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HT先生に捧げる本棚~プロローグ~HT先生とは私が中学時代にお世話になった先生のこと。3年間社会科を教えてもらい、中2の時は担任、そして野球部で指導を受けました。当時HT先生はほぼ新任で、恩師なんて存在ではなく、兄貴みたいな存在でした。中学3年間のすべての場面にHT先生がいたように思います。家庭訪問でいらした時に、養蚕農家の煤けた家屋のことを「伝統のある家ですね」と言っていただいたと母がちょっぴり嬉しそうに私に話してくれたことを今でも覚えています。社会人になってからも、最初
どなるどくんにつたえてきてねかくふたつもPRESENTしてくれやがってありがとううちだけこんなにもらっちゃって悪いなBADだなとってもたいへんだったよとってもこまったんだよいまでもこまっているんだよえいえんにこまってるんだよおきなわどうするのひろしまどうするのながさきどうするのねぇしってる?どなるどおじいちゃんはおべんきょうもどくしょもしないのよねっとげーむばっかりなのしゅくだいしないでごるふばっかりなのよこまっちゃうねしげるふぁんくらぶかいいんな
今回紹介する記事は2024年12月16日付けの「毎日新聞」の記事です。【被爆者が背負ったもの】というタイトルで、専門記者下桐美雅子氏が、記憶の消失は「正気でいるための本能的な自己防衛」であることについて、紹介しています。いつもどおり、「4つ」の視点でこの記事を見ていきます。(4つの視点についてはこちらをご覧ください)☆新聞記事の紹介について(発信者が重視するテーマに関してはこちらをご覧ください)★始めに読んでほしいブログについて(1)内容の要約群
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こんばんは、おぎのあずさ(荻野梓)です。-[お知らせ]-パブリックコメント(意見募集)中!2024/12/13(金)〆切アクアプラン川口21~第3次川口市水道ビジョン~の改訂(案)川口市公共下水道事業経営戦略の改訂(案)2024/12/24(火)〆切「埼玉県5か年計画ほか4計画」(一部変更素案)「第3期埼玉県まち・ひと・しごと創生総合戦略」(素案)「埼玉県環境基本計画」(一部変更素案)「埼玉県防犯のまちづくり推進計画」(案)「埼玉県こども・若者計画」(案)
兄の声が聞こえる石津ユキエ昭和二十年八月六日から僕はまだ家に帰っていないんだ。辿り着くことができないんだ。家族は心配しているだろうな。家を出る前に井戸に桃を放り投げたままだしもう冷え切っているだろうなカバンも教科書も家に置いているし僕はまだしたいことがたくさんある僕はなぜここから帰ることができないのだろうなぜどうしたんだ何が起きたんだろう先生先生どこにいるんですかお母ちゃんおばあちゃん弟よ僕はもうお前をおんぶしてあげられないんだも
おはようございます野ゆきです。今日も良いお天気ですね。広島で出会った方の証言の続きです。(前回のあらすじ)原爆が落ちてくるところを見た瞬間学校は全壊。校舎の下敷きになりました。児童と共に校舎の下敷きにどれほどたったかわかりませんが、何かが、背中をドンドンと蹴飛ばしているようで気がつきました。「先生助けて、お父ちゃん、お母ちゃん、助けてぇ」と、子どもの声がします。私を蹴飛ばしていたのは、四年生の女の子でした。「しっかりしなさい、先生は動けんから、体の小さいあなたが隙間から外に出
本日、本覚寺檀徒のT様よりご自身の学童疎開体験と、亡きお母様の被爆体験の手記のコピーをお預かりしました。今後、全てテキスト化して本覚寺公式HPで公開する予定です。来年は被爆80年ですので、こうした記憶や記録をしっかり残して受け継ぐことも大切です。
https://open.spotify.com/episode/0vtHtn3e6sbujhnQEE18Av?si=3SNkuSWHQwSeMmzscDaaoA日本被団協「ノーベル平和賞」受賞美輪明宏が語る「被爆体験」美輪明宏の薔薇色の人生·Episodeopen.spotify.com
ノルウェーのノーベル賞委員会は今月11日、2024年のノーベル平和賞を被爆者団体の全国組織「日本原水爆被害者団体協議会(被団協)」に授与すると発表しました。長年に亘る被爆体験の伝承などを通じて、核兵器廃絶を世界に訴え続けていることが評価されたようです。尚、日本からのノーベル平和賞受賞は、非核三原則を提唱した1974年の佐藤栄作元首相以来、2例目です。失礼ながら「被団協」の存在を今日まで知りませんでしたが、その活動が平和に繋がるものとして世界に認められたのは嬉しいですね。ただ実際には、
今年のノーベル平和賞は日本の原爆被害者団体に…「核の脅威」を世界各国に警告今年のノーベル平和賞は日本の原爆被害者団体に…「核の脅威」を世界各国に警告(朝鮮日報日本語版)今年のノーベル平和賞は、日本の原水爆被害者「日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)」に贈られることが決まった。ノルウェー・ノーベル委員会は11日、「日本の広島と長崎の原爆被害者のため草の根運動を実施してきた市民団体の日本原水爆被害者団体協議会を2024年ノーベル平和賞受賞者に選定した」と発表した。ノ...l.smartne
7年前の動画です。志位和夫委員長被団協と会談2016年11月18日-YouTubeYouTubeでお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコンテンツをアップロードして友だちや家族、世界中の人たちと共有しましょう。youtu.be坪井直日本被団協の代表委員の被爆体験2014年6月11日-YouTubeYouTubeでお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコンテンツをアップロードして友だちや家族、世界中の人たちと共有しましょう。youtu.be被団協
35年前の九州への高校の修学旅行の思い出、最終回です。修学旅行4日目の朝、熊本市内の宿を出た私たちは、まずはバスで熊本城へ向かいました。バスでの移動距離はわずかでしたが、その大半で熊本市電も走る道路を走りました。朝のラッシュ時とあって数両の電車と並走したりすれ違ったりする中、路面電車ファン的にラッキーだったのが、当時熊本市電唯一の連接車であった5000形(元西鉄福岡市内線1000形)と少しの間並走したこと。5000形は現在も西鉄時代の塗装に復元された1編成が現役のようですが、私が出会っ
生きるFROMNAGASAKI2022年8月19日公開前作『ahopeofNAGASAKI優しい人たち』に続く、長崎被爆者の証言を集めたドキュメンタリー第2弾。本作では今まで語られなかった7名の新たな証言を収録した。壮絶な被爆体験を乗り越え、生きてきた人ーの“生きる”力と思いを現代に伝える。あらすじ長崎の被爆者の今まで語られなかった7つの証言1945年8月9日11時2分、長崎に原子爆弾が投下された。惨劇の中、生存者、救護にあたった者がいる。終戦直後、ある少年の家では、立
昨日は、被爆体験者の証言の会に行ってきました。本やテレビで知ることはあったけれど、被爆された方から直接聞いたことはなかったです。被爆者の高齢化が進んでいるため、体験を聞ける機会も少なくなってしまうと思い、参加を申し込みました。車で行くため、駐車場の空き状況をネットで見たのですが、混雑しているところと満車のところとあり、大丈夫かなかなり早めに家を出ることにしました。着いてみるとやっぱり車の大行列でしたが、30分ぐらい並んで無事停めることができました夏休みだし、繁華街だからイベントもやってたし
「僕は、いじめを繰り返し受けました」ゲンバクと呼ばれた長崎被爆者が受けた壮絶な差別「僕は、いじめを繰り返し受けました」ゲンバクと呼ばれた長崎被爆者が受けた壮絶な差別(中村由一)1942年10月4日長崎県で生をうけた中村由一さんは、兄と弟、そして2人の従兄姉とともに長崎市浦上町で暮らしていた。靴職人だった父は陸軍二等兵として出征し、母が5人の子どもを育てていた。そんなとき、1945年8月9日を迎えた。中村さんは九死に一生を得た。しかしその後の人生は、いじめや差別を抜きに語ることはできない。中村
8月9日は長崎原爆記念日です。
今日は広島に原爆が投下され79年めです核爆弾を落とされたのは世界で日本だけ⚡😭💣被爆された方々も段々と高齢化し亡くなる方が増えていますそんな中、自分の被爆体験を語り反戦平和を訴え続けているのが小谷孝子さん(85歳、八千代市)小中学校や幼稚園などで年間50回以上、被爆体験を語り続けて来られています👧👦小谷さんをサポートして支援をしているのが、石垣裕子さん(白井市)石垣さんはマミーのスクールでアロマ検定講座やハンドセラピストを受講されました「家族が亡くな
本日は被爆体験伝承者養成研修の自主研修が広島平和記念資料館で行われました。3月までで研修は終わっているのですが、今回は新井俊一郎さんの呼びかけで、12期生の皆様が実際に作成した原稿を元に実習形式で指導するものでした。私はあくまで聴講という立場でしたが、色々考えさせられることが多かったです。一つ言えることは、被爆体験伝承講話は「聴聞者ファースト」でお話しなければならないということです。実際の講話では、自分が話したい内容や知識よりも、聴講者に「伝わる」内容であるべきということで
こんにちはMayです昨日のブログで書いた、こちらで出会った日本人のフジコ(仮名)さん、御年94歳。2歳の時に3歳上のお姉さん、そしてお爺ちゃんと3人でアメリカから日本へ渡ったと。ご両親はアメリカでビジネスをしていて、そのままアメリカに滞在。ここからフジコさんが話して下さった原爆体験を書くので、その類いが苦手な方はここでアメリカから日本へ渡った後に後第2次世界大戦が始まり、東京から親戚のいる広島へ移ったらしい。そこでフジコさんは被爆してしまいます。広島への原爆投下が1
Yahooニュースより転載。「なぜ今なのか?」広島市長が引用した教育勅語、94歳被爆者の思い4/22(月)10:38配信教育勅語について話す切明千枝子さん=2024年4月13日午後3時6分、広島市南区、魚住あかり撮影広島市の松井一実市長が職員研修で戦前・戦中の「教育勅語」の一節を引用していることを受け、市民討論会「なぜ今教育勅語なのか?」が13日、市内で開かれた。被爆者の切明(きりあけ)千枝子さん(94)が教育勅語を使った当時の教育を振り返った。【写真】教育勅語について話す切明千
風化させてはならない記憶をよみがえらせた活動なぜ彼女は号泣したのか?▶️再生⚙️1.25〜1.5倍速推奨「Zストリーム」配信スタート今回は東京大学4年の庭田杏珠さんをお招きして、記憶の解凍プロジェクトとは?白黒写真をカラー化する理由や活動のきっかけについてお伺いしました「Zストリーム」配信スタート今回は東京大学4年の庭田杏珠さんをお招きして、記憶の解凍プロジェクトとは?白黒写真をカラー化する理由や活動のきっかけについてお伺いしましたご視聴はこちらhttps://
本日は被爆体験伝承者養成研修を受講している皆様に本川小学校平和資料館をご案内しました。いつものように居森清子さんの被爆体験を中心に本川小学校で何が行ったのか、ということをお伝えしました。雪が降る中、とても寒かったですが、皆様熱心にご参加下さり感謝しています。どうも有難うございました。
先週金曜に広島へ出張に行った。日帰り可能だったが、久しぶりだったので一泊を計画した。どこか瀬戸の海が見える場所がいい。ネット検索して尾道の生口島に決めた。日が暮れて到着して午前中には帰り道だったのでショートステイだが、感じのいい島だった。旅館も温かみがあったし。造船所がいくつもある。瀬戸田はレモンで有名な場所。平山郁夫のふるさとで美術館もある。これがなかなか立派だった。島には自然と共に、人間味のある暮らしが息づいていた。15歳当時に広島市内で原爆投下を目の当たりにす
ヒロシマを証言する!新井俊一郎さんの被爆体験証言~2022.9.13私が参加している勉強会・研究会での「被爆証言」です。コンデジ撮影。スマホ撮影。YouTube。転載自由です。拡大してご覧ください。
★SS5★殿敷侃とのしきただし銅版画「貝(2)」限定100部シートのみシートサイズ:22.1×25.1cm作品サイズ:7.7×9.8cm作品の状態は良好ですサインあり真作を保証いたしますので、万が一、贋作と鑑定された場合にはご返金いたします。その他の出品はこちらhttps://auctions.yahoo.co.jp/seller/nuchie_jp殿敷侃TadashiTONOSHIK1942年広島市生まれ。3歳のときに被爆。父親は原爆で亡くなり、母親も五年後に病死
★SS5★殿敷侃とのしきただし銅版画雁皮紙摺り「貝(3)」限定30部シートのみシートサイズ:15.0×17.5cm作品サイズ:7.5×9.5cm作品の状態は薄シミありですが概ね良好ですサインあり真作を保証いたしますので、万が一、贋作と鑑定された場合にはご返金いたします。その他の出品はこちらhttps://auctions.yahoo.co.jp/seller/nuchie_jp殿敷侃TadashiTONOSHIK1942年広島市生まれ。3歳のときに被爆。父親は原爆
私の祖母、子供達のひいおばあちゃんがおばあちゃんの誕生日の昨日亡くなりました子供達にとっては初めての親族とのお別れ私も初めてのお葬式子供達には、お顔をみせるべきなのか悩んでいますもう何年もあってないからあまり記憶もないと思うけど子供達にはおばあちゃんが元気だった頃のお顔だけを覚えてて欲しいと孫の私は思っているんだけど…原爆で被爆しながらも長生きして熱中症で自宅で倒れていたところもたまたま近所の人に発見してもらって本当に強運だったね天国でゆっくりビール🍺と