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おはようございます<imgalt="ニコニコ"class="emoji"height="16"loading="eager"role="presentation"src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/139.gif"style="aspect-ratio:16/16;"width="16"><imgalt="ニコニコ"class="emoj
姫路城天守閣には今まで縁が薄かった1回目遠足で担任が迷子になり天守閣に登れなかった(今、考えるとどうして迷子になるの?と思うが)2回目訪れたとき既に門は閉ざされていた(入城は16時まで)3回目平成の大修理ですぐ横から天守閣が見れると勇んで行ったが、2時間以上待ちなので諦めて帰った4回目大修理後の夏休み3連休に出かけた混雑を考えて午後遅くに出かけたが酷暑のなか1時間以上待ち入城後もずっと続く行列、エアコンはもちろんない高齢者や子連れの方と続々と脱落者が出
山中城。西木戸跡から西櫓を囲む“西櫓堀”沿いを廻り…徐々に二ノ丸虎口の方へ戻る。かつては、関東ローム層が露出し、堀底に落ちると滑って登るのが困難だった模様の空堀。右側が西櫓。↓振り返って見る。左側が西櫓。↓笠雲付きの富士山がよく見える。やがて、西櫓と西ノ丸の間の障子堀に。左側が西ノ丸。右側が西櫓。↓ワッフル!こちらは西ノ丸の障子堀の、東のハズレ。
山中城。西ノ丸を出て、南側の畝堀沿いに西側へ。侵入した敵が空堀内の畝上を歩けば、確実に狙い撃ちにされるだろう。西ノ丸の周囲をぐるりと囲む。畝上を歩けば狙い撃ちに、しかし、堀底に行けば、湿った関東ローム層の為に滑って脱出し辛くなる。下図、右上の西ノ丸の、すぐ左側が西ノ丸畝堀。史跡公園基本構想戦乱の森史跡山中城跡/史跡山中城跡調査専門委員会【中古】楽天市場2,500円旅行読売増刊100名城さんぽ2020年11月号[雑誌]楽天市場1,100円
山中城。西ノ丸の北側、富士山が見えるここは…西ノ丸見張台。見張台から北を見ると、笠雲付きの富士山。この日は、富士山裾野の陸上自衛隊富士演習場での射撃訓練らしき音が聞こえていた。更に、西ノ丸見張台から北側を見下ろすと…山中城の代名詞『障子堀』。通称・ワッフル!!攻め手はついつい畝の上を歩きたくなってしまうが、そんな所を歩けば確実に上から狙い撃ちされる。※障子堀ワッフル、山中城下の売店で買えます。
山中城。元西櫓の隣の曲輪。こちらは『西ノ丸』。西ノ丸に侵入。元西櫓と二ノ丸虎口方向を見る。↓二ノ丸北側を見る。↓土塁と空堀に囲まれている。下図、右上の大きめの曲輪が『西ノ丸』。箱根ガイドブック[岩崎宗純]楽天市場1,601円史跡公園基本構想戦乱の森史跡山中城跡/史跡山中城跡調査専門委員会【中古】楽天市場2,500
山中城。二ノ丸の北側の溜池跡から上がると…二ノ丸虎口から西側へ橋を渡った所に出る。『元西櫓』と呼ばれているが、元は名も無き曲輪だったらしい。元西櫓の土塁内側から、更に西を見る“人神人(ひとしんど)”君とその弟子。↓↑西側には、“西ノ丸”が見える。↓
今日はまた寒かったですね!12月に入り、インフルエンザの話も聞くようになってきました。私も気をつけなければさて、今回は先日ふらりと行ってきたコチラ津城跡(津のお城公園)先日の四天王寺につづき、道路から紅葉が見えたので、ちょっと立ち寄ってみました津城は、江戸時代には藤堂藩32万石の中心となったお城🏯築城は1580(天正8)年、織田信長の弟信包(のぶかね)によるものです。伊勢上野城にいた信包が新しくかつての津の港町の近くに築いた居城だったとされています。翌年、富田氏が入城しますが、16