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1970年代の事件◎芸能人の犯罪!日常生活は辛いものだ!毎日朝早くに起きて、会社や学校に行って、意味があるかどうかもわからない仕事や授業を受ける。三角関数がなぜ必要か?元素記号はなぜ覚えるのか?古典のラ形変格活用をなぜ覚えるのか?その疑問に答えよう。全く必要ない!ある種の職業の人には必要かもしれないが、全く使わない!音楽の授業で習ったヘ短調これなどその後の人生では全く役に立たない。全く…だ!それを膨大な時間を使って覚えなければならない。そんな辛いことがあるだ
10月11日水曜日〜その7(写真)最初に読んだ戸田さんの著書は、H13年3月30日たる出版刊『凡児無法録「こんな話がおまんねや」漫談家・西條凡児とその時代』。奥付には、波屋書房に注文した時の新聞切り抜きを貼っています。(写真)H25年10月7日、青土社刊『上岡龍太郎話芸一代』。奥付に貼ってある、週刊現代、日経、サンデー毎日。週刊文春、週刊新潮の書評は挟んでいます。日経・夕刊は、グアム島で切り抜いた記事。(写真)H30年9月20日、青土社刊『話芸の達人西条凡児・浜村淳・上岡龍太郎』。
はしだのりひことエンドレス「嫁ぐ日」。イントロのスキャットが流れると脳内で「凡児の、娘をよろしく」とナレーションが聞こえてきて、分厚いブラウン管テレビとか、サイドボードの木のにおいとか、毛の短いカーペットとか、もう寝ないと叱られるなーとか、なんとも言いがたい懐かしい気持ちになる。あと命の母Aもね。動画見つけてちょっぴり涙。
『話芸の達人』(戸田学/青土社/2018.9.20初版)漫談という芸はまだ生き残っているのだろうか。本書は関西芸能界にあって、いわゆるピン芸人(漫談家)として一家を成した3人について論じた本だ。トップに西条凡児が取り上げられていて、まず東西の芸能観の差異の大きさに驚く。著者の戸田学は大阪府堺市生まれ。現在、関西で放送の仕事をしながら、上方落語、漫才に関する多数の著書をものしてきた。その戸田から見て当たり前のことが、関東モンの私などには当たり前でない。まず凡児との出会いがよくなかった。『凡
今回は少し行数オーバーで、少し横道にそれることにする。芸児・凡児と、クリスケ・クリカクについて。凡児・芸児が、神戸千代乃座に上がっていた頃の出番表は『凡児無法録』に載っているとのこと。[注1]凡児無法録―「こんな話がおまんねや」漫談家・西条凡児とその時代Amazon(アマゾン)8,000〜39,800円昭和12(1937)年1月、漫才中心の千代乃座の詳しい名簿は[注1]のリンク先をご参照のこと。西条凡児、同芸児とあがっている。芸児・凡児ではなく、凡児・芸児の
凡児の漫談は、戦後すぐの阿倍野の仮説寄席からはじまって、京都の富貴や、兵庫の寄席のパレスなどにあがっていたようである。中入れの後、帰天斎正一の奇術、六代目三遊亭圓生、中軸としての西条凡児、八代目桂文楽という香盤でやっていた。昭和26,7年は、朝日放送や毎日放送のラジオ放送が始まって、近畿地方でもローカルラジオが世間に普及し始めた時代である。それぞれのラジオ局が専属芸人を抱えようと奔走した。朝日放送は、寄席のパレスあたりまで足を運んだというのが分かる。吉本だけでなく松竹系
ミスワカサと組んでいた島ひろし曰く「もしあの芸児が生きてたら大阪のザイ界(漫才界)は変っていたやろ」。芸児・凡児が所属していたのは、吉本の対抗勢力である籠寅(かごとら)興行部であった。その後、新興キネマが演芸部を作った。新興演芸部が浪花座を常打ちの小屋として活動。籠寅からゲストとして、芸児・凡児も出演。大きな看板で出演していたとのこと。その時、近くの法善寺花月に九里丸が出演中であった。一旦和解していた凡児は挨拶に伺う。しかし、九里丸は冷たくあしらいけんもほろろの有様と
「うちにおった河内いうのは破門したさかい絶対使わんといてほしい」と花月亭九里丸に切り捨てられた西条凡児。もともと好きで行ったわけでも、慕って行ったわけでもないきっかけだったが、弟子っ子の時に師弟関係が終わっていた。その後、九条芸児・西条凡児として、漫才師になった。福団治(二代目春団治)の世話で千日前の小宝席にあがる。そこで苦労したので、つばめ[注]のお世話で神戸の千代乃座に。ここで1年ぐらいでえらい勢いになったとのこと。インテリ風の新しい話題を持ち出したしゃべくり漫才
第4章は「大阪の漫談その他」となっている。まずは、花月亭九里丸と西条凡児。さて、私の世代やと、九里丸を知らないというのは割と普通だろう。西条凡児については、名前は知ってるんだがという程度。そういう点では、自分の記憶に沿って書くということが全くできそうにない。「凡児の娘をよろしく」も見た記憶がない。一応ネットで音声は聞いたけど、付け焼刃すぎるし。ということで、本文で気になったところだけざっと追っていくことにする。西条凡児が九里丸に弟子入りするまでのところで
前回の記事にて、林竹洋子さんについて触れるくだりがありました。林竹さんがヴォーカルを務めたはしだのりひことエンドレスの代表曲といえば『嫁ぐ日』なんですけど、てっきり私はこの曲が有名だと思っていたものですから、よりマニアックで林竹さんのソロ曲になる『青春ジェネレーション』の音源動画を使ったのです。ところがです。あとで調べてみたら『嫁ぐ日』の売上げは、わずか1万枚しかなかったとの記録が。じゃあ知らない人もいるの⁉同曲は西条凡児さんが、一般人の娘とその父親を相手に展開するトーク番組『凡児の娘
『お笑い街頭録音』の成功を受けて、芸人と一般人によるトーク番組が続々と生まれていった。そして、その流れは今も受け継がれている。まずは、1955年から始まった『夫婦善哉』。法善寺の店でも、織田作之助の小説でもない。ミヤコ蝶々と南都雄二を司会にしてスタートした。ラジオ番組として始まり、のちにテレビ版もできた。一般人の夫婦の話を2人が聞きだすというスタイル。なのに、1958年には当人たちが離婚する。しかし、それはそれ、これはこれで、名コンビによる司会は続く。南部雄二が病
毒気、毒舌、でもその芸風、話芸には感服させられた。「へ、また見てもらいまひょ。おみやげ、おみやげ!!」『素人名人会』『おやじ、バンダイ!』の、あの名調子が懐かしい。温厚に見えて、短気。気位もプライドも高かった。反骨精神で、共演者やスタッフと衝突が絶えなかった。その人気絶頂期に起きた、一寸した気の緩み。自宅事務所近くの建設現場の騒音に、「テレビで喋ったる!」脅しともとれる恐喝容疑で書類送検。あれ以来、あの毒舌、あの名調子、あの話芸は、もう蘇らなかった。もっとも
《最新》日本各地の魅力を発見自分らしさを取り戻す知らない自分と出会う【ふるさと納税】⇒名前しかわからない人に仕組みと特典を解説!《最新》ふるさと納税返礼品一覧爽やかに嫁ぐ女性の心情を表してます。作詞:端田宣彦作曲:端田宣彦とってもおしゃべりでよく笑うどこにもいる様な♪あなたもいつの日か恋したら今日の私のように♪幸福きっとつかんで下さい♪その時私の言葉を思い出してね♪大人の言う事は身勝手といつもおこっていた♪あなた
さて今日もルビーの原石です。枝豆風大きなルビー(45カラット)です。なんだか色がワインの色のよう見えたので葡萄畑にしました!いくら原石でも高かったです!昨日と今日の仕事です。葡萄畑に小鳥は巣を作るか?いや雰囲気優先!リアリティーはその次。今度の卵は本物真珠あそこやいやアホやいやあこや真珠でんがな!西条凡児でございますゥ。また見てもらいますゥ。えぇ〜話やおみやげおみやげ!と言う
まいど!こちら岡山県倉敷市幸町国道429号線沿い(元)ホテル、ビビビのビジネスイン倉敷ビっさんや、三連休二日目、台風の影響は最小限に押さえられ、皆さんホっとしているんじゃないでしょうか?毎週の週末(すべて連休に)台風が来たとなると、あらゆる業界にとって痛手(観光業は特に)で、今日は風も収まりまして、ほどよい曇り空、これはもう外へ繰り出して遊ぶしかない!私はお仕事ですけどね・・・(明日はお休みしますよー♪楽しみだなー)さて、ニュースでもご存じのように、築地の営業が終わりま
20年以上前に仕入れた物でずーっと持ってるだけでしたがせっせと10点ほど作ります。特注がまだ5点ほどありなかなか増えたり減ったりです。私は今何かの終わりと何かの始まりの分岐点で不安と期待の毎日だがねぇ~(名古屋風に)。先が何も見えなくても一歩一歩進めば何かが見えて来るもんだよね?きっと!「さぁさァおみやげおみやげ」「ええ話や」(西条凡児風に)これがわかる人はいないかも。いるといいけど。随分時間がかかりましたが何とかできま
様々なニュースをお伝えする<NewsAngle>。今回は、上方演芸を代表する漫才師で漫談家として活躍した故西条凡児さんを父に持つパーソナリティー・西條遊児さんが亡くなりました。このニュースをお伝え致します。上方演芸を代表する漫才師で漫談家としても活躍した故西条凡児さんを父に持つパーソナリティー・西條遊児(さいじょう・ゆうじ=本名:河内武夫(かわちたけお))さんが亡くなりました。一昨日(12日(月))午前11時55分、心筋梗塞の為、神戸市内の病院で亡くなっていたことが、昨日(13日)、分か
「夢は叶うんですね。あきらめなかったら」この言葉は、約半世紀もの夢を叶えた私の漫才の相方、あっちゃんこと吉村淳子(あつこ)さんの言葉です。あっちゃんが話すからこそ、重みがあります。高校の時、西条凡児さん司会の素人名人会の番組をみてたあっちゃん。その頃からいつか漫才で舞台に立ちたいと思ってたそうです。西条凡児さんって知ってます?(^ν^)(西条凡児さん。画像はお借りしました)あっちゃんの94歳のお父さんの容態が不安定でほめ達クリパの1ヶ月前、大量吐血での緊急入院に。心配しましたが
アナウンススクールMNEの丸山観月先生が祇園のライブハウスアコースティックっていう所で、ライブをします。エンドレスのヒット曲昭和のテレビ番組西条凡児の娘をよろしくのテーマ曲嫁ぐ日にを丸山観月が歌いますその他、皆さんお馴染みのフォークソングが続々登場!一緒に口ずさんでください!
1972年に始まった『凡児の娘をよろしく』の主題歌です。司会は、漫談の西条凡児さんです。私は凡児さんの芸は見たことはありませんが、この番組は見てました。近々結婚する娘さんと父親が出演して、父娘のエピソードをしゃべる番組でした。司会の凡児さんの「また見てもらいます」に始まり、「おみやげ、おみやげ」と言いながら、スポンサーの笹岡薬品からの詰め合わせを渡して終わります。この主題歌も、耳に残ってます。作詞/作曲端田宣彦歌唱はしだのりひことエンドレスとってもおしゃべりでよく笑うど