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→去年初めてこのやり方を知った時は、正直『エッ!?』と思った。でも、あの三浦先生が雑誌に載せている方法だし、よく考えてみれば土寄せの極端な方法だとも思えるし、とにかく一度やってみようと思った。そして、夏・秋と実際にやってみると、やっぱり今までに増してジャガイモの出来が良かった(*^^*)ということで、今期も『ジャガイモの土かけ栽培』をやってます(^^)/『面白そう』と思ったことは、実際に一度自分でやってみることが大事だと思っています!(^^)!みなさんも一度試
自分を休ませる練習という本を読みましたのでその経験をシェアします🛏🎹🛏🎹🛏🎹🛏🎹🛏🎹融通無碍ーあるがままで自由の状態人の欠点をあげつらう、誰かをバカにする、罵るーこれは自分の価値を下げるだけ社会ってそもそもままならない場所温冷浴、大周天、暗灰色驟雨、天泣などに敏感になるスマートエイジング柔らかな心は褒めることから肯定的に想像すれば人生は楽しい🛏🎹🛏🎹🛏🎹🛏🎹🛏🎹などの言葉が心に残りましたそもそも私は休むのが苦手であります。いわゆる、モ
矢作直樹氏の心に響く言葉より…あなたが「無理だ」と思っていることがあるとします。それは、思い込みにより、あなた自身の能力や可能性を自分で閉ざしているのです。思い込みの状態では、そこに書き込みができません。あなたを変える情報は外から来るのに、それをシャットアウトしている状態だからです。人生の学びを広げるためには、常に思い込まないことです。気持ちの面でスタンスを広くとり、できるだけ食わず嫌いをしないほうがいいでしょう。すると、あなたの意識
松下幸之助さんの秘書を務めた江口克彦先生の勉強会に参加し始めて3年目になります。今年は年に6回、奇数月に当社の銀座オフィスで勉強会が行われることになったのですが、昨日は今年初めての勉強会でした。先生のお話を聞かせていただくとき、いつも、初めて聞く言葉がたくさん出てきます。昨日もお話を聞きながら、漢字ではどのように書くのだろう?と、いっぱい検索しました。宮本武蔵のお話では「ごりんのしょ」と「どっこうどう」。『五輪書』の方はわかりましたが、もう一つは『独行道(獨行道
1が4つある日ゾロ目てなんか嬉しい疲れてたり、悩んだりすると整えるために「神社いきたい」て思うだから神社いってきた!もう紅葉枯れてるかな〜て思ってたんだけど想像してたより色づいててしばらく見とれてた赤オレンジ黄色自分の中にあるエネルギーが湧き上がる色好きノートとペンをもって図書館へ使う言葉は違えどみんな同じこと言ってる自分の感覚が全て正解いや、まーね、何度が気づいていたけどまだ自分の感覚に自信がなくてこれが正解?て外側に正解求めてたそして私が何故
それが自民党を強くしてきた。自民党に再入党をした。自民党総裁選の前倒しもある。河村たかし市長は、野心家である。総理になると、国会議員時代は、言っていた。保守新党は分裂と罵り合いの歴史だ。日本保守党は一致結束できるかである。自民党は融通無碍な政党である。勝つためには何でもありである。日本保守党の結党に刺激されて、自民党に入党が増えているようだ。自民党保守派。高市早苗経済安保相と、木原稔防衛相という2人が入閣をした。そこに、責任ある積極財政推進議員連盟、保守団結の会と動きもある。さらに、安
不動のココロと、融通無碍。不動心というと、どっしりと揺るがないようなイメージを持ちやすいけれども。不動心とは、どんな状態か?と問えば乱れてもすぐ持ち直し《乱れ続けない》こと人間ゆえに、揺らぎは起こるけどその状態からサッと持ち直すのが早く乱れが少ない驚く事があっても慌てふためいても一瞬で落ち着く乱れが良くないんじゃない、揺らぎはおこる乱れが収まらない状態が続くのは心身に安寧が戻りにくいんだ揺らいでも、自分を見失うことなく戻すこと他人に揺らぎやすいならなおさらに大切なココロ
融通無碍ゆうずうむげ行動や考えが何の障害もなく自由でのびのびとしていること
MANDALA曼荼羅「曼荼羅」と「太陽の塔」の関係性を描く。岡本太郎は、初期の段階では「『太陽の塔』は『マンダラなのである』と書き記していた」。そもそも曼荼羅と言うのは「宇宙を三次元的に立体化したもの」。そして「それを上から眺めて平面図に落としたのがいわゆる曼荼羅図」(長野)であり、「世界の表れ、あるいは宇宙観」(唐澤)ともいえるのだ。南方熊楠が著した「南方曼荼羅というのも、全てのものがつながり合い、絡み合いながら成り立っている世界観。それが直線
おはようございます😊イチジクのブリジャソットグリースに実がつき始めました。葉っぱの勢いがすごくて、これまで気が付きませんでした。一枚の葉っぱにつき一つの実ができるのが原則なので、今年はすごい数になりそうです。今年も昨年に引き続き4本の枝を伸ばしていますが、一本一本の太さが去年と比べ物になりません。かなりしっかりしています。そして背ももう1mを超えた様子。昨年は横に伸びてしまい、幅を取って大変だったので、今年は紐で枝を矯正して枝が上に向かうようにしたのです。これはかなり成功しています。葉
去年の冬にわが家の一員となったシクラメン。置き場所がないことから小さな鉢を選んだ。シクラメンといえば、緑の葉に隠れてたくさんの蕾をつけ、次から次へと咲き続けてくれるコスパの良い花のはず。普通はこんな感じ。ところが、このシクラメンは長い冬の間数えるほどしか(全部で五つだった)花を咲かせなかった。びっしりと茂った葉をかき分けては、新しい蕾が出ていないか探してみたものの、いつも無駄な作業だった。そんなシクラメンが5月になってから、やっとやる気を出してくれた。
あなたの好きな言葉は?好きな言葉。う~ん。なんだろ?無い、ってことはないんだけど・・・。パッと出てこないwってことは、無いんじゃ・・・。う~ん。四字熟語だと、温故知新臨機応変融通無碍公平公正公明正大こういうのが好き。あとは、人生を戦え!元気があれば何でもできる!生きてるだけで丸儲けとかも好き。▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう
評価、感情、思考などなど、親や友人等に影響されていませんか?「何かに囚われず、あるがまま自由に生きられたら。。。」自由に生きていいのです!アナタは自由です!扉も開いています!アナタが主役の人生なのに、親が主役で、アナタが脇役???楽しくないでしょ?疲れるでしょ?苦しいでしょ?なんかムカつくでしょ?親や友人、他者の考え方や感情に影響されそうになったら心の中でつぶやいて。『私が主役でアナタは脇役!』人間は良くも悪くも適応
何かを開始するのに、急にできるってことは、まずない。事前の助走期間を設けとくうちに、十分に感じられるだけの準備をたらふく仕込むのであって、ここなしには思い切るなんてこともない。何かが始まって、何かが終わる際は、まるでぽんと突然そうであったように現れるものだけれど、言ってなかっただけで、言いたくなかっただけで、実は準備は水面下では進められている。してる人は知ってたし、勘付いてもいた。気づかぬ人は急に!っておもうだけで、事態そのものは受け入れる他ない。このG.Wで始まる予兆のものもあ
「懼れ」恐れ、怖れ、惧れ…。いろんな「おそれ」があるものだ。「子どもの好き嫌いをそのまま認めてしまったら、きっとわがままで偏った人間になってしまうにちがいない」という懼れ。危惧する、心配する、という意味合いが強いのが「懼れ」という漢字のようだ。泉谷先生の著書「反教育論」はさらに次のように進みます。ヘルマン・ヘッセのエッセイを引用されている。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーひとつの美徳がある。私が非常に愛している唯一の美徳である。その名を「わが
「そのままでいいんだよ」「あなたはあなたのままでいいんだよ」耳にタコができるような言葉である。LetitGo~ありのままで~「アナと雪の女王」大ヒットした曲だ。ーーーーーーーーーーーーありのままの姿見せるのよありのままの自分になるの何も怖くない風よ吹け少しも怖くないわ悩んでたことがうそみたいねだってもう自由よ何でもできるどこまでやれるか自分を試したいのそうよ変わるのよ私ーーーーーーーーーーーーーー共感した人がたくさんいたのだろ
アイルランド民謡の「サリーガーデン」多くの人に愛され受け継がれてきたこの美しいメロディーには様々な詩がつけられている。(原詩はアイルランドの作家イェイツ)この「月の庭」の詩は佐々木由紀さんによるもの。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー古い家の庭に月の光満ちてひそやかに風渡り眠る花を揺らすそのままの君でいいと抱きしめてくれた人幾千もの言葉よりあの手のぬくもり名も知らぬ花の色に心ときめかせ差し伸べた指先に夜露が光る過ちも争い
第一章「なぜ迷いが生じるのか」⭐️まず、禅は理性と対立するのではなく、理性をはるかに超えて、自己の内部は無限の可能性を秘めて渾沌としていると認め、そこから禅は発想を始める自分とは「体」と「心」と「意識」に分けられるどうしようもないのが「心」どうにかできると考えるのが「意識」⭐️そして「心」にアプローチするための手がかりが「意識」「識」は「十二因縁」では、胎としての発生によって宿る人間の第一念とされる(現代的には遺伝子と考えてもいい)だが、唯識仏教で最も深層の意
さあ行こうかロケットに乗って奈落に落ちていくのでもない旅と称して丸い地球を徘徊するのでもない姿勢を正して座る半跏趺坐内なる宇宙へ実践あるのみ修行とも言う無念夢想無念夢想無念夢想・・
「自在と自由の違い」を検索自在は自分の思う通りにできること自由は他からの拘束を受けず、思うままにふるまえること「機械を自在に操る」となると、自分の思った通りに使いこなすという解釈ができ、「機械を自由に操る」では、他人の拘束を受けずに、自分の好きなように扱えるという意味で解釈できる
「自由」を検索他からの拘束を受けず、自分の思うままにふるまえること「自在」を検索思いのまま、邪魔するものがなく思うとおりになること「融通無碍」を検索行動や考えが何の障害もなく、自由で伸び伸びしていること「融通」は滞りなく通ること、「無碍」は妨げのないこと真の今に真の自我・・うん、いいね(勝手にやってろ)真の自我が、伸び伸びとして力に溢れ、輝いている姿こそ求めるものであるけど、言葉を少し整理しなければいけない気がする「
ゼレさん、フルネーム難しいですね。。ゼレさん、岸やんより若いのに知恵者。2枚も3枚も上手。。ホント恥ずかし話。期待して良さそな気がします。ゼレさんも屁ーチンさんも戦争犯罪者の可能性がありますが、早く手討ちに持ってってください。そして世界に謝罪して、自国民の死者を今後1人も出さないような知恵を出し、一刻も早い即時停戦にして下さい。戦争は殺しっこ。相手の嫌がる事をすれば勝ち。人間の絶対してはいけない最低・最悪の行為。平
論文はなぜ難しいか論文とか法律文書、なぜか理解するのに骨が折れる。素朴になぜであろうか。世の中の事物は弁別意識が働く前には均等に並んでいるので、この観点からはそもそも事物の理解に困難さの違いがあるのは不思議に思えてしまう。だが人固有に生まれながらに備わった本能、およびその目的である自己保存のための状況理解と言う内的な観点からは、どうしても理解しやすいものと理解しにくいものが出てしまうのだ。ひとえに人の側の勝手である。そしてその理解しづらいものの典型が、論文や法律文書だと言うことだ。
僕の放浪は、確かめているのかなすべてをねこの生命と意識に満ちた地球でいう孤独や無は宇宙の果ての孤独や無とは対極にある満ちている意識に自らの意識を投じその波動に同化する満ちている意識の波動を自らの波動にする満ちている意識は安らぎそのものだ融通無碍な創造はここから生まれる生命という第二の創造その舞台がこの地球なんだ僕は母なる地球に帰還する僕に帰還する僕の意識の源に帰還する僕の放浪は帰還の旅であり遥かなる家路なのだ
-ズーム例会のお知らせ開催日令和5年3月9日(木)時間夜7時から8時まで内容方鑑学についてのお話し料金会員は無料。非会員は1,100円(後日振込み)参加者名(フルネーム)と携帯番号とご住所、参加人数をメールを送信して下さい。ズームの招待を返信します。ズームのご招待を返信します。初めてズームを使うかたでも、割と簡単な操作で参加出来ます。場所も関係なく、日本からのみならず海外からも参加出来ます。お問い合わせ及びお申込みは、zoom-reik
子ども手当について書いた翌日の朝日新聞に、私の指摘と同じコメントが載っていました。自民党の真骨頂は融通無碍なところであり、児童手当の所得制限撤廃も政権運営のためには実利を優先するという性質があらわになった結果だと言っています。
復活!逆輸入!そしてトリュフ!釣られて買いました!糖質制限モードを一時的に休止。いわゆる一風堂と違いこれはIPPUDOです。豚骨の味も細麺でもないです。(平麺)。各国各地のニーズに合わせ融通無碍に変化させるか、果てまた本来の路線を守って突き進むか。こちらは前者でしょう。それにしても美味いっす。
名は体を表す。何かを結ぶ梯たることが自分の存在意義であり喜びでもあると自負する主人公の梯結子。「当たり前でちょうどいい」っていう世界をつくる手伝いをしたいと思っている結子。納得いかないことは、些細なことでも見過ごせない結子。無駄な状況を発見すると「キモチワルイ!」状態になる結子。「キモチワルイ!」と感じたら、「なんとかしなくちゃ!」と知恵を絞って解決しようとする結子。しかし、必ずしも最短距離で正解に辿り着くことだけが人生ではない。未来は誰にも分からない。一般庶民でもどんなに偉い人でも
融通無碍なんの障壁もなく、自由がもたらされる時あなたが本当にやりたいことは何なんだい?できない、やらないなどの言い訳が通用しない世界で生きているとしたら、まず、貴方が、取り組むことは何だろうか思い浮かんだこと、本当に出来ないのだろうか出来るために、何をしなければいけないのか、何が必要で、何が足りていないのかそんなことをトコトン考えてご覧今、これなら出来る、続けられると思ったことをしてみるのですしてみたら、次は続けてみるその次は、他の人に見てもらうその次は、お金やものと交換
今日の一日一読は『道の文化』の「仏の道」(田村圓澄著)に入り「はじめに」の部分までです。本書にはさまざまな「道」が取り上げられていましたが、読む前に一番期待していたのが「仏の道」でした。「道の文化」の中で、神道に並んで重要になってくるのが「仏道」だと感じていたからです。しかし残念ながら、著者の田村先生は「仏の道」ではなく「仏教の道」を取り上げることが書かれてありました。もともと「仏の道」は本書の企画サイドが考えていたもので、田村先生自身が自覚的に使ったものではなかったのです。一応、田村先生な