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前記事では、陳寿(ちんじゅ)が『三国志』撰述にあたって裴秀(はいしゅう)の『禹貢地域図(うこうちいきず)』を参照したはずだということを検証しました。そうすると、その序文で定義されている「道里(どうり)」という言葉を陳寿が使用する場合、その定義のもとに用いるのは明らかです。陳寿が同じ言葉をわざわざ別に定義し直す必然性はまったくないからです。では今回は、『禹貢地域図』序文で「道里」がどのように定義されているのかをみてみます。まず、『晋書』裴秀伝に引用された『禹貢地域図』序文の原文は以下
「魏志倭人伝」を正しく解釈するために、共通認識として定義したい言葉がいくつかあります。その筆頭は「周旋(しゅうせん)」だと思っています。従来、「ぐるっと一周する」という読みが定着していました。しかし、『三国志』内の用法をみる限り「めぐり歩く」「転々とする」と読むのが正しいというのは、以前の記事〈文献解釈上、邪馬台国畿内説が成立しない決定的な理由〉〈改めて「周旋可五千余里」の解釈について〉で検証しました。その「周旋」と双璧と思われるのが、「道里(どうり)」です。これは、「日数は道
地図は非常に便利なものです。A地点とB地点との位置関係をひと目でみせてくれます。たとえば、私たちがある施設へ行こうとするときにホームページでみる施設へのアクセス案内は、地図と「○○駅から徒歩○分」という文言がセットになっていることが多いですが、おかげで道に迷うことなく目的地に着くことができます。ところが、ここで地図が表示されなくなったとしたらどうでしょうか。「○○駅から徒歩○分」だけでは目的の施設へたどり着くことは不可能です。私は、邪馬台国への行程記述が混乱をきたしているのは、それ