=太陽は赤々と照りつけていても風はたいsかに秋らしさをかんじさせる=by芭蕉【変体仮名】あ可ゝゝと日はつれな久も秋能可世中級「きりぎりす夜寒に秋のなるまゝに弱るか声の遠ざかりゆく」=秋が
台風にサイフオンふおんふおん哉(1)あき坊琥珀の滴(しずく)停電の夜(2)舞踏くわうくわうと月天心に輝いて(3)あき坊漣たてる舟映し出す(4)舞踏恋かなし滋賀の都に狭霧立つ(5)mjt妊る君と今宵語らん(6)あき坊でんでん太鼓に笙の笛持たそう(7)舞踏追い詰められた恋するワンピ(8)mjt手花火の落ちて深まる夜の闇(9)あき坊沈黙の技データ盗賊(10)舞踏小魚に命を繋ぐ羆かな(11)mjt知床沖を月の浮きつつ(12)あき坊黒
2026年(令和8年)10月4日-521号☆・・・・‥…‥─━━─‥…‥…─━━─‥‥…・・・・☆枯れ果てて、散るのではありません。この世は、かりそめの宿ーならばー春さらばーと、すがしく散る、万朶の桜のひとひらにこころ学びたいものです。今までもこのように生かされ、そして、生きてまいりました。師承真尼婆子の後姿を追いつ、婆子の踏み跡を行きつ戻りつ……。ひたすらに生きようとする、盲目的意思を感じながらも、
コラムのような記事も…書く!毎日書く学級通信『らぶれたあ』ですから、自分としては、関心事を書きたいと思うことがあります。カタイこというひとは、教育や子どもに関係ないことは書かない方が良いんじゃない、そう思うでしょうが、ぼくは「教師」としてだけ生きているわけではないので、少しの脱線は許してもらえるだろう思っていました。(そのはみ出た部分も含めてのぼくですからね)春は桜だよなあ。でも学校の3月末から4月初めは、とても桜を愛でることなどできない忙しさがあります。この頃、「退職したら、あちこち
昨日は東京都八王子市にて桑茶の打ち合わせ八王子は平安時代の歌僧「西行」が訪れ和歌に「桑の都」と詠んでいる地鎌倉時代には日本に禅宗を広めた栄西禅師が喫茶養生記に「桑茶」を書いて「飲水病」に効くと飲水病とは現代の糖尿病である仙薬中第一と言われる「茶・桑茶」を本格的に全国展開の打ち合わせを行いました糖尿病は万病を招くと言われ日本でも急増以前純庵が提案した「桑茶道」も展開予定
見えない月を眺める。彼方此方の友人たちと…滋賀では雲間にその光が見える。花は盛りに月は隈なきをのみ見るものかは雨に対ひて月を恋ひ春の行衛知らぬもなほあはれに情深し。友人たちには東京會舘のプチフールを楽しんでもらいけいあゆうさぎ亭ではささやかな観月の膳を仕立ててこころで月を愛でることにする。今年は"へべす"が間に合わずすだち豆腐のお月さま。脂のりのいい鮭ハラスを塩焼きしはんぺんと団子に。片栗粉をつなぎにまあるくまあるくまとめてさつまいもと一緒に蒸しあげた。冬瓜
東京・竹橋にあります国立公文書館を訪ねて、夏の特別展「旅人は東を目指す―古典文学が描いた魅惑の東日本―」を覗いたお話の続き。いにしえびとが京の都を立って東海道を東進、その途次で歌枕の名所に足を止めたりするも、ようよう常陸国の筑波山まで到達した…その先のことになりますな。展示に見る次なるチェックポイントは「白河の関」ということに。ここから先はいわゆる陸奥(みちのく)ということで、「こんなところまで来てしまったか…」という思いがよぎるのでありましょう。そんな印象を広く植え付ける元にな
『名歌名句辞典』(佐々木幸綱・復本一郎/三省堂)より選句角川源義Kadokawa-Genyoshi花あれば西行の日とおもふべし日は、忌と同義語。桜の花があるので、西行の忌(命日)と思おう。西行の次の和歌(辞世句)を踏まえる。Thedayissynonymouswith"mourningday."Sincetherearecherryblossoms,let'sassumeit'sSaigyo'smourningday(deathan
平泉町地域おこし協力隊のグループラインで「短期集中型プログラミング合宿SPARTACAMP」の受講生向けのフットパス「西行桜の森コース」の募集が。受講生じゃない、一般も参加可能ということなので姉と共に申し込み。しての2026年9月4日(金)、集合場所の「西行桜の森駐車場・木工芸館」へ。参加費1000円支払って領収書と今回のフットパスコースが記載された「平泉ウォーキングトレイル」のパンフレットを受け取り。今回は「平泉ウォーキングトレイル」の「西行桜の森ルート」を辿るコース。
今回のメッセージもしびれましたね。MVから…まずは感じるままに雨の中で歌うシーンが好きだな~おとなりのダンサーの笑顔もステキ!そして、ここから続く風さんのこの最強の笑顔イエイ!うわお!うほっ!なんかこのシーンとても好きもう!すてき!にやり何事のおわしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる(西行法師)(現代語訳)どういう方がいらっしゃるかは知らな
②おくのほそ道令和8年9月13日(日)10:00~12:00ピアザふじみ多目的ホール講師谷地快一先生参加25名十四、笠島鐙摺、白石の城を過ぎ、笠嶋の郡に入って、道祖神社の前を下馬せずに通り、落馬して死んだという近衛中将実方の塚を人に尋ねる。西行が実方供養に訪れた時の和歌朽ちもせぬその名ばかりをとどめ置きて枯野の薄形見にぞ見る「ここから遠く右の山際の里をみのわ、笠嶋といって道祖神社、かた見の薄がある」と教えてくれた。雨天の悪路と疲労のため、行くことを断念して、岩沼で宿をとる。
第1回なぜ今、西行なのか※これは、「人間はなぜ言語を持ったのか」という私のnoteのマガジンの第1回目の記事です。続きは、最下段のリンクでアクセスしてお読みください。「短歌」ではなく「和歌」を読むということ私たちは今、かつてないほど「自分」を語ることを求められる時代を生きています。SNSを開けば、誰かが己の感情や日常を発信し、社会では「あなたらしさ」や「自己実現」が絶えず問われます。近代以降に確立された「自我」は、現代において極限まで肥大化し、私たちは時折、その重さに押しつぶされ
Congress南下OldBoynton西進そして運命の信号(´∀`)赤なら左折車線へ、青なら直進左に行けばケーンズ直進ならペルー屋南今日は、ペルー屋に決まり。んで、注文したのはチキンアグアディト。。。バッチグー👍
発酵あんこ作りましたホットクック便利ですセリアで購入こびとづかんフラットポーチかわいくて買ってしまいましたこんぴら狗今井恭子作江戸時代飛鳥時代や平安時代より庶民が楽しんでいるのを感じる今より過酷なことはあるけど自由犬ムツキ主人公こんぴらまでの旅ご隠居は亡くなるけど思い残すことはない野垂れ死は最高の自由なのかもニセ薬売り行商孫市芸者見習いオソノ西行する大工健太村送り母澄江、目が不自由な宗郎善七などなどたくさんの出会いよかったね飼い主の弥生は病
今回の日本語ジャングルは、聖と俗(賢人と凡人)、とりわけ二者の学びの違いに焦点を当てて、歴史的な逸話の中から学んでいきたいと思います。世阿弥の名言「上手は下手の手本、下手は上手の手本」。【言の葉庵】名言名句第五回http://nobunsha.jp/meigen/post_29.html聖徳太子の名言「われ必ず聖なるにあらず。彼必ず愚なるにあらず」。【言の葉庵】名言名句第二十二回http://nobunsha.jp/meigen/post_85.html上の二つ
内容(ブックデータベースより)びきりの江戸の菓子と人の情人気シリーズ待望の第6弾!人手の足りない牡丹堂に口入屋が連れてきた少年、清吉。体が小さく働き手としては頼りないが、いたいけな様子に同情して引き取ることになった。素直で働き者。でもなにやら訳ありの様子なのだが……。一方、自分の看板をもらった小萩は、注文で菓子を考案する仕事に夢中で取り組む日々を送っていた。西行餅、葛桜、金色羹……今回も美味しい菓子がてんこもりです!令和8年8月29日~9月1日
早いもので9月昨日愛猫鯖右衛門の納骨を終えました今月は芸術鑑賞会です長唄時雨西行と、柳の若葉をつとめます今年は父が亡くなりました信心深かった父は、数珠を持って踊っていましたそんな姿からふと時雨西行を踊りたいと思ったのです本当は西行が良いのですが…笑そんな訳にもいかず江口です15時ごろ時雨西行17時半ごろ柳の若葉
12世紀末、日本では、源氏と平氏の主導権争いのクライマックス「壇ノ浦の戦い」を終え、源氏が覇権を手にした1186年から、本作はスタートする。主人公は平保盛(たいらのやすもり)平家滅亡後に、からくも生きながらえた武士であり、公卿である。その保盛とコンビを組んで、事件解決に力を注ぐのは、あの著名な歌人、若き日の藤原定家(ふじわらのていか)である。この二人が様々な事件に遭遇し、定家が得意の、和歌のセンスと読解力を駆使して、事件を解決していく、連作短編集である。コナン・ドイルの「シャー
鶴岡八幡宮の流鏑馬神事は、1186年(文治2年)、西行から弓馬の故実や秘訣を聞いた源頼朝が、翌年の放生会で奉納したことに始まるのだと伝えられています。頼朝が西行から聞いた弓矢術とは?頼朝が鶴岡八幡宮で流鏑馬を始めてから半世紀が経った『吾妻鏡』(1237年(嘉禎3年)7月19日条)には、三代執権北条泰時が弓馬の名人である海野幸氏に孫の時頼の流鏑馬の指導を求めた時の事が記録されています。この時、幸氏は頼朝の時代を回想して語りますが、その内容は・・・当時は、弓に矢を番える(つがえる)際に「弓を
晴れ。34度。暑くて一度家に帰るともう外に出られなかった。午前中、お謡と仕舞の稽古に行った。今月は一回だけだ。仕舞は「雨月」の中入前。雨月は、月の光を愛でたいので軒を葺きたくないお婆さんと、軒を葺いてそこに当たる時雨や落ち葉の音を楽しみたいお爺さんという風流な二人の老人が登場する。その二人の貧しい家を、旅の途中で住吉明神を詣でた西行法師が訪れ、一夜の宿を請う。二人が意見の相違を西行に説明していると、「しづが軒端を葺きぞ煩ふ」という歌の下の句になったので、西行に上の句をつけてほしいと
#昨日涼みし友に逢うやと……★☆けふもまた松の風ふく岡へゆかむ昨日すゞみし友にあふやと:西行:歌意:昨日涼んだ友だちに、今日もまた会えるだろうかと思って、松風の吹くあの岡へ出かけてみよう。━━━━━━━━━━━━━━━━━━━#山家集より巻下より■□■みんなぁ、元気ぃ~?読み方やでぇ~けふもまたまつのかぜふくをかへゆかむきのふすずみしともにあふやとん?またあの二人やで!人麻呂、人麻呂!あっ、これはこれは持統天皇さま、ご機嫌麗しく・・・挨拶はええ
1186年(文治2年)8月15日、東大寺再建のため奥州へ向かう途中の西行が鎌倉を訪れます。『吾妻鏡』によると、源頼朝が鶴岡八幡宮を参拝すると鳥居の辺りを徘徊していたのだとか。その後、御所に招かれた西行は、一晩に渡って弓馬の故実を語り、翌日、奥州へと旅立っていったのだそうです。西行は、実戦的な騎射術である流鏑馬を大成させた藤原秀郷の子孫。流鏑馬は古代から宮廷行事として行われていましたが、秀郷は実戦で勝つための戦闘技術として鍛え上げました。頼朝は西行から秀郷流流鏑馬の秘訣を学んだということ
冥界には人を呪うと落ちるのですよ。とお話しをした後、三大怨霊で有名な崇徳天皇の話を知る事になりました。慰霊も込めてここに書いておきます。最後に孝明天皇も絡んできます。最近、孝明天皇と関わりがあった所なので驚きました。【崇徳天皇の悲劇】「叔父子」の噂。祖父・白河法皇が鳥羽天皇の妃を寵愛して生まれた子とされ、父である鳥羽天皇から冷遇され、幼くして即位したものの、権限を持てず、政治の主導権を奪われる。1164年に流刑地の讃岐で亡くなった際、朝廷(後白河法皇)は喪に服すことすらしませんでした。そ
西行物語絵詞1巻(重文)紙本著色・縦30.3cm長1134.4cm・鎌倉時代(13世紀)・文化庁蔵武士の身分を捨て、若くして出家して高野山を本拠としつつ、和歌を詠みながら大峯などへ放浪の旅を続けた西行の生涯は人々の憧憬の的となった。西行物語絵詞夏巻紙本著色・縦30.3cm長1854.8cm・江戸時代(17-18世紀)・大阪弘川寺蔵西行の生きた平安時代末期から鎌倉時代初頭は、「厭離穢土」「欣求浄土」の世相で
熊本地震の悲惨な報道に触れて、何と申したらよいのか、言葉を失っています。被災されただけでも大打撃であるのに、今後しばらく、この猛暑の中で、命の危険さえある避難生活を続けねばならないと思うと、どのような言葉をかけたらよいのか、途方に暮れてしまいます。10年前の大地震の時には、災害関連の死者が、直接の死者の5倍ほどにも達しています。その時は4月ですから、今回の方が状況はずっと苛酷です。避難生活も、10年前と基本的には変わっていないらしく、車中泊のほうが多数を占めているようです。車中泊では、エアコン
西行全歌集やっぱり西行の歌は沁みますこんな歌を送られる女性は幸せだろうなぁ羨ましい昔の恋のやり取りはインテリの会話ついていけないだろうけど
第七四代鳥羽天皇は、平安時代後期の天皇です。安楽寿院に伝わるという鳥羽法皇像御父は堀河天皇、御母は藤原苡子。また祖父は、父の堀河天皇時代から次の崇徳天皇まで三代の長い院政を敷かれた白河天皇です。崇徳天皇は第一皇子、後白河天皇は第四皇子、近衛天皇は第九皇子です。康和五年(1103年)生。御名は宗仁。嘉承二年(1107年)~保安四年(1123年)。鳥羽天皇の時代には源氏物語絵巻が作成され、現存する絵巻の最古のものとなっています。源義親の乱の追討や当時多かった武装した僧兵の乱暴狼藉を鎮圧
下街道歩き、その㉒からの続きです。下街道完歩後槙ヶ根追分から中山道に入りましたが、すぐにコースアウトして寄り道中してる所です。もうおおよそお分かりかとは思いますがわざわざ寄り道したのは・・・。国道19号沿いの協和ダンボールさんという会社の敷地の入り口にそれはあります。左右の常夜燈、あれです。厳密には協和ダンボールさんの敷地内かもしれませぬが道路に面してるのでちょっとだけお邪魔させていただきます・・・。さて、向かって右側の常夜燈を向こう側から見ると・・・。ほら、「
おはようございます。今日は朝からすっきり快晴、わりとカラッとした暑さです。この春、飛鳥坐神社に訪れた時に、芳名帳が置いてありまして、そこに記帳したことがきっかけで、夏越の大祓式のご連絡をいただきました。わずかばかりではありますが、祈禱料と形代を送ったところ、お返事が。あんだけぽっちなのに、なんか申し訳ない💦赤いお守りは、このままでは汚れてしまうし、かといって付属の袋は大きいしでわたしのポチ袋コレクションの中から、一番小さいサイズ(五百円硬貨がすっぽり収ま