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あふ事のたへてしなくハ中/\耳(に)人をも身越(を)もうらみざらまじ白拍子(しらびやうし)衣手(ころもで)可(が)女(むすめ)袈裟御前(けさごぜん)尓(に)戀慕(れんぼ)なせし尓(に)一家(いつけ)多(た)る渡辺(わたなべ)左エ門亘(わたる)可(が)妻となりし可(か)バ深(ふか)く是(これ)を忿(いきどお)り彼(かれ)を討(うた)んとして袈裟(けさ)を害(がい)したちまち悪念発起(あくねんほつき)して桒門(しゅっけ)をぞ遂(とげ)多(た)りける後(のち)尓(に)高雄山(たかをさん)に文
蔵出し京都画像〜京都画像クイズNo.278は以前「文覚」(遠藤盛遠)の問題で画像を使用しています。それでは正解です恵光山浄禅寺解答を寄せられた皆さん正解です🤗。やっぱり難易度低めだったかな🥹。ただ、寄せられた解答数は少なかったです🥺。山門赤門京都市駒札ブログで🆙した時、駒札文を載せたので、今回は『京都大事典』から。南区上鳥羽岩ノ本町にある浄土宗西山禅林寺派の寺。恵光山と号す。本尊阿弥陀如来。由緒不詳。本堂や、聖観音を祀る観音堂、地蔵堂などは
昨日は、連光寺本村にて「サロン寄席」が開催されました。いわゆる、「THE・地域寄席」!私の中での地域寄席の定義は、「地域の方、スタッフの方のハンドメイドのあたたかさで、落語会が出来て、その土地に大衆文化の落語を広め、地域の方に喜んでいただく」です。そんなステキな地域寄席が今回、10回目を迎えました。毎年1回ですから、長い年月、お世話になっています。地域の方、スタッフの皆様と。「袈裟御前」を口演中。悪天候にも関わらず沢山の御来場、ありがとうございました。また来年もよろしくお願いしま
前回のブログ京都府ウオーキング協会主催「京都伏見・悲恋横恋慕ウオーク①」の続きです。藤森神社からスタートし、伏見の大仏様を拝観して深草少将と小野小町の百夜通い伝説ゆかりの地を訪れた後、墨染通りから城南宮道へ。油小路通りにこんな碑がありました。何これ?何て書いてあるのやろ?伏見柳町傾城中天明三年天明・・・って、江戸時代の1783年やね。傾城町(けいせいまち)とは、遊郭や郭(くるわ)、色街のことらしい。有名な
皆様、ごきげんよう芥川龍之介作「袈裟と盛遠」を配信致しました。♬♬この作品は【源平盛衰記】の中の袈裟御前と遠藤盛遠(文覚上人)の話をもとに書かれたものです。前半は男性・盛遠(モリトオ)の〈独白〉後半は女性・袈裟(ケサ)の〈独白〉の形で綴られています。どうぞ、お聴き下さいませ。━♬(*^・^)ノ⌒♬━☆♬(*^・^)ノ⌒♬☆お気に召しましたら〈チャンネル登録〉と〈いいね〉をどうぞ、よろしくお願いいたします。~♬(*^-^*)♬~映画「
遠藤盛遠(モリトオ)は、上西(ジョウサイ)門院に仕える武士だった。上西門院は鳥羽天皇の皇女、後白河上皇の准母(ジュンボ・生母ではないが母となぞらえた者)である。延慶本『平家物語』によれば、盛遠は同僚の源渡(ワタル)の妻・袈裟御前に恋したが、間違って袈裟を殺してしまう。恋塚(コイヅカ)寺「利剣山(リケンザン)と号する浄土宗寺院(伏見下鳥羽)」の由縁は…平安末期から鎌倉期にかけての武士。のちの文覚。盛遠は、夫のある女「袈裟御前」に恋をする。
9月September岡村靖幸の「ぶーしゃかLOOP」。聴いた人を笑わせる曲って、凄い-YouTubeYouTubeでお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコンテンツをアップロードして友だちや家族、世界中の人たちと共有しましょう。youtu.be岡村靖幸-WikipediaNHKラジオ文芸館池波正太郎『平松屋おみつ』前編プレーヤー|NHKラジオらじる★らじる煙管師の父が殺され、犯人が分からないまま小間物問屋である平松屋の女主人おりんの女中として奉公に出
『桃花三十一夜』23日目でした(*´꒳`*)【ネタおろし演目】袈裟御前【日替わりネタ】辰巳の辻占〈日替わりゲスト〉三遊亭ぐんまくん肝つぶし〈前座〉春風亭貫いちくん反・反抗期(自作の新作落語)池袋演芸場【桃花三十一夜】に出演させて頂きました。一緒に夜更かししてくれた皆様、夏の良い思い出になったでしょうか。ありがとうございました!あと8日、桃花師匠のご武運をお祈りしております。サウナより愛を込めて。—三遊亭ぐんま(@sytgunma)2024年7月23日
山の里加子母。今朝の9時頃突然降り出した雪が短時間で止み、晴れ間が見えてきました。今日一日微妙な天気になりそうです。1月にしては雪が少ない当地の小郷地区。近くには下呂市境の舞台峠がある標高が約700mの里です。写真の大木は天然記念物の「加子母大杉」。高さ30m、目通り13m、推定樹齢が1000年を超す古木です。大杉の手前にある建物は「大杉地蔵尊」。ご本尊は僧行基(670~749)による木像。長命と安産にご利益があるといわれ
京都に「赤池」と呼ばれる変わった名前の地名があります。この「赤池」にはこんな言い伝えが残されています。平安時代後期のこと、遠藤盛遠と呼ばれる武士がいました。盛遠は上皇の身辺護衛をする役目を持つ北面の武士でしたが、少々気性の荒い性格でした。ある日、盛遠は袈裟御前という名の美しい女性に恋をしました。しかし、袈裟御前には源渡という武士の夫がいました。これでは、不倫という行為になってしまうため、盛遠はとんでもない計画を企てました。「あなたの夫を殺すので、私と正式に結婚してほしい」袈裟御前はそ
北京オリンピックは、今夜幕を閉じる。なんとも嫌な出来事もあった大会になった。最終日の今日は、カーリング女子のロコ・ソラーレがイギリスに敗れて銀メダルになった。日本人は、本当にオリンピックが好きなのだと思う。斯く言う私も、その中の一人なのだが。何ということはないのだが、いつの間にかオリンピック中継を見てしまう自分がいた。もちろんブログにも書いていたように、私個人的にはスピードスケート女子の小平奈緒選手のファンだということはある。だけど、それ以外の競技もけっこう見ていた。さすがに今
こちらは京都の伏見区にある恋塚寺というお寺さんです。この恋塚寺にはこのような話が残されています。昔、京都に遠藤盛遠という名の武士がいました。ある日、盛遠は一人の美しい女性に一目惚れしました。調べるとその女性は、源渡と武士の妻で袈裟御前という名前でした。しかし、夫がいるにも関わらず袈裟御前のことを忘れられない盛遠は「どうしてもあなたのことを忘れることができません。渡殿と別れて下さい」と袈裟御前に思いを伝えましたが、「夫を捨ててあなたと一緒になるなどできません」と断られてしまいました。し
恋塚寺は、恋する袈裟御前を誤って殺してしまった遠藤盛遠が、袈裟御前の菩提を弔うために建てた寺。☆☆☆☆☆伝説によると・・・1157年(保元2年)春3月、淀川に架けれた渡辺橋の橋供養の警固にあたっていた遠藤盛遠(もりとう)は、美しい女房を見かけます。「あれはいったいだれか」と思った盛遠。女房の輿のあとをつけると、源渡(みなもとわたる)の家へ入っていきました。女房は、3年振りに見た袈裟御前だったのです。※源渡は、源頼光の四天王の一人源綱の子孫。綱は一条戻橋の上で鬼の腕を「髭切
8月22日に巡りました京の六地蔵「大善寺」から時計回りに巡礼二番目は『鳥羽地蔵』「浄禅寺」地蔵堂お地蔵様と縁を結ぶ「おはた」と「御朱印」今回はマイカー巡礼こちらには駐車場あります!各お寺の簡単な説明📱Tettyan48+13
先日、来年のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の第4次出演者発表に、猿之助さんのお名前がございました。お役は源頼朝にあやしく迫る僧、文覚と書かれてありました。文覚上人と云いますと、思い出されるのが菊池寛の戯曲「袈裟の良人」を原作とする長谷川一夫さん京マチ子さん主演衣笠貞之助監督の『地獄門』と云う大映映画。この映画は1954年第7回カンヌ映画祭でグランプリを受賞した名作です。当時はまだカラー作品が一般的ではありませんでしたが平安時代の絵巻物みたいなとてもきれいな映画でし
意味不明な三題噺です摂津源氏の遠藤盛遠は粗暴で思慮の足りない北面の武士袈裟御前なる女院に仕えるキャリアウーマンにのぼせ上がったのが間違いの始まり。まずいことに袈裟御前は人妻で、夫は同僚の武士相思相愛ですから不倫なんてとんでもない...潔く諦めるのがモノノフの道なのですが、アタマに血がのぼった盛遠は段平振りかざして言いよるばかり。進退窮まった袈裟御前曰く...今晩夫を殺してくれるならば...勇んで寝所に忍び込み、一刀両断!そこには身代わりの袈裟御前さすがのアホも目が覚め、我を
名古屋のシンゾウです今回から、《お坊さん問題》を始めます。単純に名前を覚えるだけでは駄目で、創建、創始、開基、開山、門跡、移転、現称、中興、復興....等々と絡めながら覚えなければなりません。そうなると暗記するのも一苦労です。試験が回数を重ね、出題傾向はかなりマニアックになって来ています。《お坊さん問題》は、試験6⃣7⃣のグループ問題には最適なような気がします。「これは出題されない」と簡単に割り切ることは大変危険です。夢窓疎石、春屋妙葩、碧潭周皎、龍山徳見、大業徳基.....頭が痛くなります
今朝も元気に観察ラン・・・なしよヽ(^o^)丿!どちらか、って~と、さぼった、って~より、自制した、って~感じかな~・・・。月間距離が250キロを超えた、って~のもあるが・・・。昨日マンションの隣の部屋男の子(3歳)にみゆきが毎年クリスマスプレゼントを贈ってるので、その子のお母さんがお礼に来た・・・。玄関先での立ち話だけだったが、そのお母さんに「おに~さん、痩せはりましたな~」と言われたのであった・・・。ちなみに、男の子がまだ3歳で、そのお母さんなのでまだかなり
柄にも無く夫と恋人岬を散策して、寺社めぐりは西伊豆町に入ります。沼津市戸田の大行寺さんから伊豆市小下田の恋人岬を経て、西伊豆町安良里の大聖寺さんへ…カーナビを頼りにお寺を目指しましたが辿り着かない…通りかかった地元の方に道を尋ねて進むと見えてきましたお寺の鐘が。三嶋観光バス(株)さんのこちらのページの大聖寺さんの紹介を引用いたしますと石段を登った高台に本堂が在る。本
伏見にある茅葺屋根の恋塚寺へご案内しました袈裟御前が眠る墓があるところです。平安期にあった悲しい恋の話が残ります。文覚上人(遠藤盛遠)と袈裟御前平安末期、北面武士の遠藤盛遠は同僚の渡辺渡の妻袈裟御前に一目惚れし許されざる恋に落ちてしまいます盛遠の気持ちに困った袈裟御前は、夫を殺してほしいと話を持ち掛け夫の寝所を教え、夫の首を討つように告げました。盛遠は実行に移します。ところが袈裟御前は、夫の身代わりになり盛遠に首を討たれます私が居なくなれば全て解決すると考えたからです
『地獄門』衣笠貞之助監督1953年…古い古い映画しかし名作は残る…ものだな~~中国映画大好き…だからこそ…中国側から日本映画を見ると清新で…独特の良さがある(嬉)今や中国で大御所となった監督たちに影響を与えた作品を韓国歴史ドラマ派?のNHKが見せてくれる『地獄門』は録画してあったものを中国ドラマばかり見ていたら再度見たくなったお口なおし大河ドラマ『麒麟が来る!明智光秀』もお口直しにな
京都市南区上鳥羽の浄土宗浄禅寺(鳥羽地蔵)さんへ。6月9日に袈裟御前の法要、袈裟忌が有りましたので法要、御詠歌奉納、琵琶奉納演奏に参加させて頂きました。御朱印は御住職さんに書いて頂きました。
山の里加子母。今日の天気は曇りの予報。玄関前の手水鉢の水が凍っています。夕方には強風と共に雪が降り出すかも・・・。昨日は当地の小郷地区へ。下桑原にあるかしも明治座と同じく加子母の名所の一つである「加子母大杉と地蔵尊」で写真撮影をしました。小郷地区でひときわ目立つのが、国の天然記念物である「加子母大杉」。樹齢が一千年を超すスギの大木です。その側に祀られているのが大杉地蔵尊。ご本尊は僧・行基の作と言われる等身大の木像で、安
鳥羽離宮跡公園から、南に歩いて、恋塚寺。ここは、文覚と袈裟御前の伝承のある寺です。遠藤盛遠は、ある日、袈裟御前を見かけ、恋の妄執にとらわれてしまいます。袈裟御前の母衣川は、盛遠の叔母。そこで、盛遠は、衣川のもとを訪れて、袈裟を自分のものにする。そのために、力を貸せ。言うことを聞かないと、殺すぞ。との脅し。盛遠は、乱暴者として、親戚のなかでも、厄介者。仕方なく、衣川は、娘の袈裟を呼び出して、事情を話します。母の命を救うという孝養と、夫の源渡への貞節。その板挟み。一夜、盛遠と過ごした袈
新・平家物語(一)(吉川英治歴史時代文庫)/講談社Amazon.co.jp平氏の嫡男:伊勢ノ平太(清盛)は、父:忠盛の使いで、金を借りに叔父:忠正の家へ向かった。その容貌からスガ目殿と呼ばれ、出世欲もなく、貧しさにただ耐える父とは反対に、美しい母:祇園女御は、家計を顧みず贅沢気ままに暮らし、事あるごとに自らの出自を引き合いに出しては、父に噛み付く日々だった。忠正夫婦から嫌味を言われながらも、使いを果たしての帰り道、勧学院の秀才:遠藤盛遠(文覚)から出生の秘密を聞かされる。自分は、白河上皇の