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2018年12月のブログです*司馬遼太郎さんの『北のまほろば-街道をゆく41』(1997・朝日文芸文庫)を再読しました。久しぶりです。読むのは3回目くらいでしょうか。本書は司馬さんの1994年の青森の旅の紀行文。当時、『週刊朝日』に連載中に、なんと、三内丸山遺跡が発掘されるという大ニュースがあり、司馬さんは再度、訪れたりしています。まさに運命的な出会いですね。それまでにも、亀ヶ岡遺跡(宇宙人のような土偶で有名)や十三湖遺跡(アジアとも交流をしてい
小峰城から10kmほど南へ車を走らせ、白河関跡に。現在の白河市は東北最南端、北関東の栃木県と県を境にしていますが、太古の昔はこの白河以北のことを河北と呼んだそうです。しかし白河関が存在しのは五世紀ごろと言われ、平安時代にはすでに姿を消してこの辺にそう言うのがあっただろう的な存在でした。書物には記されていたようですが。この小川のような白川、白川と関係あるかどうかは不明。この川の左側が北側になりますが、そ
2018年11月のブログです*司馬遼太郎さんの『南蛮のみちⅡ-街道をゆく23』(1988・朝日文芸文庫)を再読しました。司馬さんの本の感想文を書くのはたぶん初めて。実はじーじは大の司馬さんフアンで、「街道をゆく」の北海道編などはそれこそ何回読んだかわからないくらいなのですが、なぜか今までブログは書かずにきました。しかし、じーじは電車に乗る時や病院の待合室などでは、必ずと言っていいほど、司馬さんの本を読んでいます。面白いですし、かといって、人前でプッと笑っ
<「国」、「国庁」、「国府」のこと>因幡の国の国庁跡は、現在の地名で鳥取市国府町にある。鳥取駅前から国府町までバスで20分ぐらいはかかるらしい。さらに、国府の中をあちこち回るとしたら、歩く距離は結構なものになる。もう健脚者ではないから、半日、レンタカーを借りることにした。(以下は、改めて勉強し直した私のメモのようなもの。わずらわしい方は読み飛ばしてください)。「国」と言うと、日本国の「国」と紛らわしいので、「旧国」と言ってみたりする。英語ではprovinceという語が当てられ
旭川駅発の留萌本線に乗って石狩沼田駅にやってきた10名ほどの乗客は、10分間の滞在で、全員が折り返しの深川駅行きに乗り込みました。トラス式の雨竜川橋梁を目に焼き付け、北秩父別の短いホーム、北一已の古い赤い屋根駅舎も見納めです。あと9か月でこの路線は無くなりますが、そうでなくとも、旅先で出会うものは全て一期一会です。若いころはまた来ればいい、次回は行けなかったところに、観られなかった場所を訪ねよう、食べ逃したものを食べよう、なんて甘く考えていましたが、人生の残り時間が少なくなった今、次はない。今
こんにちは。函館と聞いて、南関東在住で前期高齢者の特に旅行好きでもない平凡な何のとりえもない男性が思い浮かべるのは、五稜郭、函館山、そして函館朝市です(^^ゞということで函館朝市にも行ってみました(^^)/現地に着いたのは朝8時ころでした。クルマが停められなかったらどうしようと思いましたが、駐車場はたくさんあってすぐに停められました。朝市のお店はたくさんあり、20分ほどどこに入ろうかうろついてみました。生簀で泳ぐ活イカを釣ってその場
こんにちは、philosophiaです昨年の秋9月に対馬攻城に行った時に街でぶらぶらしている途中ちいさな書店で買い求めた『街道をゆく13壱岐・対馬の道』が思いのほかハマってしまい、シリーズを読み始めました!日本100名城や続日本100名城を攻城していて城がある位置(選地)には、まず河川と街道が結節点になっていることに気づきました♪すでに攻城したところやまだ未踏の地を含めて興味のあるところから読み進めています。『街道をゆく3陸奥のみち、肥薩のみち』と『街
司馬遼太郎という人は、非常なおしゃべりだったという。司馬さんをよく知る人に、半藤一利氏(1930〜2021)がいる。二人の出会いは、司馬さんが直木賞を受賞したときのインタビュー以来というから、かなり古い。半藤氏は、いう。僕は「週刊文春」の編集部員で、受賞インタビューにうかがったんです。司馬さんはもう白髪でしたが、三十六歳。僕は二十九歳でした。ひと言質問すると、とにかく喋る喋る。(略)「そう言えば、それと関連してさ、このことも大事だな」なんて、別の話になる。お得意の余談です。
読み返しました。台湾についての小説は、「路~ルウ~」(吉田修一)、「望郷の道」(北方謙三)、『炒飯狙撃手』(張國立著玉田誠訳ハーパーBOOKS2024.03)を読んで|日々感じたこと・読んだ本『南海王国記』(飯島和一2025.7小学館)を読んで|日々感じたこと・読んだ本と読んできましたが、いずれもそれぞれの作品の描かれた当時の台湾のまちの雰囲気がよくわかる名作揃いだったように思います。そのため、一作読むごとに彼の国への興味は膨らんで行って、今回、司馬さんのこ
8月初めの暑い盛り(8/3)東大阪にある司馬遼太郎記念館に行ってきました。大阪、難波から初めて乗る近鉄奈良線河内小阪駅からも行けるようですが、徒歩12分らしく、ちょっと距離が長い。この駅を通り越して、次の駅八戸ノ里(やえのさと)駅を降りました。ここから徒歩8分河内小阪駅からより4分だけ短い。駅から横断歩道を歩くとこれがすぐ近くにあればいいのにここは、大阪府立布施高等学校。このまま、学校の横を沿って歩き、到着まで、全く日陰なしでした。暑〜い静かな住宅街をし
この歳になれば今まで見向きもしなかったことに急に興味を持ったり、知らなかったことを知っておきたくなったり、誰かに気兼ねすることもなくなった今、やりたい放題です。大阪に司馬遼太郎記念館があるとのこと。司馬遼太郎さんの名前くらいは知っていても全然興味なかったし、大河ドラマであらましのストーリーを知っているくらいで、小説もちゃんと読んだことがなかった私。誘ってもらったので、その日までに少しでも司馬遼太郎さんのことを知っておかなくちゃとそれから、いろいろ興味持ち、私
「血のめぐりがいい」という言葉があるが、司馬さんの場合、頭に流れる血の量が桁外れだったのだろうと思う。血のめぐりが悪くなって、晩年にぼけてしまった父を持つ身として、司馬さんの血のめぐりのよさは、驚異としかいいようがなかった。ある雑誌編集者が、司馬遼太郎をそう述懐している。『街道をゆく』で編集者を務めた人である。血の量とは、むろん比喩であって、血ではなく「知」ということであろう。そして無数のそれを解析する能力をも指しているであろう。その脳内には、平生、無数の知とそれらが解析され巨大な整理
司馬遼太郎、100円書斎Love。近江から見る「街道をゆく」のメッセージフリーペーパーや、パンフレットなんかのなかにも、読むと読みでがあって、しかもしっかりとした内容のものもあり、そんな小冊子とかに出会えるととてもうれしい。これはそういう一冊でした。以前に、滋賀県のアンテナショップで貰った小冊子。司馬遼太郎氏没後25年記念シンポジウムというイベントの報告書のようなもの。会場で行われたパネルディスカッションの様子など、湖西のみちの取材の時のはなしなどもありました。
読書家の友人、浜のテティスさんが読んでよかったと言った書籍である。それで読む気になった。ホンダ・アキノは平凡社の編集者であった時、この二人の作家を特集した「別冊太陽」を担当したのだという。画像を検索しながらのんびり読んでみた。読了したところ、井上靖は素直で真面目な勉強家でありつつ「狂気」と筆者が呼ぶ凝り性的集中力があり、司馬遼太郎は飾らない正直な自由人、という印象を受けた。美術や宗教を切り口としてあり、私の興味がわいたものとそそられないもの、著者が自分の博識を披瀝している感じがしてうんざり
妻と100ヶ国を2025.3.1292ヶ国目カンボジア16アンコールから首都プノンペンへ街道をゆく①古代橋スピアン・プラプトススピアン・プラプトス
岐阜公園でしめ出しをくらったあと慌てて予定を組んでいた旅の栞を片手に岐阜市内に向かうんですが🚙どこもかしこもマラソンの通行止めで大渋滞時計はすでに正午をまわっているし⏱どうしたらええねん!!と早々に市内から離れることを決断しました約1時間ほど車を走らせて翌日の訪問を予定していた郡上八幡を前倒しさすがにゴールデンウィークは観光客でいっぱい満車表示の駐車場だらけで車の停めるところを探しに無駄な時間を費やします7月上旬から9月上旬にかけて30夜
2019年4月のブログです*10連休ということで、ボランティアもお休みなので、じーじも貧乏旅に出ることにしました。目的地は青森の三内丸山遺跡。去年、司馬遼太郎さんの『北のまほろば』(街道をゆく)を読んで、一度行きたいと思い、今回、実現しました。4月27日に新潟を出発、その日は秋田の道の駅で車中泊、そして、28日の午後、三内丸山遺跡に着きました。すごかったです。5000年前の縄文の人たちの遺跡。特に、大きくて高い物見やぐら(?)、すごいのひと言です。
山に建ち風に包まれ空を背に白き天守に川音遥か😸岐阜県の郡上八幡城を詠みました。郡上八幡城は、司馬遼太郎氏も「街道をゆく」の中で、その美しさを称えておりますように、「日本一美しい山城」と言われる白い天守閣が、風に包まれ空を背に建つ、私も大好きな城です。城下には吉田川が流れ、その先は、すぐ長良川です。石垣に見上げる天守雲静か今は踊りもなき春なれば😸野面積みの石垣は、いい雰囲気の色合いで古びており、石垣越しに見上げる天守閣は
寝付けない夜がたまにあります。この歳になるといろいろ考えてしまいますもんね。そんな夜はNHKラジオのらじるらじる、らじる文庫。ミステリーはダメですよ。先が気になるので。大体15分一節で15分もあれば眠りにつけます。本なら司馬遼太郎の「街道をゆく」シリーズ。優しく、穏やかな文章が旅をしている気分にさせてくれます。物語ではないのでいろいろ想像しなくても良いし。ただある程度地の利がある方がいいかと思います。全く知らない土地だと想像が出来ないので。大体2ページ読んでいると、寝
まだ旅の途中。詳しくはまた改めて書くつもりですが、本日は、暗くて上手く撮れていませんが、💦シカです。🦌東大寺二月堂へ。はからずも「お水取り」=「修二会」の時期に奈良に来ることになるとは。偶然のお導きに感謝して、人混みは苦手なのですが、1200年以上、一度も絶えることなく勤め続けられている「不退の行法」を目の当たりにすべく、頑張って馳せ参じてきました。平日の雨降りのせいか、そこまで混んでおらず、ひと安心。😊しかし寒い。修二会が行われるのは、毎年3/1〜3/14の2週
FC2ブログを更新しました街道をゆく一旦終了したブラタモリが昨年11月、久しぶりに3日続けて放送された。テーマは「東海道57次」。江戸日本橋〜京都三条大橋の間の53宿が有名な東海道だが、実は途中から大坂に向かうルートに分かれた57次の4個所の宿場町を訪ね、その徳川の戦略が興味深かった。そんなブラタモリが春からが復活するらしいが、どうやらテーマは街道という噂がある。当ブログでも今まで「鯖街道…teastwest.blog.fc2.com
♥️妻の指摘で打ち間違いに気付きました為、第一句を一部訂正させていただきます。恋音痴土佐は飲んでのお国柄浪速(なにわ)はシャレで口説いてダンディ😸クラスの新年会で、初恋の人の死を聞き、きちんと思いを伝えることができなかった昔を悔いて、私がお酒を飲んでいると、妻は始めは聞き手になってくれていましたが、そのうち私の勇気の無かった高校時代をなじり始めます。勿論、妻の気持ちを考えると、悪いのは私です。モヤモヤした思いを歌にしました。
年明けは1/4にユヴェントス、1/5に新響を聴いた後、京都に行く予定です。最近は京都に泊まって、大津坂本に足を延ばすのが常。司馬遼太郎が『街道をゆく』で、こんなことを書いてます。「四、五年前までは、正月を京都ですごすのが癖になっていた。京都に宿をとって、近江に出かける。中毒のようだった。」なんか親しみを感じます。今回も坂本には行くと思いますが、行先は特に決めてません。京都から帰ると、1/14&15と金川さんとスラットキン都響によるウォルトンVn協が待ってます
こんにちは、philosophiaです国境の島、対馬の続編です。観光スポットでもある<万関橋>を後にしレンタカー返却のために厳原港へ今夜のお宿<東横INN厳原>まで送って頂きました(^^♪この日と翌日は、年に一度の<八幡宮大祭>があるようで早めにチェックインしました。昼食が遅かったので、居酒屋で軽く一杯と思っていたのですが店主がお祭りに参加のためか、臨時休業ばかりで…(^^;ホテル前にあるスーパーで買い出しぶ
奈良マラソンの翌朝にリカバリーラン。気になっていた地名があったので探してみる。不審ケ辻子町。ふしがづしちょう、と読むようだ。「貞享4年に鬼遠山の鬼神を捕まえようとしたがこの土地で姿を見失ったのを辻占が、不審が辻といったところからきている」とwikiにあった。そういう目でみると、怪しげな路地裏に感じる。深夜にくればよかった。。さて、街道をゆく・奈良散歩で、司馬遼太郎が歩いた道を辿る。「やがて、五重塔の軒下にさしかかったとき、ことさらに立ちどまらずに歩いた。塔をつよく意識し
「おもしろいのは、西の一辺である。ここは町方に融けている、、、、、佐保路のざわめきに面しているところが、さりげなくていい」”町方に融けている”というのがいい。正面はかつての平城京の一条大路だが、現在は1車線の狭い路地裏といっていい。奈良市内において私が真っ先に向かったのはこの転害門である。”街道をゆく”の世界に同期した。ここから二月堂に向かうのだ。大湯屋などのそばを通り、二月堂を左にみつつ、三月堂と四月堂のあいだを抜けて、、、やがて谷を降りてゆく、という道が、司馬遼太
例年はもう積雪がある頃だけど、一昨日初雪が降ったばかり今年は、大雪予想なのにこれからドッサリ降るのだろうかその前に、地下水消雪用のホースを設置したスイッチ・オンで、地下水が消雪してくれる(雪片付けはするけど)雪掃き用のスノーダンプとスコップも準備完了。司馬遼太郎の「街道をゆく」は、NO3「白河・会津のみち」~東北は偉大である表紙は大内宿。白河は白河ラーメンが美味しい。白河も会津も好きなところだが、悲しいところでもある。今日は、村山市の甑葉プラ
雪の朝昨日よりは積もったけど10時頃には溶けてきて、まだ根雪にはならない感じ?チャッピーは、カウンターに座ってる。司馬遼太郎の「街道をゆく」(朝日ビジュアルシリーズ)を読み返している。(ちゃんと読んでなかったから〜老後にゆっくり読もう見ようと思ってた)NO1の「梼原街道」(高知県・竜馬脱藩の道)に続くNO2は「湖西のみち・近江散歩」(日本人はどこからきたか。滋賀県・琵琶湖の東西)「本」でも読みたかったのだが、とりあえず買ってあるこのビジュアルシリーズで。。「
司馬遼太郎の「街道をゆく」の最終巻、読み終えました。これをもって司馬遼太郎のすべての作品を読み終えました。何年かかったのだろうか。一番好きな作品は「坂の上の雲」。「街道をゆく」を意識しだしたのは、この10年ぐらい。ときには、「街道をゆく」をもって、旅に出かけたことも。「街道をゆく」シリーズの最初は、「近江」から始まります。最初の一ページの描写は何度読んでも、ほれぼれする表現。そして、ラストは名古屋。織田信長、秀吉、家康が出てきます。しかし、やっぱり織田
街道をゆく13Amazon(アマゾン)${EVENT_LABEL_01_TEXT}ちょっと京の紅葉の記事がこれでもかとばかりに続くので箸休めに…。今回の「晩秋の紅葉の京都」の旅に持っていった本です。京都とは無関係な壱岐・対馬の本なんですが紀行文が続くので、旅先で読むと丁度旅行しているような気分に重ねて読むことができました。壱岐は平地が多い島で水田も作れましたが、昔から定期的に耕地の割り替えが行われ(トランプの札を配り直すように、と本書で例えられていましたが)、村