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昨日の神葬祭で、親父もこの世と別れ、命(みこと)となりました。神葬祭による忌明けは、五十日祭を持ってとなります。献饌や祝詞奏上、玉串奉奠を行います。五十日祭までは、拝礼は忍手です。葬儀後、家に帰ってきた遺影等々です。この日あたりから、家の中は段々寂しくなります。関東から来た家族は仕事があり、あわただしく、後ろ髪を引かれながら、三々五々帰っていきました。村の人たちは(町内の人ですが秋田ではこのように言います)通夜の日から二人三人と、集まりながらお悔やみに参ります。みん
葬儀が終わり直会になる。直会とは、神道の儀式の一種で神事の最後に供物やお酒を飲食すること。神様に捧げた供物を得ることにより、身体を清めるといった意味合いもある。このような呼び名になります。神道なら、直会(なおらい)仏式なら、お斎(とき)キリスト教なら、茶話会葬儀の最後に、ひ孫・孫・孫家族が「お別れの言葉」を、みんな前に出て行った。ひ孫が「おじいちゃんありがとうバイバイ」と話すと、孫がみんなで「おじちゃんありがとう」「おじちゃんありがとう」と、一斉に声をかけた。
西政男のおくり名「にしまさおうしのみことのれいじ」と読みます霊璽は、位牌に当たる意味三吉神社木曽石辰宮司による祝詞から始まりました。参列者の玉串奉奠(たまぐしほうてん)が、ご焼香の同じ意味を持って全員が行いました。二礼二忍手一礼による、玉串奉奠です。忍手による儀式です。太鼓鐘等の音が全くないので、静かな厳かな葬儀になりました。家族葬ですので、みんな知った顔が、神妙に玉串を奉奠する。これから、親父は命(みこと)となり、家を守る守護神になります。
今日も暑い1日です。お盆明けの秋田でこの暑さは以上です。金足農業の野球部も大きな話題になってます。9時出棺の時間が来ました。もう顔を見れるのも最後です。花で飾りました。10時火葬親父の本家、96歳のお姉さん、車いすを使ったことがないそうですどんどん歩いて、車から降りてきました。驚きです。やはり長生きの家系です。1時間15分ほどで出てきました。横浜から孫家族が、ぎりぎり間に合い、斎場へ着きました。みんなで収骨できました。喉仏と頭は小さな骨壺
とても危ない状況が続いている。ついにその時が、訪れました。14時45分苦しまずに、すーっと消えるように息を引き取りました。長男が看取り、先生・看護師を呼び、すべての装置を取りはずしました。最後の最後まで、戦い続けた人生でした。病名は肺炎まずは、最後まで真摯に治療をしていただいた、谷合先生、さとうかおりさんさとうのぶこさん、お世話になった皆様には、心から感謝申し上げます。nenn
昨夜、先生より連絡があり、呼吸困難に陥っている。すぐに、酸素吸入を行う。尿の排出ができずにいる。すべての注入を止める。やはり一昨日の発熱で、体力を使ったのか、、、、もはやか。。。ここまでよく頑張ったという思いと、まだまだだという思いが交差する。
先生より電話があり発熱あり。38度4分すぐ薬を入れると、熱が下がり大事に至らなかった意識が、昨日徐々に戻りつつあると、書いたが、どうも時間がかかっているこの発熱で、どうなるのか?????
小山珠美さん著書に、「KTバランスチャートエッセンスノート」と言う本がある。KT⇒最初は何のことかと思いましたが、帯に「口から食べる」と小さい文字で書いてある。んんん。口から食べるだからKT表紙をめくり「はじめに」の中に「KTBC」とある。ムムッ、KTBCもしかしたら「口から食べるバランスチャート」そのままである。とてもベタな記号使い、DAIGOに負けず劣らずな感性、なかなかな人物と見受けられます。しかし、しかし中身は本当に素晴らしく、ここまで手に取るように説
今日から800mlの注入開始。肺炎の再発だけ免れたいと願う。また、朗報として、意識が徐々に戻ってきている。この回復力・生命力はなんなんだろう???西政男を知る、人に言わせると、こんなんで簡単には遠くへ行く訳がない!これからだよ!!本人は、まだまだ頑張っているよ!!!と言う。確かにタフな人生を歩んで来ている。70歳過ぎてか、山に山菜を採りに行って、帰ってこない日があった、山は大荒れで、大変な雷と豪雨だった。翌日朝、6:00に捜索隊が出発する予定で待機している。その
血尿が止まる。尿の排出量も460mlと安定している。目は開くが、意識があるのか不明である。ずーと看ている長男も、意識が無いように見えることに不安を隠しきれない。親父頑張れ!!!川で岩魚を捕っているのかなぁ。山菜・さかなとりが好きだったからなぁ。彼岸で兄弟らしき人が呼んでも、行くんじゃないよ。此岸では、家族が待ってるぞう~~~、孫がまってるぞう。。。。。
「2018/08/13」はクリップブログで投稿しました。昨日より栄養を入れる。1200ml入れて400mlが尿として排出。尿に血が混じっている。この現象は良くないと言う。水分の排出量は適性だと言う。何が親父を生かしているのか、家族を心配してか。まだ、やり残したことがあるのか、、、、、日が変わるごとに一喜一憂して、家族は、何も手につかない日々を送る。病気は医者が治療し、寿命は神様が決めるものなのか。神様は、まだまだ生きろと言っているのか。。。。
日本は、長寿女性世界1位男性6位、合わせて世界一の長寿国である。(WHO、2016年発表)やはり日本はいい国だと、私自身は何もしていないが、ハナタカになる。しかし、親父が病人になってから、施設・病院へ行く機会が多くなった。寝たきりの方々が、大変多く感じられ、看護師・介護の方達はたいへんだなと漠然と感じていた。親父の介護等を考え、インターネットを閲覧していたら、大変な記事を目にしてしまった。なんと、なんと日本は、寝たきり老人も世界一だった。65歳以上の老人の33.8%が
親父の体から500cc(ml)の水分が、尿として出た。昨日180cc、その前は150ccである。肺に残っていた水もいくらか出た数字だ。水分が循環している。先生は、水分を増やし栄養も少量入れると決めた。しかし、本人は寝ているのか、まだ意識はない。一昨日からリハビリの担当者が可動域の拡大等を目的に行っている。小山珠美さんの「口から食べるリハビリ」病気の発症からできるだけ早期に「口から食べるリハビリ」を開始するとかなり早い時期に食べられるようになる。小山さんが担当し
8月5日11:00体温37.2度血糖値141脈拍数170~200酸素吸入95~100%数値です。(表現が正しいか不明)8月6日点滴等を取り外した状態で、肺の水が大幅に減った。呼吸も落ち着いてきた。脈拍数180前後で安定血糖値96さてさて、これからが大きな問題です。大きな判断が迫られることになりました。先生は、このまま静かに看取りに入りましょう。。。。。長男は、肺の水が本人の生命力で減少したのだから、再度、治療に挑戦
肺に水が溜まり呼吸を苦しくしている。点滴の水分が、肺にたまっている。尿からの排泄ができずにいる。悩ましい判断が求められる。このままにしておくと、肺が水でいっぱいになり呼吸ができなくなる、点滴を止めると、栄養・薬・水分が体に入らない。健康な体であっても、飲まず食わずでいることはできない。ましてや、病人にとって、命綱を切ることになる。東京より次男が駆け付ける。先生と相談の上、点滴を外すことにした、脈拍は200程と多い。心臓が頑張って酸素を体に取り入れて
昨年、親父が倒れてから、家族の役割に変化が起きてます。下記にある老々介護に年齢的には、該当しているが、長男が元気ですので、病院・施設を往復してます。(ちなみに病院⇒施設と6回ほど変わりました。病院は3回施設は2回変わっております)なかなか家族としてこれでいいのかという疑問が起きて、もっとやれる事はないかと、どうしても考えてしまいます。(初めての経験ですから)いままで、長男は、秋田市内の病院の時は、通うのも簡単でしたが、施設の時は電車30~40分かけて、ほぼ毎日通っております。最初の病院の
7月31日から入院をしており、点滴と酸素吸入で栄養補給をしておりましたが昨日より経鼻経管に戻し補給しております。先生の話では、やはり老化による体の部分部分の劣化現象ですとの事。この時代の人は若い時から働きづくめで、体を酷使していたのでしょうね。92歳まで元気に、ご飯を3食毎日食べておりました。体重が20kg程減少してます。とはいっても、まだ50kg程ありますので、介護もなかなか大変ですです。「2018/08/02」はクリップブログで
小山さんの著書より「超高齢化社会」がやってくる。人が健康で幸せに過ごせるかどうかは「食べること」にかかっている。しかし、いまのままでは、多くの人が将来的に「食べる喜び」を奪われることになるという危機感がある。理由として「食べること」そのものが医療の現場で軽視されている。また、患者やその家族が食べることを希望しても、正しい食事介助のスキルをもった人材が足りないことです。超高齢化が深刻化する前にこの問題を解決しなくてはならない。このような考えに立ちNPO法人「口から食べる
脳梗塞で救急車で搬送されてから、昨日で279日が経過しました。92歳で倒れ、誕生日を超え93歳になってます。7人兄弟の末っ子で、兄弟は、皆長生きをしてました、一人のお姉さんは、最初運ばれた病院へお見舞いに来てくれました。お姉さんですから、もう95歳をとっくに越しているのではないでしょうか、自分で歩いて来てくれました。他の兄弟は亡くなってますが、95歳まで長生きしたそうです。親父も兄弟と同じように95歳までは頑張りたいと、日ごろ話をしておりました。そこまではと思い
昨夜、呼吸困難に陥り、病院へ救急搬送された。長男も、夜病院に到着。ついにその日が来るのかと、思いつつ、様子を見ていた。、先生の必死の治療により、小康状態まで、持ちなおしました。先生の洞察力、処置の的確さには、驚きと感謝の念しかありません。呼吸困難におちいる、時間が短くなっております。それにもまして、回復も早い。ちょっとしたタイミングで悪くなるような気がします。どうしても体力は落ちていってると思われます。動画は、先程のものです。落ち着きを取り戻し、一般病棟
午前中、お風呂に入り上機嫌です。久々のお風呂のせいか、顔色もよく見えます。日に何回かの「口腔ケア」で、生命が維持されている感じがします。現在、親父が調子のよいときに行っている訓練は、※まだ食べることはできないのであくまでも訓練です。1、食べ物を本人の正面に置き、よく見えるようにします。2、視覚や聴覚へ訴え、脳を刺激するようにする。長男が行ってます。手をよく消毒し、唇を水で濡らしてあげます。薄味のものを見せて、少しだけなめさせて、嚥下する訓練、あごを動かして
酸素吸入器のお世話になっていたが、落ち着きを取り戻しました。7月25日現在の様子です。これからは、動画を利用しつつ、食べることへの挑戦をお伝えします。
呼吸困難で緊急入院。原因は不明。肺に水が溜まっている、HbA1cの数値が高く、危険水域。呼吸困難の病状が期間が短く波のようにやってくる。本人の生命力に頼っている。こちらに来てから、顔の表情も少しづつ表れるようになり本人も居住性が良いと感じているようでした。こ
新しい病院の検査・診断が終了しました。家族への確認、今後の方針等で会議が開かれました。担当医・歯科医師・看護師・施設長等々10名程での会議。担当医より、今までの病院では、摂食は無理と診断されていること、年齢のこと等々を踏まえたうえでの、摂食への挑戦である。上手くいくとは限らない旨を説明される。家族としても、担当医が大きなリスクを伴いながらも前向きに進めて頂いていることに感謝をしており、家族も親父もこのまま寝たっきりで終末を迎えることを希望していないことを
いろいろ、紆余曲折があり、インフルエンザ完治、肺炎も落着き退院となりました。地域の医療を支える、大きな病院にはされなりの苦労がある様です。これからも家族なりがお世話になる事も多かろうと思い、感謝の気持ちで親父の退院を迎えました。これから、希望する「口から食べる」ことに、挑戦が始まります。93歳の患者です。明日何が起きても不思議は無いのです。秋田の南西にある病院で、診察・検査の開始です。担当してくださる先生には、心から感謝を申し上げます。大きなリスクを