ブログ記事103件
12・紀伊山地の霊場と参詣道本尊三貌十一面千手千眼観音4世紀にインドから渡来した裸形上人によって開かれたとされ、観音浄土信仰の重要な拠点です。「補陀落」とは、観音菩薩が住むとされる南方の浄土を意味します。この補陀落を目指して、僧が小舟に乗って太平洋へ旅立つ「補陀洛渡海」という宗教行為が行われ、補陀洛山寺はその出航地として知られています。ご利益は、海上安全と心の迷いを断ち切ることです。補陀落渡海を行ったと伝わる僧侶たちの名が刻まれた記念碑があります。当時の資料をもとに復元された補陀
宝筐印塔、鎌倉期。本堂側面手水那智世界遺産だ。天台さんらしい。荘重。世界遺産として紀伊山地の霊場と参詣道の一部を成します。山号は那智山だが、本州最南端近くの霊験地にある霊場。観音の補陀洛浄土は、御詠歌に含まれる。国内随一、補陀洛渡海が行われた地と言って間違いない。小銭なくて、いやそれどころか、1000,5000円札すらなかった。この先の有料部分はパスした。しかし絵になる。三重塔と滝。信徒宿舎かな普照殿か。他に知らない。
病弱な若旦那のために特別に注文された布団から、夜な夜な聞こえてくる泣き声の正体(「四布の布団」)、のっぺらぼうの同心のもとに持ち込まれてきた、奇妙な女からの訴え(「あやかし同心」)、「百物語」の場に来た少年には、可愛らしい少女の姿をした神様が憑いていた(「逃げ水」)など、妖怪や怪異を扱った時代小説アンソロジー。平成を代表する豪華女性作家陣の魅力が味わえる珠玉の短編六作を収録。(文庫本裏表紙より)その中から、木内昇著「蛼橋(こおろぎばし)」。ネタバレあります。主人公の佐吉は、漆商、下総屋の番頭
こんばんは。サイホウ1。サイホウ2。西には、なにか良いものがあるらしいよ、キウイ🥝君。無事に連休明けのお仕事を終えることが出来ました。うっかりし放題な夏休みを過ごしていたニンゲン。果たしてお仕事に順応出来るのか。特に午前中は労働災害を起こさないように慎重に進めました。もし、かたわらでこれを倍速で見たら、普通の動きになったと思います。無事に終わって良かった、良かった。今日のキウイ🥝君は盛大な水浴びをしてたそうです。見たかったなあ。ではまた明日〜。
ようやく足摺岬に到着。足摺岬駐車場から第38番金剛福寺の手前に池。亀島ですね。鶴島はないのか?補陀落渡海を含意しているのかな。仁王門階段の正面が本堂。奥が大師堂。大師堂の撮影していませんでした。流石に納経はしてますが、、。八十八霊場の写しご本尊。珪化木?
『補陀洛山寺』那智山青岸渡寺の別院。仁徳天皇の治世にインドから熊野の海岸に漂着した裸形上人によって開山されたと伝わっている。観音浄土信仰の本拠地で那智の浜から観音浄土である補陀落をめざして小舟で旅立った補陀落渡海の寺として知られている。御朱印いただきました~
こんにちは。サイキックチャネラーキュアサロンマナです。キュアサロンマナとは?キュア:治す、治療する、癒すサロン:部屋を意味する言葉マナ:超自然的または神の力、奇跡の力奇跡の力で、あなたの心と体を癒します『霊視鑑定と解脱供養承っています』こんにちは。サイキックチャネラーキュアサロンマナです。キュアサロンマナとは?キュア:治す、治療する、癒すサロン:部屋を意味する言葉マナ:超自然的ま…ameblo.jp
【ちいさいクジラはおおきなイルカ〜熊野聖地巡礼ワークショップ開催しました】毎年恒例、熊野聖地巡礼ワークショップ開催しました。今回は凍てつく流氷オホーツク→インド→青森→熊野という流れで、いつもと違う感覚。全てが繋がって在る感じ。インドと青森が繋がっているのは知っていたけれど、青森と熊野の密接な関係は今回初めて体感しました。山岳信仰と天狗さんたち。あの世とこの世の境い目に立つことは怖いことではなく、喜びなんだなあ。そして先人たちの気持ちが良くわかると楽になれる。私の聖地巡礼ワークショップは
おやじの百寺巡礼≪番外編≫補陀洛山寺(ふだらくさんじ)《和歌山県那智勝浦町》令和7年3月17日(月)本堂はとうに閉まっていました。いくら拝観無料のお寺でも夕方の5時過ぎてしまうと拝観できるお寺はないですね。青岸渡寺と同じく裸形上人(らぎょうしょうにん)の創建であり現在は青岸渡寺の管理となっている補陀洛山寺をぜひとも拝観したくて急いで向かったのですが残念でした。補陀落渡海の渡海
土曜日も雨模様日曜も雨☔夕方には上がったものの・・・さほど暇でもするべき事は山のように有るけどお腹が減るのでナマケモノの如く動かずお昼の天気図みたら雨上がれば北風ビュン(^ー^)これは凪の前兆近場でととクラブアジなんかお前の筏に居るかこの詐欺野郎少なくても朝我慢したら風は落ちるはず夕方の天気図みたら朝から苦情のラインどうやらお客さんがいた見たいで危ない時はすぐ連れて帰るつもりで沖に居るみたいです西風で筏の有る所は山陰だけど万が一の為明後日沖縄から琉大の先生が
那智の瀧『熊野へ本日2度目の大好きな那智の瀧』那智熊野大社、青岸渡寺早朝参拝『熊野へ那智熊野大社、青岸渡寺の早朝参拝』湯の峰温泉、那智の滝『熊野へ行ってみたかった湯の峰温泉へ、夕方の那智の滝には…ameblo.jpの続き宿を出る時にいただいたチラシ宿の方から「大門坂、全部歩かなくていいから下からちょっと歩くだけでも雰囲気味わえるから行ったことがなければ行ってみて✨」というように勧められて今回の予定には入っていなかったのですが急遽、大門坂に行ってきました。
◯2024年12月12日に、ブログ『那智山青岸渡寺』を書き、その冒頭に次のように書いている。・2023年5月12日に、熊野那智大社にお参りして来た。この日、玉置神社を皮切りに、熊野本宮大社、熊野新宮大社と巡り、やっと熊野那智大社にたどり着いたわけである。熊野那智大社は、熊野本宮大社や熊野新宮大社とは、まるで祭祀形式が異なる。それがまず気になった。・と言うのは、熊野那智大社のすぐ脇に、那智山青岸渡寺が存在するのである。そして、熊野那智大社のご神体である那
◯今日は2025年正月7日である。5日の朝、都城に出掛け、神柱公園の近くを通ったところ、道路に交通整理の警備員が出ているのを見付けて、驚いた。正月三が日でも無いのに、まだまだ参拝客が多いのだろう。神柱公園には神柱神社が鎮座まします。◯日本では、多くの人が初詣でに繰り出す。日頃、神様など拝んだことも無いのに、何故か、正月には初詣でに出掛ける。それだけ、初詣では日本人に浸透していると言うことなのだろう。◯その日本人が好きなのに、ご来光がある。インターネットで「ご来光」を検索したら、次のページがヒ
◯日本の補陀落渡海が何とも凄まじいものであることは、ブログ『補陀落渡海』で見て来た通りである。このことについては、井上靖の短篇「補陀落渡海記」が詳しい。ただ、井上靖には、中国の補陀落渡海がどういうものであったかが、見えていない。残念な話である。◯ところが、現在の中国では、補陀落渡海そのものを見失っている。中国の観音信仰の聖地、普陀山でそうなのだから、驚くしか無い。逆に、日本の補陀落渡海信仰から、中国の本来の補陀落渡海を再現することができる。◯もっとも、誰もそういうことをしない。だから、仕方が
◯前回、ブログ『補陀落渡海』を書いて、もともとの補陀落渡海がどういうものであったかを案内した。しかし、実際、それがどういうものであるかは、出掛けてみないと判らない。それで、今回は『中国の補陀落渡海』と題して、現在の普陀山に於ける洛迦山航行をみてみたい。◯当古代文化研究所が、初めて洛迦山へ渡ったのは、2012年7月19日のことである。そのことについては、次のブログに書いている。・テーマ「普陀山・洛迦山」:ブログ『洛迦山へ行く』◯当時、すでに、普陀山から洛迦山へ行くことが補陀落渡海であ
◯那智山青岸渡寺にお参りしたのは、2023年5月12日のことである。その後、訪れたのが補陀洛山寺であることは言うまでも無い。その話は、後日することとして、今回、問題にするのは、補陀落渡海になる。◯日本に於ける補陀落渡海の話は、なかなか、面白い。ウィキペディアフリー百科事典が案内する補陀落渡海は、次の通り。補陀落渡海補陀落渡海(ふだらくとかい)は、昔の日本で行われた、仏教の宗教行為。観音菩薩の浄土である補陀落山への往生を願い、海上へ船出する。補陀落山は南にあると考えられたため、特
仏の道とは・・・深い深すぎる旅をしながら思いにはせる
補陀落は、観音菩薩の住まわれる浄土。南方の海の彼方にあるとされた。この地をめざして出航する捨身の行が補陀落渡海。那智勝浦にある補陀洛山寺は、多くの住職が補陀落渡海を行ったことで知られている。新宮市教育委員会の「熊野学」に関する資料によれば、平安時代(858年)から明治(1909年)までの記録にある補陀落渡海は全国で56例。そのうち28例が熊野那智から渡海しているという。補陀洛山寺の住職が乗り込んだ補陀落渡海船は、四方に鳥居が立てられ、その中に小さな船室が作られていた。船室に
四国最南端の岬にあるお池には大好きな亀ちゃんがいますいつの間にか岩の上にお引越ししてますこりゃびっくりカツオや鯨が泳いでいます亀ちゃん、新居はどう?もう慣れた?ひなたぼっこしているね長年池の中に居たせいか水の跡がついてるけれど、それも魅力よお引っ越し祝いのお花をどうぞ補陀落渡海に出た供養塔はそのまま亀が運んでくれてるかのよう
平清盛平清盛-Wikipediaja.wikipedia.org伊勢平氏の棟梁・平忠盛の嫡男として生まれ、平氏棟梁となる。保元の乱で後白河天皇の信頼を得て、平治の乱で最終的な勝利者となり、武士としては初めて太政大臣に任じられる。日宋貿易によって財政基盤の開拓を行い、宋銭を日本国内で流通させ通貨経済の基礎を築き、日本初の武家政権を打ち立てた(平氏政権)。保延3年(1137年)、平忠盛が熊野本宮を造営した功により、清盛は肥
人は熊野に現当二世のご祈誓のために参る現当二世とは現世と当来世とをあわせて言う仏教用語蟻の熊野詣つまり、上皇たちが熊野に詣でる意味は今ある権力、名誉物質などさまざまな欲を満足させたいという思いと自分が長く、この地位を保てるように、いのちの安全という欲が絡み合っての詣でである、ということですわたしたちも神社に参る思いというのはそういう欲を満たしたいがために参拝していますよね現世の幸福と安穏のためのみに熊野の神は存在す
補陀落山寺那智山青岸渡寺別院補陀洛山寺(別院)-那智山青岸渡寺公式ホームページ観音浄土・補陀洛山へ那智山青岸渡寺別院である補陀洛山寺は、仁徳天皇の治世にインドから熊野の海岸に漂着した裸形seigantoji.or.jp補陀洛山寺-Wikipediaja.wikipedia.org三貌十一面千手千眼観音天台宗の寺院。補陀落とはサンスクリット語の観音浄土を意味する「ポータラカ」の音訳である黄泉の国和歌山
那智御瀧にて正式参拝の後、青岸渡寺、行者堂にてお勤め後、熊野那智大社にお詣り致します。先月の那智の滝神秘ウォークにてお詣りさせて頂きましたが、何度も言いますが、まったく飽きません(^▽^;)熊野那智大社は熊野三山では、一番境内地が狭いですが、一番感じるものがあるお宮さんでもあります。熊野那智大社GWも最終日。落ち着いた参拝者数であり、礼殿にて大祓詞~祝詞を奏上させていただけました(^^)v立派な大楠。今回も胎内くぐりはしませんでした(;'∀')なんだか恥ずかしいので
今年のGWは夫の仕事が前半に3連休、後半に4連休というカタチになったのですが、後半の4連休に予てからの予定通り丹後国、但馬国、播磨国の一の宮をお詣りしてきました。その参詣記はいずれUPさせていただく予定ですが、いまは4ヶ月前の紀伊国の参詣記の続きを…今回は補陀洛山寺さん(こちらの記事もどうぞウィキペディアはこちら)参詣記です(;^_^A。※補陀洛山寺さんは那智山青岸渡寺さんの別院です。こちらを参照なさってください<(__)>。世界遺産文化遺産オンライン
令和6年4月13日16時三十八番札所蹉跎山補陀洛院金剛福寺到着長いドライブでした💦岩本寺から85km最長の札所間距離だそうです弘法大師が唐から帰国する際、東の空に向けて五鈷杵を投げたそうその五鈷杵が落ちたのが足摺岬といわれていますこの伝説、前に聞いたような…確か独鈷杵は36番青龍寺に着いたのですよねもう一つの三鈷杵は高野山の壇上伽藍に着いたそうです五鈷杵は別名金剛杵ともいわれ、また福は観音経の「福聚海無量」に由来しているそうでここから
補陀落渡海とシュメール神話王と女神の神聖結婚中編このお話は、「ジャワ島の暗黒の女神とシュメール神話」の続きです。https://ameblo.jp/heavenly-crystal/entry-12842875583.html『ジャワ島の暗黒の女神とシュメール神話王と女神の神聖結婚前編』ジャワ島の暗黒の女神とシュメール神話王と女神の神聖結婚前編ジャワ島の怖い女神ニャイロロキドゥル先日、クレイジージャーニーというテレビ番組に、インドネ…ameblo.jp日本に伝わ
今年の那智駈けも、ラストスパート!もう午後3時半!急いで下山しないと、夕刻が迫りますからね。しかし!歩いて那智の海岸までいかないと、那智駈けの意味もなくなりますので、急ぎながらも歩いて補陀落渡海の地・ブルービーチ那智へ向かいます!大門坂を下ってまいります。いつも下ってばかりなので、いつかは登ってまいりたいと思います。いい雰囲気ですね。実際にはもう少し暗いんですけどね。雰囲気を堪能する暇は、正直ない(;^ω^)大門坂ですよ~って看板でございます。熊野九十九王子多富
那智勝浦町の熊野三所大神社を参拝。補陀落山寺と同じ場所に鎮座しています。補陀落山寺はずっと前に参拝し、おそらくこちらの神社も参拝したかと思います。今回は熊野三所大神社の御朱印があると情報を得たので、紀宝町に初日の出を拝みに行った帰りに参拝に至りました。紀勢道那智勝浦ICを下りてすぐ。入口横に大楠。めちゃめちゃ大きい!拝殿。元日の午前9時くらいだったのですが、参拝者はほとんど無し😅補陀落渡海船昔の人の信仰心、覚悟って現代人には備わってないでしょうね。この船の上の小屋から出れな