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増上寺の表門となる芝の大門レースペプラムワンピ
緊急事態宣言の延長開ける開けないで、国(文化庁)と都がゴタゴタした・・・「東京国立博物館」休館延長決定で「オレの鳥獣戯画展」が・・・5/31で開期は終了です。未練たらたらに・・・やってきましたさてたまには、国立博物館側から見た「竹の台噴水」(噴水広場)の国立博物館敷地内ですが西側へ移動すると休館中でも外から見学できるとても「立派な門」江戸末期につくられた「旧因州池田屋敷表門」だそうです。もともと現在の丸の内付近に建てられていましたが、明治に、芝高輪台の常宮御
只今、「門」と「櫓」を兼ね備え、特に「大手」等の重要箇所を固めた最強の門であった「櫓門」シリーズをお届け中です。今回第4弾は、「久保田城」(秋田県秋田市)の「櫓門」をお届けします。「久保田城本丸表門」(木造復興)木造復興「本丸表門」(本丸側より)関ヶ原の戦いで西軍に味方したことから、常陸の地から出羽に移封となった「佐竹義宜」は、「窪田(くぼた)」の地にお城を築きます。当城は、板塀と土塁に囲われた簡素なお城でしたが、度重なる火事で修築が行われます。城名は17世紀中旬
鳥取城周辺にも見所がありますまずは仁風閣(じんぷうかく)閉門近くだったので中には入りませんでした明治40年(1907)5月元藩主池田家の第14代池田仲博が別邸として建てたもので大正天皇の行幸の際には宿舎になりました設計は宮内省匠頭であった片山東熊工学博士赤坂離宮や京都国立博物館も手掛けた人とかHPより抜粋すると『フレンチ・ルネッサンス様式を基調とした白亜の木造瓦葺2階建て。正面はセグメンタルぺディメント(櫛形破風)の棟飾り。建物の随所にはスクロール(巻軸模様)を配す。
通院で秋田に出てきた水曜日に牛島を通った後に千秋公園に来てみました。彌高神社厄年祓還暦年祝祭彌高神社=公式ホームページ=秋田市彌高神社。厄年祓い、結婚式、お宮参り、安産祈願、七五三、地鎮祭、上棟祭など祈願を承ります。www.iyataka-jinja.jp湖月池日本の錦鯉…外国じゃ実は生態系壊してるなんて話も?静かな二の丸。表門。撮影した場所辺りに長坂門があったようです。八幡秋田神社と與次郎稲荷神社が本丸にあります。
旧笹川邸昭和29(1954)年・重要文化財指定新潟市南区味方213-1安土桃山時代に信濃国よりこの地に移住、昭和45年ここを離れるまで14代300年以上続いた名家。表門表座敷左側が式台玄関屋根には武田菱の家紋大広間・・奥が三の間・次の間三の間瓢箪欄間変わり卍欄間床の間透かし彫床の間横の飾り部屋部屋で違う釘隠し外廊下の屋根を支える一本木神棚のある茶の間(当主の居間として客の対応に使われていた)家紋入瓢箪
一昨日(3/10)門戸厄神東光寺へ行ってきました。阪急電車の門戸厄神駅から徒歩約10分で着きました。こちらは南門なので表門へ回ります。表門はこの階段を上がります。表門です。阪神淡路大震災で全壊し再建されたそうです。表門をくぐり抜けます。正面には大きな丑のイラストがあります。手水舎は使用できません。中楼門です。厄神堂です。ここで賽銭を投入し参拝しました。振り返ってみた中楼門です。薬師堂です。稲荷社です。大黒堂
※2020年10月11日訪問※この整備された石段を登った所に建てられていたのが【本丸表門】です木の角材が四つ建てられており、表門跡に平面表示してくれているので、門の規模がわかりやすいですね本丸表門についての案内板も設置されています▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼本丸表門~桑折西山城の正門~大手道から通じる本丸の正門です。四本柱の門で、冠木門であったと推定されます。本柱は掘立柱より格上の礎石立ちで、控柱が掘立柱で建てられていました。また、門両側の路肩には、石を並べてい
前回はこちらラウンドワン梅田店でのステージルームでのカラオケの後、松の屋でカツ丼を食べ、その後、大阪駅から新快速で京都駅まで乗り、そこで琵琶湖線普通に乗り換えて膳所駅まで乗り、膳所神社まで歩いて行きました。膳所神社の鳥居です。表門です。膳所神社表門一棟の説明板です。社務所です。祭祀庫です。手水舎です。舞殿です。旧膳所城門一棟の石碑です。旧膳所城門です。膳所神社の南側の門です。拝殿です。本殿です。拝殿をバックに、僕の浴衣姿の自撮りをしました。境内社です。稲荷大明
<7月19日>秋田スリバチ学会主催の久保田城址めぐり。旧久保田藩(秋田藩)の城跡である千秋公園内に入り、二の丸で小休憩したあと、本丸へ向かいました。途中「長坂門跡」を通ります。二の丸から本丸へ登る長い石段「長坂」に由来する門の跡。門が建っていた礎石が残っています。その「長坂門跡」の左手に石段があって、ここは数少ない江戸時代からの石が一部まだ残っているそうです。そして再建された「表門」へ。2階建ての立派な門です。門の礎石は見えやすいように位置をずらしたとのこと
昨日から雨が上がり、今日はとても蒸し暑い一日でした。午前中に石山寺に参拝し、大きなご本尊にお会いしてきました。お前立と比較し、とても大きいが優しいお顔の観音様でした。御開扉が8月10日まで延びましたのでまだ間に合います。さて長らく書いてきましたが百済寺の最終稿です。紅葉の時期何度も来ている百済寺ですが、この時期は初めてでした。青モミジもなかなか良いと再認識しました次第です。百済寺表参道赤門昨日の記事です。『天国への階段百済寺本堂』今日は久しぶりに晴れ間がのぞ
今回のお城は現在千秋公園の中にある城址として知られる、秋田・久保田藩主の佐竹氏の居城であった久保田城(くぼたじょう)です久保田城は別名を矢留城、葛根城、そして秋田にあるので秋田城と呼ばれますただ、秋田城は古代の迎賓館と思われる秋田城が別にあり混乱を招く可能性が高いです城郭の構造は平山城、天守はなく、現在見られる代表的なものは復元された御隅櫓ですこの久保田城(窪田城)が築城されたのは西暦1604年、久保田藩初代藩主の佐竹義宣が神明山と呼ばれた丘陵に土塁と櫓座敷と
昨日の続きです。今回は願泉寺です。下図⑤から表門方向です。塀の横に貝塚寺内町の石碑があります。寺内巡りの道が整備されています。右がほぼ北の案内板です。塀の前に寺内町の石碑があります。表門です。築地塀は、1671年の再建です。壁面の横線は「定規筋」と呼ばれ、五本線は本院が「門跡寺院」であることを示しています。門脇にある灯籠です。石段がついています。正面から見た表門です。表門は1679年に再建されたものです。大規模な四脚門の様式で、屋根は切妻
城を観る今回は...(撮影2019/09/03)彦根城〜表門橋〜ひこにゃんおるかな。。。ヽ(´o`;なんちてにほんブログ村
久しぶりのドライブ。家から車で1時間、甲賀市の神宮神社に出かけました。桜が綺麗でした。神社に向かう通りの桜神社の表門境内の桜拝殿
2020年3月8日(日)に、ラウンドワン東淀川店でのカラオケの後、マクドナルドで昼食を食べ、その後、淡路駅まで歩いて行き、そこから阪急京都本線で大阪梅田駅まで乗り、一旦、大阪梅田駅の改札を出て、そこから阪急神戸本線特急で西宮北口駅まで乗り、そこから阪急今津線で門戸厄神駅まで乗り、そこから、門戸厄神東光寺まで歩いて行きました。門戸厄神東光寺の入口です。東宮殿下御野立所の石碑です。東宮殿下御座所跡の説明板です。不動明王です。中楼門です。子守地蔵尊です。門戸厄神東光寺と厄神明王の説明
今日の新潟は、早朝から朝にかけては回復してきた様に思いましたが、お昼前から再び曇ってきて雨が降ったり止んだりを繰り返すお天気となりました。気温は10度を超えていたみたいですが、体感的には気温程の暖かさは午前中は少し感じられましたが、午後からは感じられなかったですね。今日色々とあって胃が痛くなり、お仕事の切れ間を見てドラッグストアーに駆け込んだのですが、まだ開店時間でなかったので一旦戻ってお昼休みに出直そうと思いました。その時、開店前のドラッグストアーでは行列が!!マスクなのかトイレ
昨日の続きです梅林だけど、梅はすでに盛りを過ぎていて。。。孟宗竹林竹、好きなんですよね~好文亭表門はい、本来はここから偕楽園に入るのが正当でございますなんですけど、交通機関の関係で東門から入る方が多いそうです。(私たちは南門からでしたが)この表門は、昭和20年8月の戦災にも焼け残り、開園当時の面影をそのまま。茅葺き切妻造りで、角柱2本と副柱2本で支えられています。両側には瓦葺きの袖塀がつけられ、黒塗りであることから「黒門」とも呼ばれてい
長崎出島の西門をまっすぐ東に進んでいくと左側に表門があります。明治時代は出島に渡るには出島橋を渡って表門からしか入れませんでした。現在の復元された表門の位置は明治期の河川改修で削り取られたため本来の位置より南側に後退しています。現在の中島川の川幅は江戸時代の2倍に広がっています。出島表門現在の表門は本来の位置より南側になっています。中島川に架かる出島表門と出島橋出島表門の右側出島表門の右側出島表門の左側奥に見える橋は出嶋橋出嶋橋1890(明治23年)に架
10月21日有料道路は渋滞もなかったのに出口を出たらまったく動きませんあと少しが30分以上かかり駐車場も並んでました他へ移動するのはあきらめて並びました並んだ街灯の一つに龍を見つけました町の境を表す龍で石のマークは石屋町の事だそうです参道一の鳥居五重塔表門裏から三神庫神厩舎三猿正面に銅鳥居奥に陽明門その奥に拝殿・本殿があり一直線に見える位置がパワースポットで真上は北極星直線の先には江戸城があったそうです水
表門の燈台は日本にいるんだなって実感させてくれる場所だよねぇマジで
表門から侵入。目の前に待っているのは、溝口秀勝公の銅像でした。そしてこの新発田城の素晴らしいところの一つは、順路がきちんと示されているところです。まあ、集中力のない私は、この順路があることに気がつかなかったのですがね・・・よく周りを見ている妻が気づいて教えてくれました。順路1の近くに石垣の構造を示したものがありました。こういういつもは中が見られないものが展示してあるというのもいいですね。順路1にしたがって階段を登ると、巽櫓に向かいます。階段を登り切って振り返
新発田城公園を抜けて堀沿いに歩いていくと、新発田城の二階櫓が見えます。この二階櫓は現存ですね。コンパクトサイズですが、可愛らしさがありますね。方角を変えて。堀沿いにさらに歩くと、看板があります。新発田城写真集の中で好きな写真の中の一枚です。新発田城の看板と表門と堀と巽櫓ちょっと。なかなかよく撮れました。新発田城の本丸と二の丸の全景はこんな感じですね。新発田城の残っている部分は本当に少ししかありませんでした。この看板をすぎると、目の前には表門。これも国
蕎麦がき、土井垣、「石垣」が好きである。おはようございます♪最終目的地への寄道に冷静沈着、気の利く妻公認の愛人?と共に新潟県新発田(しばた)市にある「新発田城」へ行ってくる。約400年前に築城初代藩主は豊臣秀吉の命じられた溝口秀勝(みぞぐちひでかつ)。江戸時代から現存する新潟県内唯一の城郭建造物「表門」や「旧二の丸櫓」の内部を見学。平成16年に復元された「辰巳櫓」や事実上の天守に相当する全国で唯一の三匹の鯱が載る「三階櫓」も堀を挟んで展望する。櫓も味
※2019年6月4日訪問※御物頭御番所の目の前に聳える、威風堂々たる巨大な門が、久保田城の本丸への正面玄関である【表門(一ノ門)】です物凄く格好良い城門ですよね▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼表門は久保田城本丸の正面で、一ノ門とも呼ばれていた。本丸の玄関口として警備上からも重要な地点とされており、左手には門の警備と管理をする「御番頭局」、門の下手には侵入者を警戒する「御物頭御番所」を置いて厳重な守りを固めていた。久保田城は慶長8年(1603)に築城して翌年に完成し、表門は元
寛永十年(1633)、彦根藩江戸屋敷賄料として、世田谷領を管理する代官所が置かれ、代々大場氏が任じられたので、大場代官屋敷と呼ばれた。昭和53年母屋と表門が国の重要文化財に指定された。両方とも茅葺き屋根の建築である。これは表門を描いたものであるが、秋の気配を留める樹木に覆われた佇まいは、とても都区内の建物とは思えない雰囲気をもつ。(絵・文:千原昭彦)
龍王峡を後にして日光東照宮大権現様のもとに💓券売機でチケット買ってすっかり雨模様☔表門を通り抜け(裏側から📸)御水舎(おみずや)至るところに徳川の家紋となぜか六芒星🔯が…御水舎の中鳥居からの陽明門陽明門(裏側から📸)上段部分は龍🐲…下段部分は唐獅子がびっしり狛犬ちゃん💓金ピカマッチョ✨…目のやり場に困る(;゚∇゚)アハッ唐門(この奥が本殿📸🈲)柱に昇龍🐲降龍の彫刻が施されており屋根上には龍と唐獅子がいます陽明門の天井画🐲💓御水舎の六芒星🔯探れど
本当に実物を見たい気持ちがさらに強まる表門だよねぇこちらに行ってから日光東照宮に行った方々もたくさんいるかもしれないよねぇ
まずは表門今でも使われているそうです。これらの木は薩摩藩からの贈り物と言っていたような…左側に写っているのが案内してくれた人です。色々わかりやすく説明してくれました。イタリア人の団体がいたので私達は日本人のみで24人と少し多かったので写真を撮るのが大変でした(^_^;)お茶室までの石橋は幅が狭いので今まで何十人か落ちているので気を付けてくださいと言われましたが…無事に落ちないで渡れました