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鹿児島旅行の記事に戻りますザビエル公園・照國神社・西郷隆盛&小松帯刀像を見学しました。『鹿児島市観光①ザビエル公園・照國神社・西郷隆盛&小松帯刀像(26.2.16)』スカイマークで鹿児島へ向かいました。『ぎょうざの店ひょうたん」~スカイマークで鹿児島へ(26.2.16)』先日、お初のスカイマークで鹿児島に行って来たと記事…ameblo.jp続いて向かったのは鹿児島城(鶴丸城)。この日は月曜日で、集めている日本100名城スタンプが押せないことは事前にわかっていました。でも近くにいたし
西南戦争・・・西南の役とも、日本最後の内戦に当たる。明治10年(1877年)1月29日から9月24日に、西郷隆盛を盟主にして起こった士族の武力反乱。現在の鹿児島県、熊本県、宮崎県、大分県に及ぶ。征韓論に敗れて帰郷した西郷が、士族組織として私学校を結成。政府との対立がしだいに高まり、ついに私学校生徒らが西郷を擁して挙兵、熊本鎮台を包囲したが、政府軍に鎮圧され、西郷は郷里の城山で自刃した。1月24日~27日の四日間、鹿児島に行ってきました。旅の三日目・・・仙巌園
新撰組で好きな隊士はいる?深津英臣だ。斎藤一。西南戦争に出た。▼本日限定!ブログスタンプ
歴史調査日本の写真の始まり黒井ドラゴン2月17日放送の「知恵泉」(NHKEテレ)を今日NHKONEで見て、日本の写真の始まりについて学んだ。日本で初めて写真技術を輸入したのは上野俊之丞(うえのしゅんのじょう・1790年~1851年)で、日本最初の写真家の一人・上野彦馬の父である。上野俊之丞は、1848年にオランダ船でやってきたダゲレオタイプ(銀メッキを利用した銀板写真で、世界最初の実用的な写真技法)を輸入し、これが日本最初の写真術となった。ただ、西洋では、
今回は西郷隆盛シリーズの完結編。彼がすべてを背負って散った「西南戦争」の真実をお話しします。江戸無血開城を経て、新しい時代が幕を開けました。しかし新政府は近代化のために、「武士の身分や特権」を廃止してしまいます。命がけで新時代を作った旧武士たちは居場所を奪われ、怒りと絶望という「重く低い波動」を溜め込んでいました。西郷は、新しい時代のために古い体制の終わりが必要だと分かっていました。しかし、共に命を懸けた彼らの悲痛な叫びを、どうしても見殺しに
西郷南洲に関して、以下の原稿を、「維新と興亜」誌に出稿した。諸兄姉のご参考になれば幸せである。文芸評論家の江藤淳は、著書「南洲残影」(文藝春秋)のエピローグにおいて、城山の洞窟前から岩崎谷に向かって行軍する途中の坂道で、明治十年九月二十四日午前七時に戦死した西郷南洲の砂だらけの首を、水で清めさせて、政府軍の首領山県有朋が、両手で受け取って眺める状況を次の通り記している。「このとき実は山県は、自裁せず戦死した西郷南洲という強烈な思想と対決していたのである。陽明学でもない「敬天愛人」ですら
今日、フェイスブック上で「12年前の東京では2月に大雪が降った」とかいう思い出の投稿があったので、↓わたしのブログのこの過去記事のことを思い出しました。この記事を書いた2年後には「うつ病地獄」のどん底まで落ちたことを思い出すと、「あの旅行のときはまだしもましだったんだなあ」とか、「生き延びたんだからまだ世の中のお役に立てることはしなければ」とか、いろいろ感慨が湧きますが、とりあえずリブログします。文中に出てくる「N先生」は↓この本の著者です。戦後日本と戦争死者慰霊―シズメとフルイの
おはようございます。自分がしんどくて追い込まれている時…そんな時ほど自分を客観化したりしようと思うと不思議と落ち着くものです。どうしたらここに着地しなかったとか、やっぱりここはこうしなかったらよかったとか。できる手を打ちながら状況が改善するのを待つ。ダメだった時はまたなくなったとこから考えよう。思い込むと悪い方向にいってしまうので、違うことをしながら。そういう意味では、かの大久保利通は西南戦争を指揮をとりながら内国勧業博覧会(今の万博みたいなもの)を成功させました。そういうもの
ようやく読了しました、全10巻!司馬遼太郎著「翔ぶが如く」(七)(八)(九)(十)ようやくの読了は、司馬遼太郎著「翔ぶが如く」(七)(八)(九)(十)----------------------------------------------------------明治維新とともに出発した新しい政府は、内外に深刻な問題を抱え絶えず分裂の危機を孕んでいた。明治六年、長い間くすぶり続けていた不満が爆発した。西郷隆盛が主唱した「征韓論」は…fuutarman.blog.fc2.comこ
2021年8月11日の大分県津久見市・佐伯市散策の続き。「見星寺」「金毘羅水」「直良信夫博士生誕の地」「切通し・甚吉坂」と回った後は、「旧真光寺」に向かいました。見星寺・金毘羅水・直良信夫博士生誕の地・切通し・甚吉坂のレポhttps://ameblo.jp/indyaki12/entry-12873222921.html『見星寺と、金毘羅水と、直良信夫博士生誕の地と、切通し・甚吉坂と~大分県臼杵市の寺院・史跡・街並』先日2021年8月11日の大分県津久見市・佐伯市散策の
昨日よりも、どこまでも、高く翔べ。皆さんおはようございます。寺島“『図南』を越えるための『緋』”八雲です。さて昨日、High-Card『幕末群像図南鵬翼祭宴』無事全公演が終演しました。御来場頂きましたお客様の皆様、誠にありがとうございました!そしていよいよ本日『幕末群像燎原之緋』。初日にして千秋楽を迎える事になりました。物語は新選組の生き残りである藤田五郎・・即ち、斉藤一を中心にひとつの時代の終わりと、新たな時代の始まりの狭間に生きる人々を描きます。「これまで」と「これから」の狭
一月二十四日は、伝統ある「大和心の集い」の新年最初の会同の日だった。そこで旧年の末、主催者の畏友、吉村伊平さんから、「この新年に、西郷南洲について語られたい」と要望された。とはいえ、いったい俺に、「西郷先生の如き巨大で得体の知れない御仁」が語れるのか!と逡巡したが、よしやろう、とその指示に従った。おかげで、年末年始、明けても暮れても、犬の散歩をしていても、酒を飲めば尚更、四六時中、「西郷さん」(1828~1877年)を思いながら暮らした。その時、以前に読んだ秀才の文芸
肉と魚よく食べるのはどっち?▼本日限定!ブログスタンプ近代日本の夜明けと西南戦争西南戦争140年記念ページ。雨ノチ朝―「西南戦争」が遺したもの―kumamoto-guide.jp1877年のきょうは西郷隆盛が鹿児島県で主宰していた私学校の生徒が新政府に反発し、政府の武器を奪取した日です。西郷隆盛が自害することになった西南戦争が事実上、始まった日でもあります。1月30日-Wikipediaきょうもジョギングした。今日も家へ戻った後すぐジョギングした。きょう、雪降ったので油断す
西南戦争1877年1月29日–1877年9月24日・・本日1月29日【西南戦争】抜刀隊――田原坂17日間の死闘。薩摩を斬った薩摩人と、武士の時代の終焉。#西郷隆盛#大久保利通#川路利良https://youtu.be/OPt0g6yNujg?si=K8GdrqhtV7knLMPd2025/12/26田原坂西南戦争資料館■動画概要:なぜ、西郷の同郷が西郷軍を斬ったのか?本動画では、武士の時代から近代日本へと変わる明治維新という激動の時代、政府軍と薩摩軍に分かれて戦った薩摩出
知覧特攻平和会館と知覧町護国神社付近にある記念碑です。31°21'47.6"N130°26'04.0"EGoogleマップで地図を検索。乗換案内、路線図、ドライブルート、ストリートビューも。見やすい地図でお店やサービス、地域の情報を検索できます。世界地図も日本語で、旅のプランにも便利。maps.app.goo.gl西南戦争記念碑。日露戦争記念碑。日清戦争記念碑。戊辰戦争記念碑。
少しずつ🤏バレてきているね。今では奥手(?)の私でさえ知っている。https://x.com/kharaguchi/status/1874086735648620605明治維新は、薩長の藩閥(傀儡)が権力を握り中途半端な形で終わる。それまでの日本の文化や宗教、風土といったもので、明治を通して破壊されたものがどれだけあっただろうか?江藤新平侯(佐賀の役)西郷南州侯(西南戦争)は、失敗に終わる。…https://t.co/X86IyIoSzR—原口一博(@kharaguchi)
和本明治10年(1877)新政府役職名鑑「官員名鑑」全1冊/神崎正誼(活版製造所/弘道軒)/古書/和紙に活版/西南戦争です。8+208丁。横本(8.5cm×19cm)。和紙に活版。見返しあり。奥付あり。西南戦争で熊本と鹿児島のデータがない。【書名】官員名鑑【巻冊】全1冊【著者】神崎正誼(活版製造所/弘道軒)【成立】明治10年(1877)
熊本の観光名所熊本城平成28年に発生した熊本地震で被害を受けた城内では今も復旧作業が続けられています震災以降に作られた見学路から見る武者返しと呼ばれる石垣たちは圧巻でした本丸には熊本城の資料館となっており加藤清正が城主だったころから城下町を発展させた細川氏の時代日本最後の内戦である西南戦争での籠城戦そして現代までの歴史が詳しく知ることができます最上階の展望台からは熊本市内が一望でき城内の特別見学路の様
プロフィール➡︎こちら《トピック》今日のマヤ暦今日のブログ響舞《奉納舞》毎日のマヤ暦はブログ/インスタFacebookからも➡︎インスタはこちら➡︎Facebookはこちら【今日のマヤ暦】*********1/2(kin24)〜過去のパターンや殻を打ち破る〜***********一回見たら忘れてオッケー👌【今日のマヤ暦】🦋音響11/黄色い種【運気のズレを解消するポイント】🦋過去のパターンや殻を打ち破る*************✴️当てはまった日は叡智と
残暑厳しい頃から、仕事帰りに立ち寄ったコンビニで缶ビール(厳密には第3のビール)を買い求め、帰投した部屋にて(ストレス解消の意味で)呑み干す夜を繰り返しておりましたやがて呑み干した空き缶の処分に嫌気が差し、11月に入ったあたりでしょうか、やはりコンビニにて買って来たのは…紙パック入りのいも焼酎でありますこれさえ部屋に常備しておけば、空き缶を処分する煩雑さより解放されるはず…。ところが今度はなかなかキャップを開ける踏ん切りがつかず(だって朝早いお仕事ですので)、気が付けば1か月ほど放置してま
おはようございます。気温は10,0℃、天気は曇りです。長い急坂を登って、山頂に到達しました。ここに何があるかというと、西南戦争の前に熊本の旧武士がおこした「神風連の乱」で、熊本城での蜂起で負けた烈士が、この山の山頂で城を見ながら自刃した場所なのです。さすがに山頂は手入れされています。ちょっとした休憩所もあります。但しトイレはありません。こちらは大岳神社の祠です。血溜まりの塚とは、少し不気味ですね。さて帰り道は登りより危険です。枯葉で足が滑って、何回か転び
おはようございます。気温は6,4℃、天気は晴れです。次の場所も西南戦争に関係する場所です。宇城市三角町にある郡浦神社。ここは古い歴史書にも出てくる由緒正しい神社です。肥後三の宮という歴史があります。境内の銀杏の落ち葉が美しいですね。どうもわざと土の部分に残しているようです。近くで清掃している近辺の方もいました。境内には銀杏の説明書きがあります。ここには、本日の本命である大岳山で自刃した烈士の慰霊を祭ってあるようです。その大岳がこの山です。今から登ります。
導入:六・七巻の位置づけ司馬遼太郎の大作『翔ぶが如く』は、西南戦争へと至る激動の時代を描いた作品です。六巻・七巻では、神風連の乱や萩の乱、そして西郷隆盛の挙兵へと至る過程が描かれ、明治維新後の社会の不安定さが鮮やかに浮かび上がります。本記事では、両巻のあらすじを整理しつつ、作品から感じ取れるテーマを考察してみます。六巻のあらすじ|神風連・秋月・萩の乱台湾出兵から帰還し、琉球を日本領と認めさせる外交的成果神風連の乱熊本では思想の違いから「学校党」「実学党」「敬神党」に分裂。敬神党の一
2025年11月26日(水)半高山293.8m1/2回目熊本県玉名郡玉東町半高山は、玉東町の南側にある標高293.8mの小高い山です。山頂部は、西に有明海、東に阿蘇をパノラマで見渡すことができる絶景ポイントで、車でアクセス可能です。周辺は、明治10年西南戦争の激戦地となった場所でもあり、関連する石碑等が点在しています。ハゼの紅葉三角点標柱コンクリート桝に入ってます。「蓋」を上げて三の岳名前?広ーいミカン畑の中を下りて行きます。2回、柵の開閉に
上野彦馬の生涯を追っています撮影局を開業した彦馬ですがその後精力的に写真を記録として撮りまじめますまずは金星の太陽面通過の写真です彦馬は写真として残す事で記録しようとしたのです彦馬の写真への興味はポンペから学んだ化学がスタートです彦馬は一化学者としての興味と使命から金星の太陽面通過という高度な技術にも挑んだのですそして西南戦争の戦跡写真ですこれは政府からの公的依頼でした政府は近代兵力の戦いだった西南戦争での兵器や兵士の跡などを記録させました彦馬も純粋な使命感と
【明治時代】214西南戦争と西郷隆盛の最期【日本史】自衛隊の階級が変わる!①11月13日木曜日の産経新聞のトップページには、「自衛隊の階級名変更政府検討来年度中にも法改正」と書かれていました。国民の皆様、おはようございます。産経新聞のトップニュースを見て、こんなことを感じました。明治時代の西南戦争で、西郷隆盛は死にました。その当時、日本は朝鮮を併合していました。ところが、朝鮮人は日本の言うことを聞きません。朝鮮をどうしてもこらしめる必要があったのです。西郷隆盛は
司馬遼太郎の『翔ぶが如く』、ついに読み終えました。長かったけど、本当に読んでよかった!西郷隆盛と大久保利通。どちらも薩摩出身で、一緒に明治という新しい時代を作ったのに、最後は悲しいほどに離れていくんですよね。最初は「歴史小説って難しそう」と思ってたけど、読み進めるうちにすっかり引き込まれました。司馬遼太郎の文章はとにかく人間くさい。西郷の優しさ、大久保の孤独、それぞれの「信じた道」が痛いほど伝わってきます。とくにラストの西南戦争の描写。あの静けさの中にある悲しみが、胸に刺
一旦目覚めたのが3時で、今朝は7時に起きた。ウェイン・ショーターのアルバム「モト・グロッソ・フェイオ」をレコードで聴いた。朝食は青森県産まっしぐら8割に麦2割でご飯炊き、おかめ納豆と海苔で一膳半。デザートは宮崎産極早生みかん。グレープフルーツジュース飲みながらシーラ・ジョーダンのアルバム「コンファメーション」をレコードで聴いた。昼食は池之端「ラフたす」に行き、注文したのは美笑牛ハンバーグランチ。サラダ、ライス、デザートに黒豆きなこアイスクリームとパイナップル、コーヒーが付いて2200円
『1180.玉名巡り~宇都宮神社~金の屏風•春風』暗い朝に目が覚めた時計を見ると5:55おー!ゾロ目に反応10/21新月5のゾロ目ではじまったこの日はまだ巡った事のない熊本県北部、玉名巡礼を予定していた今回…ameblo.jp続き⬇︎二社目は、繁根木八幡宮へ!ここは以前に近くを通った時お見かけし主人の心に残っていた神社だった神社駐車場から正面鳥居へ向かう前に稲荷神社があったのでご挨拶参りへこちらは蚊がいたので我慢できず手を合わせ直ぐに去りました【繁根木八幡宮】ここ、繁根木(
今年の夏に放送された、某テレビ局が制作したドラマが「歴史の歪曲」と批判されているとの新聞記事を読んだ。ドラマ中で描かれた人物の御子孫が、テレビ局を相手に訴えを起こす方針だという。これを受け、「ドラマによる歴史の改竄は許されるか?」と銘打ったシンポジウムが開かれたとも。歴史に材を採った物語制作が宿命的に抱え込むこの問題は、物語制作に携わる者にとって悩ましい問題であるだけに、考えるための豊富な材料を与えてくれもする。先人たちはこれとどう向き合ってきたのだろう。明治10年