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全譯『大方広佛華嚴經』巻下(江部鴨村訳,昭和10年)348〜349頁仏子よ、菩薩大士に十種の持力がある。十種とは何んであるか?一には仏の持力である。二には法の持力である。三には衆生の持力である。四には業の持力である。五には願の持力である。六には行の持力である。七には境界の特力である。八には時の持力である。九には善の持力である。十には智の持力である。仏子よ、これが菩薩大士の十種の持力である。もし菩薩大士がこの持力に安住するならば、すなわちあらゆる法において自由の持力
全譯『大方広佛華嚴經』巻下(江部鴨村訳,昭和10年)343頁仏子よ、菩薩大士に十種の平等がある。十種とは何んであるか?一には一切衆生の平等である。二には一切法の平等である。三にはあらゆる仏国の平等である。四にはあらゆる仏乗の平等である。五にはあらゆる善根の平等である。六にはあらゆる菩提の平等である。七にはあらゆる願行の平等である。八にはあらゆる波羅蜜の平等である。九にはあらゆる行の平等である。十にはあらゆる仏の平等である。仏子よ、これが菩薩大士の十種の平等である。
全譯『大方広佛華嚴經』巻下(江部鴨村訳,昭和10年)341〜342頁仏子よ、菩薩大士に十種の証智がある。十種とは何んであるか?一には一切法の一相なることを知る。二には一切法の無量の相なることを知る。三には一切法の一念に存することを知る。四には一切衆生の心行の無礙なることを知る。五には一切衆生の諸根の平等なることを知る。六には一切衆生の煩悩・習気の諸行を知る。七には一切衆生の心使の行を知る。八には一切衆生の善・不善の行を知る。九にはあらゆる菩薩の願・行を知り、その自在の
人は「私はこういう人間だ」と自分で考えるその通りのものになります釈迦(紀元前624年-紀元前595年)釈迦(しゃか、旧字体:釋迦、サンスクリット:शाक्यमुनि、Śākyamuni)は、北インド[4]の人物で、仏教の開祖。ただし、存命していた時代については後述の通り紀元前7世紀、紀元前6世紀、紀元前5世紀など複数の説があり、正確な生没年は分かっていない。姓名はサンスクリット語の発音に基づいた表記ではガウタマ・シッダールタ(梵:गौतमसिद्धार्थ
結局は彼岸に入ってからの今日になって鬱陶しい強い強い風の中で、墓参りしてきたどこかから、看板類でも飛んで来そうな危険な状況で、多少日を誤ったか、と悔やんだし事実、霊園には彼岸の割には人が少なかった杜撰な性格だし、それに多忙にしているから(多忙というけど、全部自己都合です、ハイ)…そう、思い立って、行ける時に行こうと花粉対策のためにマスクして今日の午前中にこの墓参り、両親の供養が本義で冥福を祈り、種々の報告をして、感謝を捧げそれに、異国にいてなかなか墓参りもできぬ
皆さん穏やかにお過ごしでしょうか?今日は私の大好きで良く聞いているシャンティマントラの歌詞と歌詞の意味をご紹介したいと思います。美しいメロディに愛に溢れる歌詞。これを聞くと心と身体が優しい愛のエネルギーで満たされるのを感じますいつも今もこの思いを忘れないでいきたい。そう思います。。。シャンティマントラオ
「衆生」とは本来「人間以外の生き物を含む全ての生類」を指す。「縁なき衆生は度し難し」といった言葉のニュアンスから、「衆生」=「衆人」的な意味で、「衆生」が「娑婆世間の人類」のみを指すと思っている人がお坊さんの中にすらおられるが、それは俗流の解釈だ。ただ、その解釈が余りに人口に膾炙したために、仏教辞書の「衆生」の項にまで「衆生とは特に衆人を指すことも多い」などといった説明が付け加えられていたりするが、あくまで「衆生」は本来「すべての生き物」を指す言葉だ。また、「衆生」が人類のみを
(『新・人間革命』第4巻より編集)132〈立正安国〉22日蓮は、決して、幕府の庇護を求めようとしたのではない。「立正安国論」で、日蓮は、こう結論する。「あなたは、早く信仰の寸心を改めて、速やかに、実乗の一善である、真実の法に帰依しなさい」不幸と苦悩に覆われた社会を変革し、「国を安んずる」直道は何か。日蓮は、それは、一人の人間の心のなかに「正を立てる」ことから始まるのだと呼びかけている。「実乗の一善(じつ
岩波新書:松長有慶著:「空海」第3章「対立と融合」を読みました。正直、難解・・・空海は「密教は仏になるのが速い」と説いてるみたい。一般的な仏教は物凄い歳月をかけて成仏するが、真言密教は速いらしい。どうも即身成仏をどう解釈するか?で成仏の速さが速くなるのだと思う。空海の成仏は「仏であるという自己の本質に気づくこと」みたい。仏と人、物と心、二元論で語られやすいが一元であると。自分の解釈ですが、、、胎蔵曼荼羅では物を示し、金剛界曼荼羅は心を示すと思われる。別々では無く、胎
今日も訪問して頂きありがとう御座います。🙇いいね👍フォロー有り難う御座います。仏教ランキングに参加してます。ポチ宜しくお願いしますm(._.)m励みになります。(^_^)大法輪第86巻第1号特集Ⅱ『仏教のここがすごい!』より一部引用させて頂きました。宜しくお願い致します。🙇[Ⅰ.ブッダ釈尊のここがすごい!]『悟りを独り占めしなかった』──伝道──東京大学大学院教授蓑輪顕量[悟りを開いた後の釈尊はしばらくはその悟りの境地を楽しみ、七日を経た後、その精神
若(も)し自心を知るは即(すなわ)ち仏心(ぶっしん)を知るなり仏心を知るは即(すなわ)ち衆生(しゅじょう)の心を知るなり(空海『性霊(しょうりょう)集』巻九)自分の本心を見きわめ、仏の慈悲を知れば、衆生の本心もわかり、仏・衆生・自分の三つの心が一つとなり平等である。“人と比べて優位でいたいと思うのは、私利私欲におごってしまうことです。狭い世界で自分が優位に立ってどれほどの価値があるのでしょうか。欲を捨てて、仏の心で暮らせる。すべての人が同じ心で生きれば、一味平等の美しい
(『人間革命』第5巻より編集)103〈布石〉10午後の部は、戸田の講演が最後である。ここでも「開目抄」の文証を引き、大聖人の確信を、誰にでもわかるように解説しつつ、われわれの信心の気迫が、どうあるべきかを訴えたのである。「釈尊が、仏法流布に立たれた三千年前の事実を見ますれば、実に荘厳な御姿であったと思う。その後、竜樹菩薩は、釈尊に劣ること数十倍であり、天台智者(天台大師)を拝すると、すこぶる低きものに思われます。しかも、辺土日本
『風塵抄二』-司馬遼太郎●時について-②✪右のあいさつことばをくどく国語解釈すると、「時間は、絶対の権力者です」ということから始めねばならないだろう。「私どもお互い、その大いなるものから、わずかな時間を借り、身を委ねて生きています」という意味が入っている。さらに、「この夏は寒熱さだまらず、つらいことでありました。ようやく秋らしくなり、身も心もやわらぐ思いです。おなじく時に寄生している貴方様もこの喜びを感じてくださることと存じます」「日本人には宗教がない」と、ときに外国
安倍晋三元総理参議院選挙遊説中に暴漢より銃撃され亡くなる、哀悼の意を現します、tweet7月八日心肺停止ですか、回復すれば良いですが、このように襲ってくるのだ、わたしも人生数度ある、会談では対立面が強く出た、具体的な産業帯と同のものに心情倫理では駄目とするこちらと、私が怖いそうだマスメディアでは言明してない、#安倍晋三Tycoonわ「#統一教会と自民党」tweet22,7/Ⅰ3自民党員議員で私に会い、先生#文鮮明が日本に来れないのはあんたみたいのが居るか
こんばんは今日で5月も終わりですね。都内の雨は上がりましたが、沖縄本島では猛烈な雨で被害が出たそうで引き続き土砂災害にご注意下さい⚠️昨日は、双子座♊️新月でしたね。新しいサイクルに向けての「通過儀礼」のような出来事がありました。この件についてはまた改めて。そして今日は、楽しみにしていた本とCDが届きました。この件についてもまた後日、ゆっくり記したいと思います。さてさて、今月5/2に六波羅蜜寺から八月の「萬燈会」の御案内状が届きました昨年お参りした際どこかに住所を書いたのでしょうね。ま
おはようございます!!迷いの世界にあるあらゆる生類を衆生と呼ぶこともあると知った小川です!!#生きてるって迷ってるって事かも#迷ってるって心があるって事かも迷って後悔をして感情が溢れる事は、心が動いていて熱をおびるので生きてるってことかも!お仕事のご依頼・ご相談▽https://lit.link/Uncertainty0525
今日のことわざ(ほ)仏あれば衆生ありほとけあればしゅじょうありこの世の中には、仏のような人もいれば、そうではない人もいるということ。
最近、中村元さんの情報を追ったりしています。中村元さんは、インド哲学や初期仏教の第一人者です。生前はテレビにもよく呼ばれていたようです。それで、対談者が中村元さんに、「在家信者(あるいは現代人)が仏教を実践する場合、どのように実践したらいいでしょうか?お釈迦様(あるいは当時の修行者)はどうおっしゃってたのでしょうか?」と尋ねました。生家を離れ、徹底的に修行に励む出家信者に対し、普通の暮らしをしながら仏教を実践する人たちを在家信者と呼びます。現代人が仏教
今日のことわざ(え)縁無き衆生は度し難しえんなきしゅじょうはどしがたし人の善意による言葉すら聞き入れようとしない者は、とうてい救う道がないということ。広く大きな知恵と慈悲の心を持っている仏でも、仏に関心なしとする者は救うことができないということから出たことば。
全譯『大方広佛華嚴經』巻上(江部鴨村訳,昭和9年)547〜548頁菩薩の最後難の施法とは何であるか?この菩薩がさまざまの上味の飲食・香華・衣服・生活の資料をうるとする。もし彼がそれを自分の用に供したならば、安楽に長寿をもつことが出来ようが、それをことごとく人にほどこすならば、彼は窮乏にくるしんで若死にせなければならないだろう。そうした場合に人が来て彼に一切をもとめるとする。そのとき彼は、かくおもう。——「自分はむかしから無数に身をうしなったけれど、未だかつて自分を損して一人の衆生すら利益
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全譯『大方広佛華嚴經』巻上(江部鴨村訳,昭和9年)445〜446頁『仏子よ、菩薩大士はもろもろの願いを満たしおわって、十種の無尽の宝蔵を了(おわ)る。十種とは何であるか?一には諸仏の無尽の蔵を見ることができる。二には陀羅尼の無尽の蔵をうる。三には法を分別する無尽の蔵をうる。四には大悲のこころをもって一切をおおい護る無尽の蔵をうる。五にはもろもろの三昧の無尽の蔵をうる。六には衆生のこころに功徳を満たす無尽の蔵をうる。七には甚深の智慧をもって、法の真実をさとる無尽の蔵をうる。八
全譯『大方広佛華嚴經』巻上(江部鴨村訳,昭和9年)445頁仏子よ、菩薩大士はまた十種の法ををさめて、一切もろもろの願いを、ことごとくよく満足する。十種とは何であるか?一にはこころに倦み疲るることがない。二には大いなる荘厳を具足する。三にはもろもろの菩薩の殊勝な願いのちからを念ずる。四には諸仏の国土を聞いて、残らず往生したいと願う。五には未来の際を究める。六にはあらゆる衆生をことごとく成就したいと願う。七にはあらゆる劫に住して、その久しさを覚えない。八にはあらゆる苦しみを苦し
全譯『大方広佛華嚴經』巻上(江部鴨村訳,昭和9年)444〜445頁仏子よ、菩薩大士にまた十種の清浄なねがいがある。十種とは何であるか?一には衆生を救済することに、倦み疲るることのないやうにと願う。二には善根をやしない育てて、ほとけの国を浄めたいと願う。三にはあらゆる如来を恭敬し供養したいと願う。四には身命を惜まずに正法を守護したいと願う。五には種々もろもろの智慧の門をえて、衆生をことごとく諸仏の国に生れしめたいと願う。六にはもろもろの菩薩の不二の法門をおさめ、ほとけの法門にはい
https://youtu.be/xadvB18N1dc日蓮が弟子檀那等の肝要~生死一大事血脈抄生死一大事血脈抄久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との三つ全く差別無しと解りて妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり、此の事但日蓮が弟子檀那等の肝要なり法華経を持つとは是なりyoutu.be
https://twitter.com/BORO88883333/status/1438600226919485450衆生所遊楽!苦悩に満ちたこの星こそ!広布に生きる衆生の最高級の遊楽の場所!病(やまい)・・・打ち勝つためのリズム!貧困(ひんこん)・・・笑顔になるためのメロディー!殺りく・・・悲しみを乗り越えるためのハーモニー!衆生所遊楽なロックな星!衆生所遊楽な星からラブソングを!pic.twitter.com/v604J3ilc1—BORO(@BORO88883
昨日の一読は第6章「ブッダ救いの言葉」の続きで、気づけば今回も含めてあと2回で終わりでした。ここでブッダが語っていることは、衆生を助けることの大事さでした。それは優れた人だけができるのではなく、本来誰もが実践すべきことなんだと気づかされます。なぜなら、命あるものみな兄弟だからです。草木もまでもが兄弟だと自覚すると、人間の生き方は全然変わってくるのではないでしょうか?
全譯『大方広佛華嚴經』巻上(江部鴨村訳,昭和9年)443頁仏子よ、菩薩大士は、また十種の法をおさめて、菩薩のもろもろの行をことごとく清浄にする。十種とは何であるか?一には一切のものをことごとく捨てて衆生のこころを満たしてやる。二には浄らかに戒律をたもって犯さない。三には忍辱(にんにく)をきわまりなく具足する。四には勤めて方便をおさめて退転しない。五には愚痴をはなれて正しく念じ、つねにこころが定まって乱れない。六には分別して明らかに一切諸法をさとる。七には一切もろもろの行を欠け