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再びバス移動。次は三浦宗家象徴の地、衣笠城です。ここから少し歩いた後、急坂を登ることに。かなりの急勾配を登りました。旗立て岩矢取不動城址入り口にある大善寺そしていよいよ衣笠城の本丸と言われていた場所へ。ひたすら登り、本丸に。物見岩結構な山城でした(笑)山城ガールむつみさんから説明ありましたが、鎌倉時代の城は、後の戦国時代のような軍備施設というよりは象徴的な場所という色合いが強かったそうです。鶴は千年、亀は万年、三浦の大介百六つ衣笠合戦で犠牲になった三浦大介義明。その功
写真は先月15日(日)大町大路・由比ヶ浜大通りより三浦義澄(佐藤B作さん)は、治承4年(1180年)石橋山の戦いの際には、三浦を出て頼朝の元に向かう。だが悪天候のため参戦できず、引き返す途中で平家方の畠山重忠との間で衣笠城合戦となった。(Wikipedia調べ)あの三浦義村(山本耕史さん)のお父さん✨正室は伊東祐親(辻萬長さん→浅野和之さん)の娘因みに伊東祐親は北条義時の祖父にあたります衣笠城合戦の際、戦った相手は平家方だった畠山重忠(中川大志さん)。重忠の母方は三浦家の人だったから
🏹石橋山の戦いに出たのは17歳の時だった源頼朝さま……佐殿が挙兵して堤信遠山木兼隆中原友親と続いて討ち取ったのは耳に入ってきた源平合戦の序章平家を脅かし始めたそこで大庭景親殿が腰をあげたというわけだ父の務めの絡みや代々の縁もあり私も大庭殿の軍に加わったこちらの三千に対して向こうは三百どうやら敗戦を認めて散り散りになったようで私の軍も引き上げることとなったところがその途中で三浦軍と鉢合わせ確かにそう言ったはず異変に振り向くと矢が向かってきたまるで頬を掠めるように
衣笠城址へ先に行ったので、素通りしてしまった大善寺改めてお詣りさせて頂きました大善寺に向かう途中には地蔵堂がありますお地蔵様大善寺と不動井戸の案内板不動井戸三浦氏家紋の幟旗石段を上る手前には庚申塔や石仏六道地蔵三浦為継の幟旗もあります本堂が見えて来ました手水舎本堂曹洞宗寺院の大善寺は、金峯山不動院大善寺と号します天平元年(728年)諸国行脚中の僧、行基菩薩が蔵王権現と彫刻した不動明王を祀った際に、別当寺として創建したのが大善寺と伝わります当初は修験道当山派であっ
11月2日鎌倉殿の13人ゆかりの地巡りの11日目やっと11月に詣でた記事になりました😅この日も三浦フリー切符🎫のお世話になりながら、重い腰を上げ衣笠城址へ…衣笠城址は最寄りのバス停🚏から20分〜30分歩くし、山の上なのでちょっと敬遠しがちなのです😂横須賀中央駅からバス🚌に乗り、衣笠城址で下車、そこから歩いて20分弱衣笠城址の麓には古刹の大善寺があり、大善寺境内から上って行きます大善寺境内にある衣笠城跡の案内板衣笠城址の碑ここから上ります少し歩くと平らな広場に出ました三浦大介
大矢部の清雲寺から、小雨🌂降る中、腹切り松へ〜🌳公園の隅の1角に松🌳と石碑がありますここが、三浦大介義明が自害した腹切り松です案内板石橋山合戦で敗戦を聞いた三浦軍平氏の攻撃に備え、本拠地の衣笠城に入りました畠山重忠ほか平氏方3000騎が衣笠城を包囲…三浦軍は400騎余り敗戦を悟った三浦義明は治承4年(1180年)8月27日、一族を城から逃し、大雨の中、愛馬黒雲🐎に跨り衣笠城外へ出て清雲寺に行き、先祖の墓に別れを告げ、笠松の下で切腹しました⚔三浦大介義明はこの時89歳頼朝と共に
9月25日(日)寺社に咲く花々と苔むした五輪塔が見たくなり、本年2月6日以来となる三浦一族の関連史蹟をふらふらして来ました。セブンイレブンで幟旗NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』も佳境に入りましたね。【佛頂山薬王寺跡】薬王寺山門前の駒繋石三浦荒次郎義澄の墓【近殿神社】【義明山満昌寺】伝三浦大介義明と妻の墓近年の研究では「・・・この三浦義明供養の一堂こそ、発掘調査で明らかとなった苑池
NHKの大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を見たこともないが、芦名氏の祖である佐原十郎義連の一族と、北条氏との関係については興味がある。それを知る上でも参考になるのが、林哲の『会津芦名一族』である。林は大正12年に会津若松市に生まれ、東京外語ロシア科を卒業し、中学校の教師をしていたようだが、僕は一度も会ったことはない。それでも、今は亡き林がこの一冊を残してくれたおかげで、芦名一族の全貌をほぼつかむことができる。芦名氏の祖である佐原十郎義連は三浦義明の子であり、七男といわれている。長男の杉本義宗は
ここにきて思ってしまったのでやり過ごすことのできない性分だとこれは書かずにいられない・・・第35回のあとすぐ出したブログ気持ちが落ち着かないはっきりしているのは義村の言葉がひっかかることだけあとは今は考えられない檀ノ浦の戦いで誰よりも漕ぎ手を射っていたあんなに義経を止めていた重忠がそんなはずないでしょうと!でも翌日ブログやFacebookに投稿してひとりだけ従わないわけにもいかずしかもやらなきゃおまえたちを・・・と矢を向けられては兵たちも従わざるを得ないそこで
12号、13号、14号と3つの台風が発生中…シルバーウイークへの影響も心配されますが、何より沖縄や九州の方々が心配。11号からずっと、雨風の脅威に晒されて…13号は日本列島への直接の影響はなさそうとのことですが、14号はさてどんな動きをするのか。長月は台風の多い月ですが、自然の猛威の前に私たちはなんと無力かと改めて思う。それでも事前に進路を予想し、早くから備えもできるようになっている現代の技術はありがたいことです。(台風についてはこちらの記事を参考にしました。
「#鎌倉殿の13人先祖の三浦義村居城#衣笠城散策矢取不動明伝説、散策」Twitterより6/07,22三浦氏は頼朝挙兵に承知して、頼朝の後を追う、源頼朝は初戦の石橋山の戦いで破れてひそんだ箱根山中から内海(東京湾)を渡り、千葉に逃げた、三浦氏は千葉で#源頼朝と合流するが、衣笠城居城に残った三浦市義明は平家方と戦い討死した城、ドラマに出て来る三浦義村は孫に為る、今は曽洞宗大善寺が残る、三浦氏居城址、三浦氏祖に為る為継が奥羽で「後三年の役」に出陣し、不動明王現れ飛
横須賀にて横須賀美術館をあとにして🚗💨横須賀はこんな感じ・・・目指したのはここです横須賀海軍カレー3店舗あるのですがベイサイドキッチンに行きましたご飯は一皿分くらいでカレーを4種類ソフトクリーム🍦も食べられるんですまぁこんなんでゴメンナサイ1巻き多くしておきました・・・あれ?🤣ここでちょっとかながわ旅割の話ホテルを予約した際適用されるを知りホテルも半額になったのですがなんと更に2000円×2のクーポンがついたのです❗チェックインの時に知りプリントされたもの
多くの方のブログでたけのこの話題が出ていますが・・・春ですね。家族5人で暮らしていたときは一本すぐ食べ切れたものの今は茹でてもねえ。先日お義母さんにたけのこの奈良漬をいただいたのでそれでOKってことにしました。梅とかみょうがとか奈良漬にもいろいろ種類があるんですね。残った酒粕どうしましょう問題が。。。なに漬けようかしら?!漬物ってむか〜しからあるわけですけどすごい発明だなあと思います。鎌倉時代だって・・・ということで大河ドラマゆかりの地の一つに行ってみました。三浦一族の衣笠城があったとこ
歴史ウォークの続きです🚶スポット④大善寺衣笠にある大善寺は衣笠城の護持をしていたお寺となっている。大善寺から上がって行くと衣笠城趾があります。山城は石垣が無いそう、なので跡地には石碑があるだけです。衣笠城は義明の居城だったところ。城趾の側にある物見岩木が繁って見えませんが、当時は見晴らしが良く敵が来るのをここから見てたのでは衣笠コミュニティセンターでゴールです高校の時に歴史のレポート書くのに巡りましたが、その時は興味がなかったので全然頭に入ってなかった。今回は「鎌倉殿の13
第3回よこすか京急沿線ウォーク三浦一族ゆかりの地衣笠歴史ウォークを走って来ました!今年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」三浦一族の活躍ぶりも描かれています!ゆかりの地を巡るウォーキングイベント個人的には大人数で歩くウォーキングイベントは苦手なのですが、新型コロナウイルスの影響で、設定期間も約一ヶ月スマホを使って個人的に自由に密を避けて参加出来ます!コースは、こんな感じです!キーワードスポットは、5箇所スポットでキーワードをスマホに入力し、スタンプを獲得して行きま
三浦義明「その1」の続きです。前回の記事、三浦氏と衣笠城合戦は↓こちら↓から!『【史跡めぐり】三浦義明と衣笠城~その1~』前回、佐奈田与一の記事で名前だけ登場した「三浦義明」。『鎌倉殿の13人』で山本耕史さんが演じる三浦義村の祖父にあたり、89歳で壮絶な死を迎えた人物です。義明…ameblo.jp今回は、三浦義明公の墓所がある「満昌寺」さんについて記していきます。(画像はお寺の説明板と、撮影OKのNHKパネルより)(目次)頼朝が建てた義明の寺「満昌寺」御神体となっ
鎌倉殿の13人…第6話「悪い知らせ」どんな悪い知らせがあるのだろうと楽しみ?にしていました。比企家への悪い知らせで始まりました始まりは比企家に頼朝が「挙兵した」との知らせがあり、「佐殿は源氏再興の為に(挙兵)すると思っていました」と喜んでいる比企尼に対して続け様に「石橋において大敗、佐殿は行方知らず」という「悪い知らせ」が来ました。この脚本は以前もありましたね😅このやり取りは、関東における武士の各々の家での様子ではないかと思いましたどうしようか
こんばんは月曜日。バレンタインデーでした。チョコは職場の同僚にあげたり息子と主人にあげたりしました。さて。今年の大河ドラマ鎌倉殿の13人面白いです昨日は石橋山で敗れた頼朝が真鶴から三浦沖を経て海路で房総半島に落ち延びました。お兄ちゃん(北条宗時)の死が知らされたり辛いシーンもありました。私は、海上自衛官だった父の影響で子どものころは横須賀住みだったので今回の位置関係鎌倉御家人たちの相関関係バッチリ頭に入っています平安末期~鎌倉時代が大好きです。昨
前回、佐奈田与一の記事で名前だけ登場した「三浦義明」。『鎌倉殿の13人』で山本耕史さんが演じる三浦義村の祖父にあたり、89歳で壮絶な死を迎えた人物です。義明公ゆかりの衣笠城(きぬがさじょう)や満昌寺に行ったので、史跡を紹介しながら義明について書いていきます。(目次)石橋山から由比ヶ浜へ三浦VS畠山勢の衣笠城合戦別説:腹切りの松-------------------------------------石橋山から由比ヶ浜へ--------------------------
今日は朝から良い天気明日は雪予報ですが・・・どうでしょうか大楠山から下山後、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」三浦義澄の衣笠城跡に上がってみました。JR衣笠駅から3㎞ほどの衣笠公園内近くにあります。源頼朝の挙兵に応じた、三浦一族の本拠地衣笠城です。衣笠城跡は鎌倉時代の山城なので石垣や天主などはありません。三浦と言えば三浦半島では野菜直売所で350円の立派な三浦大根を買ってきました、ブリ大根、おでんなどで頂いてます、まだ食べきれません今回の佐島漁港では活イカとイセエビを買っ
【三浦一族の御城印帳と御城印「水戸城」「怒田城」「衣笠城」「浦賀城」「三崎城」】2021/10/10日曜日何年ぶりに京急浦賀駅前のカフェレストランCoolClanURAGAに行きランチを楽しんでいたら三浦一族の御城印帳と御城印を置いてあるのに気が付きました。これからの御城印集めが楽しみになりました。
2021年8月13日(金)衣笠山大楠山JR衣笠駅→衣笠山公園→衣笠城址→大楠山→前田橋(バス)JR逗子駅この日から会社はお盆休みですお盆休みは毎日山歩きと思っていたのですが・・・・雨ですまぁ関東地区は他に比べたらあめはずっとましで曇りがちでしたそれで手軽な山へおかげで、鉄道会社には申し訳ないですが、電車はガラガラでした人気の山ですが、山もガラガラでした地面はかなり濡れていましたが、雨にはあわずにすみましたJR衣笠駅でおりて衣笠山公園にむかって歩きます
端谷城(神戸市西区櫨谷町寺谷)衣笠氏は明石の奥、櫨谷町の寺谷にあって、別所・魚住・間嶋氏などと共に播磨赤松氏の旗頭として、よく神を敬い、仏閣を建立した。そのことは「文応元申年枦谷保司衣笠法眼祈祷所而呉道士ノ筆ノ十六善神弘法ノ筆ノ三尊大不動並大般若経六百内絹旗三流当山ニ寄付其後文永年中ニ信州ヨリ諏訪大明神ヲ勧請シテ氏神トシ且亦満願寺宝福寺新長谷寺衣笠氏親族ノ菩提寺トシテ建立シ」と記してある『如意寺旧記』等の古文書から伺える。この衣笠氏がいつ頃この櫨谷の地に居住し、どこにその居館を定めたかは
衣笠城『別名』なし『所在地』神奈川県横須賀市衣笠町29-1162『城主』三浦氏『遺構』曲輪、土塁、堀跡『城郭形態』山城『駐車場』なし『歴史』衣笠城は康平年間(1058〜1065)に三浦氏の祖・三浦為通によって築城されたと言われています。三浦氏は宝治元(1247)に北条時頼と三浦泰村の間で起きた宝治合戦で滅亡し衣笠城も廃城となったと言われています。石碑解説板本曲輪
ここのところ愛馬出走編が続きましたが、先週末は出走が途切れました。ここでオンタイムネタに近い城跡巡りで参ります。登城は11月21日(土)。今まで何回かチャレンジしようとしたものの跳ね返された(大して苦労はしていませんが)城跡を訪れて参りました。神奈川県横須賀市にある衣笠城跡です。ここは平安末期から鎌倉中期にかけて活躍した三浦一族の拠点であった場所です。谷を挟んだ反対側に衣笠山公園という桜の名所がありますが、城跡はそちらではありません。あくまで鎌倉中期までの城跡なので、天
東国武士は圧倒的に強かった。1180(治承4)年8月17日、源頼朝と東国武士団が、伊豆韮山にある目代屋敷を襲撃して挙兵。1185(文治元)年3月24日の壇ノ浦の戦いで平家は滅亡した。4年半で、天下を覆してしまったのだ。過ぎてしまった今から振り返れば必然のことかもしれないが、平家政権はそんなに脆弱だったわけではない。桶狭間の戦いから本能寺の変まで22年。黒船来航から大政奉還まで14年。比べて、頼朝挙兵から平家覆滅まで4年半は早すぎはしないか。これは源平の一大衝突ではない
衣笠城のふもと付近に位置する清雲寺に行ってきました。国道を歩いていると目印がありました。左に入り、ものすごい急坂の途中にお寺発見。本堂の中には、地蔵菩薩さまと毘沙門天さまが祀られているそうです。が、見れませんでしたので立て看板で。地蔵菩薩さまの表情が、わりとステキ。「意志的な顔立ち」と書かれてます。和田合戦で矢を受け止めた、とありますよ邪鬼の表情もなんとも言えず、いいですね!このお寺には、三浦氏三代の墓があるとのこと。私、昔来た時、コレが墓なのかと思って手を合わせたんですよね
【8月30日(日)】美嚢川左岸の河岸段丘上に築かれた丘城で、南側の台地を堀切・土塁で遮断されています。遺構としては堀切・土塁が残っているそうですが、私有地のため中に入れないのが残念です。所在兵庫県三木市口吉川町西中①東側より②南側より。竹藪のところが堀切。③美嚢川対岸(西側)より④主郭(西側より)⑤縄張図~近畿の城郭Ⅱより
最初にみつけたのが、歴×トキさんです!歴×トキ山城ガールむつみ・歴×トキ山城ガールむつみ歴史城めぐり山城山城ガール鎌倉時代南北朝時代戦国時代www.rekitoki.com初めて知ったお城でした。三浦半島にある海城なんですね。サイトの管理人、むつみさんがデザインされた御城印で、カラフルでとても綺麗です。二枚並べると一つの絵柄になってるのも素敵♪歴×トキさんのサイトを拝見しているうちに、山城めぐりのツアーに参加したいなぁと思いました。こちらの御城印帳