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郭嘉の葬儀を済ませた後、曹操は「予の覇業は、まだ中道にあるのに、せっかく、ここまで艱苦を共にして来た若い郭嘉に先立たれてしまった。彼は諸将の中でも、一番年下なのに」と、彼は骨肉のひとりを失ったように、涙をながして悲しんだ。喨々、哀々、陣葬の角笛や鉦は、三日にわたって、冬空の雲を哭かしめていた。祭が終ると、郭嘉の病床に始終仕えていた一僕が、そっと、一封の書面を、曹操に呈した。「これは、亡くなられたご主人のご遺言でした。死期を知ると、ご主人はみずから筆をとって認め、自分が死んだら、あと
楽進、李典の二手に、降将の張燕を加えて、新たに十万騎の大隊が編制されると、「并州へ入って、高幹に止めを刺せ」と、曹操はそれに命令を下した。そして自身はなお幽州へ進攻して、袁煕、袁尚のふたりを誅伐すべく準備に怠りなかったが、その間にまず袁譚の首を、城の北門に梟けて、「これを見て歎く者があれば、その三族を罰すであろう」と、郡県にあまねく布令た。ところが或る日布冠を戴いて、黒い喪服を着た一処士が番兵に捕まって府堂へ引っ立てられてきた。「丞相のお布令にもかかわらず、こやつは袁譚の首
冬十月の風とともに、「曹操来る。曹軍来る」の声は、西平のほうから枯野を掃いて聞えてきた。袁尚は愕いて、にわかに平原の囲みをとき、木の葉の如く鄴城へ退却しだした。袁譚は城を出て、その後備えを追撃した。そして殿軍の大将呂曠と呂翔のふたりをなだめて、味方に手懐け、降人として、曹操の見参にいれた。「君の武勇は父の名を恥かしめないものだ」と、曹操は甘いところを賞めておいた。その後また、曹操は、自分の娘を、袁譚に娶せた。都の深窓に育って、まだ十五、六になったばかりの花嫁を妻にもって、
玄徳が、その一族と共に、劉表を頼って、荊州へ赴いたのは、建安六年の秋九月であった。劉表は郭外三十里まで出迎え、互いに疎遠の情をのべてから、「この後は、長く唇歯の好誼をふかめ、共々、漢室の宗親たる範を天下に垂れん」と、城中へ迎えて、好遇すこぶる鄭重であった。このことは早くも、曹操の耳に聞えた。曹操はまだ汝南から引揚げる途中であったが、その情報に接すると、愕然として、「しまった。彼を荊州へ追いこんだのは、籠の魚をつかみそこねて、水沢へ逃がしたようなものだ。今のうちに――」
逃げては迫られ、止まればすぐ追われ、敗走行の夜昼ほど、苦しいものはないだろう。しかも一万の残兵も、その三分の一は、深傷や浅傷を負い、続々、落伍してしまう。「あっ?父上、どうなされたのですか」遅れがちの父の袁紹をふと振返って、三男の袁尚が、仰天しながら駒を寄せた。「兄さん!大変だっ、待ってくれい」ふたたび彼は大声で、先へ走ってゆく二人の兄を呼びとめた。袁譚、袁煕の二子も、何事かとすぐ父のそばへ引返してきた。全軍も、混乱のまま、潰走を止めた。老齢な袁紹は、日夜、数百
本国に帰ってからの袁紹は、冀州城内の殿閣にふかくこもって、怏憂、煩憂の日を送っていた。衰退が見えてくると、大国の悩みは深刻である。外戦の傷手も大きいが、内政の患いはもっと深い。「あなたがお丈夫なうちに、どうか世嗣を定めてください。それを先に遊ばしておけば、河北の諸州も一体となって、きっとご方針が進めよくなりましょう」劉夫人はしきりにそれを説いた。――が、実は自分の生んだ子の三男袁尚を、河北の世嗣に立てたいのであった。「わしも疲れた。……心身ともにつかれたよ。近いうちに世嗣を
河北掃討戦後継者問題が解決しないまま曹操陣営に付け込まれた袁紹陣営。異民族を巻き込んだ争いになるのだが、この内紛によって曹操陣営が力をつけていく。レベル⭐コスト制限18例)自軍部隊6×コスト3(1部隊あたり8000)特別褒賞兵器「軽装鎧」袁譚・袁尚の両部隊に同討をけしかけるS評価&特別褒賞別々に分けて狙ったほうがいい全倒しそこまでいかない相手部隊⭐︎袁譚8000鶴翼⭐︎袁尚8000偃月袁熙7000錐行辛評6000鶴翼郭図600
「益州攻略戦」をクリアし、隣接する次のステージが☆2つと難関でした。唯一☆1つの「荊南平定戦」をクリアしても☆3つの「赤壁の戦い」が控えていますので、☆1つのステージ数珠繋ぎにはなりません。つまり、慣れてない人にしてみれば時間のかかるプレーになるのです。挫折する可能性もなきにしもあらず…。結局、やり直して「河北掃討戦」からスタートしました。「江東侵略戦」もアリでしたが、特別褒賞の武器や武将が入りやすい「河北掃討戦」にしました。今回もこのメンバーで、陣形はこんな感じです。長兄・袁譚と
こんにちは。三国志では正史には記述がありますが演義には登場しない武将というのが多数います。今日はそんな隠れた猛将を紹介します。郭援字は不明です袁紹軍最後の猛将と呼ばれる人物です。袁紹に仕え、202年に袁紹が没すると袁尚に属します。曹操が河北へ侵攻を開始すると郭援は袁尚の命を受け曹操の影響下にあった河東郡を攻撃します。河東は洛陽の目と鼻の先に位置しており曹操としてはなんとしても死守したい重要拠点でした。曹操は配下の鍾繇を司令官に任命し郭援の攻撃に向かわせます。鍾繇は曹操
こんにちは!今日も紹介していきます。最近誰を紹介しようか悩む事が多くなりました。悩んだ末、この人を紹介します。袁尚字は顕甫三国時代、一時期最大の勢力を誇っていた袁紹の三男として誕生します。生まれつきイケメンで武勇に優れていたため父袁紹から特別可愛がられました。河北四州を支配していた袁紹は広がり過ぎた領土を円滑に統治する為、自身の一族を各州に派遣しそれぞれに統治を委任しました。長男の袁譚は青州次男の袁煕は幽州三男の袁尚は冀州甥の高幹は并州と言う様にそれぞれ任
題名:三国志第五巻ISBN:978-4167259259著者:宮城谷昌光出版社:文春文庫メモ:官渡の戦いで袁紹を破った曹操だが、戦力は、袁紹軍の1/5程度なんとなく、今川義元を破った信長を思い起こさせなくもない宮城谷氏の三国志は、あまり荒唐無稽なシーンは出て来ないのだが、それでも関羽が顔良を討ち取るシーンはリアリティなく書かざるを得ないようだ