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久保浩昭和21年11月1日生まれ西郷輝彦昭和22年2月25日生まれ三田明昭和22年6月14日生まれ西尾三枝子昭和22年7月11日生まれ和泉雅子昭和22年7月31日生まれいしだあゆみ昭和23年3月26日生まれ
舟木一夫デビュー50周年記念「舟木一夫ファンが古里・一宮市で開く展示会」が行われたのは、平成24年(2012年)の中日劇場での一カ月公演「銭形平次~春よ呼ぶ絆~」に合わせる形で、愛知県一宮を中心とする地元のファンの方達の熱意で、開かれました。地元の方達の熱意と努力は大変なものでした。初めて行われた時も参加させて貰いましたが、この時は、東京を中心に女優で友人の日活映画「花咲く乙女たち」でヒロインを演じた西尾三枝子さんの参加もあり、仲間たち総勢30人近くが一宮に集結しました。大映映画「
公開年月日:1965/1/24「仲間たち」での演出をした柳瀬観監督との2作目の作品です。西條八十、遠藤実と舟木さんがお世話になった先生方の楽曲で、今でもコンサートでは外せない曲の一つです。映画「高校三年生」以来の、舟木さんの故郷、愛知県一宮を舞台にしたストーリーで、一宮ロケが行われました。この映画でも学生服を着て出演している舟木さんですが、定時制高校生の役でした。主題歌・花咲く乙女たち挿入歌・おみこし野郎挿入歌・若き旅情挿入歌・定時高校生
俳優として、大衆演劇の座長として活躍していた沢竜二さんの訃報が入りました。沢さんとは、女優西尾三枝子さんが経営していた、赤坂の「悠」で何度かお逢いしました。笑顔の優しい方で、何度もお話をし、2カ月ほど前には次の公演も自筆でご案内を頂いていました。西尾さんのお店には、いつもふらりとお越しになって、それ程さすらいが「悠」に通っていた訳ではありませんが、出会う事が多かったのです。舟木さんの公演後の打ち上げを、西尾さんお店で、貸し切りでOFF会を行った時も、ふらりと来店され、仲間に入って
女優の西尾三枝子さんを、趣味の姓名判断で、占ってみました。西尾さんには、家族縁や病難・失敗に注意。強情さに注意。非難や不和に注意。急変に注意。といった暗示があります。常盤英文です。皆の幸せを願います。また、どこかで。
舟木さんと和泉雅子さんは、デビュー年に雑誌対談をしています。そして日活映画「あゝ青春の胸の血は」で共演しますが、からみのシーンは殆どありませんでした。その後「北国の街」で共演し、「高原のお嬢さん」と続きました。この記事の頃は、まだこの3本だけの共演です。西尾三枝子さんは、「花咲く乙女たち」で共演後、和泉雅子さんと一緒に「高原のお嬢さん」に出演しています。ただ西尾さんは「学園広場」では、女学生の一人として出演はしています。その二人が、舟木さんの事を語っている記事です。カメ
1965年(昭和40年)7月3日に平凡主催による「舟木一夫の夕べチャリティーコンサート」が渋谷公会堂で行われました。日活女優伊藤るり子さんとの対談でも話題になっているコンサートです。舟木さんの日活映画出演は、新作「東京は恋する」の映画化発表を含めて6本目と言う事で、日活の若手俳優さんたちがゲスト出演してくれています。浜田光夫さん、和泉雅子さん、山内賢さん、渡哲也さん、西尾三枝子さん、伊藤るり子さん、古今亭志ん朝さん。そして司会は芥川隆行さんです。「東京は恋する」で共演の決
国際プロレスでIWA世界ヘビー級王者だったマイティ井上氏が、11月27日に他界されたそうです(T^T)享年75歳心から御冥福を祈りたいと思います。合掌アニマル浜口との写真は、IWA世界タッグ選手権試合の後だろうか??氏について。175cm(公称)の小柄な体で大きな外人と戦っていたイメージが強いです。私生活では、東京12チャンネル伝説の番組「プレイガール」の西尾三枝子さんと一時期、結婚していましたよね。一寸羨ましいかも~当時、小生宅の近くに住んでいたらしいです。ス
舟木さん21歳。当時のファンからの呼び名の愛称は「ヤエちゃん」日活映画の仲間たちは「舟木くん」と今でも呼んでいます。雅子ちゃんもチーちゃんも西尾さんも。同年代の女優さんたちと共演の多かった舟木さん。ガールフレンドになりたかったのは、一体誰だったのでしょうね。「ヤエちゃんの女性交友録」楽しみにお読みください。高田美和1947年1月1日生まれ1962年デビュー京都出身。京都女子高から転校し、日本大学鶴ヶ丘高等学校卒業大映映画では「大魔神」「座頭市シリーズ」「
=今日も懐メロ昭和歌謡=昭和38年三田明美しい十代三田明デビュー曲翌年、西尾三枝子浜田光夫で映画化された美しい十代あゝ十代抱いて生きよう幸福の花作詞:宮川哲夫作曲:吉田正ぜひポチッとお願いしますにほんブログ村
これも切り抜きですが、裏面のカレンダーから1966年のものだと分かります。園まりさんと松尾嘉代さんという珍しい組み合わせの水着姿の写真です。裏面は太田博之さん、西尾三枝子さん、東山明美さんです。
2004年4月21日にビクターエンタテインメントから発売された2枚組のアルバム「沢たまき&プレイガールミュージックコレクション」のジャケット写真です。ブックレットには収録曲の歌詞だけではなく詳細な解説も載せられています。園まりさんがカバーされている「ベッドで煙草を吸わないで」のオリジナルと園まりさんが1971年にシングルで発売された「最後の一時間」のオリジナルである范文雀(はんぶんじゃく)さんの「最後の一時間」を聴きたいと思い購入しました。「ベッドで煙草を吸わないで」はシングルで
昭和40年12月4日日活北川和夫は蓼科高原の農場で、ここの亡くなった主人の遠藤善吉の研究を引き継ぎながら、主人の未亡人とその娘の光子と暮らしていた。和夫は街に出掛けた際、きれいなお嬢さんに出会い心を惹かれる。彼女は高原の別荘地に遊びにきていた小泉淳子というお嬢様だった。ある日、この別荘地に、和夫のいる農場を買収しに観光開発会社社長の息子である三島進がやって来るが、進にあった和夫は驚く。二人は小学校の同級生だったのだ。お互い積もる話をしているうちに意気投合することになるが、買収に関して
昭和40年1月24日公開日活たくさんの織姫が働く尾西市に、チンピラ昌次が弟分のサブを連れて乗り込んできた。組長の命を受けて、一人でも多くの女工を辞めさせて高く売り込もうという魂胆だ。汁粉屋「満月」に落ち着いた昌次は、店に来たサツキという女工のことが好きになり、お汁粉代をサービスするが、サツキは翌日「私、ヤクザは嫌いよ!」とお汁粉代を返しに来る。昌次は、かつてのチンピラ仲間の太一が自分の素性をサツキにバラしたと確信し、太一を神社に呼び出して殴りつけるが、逆に仲直りすることになる。太一とサツ
6月14日生まれの歌手三田明水城なつみ藤井風南波志帆宮内洋ボーイ・ジョージツウィ(TWICE)オススメ曲は…タワーレコードオンライン三田明「美しい十代」1963年発売の大ヒット曲作詞宮川哲夫作曲吉田正三田明のデビューシングル曲の大ヒットを受けて1964年に作られたのが…日活映画『美しい十代』浜田光夫・日活の新人西尾三枝子・そして三田明が出演の歌謡映画あらすじは…身寄りのない少女・ミカ(西尾)は純(浜
日活映画で活躍した西尾三枝子さん。唯一レコーディングしているのが『スカーレットの花』三枝子さんから頂いた写真などを使って作ってみました。舟木一夫との共演「花咲く乙女たち」「高原のお嬢さん」三田明との共演「美しい十代」「若い港」石原裕次郎との共演「青春とはなんだ」「夜のバラを消せ」その他小林旭・高橋英樹・和田浩治などとも共演。NHK「あねいもうと」や「プレイガール」でも活躍。10数年前にアップした西尾三枝子さんの「スカーレットの花」三枝子姉さんとは、20年ほど前に、まだ
若い港三田明人世で初めて見た芸能人は、我が母校でロケをした「若い港」の出演者たちでした。中でも「美しい十代」の映画を見て、好きになった女優の西尾三枝子さんに出会えたのは、本当に嬉しかった思い出があります。当時さすらいは15歳で、映画に興味を持って地元の映画館通いを始めた頃で、年間100本近く見ていました。前年に舟木さんがデビューし、そして三田明さんがデビュー。三田さんには、同じ東京でも多摩地区で産まれ育っていたから、近親感を感じてもいました。突如、母校でも映画ロ
女優の西尾三枝子さんを、趣味の姓名判断で、占ってみました。西尾さんには、失敗に注意。家族縁や病難に注意。強情さに注意。非難や不和に注意。急変に注意。といった暗示があります。常盤英文です。皆の幸せを願います。また、どこかで。
西尾三枝子さんとは、仲良くさせていただいていたが、今はどちらに居られるのか音信不通。会えなくなって、数年が経つ。三枝子姉さんの、西尾三枝子物語を見つけたので載せる事にした。
山本陽子・西尾三枝子・進千賀子山本陽子さんと西尾三枝子さんとは、日活ニューフェイスの同期です。西尾三枝子さんはニューフェイスの基準となる年齢よりも、1つ歳を誤魔化して応募、山本陽子さんは、上限よりも年を誤魔化して応募、そして二人は合格して日活ニューフェイスになりました。進千賀子さんは、同期3人娘と書きましたが、実は二人よりも一期前の先輩になります。山本陽子さんは、入社前は野村證券に勤めておられました。日活入社時代には、顔にホクロがありましたが、しばらくして取られました。日活映画でも
プロフィール沢竜二(さわりゅうじ、1935年11月19日-)86歳大衆演劇を中心に活動している俳優、歌手。本名、酒井勲。福岡県福岡市生まれ。『女澤正(おんなさわしょう)』の異名をとった酒井マサ子の子として巡業中の楽屋で生まれ、彼女が率いる旅芝居一座「女澤正一座」の一員として4歳から九州各地を巡業[。1954年に母から座長を受け継いで「沢竜二一座」を結成したが、1964年に一座を一度解散して上京、船村徹に師事。歌手として芽が出ない中、俳優として活路を見出す。その後は一座を東京
のもう既に10年前になるが、日活のスター俳優さん達と一緒に、お茶を飲む機会を得た。川地民夫、浜田光夫、和泉雅子、西尾三枝子、西恵子と言った方々だった。そんな機会が持てるとは思わなかったが、お会い出来たらサインを頂きたいと思っていた。そして皆さんからサインを頂く事が出来た。雅子ちゃんからは、沢山のサインを頂いた中で、やはり「絶唱」と「友を送る歌」の舟木さんの出演ポスターにサインを頂けのが嬉しい。舟木さんのサインが加われば最高なのだが。浜田さんには、大好きだ
浅草国際劇場1965年(20歳)昭和40年(1965年)10月31日~11月7日浅草国際劇場での「舟木一夫ショウ」での、舟木さんの舞台裏。八重歯も髪型も健在だ。
西尾三枝子さん日活映画を語る2012年5月10年前、このイベントが行われる事は知っていたし、行きたいとも思っていた。この当時は、西尾姉さんとも頻繁に会っていて、香川に行かれる話も伺っていた。ただこうした映像が残っているとは知らなかったから、とても嬉しい。四国にも、熱烈な日活ファン、舟木一夫ファンがおられる事は、以前から知っていて、西尾さんがイベントに登場したほか、日活の監督の柳瀬監督なども、四国でのラジオ番組に登場された。いろいろな日活当時の話を、沢山されているので、少し長
西尾三枝子さんとの出会いは、中学生時代に見た、デビュー映画「美しい十代」だった。三田明さんのヒット曲の映画化。続いて作られた「若い港」には、和泉雅子さん、伊藤アイコさんと共に出演。この映画のロケが、さすらいの母校で行われた事から、授業をさぼったりしながら興奮してロケを見ていたものだった。(どこかにさすらいも映っているはずだが確認できていない笑)今から20年ほど前に、西尾さんの掲示板(当時はまだブログやSNSは頻繁に行われていない頃)を見つけて恐る恐る書き込みをしたのが最初だった。「プ
西条八十(作詞)、遠藤実(作曲)の同名ヒット曲をモチーフに、舟木一夫主演で描く青春映画。若い女子工員で賑わう織物の街で、太一は働きながら定時制高校に通っていた。ある日、その街に昔のチンピラ仲間・昌次とサブがやって来る。二人は街の女子工員たちをキャバレーに売り込もうと企むのだが、それを知った太一とクラスメイトのサツキは、二人を更生させようとする。出演:舟木一夫西尾三枝子田代みどり山内賢堺正章主題歌:コロムビアレコード“花咲く乙女たち”作詞:西條八十/作曲:遠藤実歌
舟木一夫のヒット曲に乗せて、恋と友情の板ばさみで揺れる青年の複雑な心を綴った青春純愛映画。蓼科高原の農場で牧草の研究をしている和夫はある日、別荘にやってきた淳子と出会い、恋に落ちる。しかし淳子は、観光開発会社社長の息子・進のフィアンセだった。出演:舟木一夫和泉雅子山内賢葉山良二堺正章主題歌:コロムビアレコード“高原のお嬢さん”作詞:関沢新一/作曲:松尾健次歌:舟木一夫挿入歌“たそがれの人”“夏の日の若い恋”“鈴懸の径”“お山の木”歌:舟木一夫
舟木さんと西尾三枝子さん西尾さんとは10数年前に知り合って、友人関係と言ってもいいお付き合いをさせて戴いていた。日活映画「美しい十代」で、初めてヒロインを演じて、それを見てかた西尾さんのファンになって、同じ三田明さんの映画「若い港」でも出演。この映画のロケは、我が母校で撮影があった。ファンになったばかりで実物の西尾さんに会えて、益々ファンになったものだった。まださすらいが、ブログを始める前、まだブログなどが世の中に少なかった頃は、掲示板と言うのがあって、そこで西尾さんに行き当たり、
理想のお姉ちゃんは?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう弟が2人。一番上って損ばっかり。優しいお姉さんかお兄さんが欲しかったです。まあ、居たら居たで鬱陶しかったかも、だけどw
日活女優西尾三枝子さんです。川地民男さんと共演した映画のスチール写真です。撮影所に映画館主として招待された父が西尾三枝子さんや浜田光夫さんと撮った記念写真。父は浜田光夫さんの後左の顔が全部写ってる人です。4人で写った写真は私が10年前、上京した時、友人(トントンさん)と西尾さんがオーナーをしているカラオケパブ「悠」に行った時の写真です。友人はすでにお亡くなりになりましたが、元々ブログ友達で昔、日活のエキストラをされていたようです。https://www.zakzak.co.jp/smp