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適的(テキテキ)自らの心が適(タノ)しみとするところを適しむべきである。幕末、緒方洪庵(オガタコウアン)は大坂で医師を開業し、若者たちに蘭学を教えるための塾・適々斎塾、略して適塾を開いた。亜弥(アヤ)17歳は3年前、嫁に望まれて大坂へ来たが、縁談相手は別の女性と結婚してしまい破談となったが、縁談より医師になるため適塾で学ぶことが楽しくてならない、男姿で適塾に通う。日が暮れはじめ外出先から家路を急ぐ途中、酔っぱらいの男3人にからまれた亜弥。男の1人は素行不良で適塾を辞めさせられ
江戸時代、日本の医学の常識をひっくり返した一冊の本があります。それが『解体新書』。西洋医学の解剖書を日本語に翻訳した、日本史上でも画期的な書物です。しかし、この本の誕生には――辞書もない文法もわからない誰も読めない外国語という絶望的な状況から始まった、奇跡の翻訳プロジェクトがありました。その中心人物が、江戸の医師、杉田玄白(すぎたげんぱく)です。今日は、江戸の医学革命の裏側にあった情熱とチームワークの物語を紹介します。①医者エリートとして生まれた杉田玄白杉田玄
2019年3月のブログです*司馬遼太郎さんの『胡蝶の夢』(1)~(4)(1983・新潮文庫)を再読しました。本棚を眺めていたら目にとまって読み始めたのですが、すごく久しぶりで、おそらく十数年ぶりです。いい小説なのに、じーじの怠慢で、ご無沙汰しすぎです。こういういい小説は、年寄りになったら、もっともっと読んで、こころを豊かにしなくてはいけません。反省です。さて、この小説、紹介するのはなかなかたいへんです。主人公は幕末の医師松本良順。千葉・佐倉のオランダ医
メリッサ読書会について本日🍁秋田市のカフェメリッサで☕️11月の読書会が📕ゆるーく開催されました☀️☀️☀️☀️☀️☀️☀️☀️一旦寒さがゆるんだなー🍁☀️☀️☀️☀️☀️☀️☀️☀️あー12月になるなー…今年もあとわずかだなー🗓️なんかこのところ寒さがゆるんで秋っぽいかんじだなー🍂メリッサ読書会では☕️クマの話で盛り上がってたなー🐻曇り空ではあるけど☁️まーまー過ごしやすい読書の秋のよーな本日あいかわらず熊が🐻町を
今日は。「出島から瞑想へ。オランダと日本、ヨーガでつながる静かな絆」について、お話しします。まず。オランダと日本の関係は、実はとても古く、そして深いものがあります。ヨーロッパの中で、日本ともっとも長く、平和的な交流を持ち続けた国のひとつ。それが、オランダです。江戸時代の鎖国の時代。日本が、西洋の国と正式に貿易をしていた相手は、なんとオランダだけでした。場所は、長崎の出島。医学・天文学・化学など、たくさんの知識が、オランダから日本へと運ばれてきました。あれから、四百
杉田玄白が「解体新書」を刊行してから、その経緯とかを書いた晩年の書記として「蘭学事始」があります。江戸時代では出版されず、それを最終的に再版したのが福沢諭吉といわれております。ゼロから始めた偉業に対し、敬意を表している福沢諭吉も評価されるべき存在ですね。そして、「解体新書」に関わった人物が杉田玄白だけではないことももっと多くの人に知ってほしい。豊前中津藩の藩医で江戸に在住し、オランダ語をもっと知るために50歳を手前に江戸から長崎へ遊学した
こんにちは。日中も過ごしやすくなってまいりましたが、行楽地は夏の暑さの鬱憤を晴らすかのように人だかりができております。かく云う私も、正倉院展、西本願寺、大阪市美術館と催しが詰まっておりますので楽しみです。さてさて今回は三河渥美半島の田原城址の模様をお届けします。今回は電車の旅です。名鉄にて豊橋へ、豊橋からは渥美線で終点田原まで行きます。久しぶりですが綺麗な駅になっていました。駅の近くに城宝寺がありますので行ってみます。渡辺崋山は江戸詰めの田原藩士で、田原藩
次にシーボルトが考えたのは出島から出る事ですそのために利用出来るのはやはり長崎奉行所の役人です既に医師としての尊敬を勝ち取っていたシーボルトは「長崎の町の人たちも診察したいもちろん診療費は要らない」ですシーボルトは無料診療を申し出ます本来オランダ人が出島から長崎の町を出るのは禁止行為ですしかしシーボルトが持つレベルの高い治療技術と知識は役立つはずです役人が付き添って見張るのを条件に許可がおりますシーボルトはその最新の医療技術と知識で長崎の町の人たちを診察しまし
先日、ある方から、司馬遼太郎の短編小説「おお、大砲」が、面白いと教えて貰ったので、早速、購入し、読んで見ることに。人斬り以蔵(新潮文庫)Amazon(アマゾン)この本に、収録されています。司馬遼太郎の小説を読むのは、もう30年以上ぶり、と、いったところ。もっとも、小説ではない司馬遼太郎の本は、その間も、いくつか、読んでいて、最近では、ロシアによるウクライナ侵攻の後に「ロシアについて」という本を買って、読みました。この本もまた、面白い。ロシアについて北方の原形
僕の郷土の偉人が映画になります。一体どんな作品になるのでしょうか(ღˇ◡ˇ*)♡古河の偉人といえば,皆様は誰を思い浮かべるでしょうか。鎌倉から移って古河が関東の中心都市に発展する契機を作った初代古河公方・足利成氏(1434?〜1497)でしょうか。それとも江戸幕府の草創期に武将・政治家として活躍し古河の地に多くの桃の木を植えさせた古河藩主・土井利勝(1573〜1644)でしょうか。それらの人々が古河の歴史に誇る偉人であることは,勿論疑いありません。しかし僕は「古河の偉人」と聞く
宇田川三代墓所/津山藩医・宇田川榕菴御命日【榕菴珈琲cafe'Yoan】
NMB48の松岡さくらさんがSNSで紹介していた適塾に行ってきました。幕末期に緒方洪庵が設立した蘭学塾です。慶応義塾を創設した福沢諭吉もここで蘭学を学んでいます。辞書を奪い合うようにして学んだという当時の塾生の熱量には感服するばかりです。それにしても2階へ上がる階段、かなり急でした。手すりを持っていないと転げ落ちそうでした。<弊著紹介>ぼくはアスペルガー症候群https://www.saiz.co.jp/saizhtml/bookisbn
杉田玄白「蘭学事始」から。蘭学事始(講談社学術文庫1413)Amazon(アマゾン)「ターヘル・アナトミア」の日本語版「解体新書」が完成。しかし、果たして、この「解体新書」が、世間に受け入れられるのかどうか。また、元々、オランダの本を出版して、幕府から、何か、処分をされないかどうか。杉田玄白らは、まず、「解体新書」の予告版として「解体約図」を出版し、反応を見る。そして、桂川甫周の父、桂川甫三を通じて、「解体新書」を幕府に献上。更に、杉田玄白は、京都に住む従兄弟
杉田玄白「蘭学事始」から。蘭学事始(講談社学術文庫1413)Amazon(アマゾン)腑分けの見学で、「ターヘル・アナトミア」の解剖図の正確さに驚嘆した杉田玄白は、前野良沢、中川淳庵と、帰り道で、三人で話し合い、この「ターヘル・アナトミア」を、日本語に翻訳することを決意。さっそく、翌日から、始めることにする。次の日、前野良沢の家に、杉田玄白、中川淳庵が集まり、前野良沢を盟主として、翻訳作業を開始。が、全く、何も、分からない。杉田玄白は、アルファベットも知らなかったの
杉田玄白「蘭学事始」から。蘭学事始(講談社学術文庫1413)Amazon(アマゾン)さて、杉田玄白は、「ターヘル・アナトミア」と、運命の出会いをします。明和8年(1771)の春、杉田玄白と同じ小浜藩の藩医、中川淳庵が、オランダ通詞の宿舎に出かけたところ、「ターヘル・アナトミア」「カスパリュス・アナトミア」という人体解剖の図解書の二冊を「希望をする人があれば、譲ります」と貸してくれ、持ち帰って、杉田玄白に見せた。杉田玄白は、ぜひ、欲しいと思い、藩の家老に頼み、購入をし
さて、更に、杉田玄白「蘭学事始」から。蘭学事始(講談社学術文庫1413)Amazon(アマゾン)オランダ語の「読み書き」を学ぶことが「蘭学」の始めだとすれば、日本で、蘭学は、第八代将軍、徳川吉宗の時代から、始まったということになります。幕府に、オランダ語の文章を学びたいと申し出て、許可された、西善三郎たちは、「コンストウォールド」という辞書を、オランダ人から借りて、筆写をしたということ。将軍、徳川吉宗もまた、オランダの書物に興味を持ち、「何か、一冊、差し出せ」という
杉田玄白の「蘭学事始」。この本には、日本で「蘭学」が、いかにして始まったのか、と、言うことが書かれています。蘭学事始(講談社学術文庫1413)Amazon(アマゾン)日本で、「蘭学」というものが始まるようになるきっかけは「医術」です。以下、「蘭学事始」を元に。天正、慶長の頃、いわゆる戦国時代に、「南蛮人」が、日本に来るようになった。この「南蛮人」とは、「西洋」から来た人たち。ポルトガル、スペイン、イギリスなど。しかし、キリスト教に脅威を感じた豊臣秀吉、徳川家康
大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺』の放映に合わせて江戸時代を学び直す『(7)「鎖国」下でもなぜ蘭学・科学が発展した?-3か月でマスターする江戸時代-NHK』について8代将軍徳川吉宗の”享保の改革”が火をつけた江戸の蘭学・科学(NHKの『(7)「鎖国」下でもなぜ蘭学・科学が発展した?』のタイトル画面)NHK3か月でマスターする江戸時代2025年1月~3月[雑誌](NHKテキスト)Amazon3か月でマスターする江戸時代(NHKシリーズ)[野島
是非,お邪魔しよう(⋈・◡・)油絵というのは西洋から伝わってきた画法ですが,現在では日本でも大勢の画家によってたくさんの油絵が制作されるようになっております。現代では日本の美術の不可欠な一ジャンルになっていると云えるでしょう。その油絵が日本で制作されるようになったのはいつのことなのでしょうか。本格化したのは明治以降のことですが,それに先駆け制作された作品も存在します。古く安土桃山時代から江戸時代初期にかけてヨーロッパの影響を受けて制作された南蛮美術については後世に影響を与えることは殆ど
誰やねんと多くが思うだろう人物だが、長崎で通詞という所謂通訳のような役割の家に養子に入ったものの、病気のために退いた以後は持ち前の才能で蘭書の和訳を多く上梓した人物である。名が知られていないが、川路聖謨や箕作阮甫といった学者や外交官がテキストとして彼の著作を用い、現代科学における「分子」「引力」「重力」といった訳語を編み出した人物と知り、驚愕したもので、江戸時代でも没後半世紀近くになって存在を評価されたというから、隠れていた大人物と言って良いだろう。改めてもっと知られていい人物であり、人物
大鳥圭介について、私見。大鳥圭介は、幕末から、明治にかけて活躍をした人物です。世間的には、戊辰戦争で、幕府の脱走歩兵を率いて、新政府軍と戦ったのが有名でしょう。しかし、大鳥圭介には、「連戦連敗」というイメージが、つきまとっている。果たして、それは、正しいのかどうか。また、大鳥圭介が、「軍人」として果たした役割は、人生の、ほんの少しの間に過ぎない。つまり、軍人、大鳥圭介は、その人生の、ごく一部。元々、大鳥圭介は、播磨国、今の兵庫県に生まれます。家は、代々、医者を務め
https://x.com/elonmuskado/status/1879124517668438128Whatdoyoucalltheseinyourlanguage?pic.twitter.com/iRPha6IViz—ElonMusk-Parody(@elonmuskADO)2025年1月14日註)日本語補修校issues(案件):フジタフジカワフジヤマ←フジサンdes…criptive富士山の構造コレガ《観察事実》以下はウィキ
*12月15日エントリーの続きです。R大学文学部史学科の院生・あんみつ君、今回は近現代史のしらたま教授との歴史トークで、テーマは大村益次郎。本日は、宇和島への旅立ちのおはなしです。🍚あんみつ「しらたま先生、嘉永三年(1850)、26歳の村田蔵六(大村益次郎)は大坂適塾から帰郷し、鋳銭司(すぜんじ)村で父孝益(こうえき)を継いで医師になりました。大藩の高禄も夢じゃないのに、小さな村に籠るのは本意じゃなかったでしょうね」しらたま「そ
R大学文学部史学科の院生・あんみつ君、今日は卒業論文の査読に忙しいしらたま教授のお手伝いで、新年度に開講する<日本近代史特講>の資料準備です。さて、今回はどんなテーマの歴史トークが飛び出すのでしょうか...φ(..)あんみつ「しらたま先生~、図書館の《維新史料綱要》から、講座で使う部分のコピー終わりましたぁ。あとは《復古記》だけですから年内には楽勝で終わりそうです」しらたま「おー、お疲れちゃん。史料がデータベース化されることなんてこの
https://franoma.info/ハンガリー親父の遺言子どもを殺すなsite:.ptsd.red-Google検索franoma.infohttps://ameblo.jp/aya-quae/entry-12877285906.html『”石井一男展と女神像、妹を偲ぶ”』[原型]ご紹介ツイ:https://x.com/franoma/status/1864061752587207133ヤンロウイス#探訪記-#松田清の…ameblo.jp告知ツイ:https://
英雄たちの選択「フェートン号事件」を見ました。1808年、一隻の軍艦がオランダ船と偽り、長崎湾に侵入。取り調べに来た幕府の役人とオランダ商館員に攻撃。オランダ商館員2名を人質とされる。戻った幕府の役人は、イギリス国旗があったと報告。イギリス船艦長ペリューは長崎奉行に対し、食糧と水を要求。期限内にやらなければ、焼き払うと通知。番兵であった佐賀藩の藩兵は財政難でほとんどいない。福岡藩、大村藩、佐賀藩に応援要請をしたが来ない。食糧と水を渡して退散してもらった。こ
皆さんは西周という人物をご存知ですか?彼は、徳川慶喜の側近であり日本哲学の祖幕末、明治随一の知の巨人といっても過言ではありません彼はアイデンティティーを揺らがす青年時代をおくります一代に限り家業を継がなくてよいという藩命をうけ将来の方向性を大転換母の死そんななかペリー来航を目の当たりにした西周は自身の運命の道を歩み始めます多くの人材を世に送りだした藩校養老館12月7日西周が学んだ養老館にて時空を越えた彼との出会い現代に生きる私たちへ西周からのメッセージを受け取りにお越しください🙇三津同盟津山
長崎旅行の時に訪れた出島和蘭商館跡です。かつて出島のあった場所にある出島を再現した場所です😄長崎といえば料理に砂糖です😄ミッフィーはオランダ出身だったかこちらは模型の出島『出島和蘭商館跡【1】』長崎のイメージといえばの1つ出島かつての海に浮かぶ出島は現在はありませんが出島があった場所にある出島和蘭商館跡出島を再現した施設で21時までと遅くまでやってま…ameblo.jp