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今日で術後27日やけど、空咳で、声は出にくいし、肺活量も減っとるわ。そもそも、体がフワフワして、なんだか体にパワーがみなぎらん「術後うつ」だけにはならんようにせんとな。で、筋トレ初めてみた。3キロのダンベルやけど食べたらすぐお腹一杯になってしまうのはしかたないにしても、これほど、食事が飲み込みにくくなるとは楽器屋クロちゃん黒崎楽器楽器🎸はやっぱりくろさきネ!70年代、四国放
僕はてんかん持ちです。発症してから32年もの間、いろいろな辛い経験をしてきました。それでも、今もなおてんかんと闘っています。****************************僕は、これだけ長い年月の間てんかんと闘ってきました。あくまで、僕の経験と個人的な意見を中心に思うことです。完全開頭の脳外科手術を受けて、もう20年以上になります。発症してから約8年間は、大発作(意識喪失して倒れるような発作)は最初の発作だけでしたが、薬物治療から始め、いろいろな小発作(短時間
前回の記録はこちらから『父の術後うつ今の気持ち』しばらくぶりにブログを開いてみた。パソコンに向かえないくらい気持ちがいっぱいいっぱいで、楽しいテレビやネットも見たくなくなっていた。こんな気持ちに自分も…ameblo.jp87歳父の手術大成功手術時間は予定よりもオーバーしたが、87歳父の頭蓋骨頸椎固定術は大成功だった!!こちらが、術後のレントゲン写真(レントゲン写真苦手な方はごめんなさい。)わたしは見事な写真に、何度も何度も見惚れてし
僕はてんかん持ちです。発症して以来30年もの間、色々な辛い経験もしてきました。そして、脳外科手術も受けましたが、今でもてんかんと闘っています。これだけ長い期間てんかんと闘ってきましたし、少しでも辛さを少なくするために、入院時に知り合った患者仲間もそうですが、このアメブロで知り合った仲間にも、いろいろな経験談を聞いたり、診察時に主治医に自分からいろいろ聞いたりして、あるいは、「てんかん市民公開講座」(NCNP主催)のような勉強会に参加したりして、勉強したりもしてきました。そんな
す50代です。2011年パニック障害を発症してうつ病と診断されました。2021年まで精神科に通院してましたが現在寛解中♡心と体の健康を取り戻すためいろいろと取り組んでます。2023年1月脳腫瘍が見つかりましたその直後、勤め先のお店の閉店が決まり、8月から無職の予定です。【2023年5月28日〜29日】●5月28日(日)朝、彼にスーパーへ連れて行ってもらいました。とりあえず1週間分の食材を買い込みました。どーしても食べたかったスイカ🍉5月の熊本県産スイカが美味しいとラ
ここ2.3週間くらい感情が喪失しているような虚無感があるようなもやがかかった世界にいるような少し精神的におかしい感じがしていて(心身共に健康になろうとヨガを再開し始めた理由のひとつです)なんとも言い表すことができない気持ちをどうにか昇華したくてベランダにリラックスチェアを購入したり普段触らない場所の整理整頓をしたり色々試しました。でも、買い物のミスが多くなり24時間以上、眠ることなく過ごしてしまったりついには勝手に涙が出てくるようになってしまいました。術後うつ、適応障害
3月31日木曜日。私の54歳の誕生日の朝にさえつんが入院。夫と朝、さえつんを病院に送り届け、帰り道、夫が遠回りしてるなと思ったら、メガネのパリミキに駐車。バースデープレゼントとして新しい老眼鏡を作ってくれるって以前から、私が愛用している黒縁のメガネが、くいだおれ太郎みたい、似合ってないと娘たちから不評で^^;それを知ってか知らずか・・もっと軽くて細いフレームのものを買っていただきました夜はさえつん不在でしたが、りおつんと夫と3人でイタリアンレストランで外食。翌日
術後482日、1年と4ヶ月が経ち、経過観察の検査(血液検査とCT検査)を受けてきました.結果は良好!天気の如く、快晴です♪血液の腫瘍マーカーにもCT画像にも、注意すべきことは無い、とのことでした.がんの転移・再発に関しては喜ばしい結果なのですが…晴れないことにぶつかっています…皆さん、特に食道啞全摘などの消化管摘出の大きな手術を受けた方、術後ストレスでうつになった/なりかけたことないですか?私は、実は術後すぐに眠れなくなり、精神腫瘍科の医師の診察を受けました.
レクサプロ服用して12日目まだ胃の不快感はあります抗うつ薬が作用するのに最低2週間まだまだ効果はでないか。。。その間の気持ち悪さが辛いレクサプロが効いてくれるのかも不安。。。早く胃の不快感がなくなりますようにただただそれだけ機能性ディスペプシアは本当に厄介だ!レクサプロ0.5モサプリドジエノゲスト寝る前にエチゾラム0.5
僕はてんかん持ちです。発症して以来28年もの間、いろいろな辛い経験もしてきました。そして、完全開頭の脳外科手術も受けましたが、今でもてんかんと闘っています。(実は、発症した時期は正確じゃないんですが、秋の今頃(9月か10月)だったので、今後はしばらく、この表記に変更しますね。)てんかん治療は、基本的に「薬物治療」で行うものです。ですから、1種類の抗てんかん薬をしばらく飲み続けることで、発作が出なくなる方もいるようです。これは「単剤投与」と言われるものです。(1種類と言っても
【2021.9.30】現在の熱37.5度今日はNOPLANDAY予定なしの日朝から痛みが少なく元気だったので術後1ヶ月だしロキソニンなしで行ける!と、また変なことに挑戦し夜に痛みとダルさが強くなりロキソニンを飲むという意味の分からない挑戦に破れ気分よろしくない夜を迎えるというねなんだろう....昨日と今日の気分の差が激し過ぎ特に予定がない日で体調良くないと漠然とした不安や虚しさが襲ってくる時があります調べてみると術後うつとか退院うつと
僕はてんかん持ちです。発症して以来27年もの間、いろいろな辛い経験をしてきました。それでもなお、今でもてんかんと闘っています。僕はてんかん治療の中で、脳外科手術を経験した人間です。その結果が幸いにも、術前に執刀医の先生が話されていたことの、「左半身に麻痺が残るのは確実。」という後遺症も残らず、「発症前の体調の50%まで行けたら良い方。」と言われていた体調は、発作激減もあり、80%以上の体調に回復。そして、患者仲間の経験談で聞いた「術後うつ」にも、結局ならなかったということ
では、前々回のICUで覗いた(かもしれない)異世界のつづき入院中に出はじめた咳は退院してから日ごとにひどくなっていきました。喉に少しでも刺激があると咳きこんでしまうので水やお茶を飲むときは少量ずつそっと舌で喉の奥に置く感じ。しゃべるときはささやき声で。うっかり笑うともう大変。しまいには食べたものもすんなり喉を通らなくなりました。手術中の挿管でどこかに傷でもついていたのでしょうか。それと関係があったのかどうか、
僕はてんかん持ちです。発症して以来27以上もの間、いろいろな辛い経験もしてきましたが、今でもてんかんと闘っています。これは、僕の長い間の経験からですので、あくまでご参考になんですが。。「みなさん、お元気ですか?」こう呼びかけられて、「はい、元気です!」と自信をもって答えられる人が何人いるのかなあ、と思ってしまいますよねいえ、空元気や強がりでも、体調とか自分に関することで不安なことがあっても、「元気です!」と言えばいいんじゃないかとは思います。でも、そんなことできます
夏の間、ふと思い立って通信講座で勉強し、資格を1つ取得した。これはまったく予定していなかったのだが、病気の経験が自分の視野をちょっぴり広げてくれたおかげで、やってみよう!と思ったのだ。資格を取得したことで軽く勢いづいた私は、いよいよもうひとつの小さな野望に取り組むべく、語学のスキルアップのためのスクールに通い始めた。もちろん、スクール側も自分も、感染対策は万全で。週2回のペースでスクールに通うこと3か月…。スキルアップにはまだまだ遠い。はじめにちょっとショックだったのが
昨日はどうにもならなくて思わずブログに書き込んでしまいました不快に思われた方はすみませんでも昨日の気持ちも私の本心なので消さずに残しておこうと思いますそして今日は更に母に対する思いを書きたいと思います*・゜゚・*:.。..。.:*・*:.。..。.:*・゜゚・*昨日は朝から涙が止まらずに泣きながら外来受診先生、ビックリしていましたが看護師さんと二人で私の話を聞いて下さいました『辛かったね』そう言われ、ああ、私辛かったねって誰かに言って欲しかっ
「仕事を辞めたらやりたいこと」を自然にひとつずつクリアしていき、ステイホームもそれなりに充実した毎日。だが、なんのことはない。病気になって手術して、仕事を辞めて時間ができたから、やりたいことをやれるようになっただけじゃんと言われればそれまでだ😅。でも、私にとっては心臓の手術をしたことは、人生を変えるくらい大きな意味があったと思うのだ。とにかく、「今を大切に、楽しく生きよう」という思いがとても強くなった。ただ、仕事を辞めた後も、すぐに新たな行動を起こせたわけではなかった。
心臓手術から2年。私は今、かねてから抱いていた小さな野望を実現すべく、日々わくわくしながらそれに取り組んでいる✨。退職してから約半年の間は、家のことや子供たちに関する用事と、母の病院通いで毎日があっという間に過ぎていった。母の病院へは週に数回、父を乗せて二人で行っていたのだが(父は私が行けない日も、一人でも毎日欠かさず母に会いに行っていた)、退職から半年後の年明け、父が突然他界してしまった。優しい、最愛の父だった。同時に、父と過ごしたこの半年間は、私にとってかけがえのな
術後といえば、背中の痛みにもかなり悩まされた。あまり痛いのと、右手に軽いしびれも感じていたので、循環器科クリニックの検診の際に相談して、脳のCTやMRIも撮った。CTの結果は大きな異常はなし。MRIのほうは、脛椎椎間板ヘルニアと診断されたが、これが背中の痛みや手のしびれに関係あるかは不明だった。手術で胸骨を開いて長時間固定したための影響なのかもちょっとわからないけど、とにかく背中の痛みは一年以上続いた。これを解消してくれたのが、ダンベル体操だった。ダメもとで、少し筋力
手術の後、職場復帰して4カ月後の夏に、私は約20年勤めた会社を退職した✨。いろいろな思い出のある職場生活だったが、精一杯やってきたので悔いはなかった(少なくともこの時は😅)。仕事を辞めてすぐの頃は、あまりのんびりすることもなく、当時受験生だった娘とあちこち学校見学に行ったり、憧れていた平日映画や美術館に行ってみたりと、毎日のように出歩いて日常を満喫していた。また同じ頃、母が入院したので、週に数回、父と一緒に病院に通った。術後襲われた言い様のない孤独感、悲しい気持ちや焦燥
心臓手術か。手帳にほ、心身ともに健康でって書いたんだけどな😅。いや待てよ。心身ともに健康になるために心臓を治すのかな。そしてしばらくゆっくり休んで、家族ともゆっくり過ごして、これからのことを少し考えよう。きっと、そのための時間を与えられたんだ。こうして私は手術を受け、1ヶ月の療養ののち、仕事に復帰した。心臓手術をしたからと言って、心身ともに生まれ変わったわけじゃない。相変わらず、小さなことで悩んだり、迷ったり、腹を立てたりしている。でもひとつだけ大きく変わったのは、
数年前から、私には今の仕事の他にやりたいと思っていることがあった。1つは、ある分野の勉強をしてスキルを身につけること。できれば、そのスキルを活かした仕事に就けたら最高だと思っていた。もう1つは、趣味のピアノをもっと練習し上達して、よりいろんな曲を弾けるようになること。そしていつか、発表会でも小さなコンクールでもいいから、ステージの上で演奏できたらうれしいなと思っていた。そんな小さな野望を胸に抱えなから、子育てに追われ、家事に追われ、仕事に(たまに遊びに🎵)追われてバタバタと過ご
私は、ニットが好きだ。特に、Vネックのニットが好きで、今の寒い季節にはキレイな色のVニットを、春や秋には少し軽い素材で明るい色のVニットをよく着ていた。心臓の手術をした後、胸の真ん中にできた大きな傷を見て、「ああ、もうVニットは着られないなあ…。」と思った。どうせデコルテも貧相になってきたし😅、これからは首の詰まったクルーネックのニットばっかり着るようになるのかしら、なんてちょっと寂しく思っていた。手術から2年たった今。傷は白く、ほとんど目立たなくなった。Vネックを着ても、
退院から1ヶ月後の4月、私は仕事に復帰した。同時に人事異動があり、初めての部署へ。いつもなら、新しい仕事を必死で覚え、勉強していたのだが…。仕事にまったく集中できない。モチベーションがまったく沸いてこない。異動前の職場の仲間は私の復帰を喜んでくれたし、異動先の人たちも、病気のことを知っていて、気を使ってくれた。なのに、ものすごく淋しい。地に足が着いていないような気持ちで毎日出勤していた。復帰から一週間後に、S先生の外来診察があった。本当は、バリバリ元気になっ
退院したその日、まず行ったのが近所の行きつけのラーメン🍜🍥屋さんだ。入院中、ずっと食べたいと思っていたのだ。けれど、一口食べてそのしょっぱさにびっくりした。入院前は何とも思っていなかったけど、この3週間スーパー減塩生活を送っていたので、外で食べるものがとてもしょっぱく感じられた。そういえば、膝や首にできていたアトピーも、入院中にすっかりキレイに治っていた。減塩のおかげだと思う。退院して普段の食生活に戻ったら、また痒くなってしまった😅。退院後は、1ヶ月の自宅療養を経て仕事に復帰し
退院の数日前に、S先生が術後の経過と現状の説明をしてくれた。手術の後から徐脈が続いており、睡眠時は40台まで下がっていた。そのせいか、日中でも時々めまいがした。これについては、今後も様子を見ていきつつ、あまりにも徐脈がひどい場合には心臓ペースメーカーを入れることも考えるとのこと。でも先生の雰囲気では、その可能性はあまりなさそうだった。徐脈以外は、経過は順調。いよいよ退院だ。嬉しい反面、S先生に毎日会えなくなるのが淋しいというか、心細い思いだった。退院したら、S先生にはあ
私が入院していた病棟は、ドクターも看護師さんも、みんな本当にプロフェッショナルだった。これまでにも入院は何回か経験していたが、こんなに素晴らしいドクターにも看護師さんにも、今まで出会ったことがなかった。普段は自分のことはもちろん家のこともすべて自分一人でやっていたため、「こんなコトまでしてもらっちゃっていいの~?」と思うくらい、入院中は至れり尽くせりだった。中には不機嫌そうな、少し乱暴な看護師さんもいたけれど、ほとんど皆さんが優しく、明るく一生懸命で、時には少し疲弊して見えるほどだ
私が入院していた3週間、単身赴任の夫は仕事を休んで自宅に戻り、娘たちのそばにいてくれた。私の代わりに朝お弁当を作って娘たちを送りだし、家事をして、ほとんど毎日病院に来てくれた。さすがに3週間続けて仕事を休むのは難しいので、週に1、2回は深夜バスを利用して朝、職場に着き、一日仕事をしてまたその日の夜の深夜バスで自宅に戻ってきていた。夫は、私とは正反対でかなり楽天的な性格で、私が心臓を手術することになったと話したときも、こんな大事になるとは思っていなかったようだ。でも、S先生の話を
心臓弁膜症の原因について調べてみたが、何だかいろいろと難しいことが書いてあってよくわからなかった。まあ、原因にもいろいろあるようだが、はたして私が弁膜症になった原因は何だったんだろう?これについては、S先生もわからないと言っていた。ただ、私の弁は石灰化はしていなかったものの、少し厚いとのことだった。これが弁膜症になりやすい一因なのかどうかはわからないけど。遺伝、もあるのかなあ…?私の叔父が弁膜症で、たしか手術して人工弁を入れたと聞いた。私の母は、私が入院する直前の年末に、心不全を起
手術の直後から、背中の痛みに悩まされた。入院中から退院後も一年以上、ずっと湿布が手放せなかった。先生曰く、「手術の際には開胸器でガバッと胸骨と肋骨を開いて体も固定して手術するから、中には骨(肋骨のコト?)が折れちゃう人もいるんですよね-。」手術後、背中の痛みだけでなくしばらくの間右手に若干の痺れも残っていたので、手術は切って上手くいって縫って終わり、じゃなくて、本当に体じゅうに大きな爪痕を残すんだなーと思った。ちなみに、退院後もあまりに背中が痛いので、ダメもとで昔買ったダンベル