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以前にも行った西生浦倭城(서생포왜성)朝鮮出兵した秀吉軍が半島の南の方に縄張りを作った城跡です。以前に行った時は工事中だったんですが、入り口の道路と駐車場がきれいになってました。案内所の辺り全図倭城の特徴は、山と海の両方を抱えているそうです。登り坂が凄いです。崖崩れ防止の為ちょっと工事してありました。山の上から蔚山市内が見える加藤清正が作ったとされる城ちょっと日本の城を思わせる城壁馬出し曲輪🐴
2025年8月釜山&地方ひとり旅4日目蔚山(ウルサン)にある西生浦(ソセンポ)倭城現在は城郭が残るだけですが保存状態がよく倭城についての貴重な研究資料でもあるようです入口には案内所がありパンフレットも置いてあります倭城址でここまで整備管理されているのはとても珍しいですトイレも完備帰る前にこのトイレを利用したんだけどきれいじゃなかったら…と最初はびくびくしてたんですでも疑ってごめんなさいめっちゃきれいでした!写真はさすがに遠慮したけど
2025年8月釜山&地方ひとり旅4日目西生浦倭城にたどりつくまでに実はこんな裏話が^^;蔚山(ウルサン)に残る西生浦(ソセンポ)倭城に出かけてきました文禄慶長の役の時加藤清正が築城した城址ですここから行くのね~と曲がりほら、石垣が見えてきた♪気持ちいい~♪あらら、畑が…ここでちょっと嫌な予感がしたのですが案の定、行き止まりになっていました!!どうやら私は道を間違えていたようですさっさと来
2025年8月釜山&地方ひとり旅4日目釜山から西生浦(ソセンポ)倭城へ向かうアクセス編蔚山(ウルサン)にある西生浦倭城(서생포왜성ソセンポウェソン)に向かうことにしました地下鉄1号線で教大(キョデ)まで行き列車に乗り換えて西生駅下車駅近くからバスに乗りました日本同様地方へ行けば行くほど本数は少なく目的地に向かうバスは1時間に1~2本私もここで20分ほど待ちました近くにカフェなどないので休むとしたらコンビニかな
先日、スタッフとの雑談の中で、この週末多くのユーザーさんが倭城に行くらしい(情報源は一筆啓上だそう)という話を小耳に挟みました。倭城とは、ほとんどの人はご存知かと思いますが、文禄・慶長の役の際に日本軍が朝鮮半島に築いた城郭です。ただ、日本国外の城郭であることから、残念ながらアプリの攻略対象には含まれません。それどころか、現状は写真や口コミをアップする場所すらありません(ということを今さらながらその雑談の中で実感)。ということで、誰から頼まれたわけでもないし、リクエストがあっ
こんばんは、てつろうです。加藤清正が見た海を眺めて、感慨に浸っております。なんだか、感無量なわけでございます。継ぎ目が分かりやすい石垣があったりします。増築でしょうか。本丸から馬出曲輪も見学します。すごい石垣です。こんなに残っているなんて、ちょっと感激だったりします。さて、満喫したので、山を降りますか。Tobecontinue
こんばんは、てつろうです。記事を書きながら、倭城に行ったときの興奮が思い起こされてしまって、ついつい記事が長くなっています。申し訳ないですが、どうかお付き合いください。おお、こちらにも石垣が見えています。二の丸に辿り着きました。もう、汗だくです。では、下界を振り返ってみましょう。加藤清正が見た海が、そこにはありました。すごい、の一言しかございません。Tobecontinue
こんばんは、てつろうです。予告通り、やはり間が空いてしまいましたね。さて、西生浦倭城を登って行って、大手口を過ぎました。振り返って、大手口を見下ろしたら、こんな感じでした。大手口越しに、麓の街を見下ろすとこんな感じになります。ずいぶんと登ってきた気がしますが、二の丸や本丸は、もう少し上です。登り石垣って言うんでしょうか、なかなかのものです。まだ、登るみたいです。Tobecontinue
こんばんは、てつろうです。小休止宣言したら、案外時間ができちゃって、こうして書いている不思議ちゃんです。まあ、無理しない程度に書いていきますが、突然、間隔が空くかもしれません。やって来たのは、蔚山市にある西生浦倭城です。熊本城を築城した戦国武将、加藤清正が築いたことで有名です。山の上の方にも石垣が見えていますね。かなりの急坂を登っていくと、大手口が見えてきました。なかなかの迫力です。だいぶ登ってきたのがわかるかと思います。大迫力でござ
日本文化を鑑賞し、歴史を学ぼう今日はテレビで国宝三日月宗近を拝見することが出来ました。美しい曲線、美しい三日月の波紋、最高ですね👏🏻✨👏🏻✨👏🏻✨👏🏻✨👏🏻✨👏🏻✨👏🏻✨👏🏻✨👏🏻こちらは私の推し、刀剣乱舞の三日月宗近(ねんどろいど)とても可愛い❤推しと言えば、最愛の推しJohn-Hoonさん。メガネ男子John-Hoonさん。素敵ですジョンフンさんの出身地慶尚南道晋州市には文禄・慶長の役の晋州城攻防戦跡地があります。歴史の授業で習った、あの豊臣秀吉の朝鮮出
皆さんこんにちは。前回は蔚山倭城(울산왜성)をご紹介しましたが、今回は蔚山市内にあるもう一つの倭城である西生浦倭城(서생포왜성)についてご紹介します。西生浦倭城は壬辰倭乱(文禄の役)が始まった直後である1592年7月から翌年にかけて加藤清正が指揮し、石を積み上げて築造した日本式の城郭です。海抜133mの山の頂上に本丸を置き、中腹に二の丸、さらにその下に三ノ丸を配置しています。城壁の高さは6m、傾斜は60°になり、頂上には天守閣のあった天守台も残っています。1
簡易ブログにてお伝えします。〖国盗りクイズ答え〗関ヶ原の戦いでの功績が認められ、戦後に岡山藩51万石を与えられた武将といえば?答え:2.小早川秀秋〖城めぐりクイズ答え〗加藤清正が築いた西生浦倭城に残る特徴的な遺構とは次のうちどれか?答え:登り石垣【注目商品】鬼滅の刃御朱印帳Amazon(アマゾン)3,600〜7,890円鬼滅の刃御朱印帳Amazon(アマゾン)3,600〜7,890円〖コロナ対策〗使い捨てマスク❮安いマスク❯Youmay
【問題】加藤清正が築いた西生浦倭城に残る特徴的な遺構とは次のうちどれか?【選択肢】丸馬出し登り石垣武者返し弓型砲座【正解】登り石垣【解説】韓国の西生浦(そせんぽ)倭城は加藤清正によって築城され、現在も多くの遺構が見られる。中でも、麓の港湾を取り込むように築かれた登り石垣は、当時の姿をよく残している。
2008年9月24日(水)6:30に起床し、西生浦倭城(ソセンポウェソン)に行くため、7:10にモーテルを出発しました。前日、起こしてくれると言っていたおばちゃんはまだ寝ているようで、フロントはしかっり閉まってました。近くのバス停で20分以上待ち、7:50に1715番バス(1,500ウォン)に乗りました。いくら払えばいいのかよくわからなくて、まごまごしてたら、運転手さんに、早くしろ!的なことを言われてしまいました。蔚山の市街を抜け、日本の田舎のような田園風景のなか、1時間以上か
『韓国観光公社在韓日本人ネットワーク第5期記者団9月モニターツアーin浦項・蔚山』前回までは浦項をご紹介しましたが今回からは蔚山(울산:ウルサン)!韓国7大都市の蔚山!!!紹介していきます!旅行の参考になったら嬉しいですまずは西生浦倭城(서생포왜성)1592–1593にかけて加藤清正の指揮により築かれた日本の城の跡です。韓国に日本の城があるのも不思議な感じですよね歩きやすい運動靴と動きやすい服装で!結構な坂なので汗だくになります笑井戸もありますいい眺めなんですよ〜
浦項・蔚山ツアーの2日目、蔚山観光編をお届けします。★ツアー記事→虎尾串九龍浦・ポスコ・クルーズホテル2日目は最初に西生浦倭城(ソセンポウェソン)に向かいました。西生浦倭城は「倭」の字から分かるように、1592年7月から1593年にかけて加藤清正の指揮で築かれた日本の城です。すぐそこには民家がある、そんな場所に位置しています。蔚山にはもう一つ倭城が存在しているのですが、この西生浦倭城より激しい
加藤清正が築いた蔚山の西生浦倭城(서생포왜성)蔚山に日本のお城があって驚き、そして感慨深かったです。まだまだ続く、9月に行ってきました韓国観光公社在韓日本人ネットワークブログ記者団の浦項(ポハン)・蔚山(ウルサン)ツアーのレポートですこれまでのツアーの内容移動ラクラク!!飛行機で浦項・蔚山へ【浦項・蔚山①】朝鮮半島の最東端、虎尾串(ホミゴッ)【浦項・蔚山②】かつての日本人街、九龍浦近代文化歴史通り【浦項・蔚山③】ポスコ歴史館&ポスコ一望の浦項クルーズ【浦項・蔚山④】今
韓国観光公社在韓日本人ネットワークブログ・SNS記者団慶尚北道浦項・蔚山ツアー記事続いています前編浦項・蔚山ツアー①韓国国内線飛行機で行く地方旅行浦項・蔚山ツアー②日の出の名所&手が海から出てる虎尾串浦項・蔚山ツアー③現在も残る日本人町とポスコ記念館浦項・蔚山ツアー④かもめの餌付けもできる浦項でクルーズ2日目は蔚山#日本のお城の跡#西生浦倭城1592年7月から1593年にかけて加藤清正の指揮により築かれた日本
韓国観光公社在韓日本人ネットワークのツアー記事です서셍포왜성(西生浦倭城)2日目は蔚山です!蔚山での最初の活動場所はこちら〜西生浦倭城は、1592年7月から1593年にかけて加藤清正の指揮の元で築かれた16世紀末の日本のお城。標高200mの山頂に本丸を置き、そこから少し下った中腹に二の丸、さらに麓に三の丸が配置されました。石垣の高さは6m、傾きは15度で城全体の形は長方形です。本丸には天守閣が築かれ、将軍水という井戸があったそう。ツアーは突然の登山が開始!!!パ
♤韓国観光公社在韓日本人ネットワークiN浦項&蔚山続いてやってきたのはこののどかな田舎にひょっと現れるワンちゃんもお出迎えしてくれましたー西生浦倭城その昔加藤清正の指揮により築かれた日本の城標高200mの山頂2本丸を置きそこから少し下がった中腹に二の丸さらに三の丸が配置石垣の高さは6m傾き15度で城全体の形は長方形本丸には天守閣が築かれ、将軍水という井戸があった。ちゃんと日本語表記もありましたこの辺りまではまだ知らなかった…今から始まる山登りを(笑)案内所がありこ
韓国観光公社在韓日本人ネットワークの活動で、先月はポハンとウルサンに行って一泊で行って来ました前回の続きをまたお伝えします2日目の最初に向かったのは、西生浦倭城です西生浦倭城は、1592年7月から1593年にかけて加藤清正の指揮により築かれた日本のお城です標高200mの山頂に本丸を置き、そこから少し下った中腹に二の丸、さらに麓に三の丸が配置されました石垣の高さは6m傾きは15度で城全体の形は長方形です本丸には天守閣が築かれ、将軍水という井戸があったそうですお城跡まではかなりの山
アンニョンハセヨ。韓国のイモジョモです‼長い連休も残りわずか。韓国観光公社在韓日本人ネットワークの記事です。慶尚北道の浦項(ポハン)、蔚山(ウルサン)のレポートです。今回は蔚山に残っている、日本の加藤清正が指揮して築城したという西生浦倭城(ソセンポウェソン)を見学してきました。1593年の文禄.慶長の役の時に、海抜高度133mの山頂本丸に本城を築き、中腹に二の丸、麓に三の丸を築きました。本丸には天守もありました。まずは、この集落に入ってみると石垣がすぐ目に入りました。山
こんにちは韓国暮らし2年目のしまぐらしです韓国観光公社在韓日本人ネットワークツアーの2日目の続きです新羅ステイ蔚山での美味しい朝食の後向かったのは西生浦倭城서생포왜성なんと日本の城跡でした1592年7月から1593年にかけて加藤清正の指揮により築かれた西生浦倭城1592年って...文禄の役豊臣秀吉が中国侵略を目指していたあれです昔、学校で習ったことを実際に自分の目で見る、貴重な経験をさせてもらいました戦国時代かぁ...歴史の爪あとの深さにまたまた考えさせられる朝でした標
青い空の下に残る美しい石垣、ここで会えて嬉しいです韓国観光公社在韓日本人ネットワークブログ・SNS記者団の浦項&蔚山モニターレポート、蔚山編スタートです。蔚山での最初の訪問地は”西生浦倭城(서생포왜성)”。1592年文禄・慶長の役の際、加藤清正の指揮により築かれた倭城。加藤清正といえば、ご存知あの名城”熊本城”を築いた城作りの名人。そんなお城が韓国に残ってたなんて…知りませんでしたよ。韓国に残る倭城の中でも、石垣の保存状態がよく、貴重な資料となっているそうです。