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砂原浩太朗さんの「藩邸差配役日日控」を読む。日日控、というように、何気ない毎日に起こる、水面に立ったかすかな波のような、出来事を描いている。...『藩邸差配役日日控(文春e-book)』砂原浩太朗https://t.co/J48qKyQcfJ#booklog—その後の、転んでもタダのオバサン(@ohoba3)April8,2024藩邸差配役日日控(文春e-book)Amazon(アマゾン)
拙作、「(時代小説新人賞最終選考落選歴あり)忍び働き口入れ」が昨日、トレンドランキング#歴史・時代で31位にランクインしました。ペンネーム、牛馬走。あらしすじ藩の忍びだった小平治と仲間たち、彼らは江戸の裏長屋に住まう身となっていた。藩が改易にあい、食い扶持を求めて江戸に出たのだ。が、それまで忍びとして生きていた者がそうそう次の仕事など見つけられるはずもない。そんな小平治は、大店の主とひょんなことから懇意になり、藩の忍び一同で雇われて仕事をこなす忍びの口入れ屋を稼業とすることに
郡山に程近い要衝な事からか「見張る」から語源だとも言われている三春。この地を治めていた坂上田村麻呂が先祖と自称する田村氏は、娘を伊達政宗に嫁した事で地位の向上を図るが、奥州仕置きで没落。家名の再興は伊達政宗の孫が田村家を新たに起こすまで待たねばならず、一関に構えることになった。三春の地は蒲生氏、加藤嘉明の加藤氏、松下と代わり、秋田氏が入って維新を迎える。東北の小藩であることから人材育成に重点を入れていたことから河野広中などの人材を輩出。戊辰戦争の頃は「三春狐」と言われる微妙な立ち回りを演
歴史人は毎号魅力的な内容が多くて特に江戸時代関連は買ってしまいたくなるけれどそれだとキリがないので今回も借りてきました。歴史人2023年1月号Amazon(アマゾン)990〜1,596円近世大名の領地と支配機構である「藩」という言葉が使われるようになったのは概ね明治になってからだということを少し前に知った時は意外な気がしていましたが元々は石高の検知(太閤検地)を行った秀吉によって各地の等級を定めて大名を統制したことに始まった制度とのことで江戸時代に入ってからもそれを踏襲
役所広司主演の時代劇作品巨匠4名(黒澤明・木下惠介・市川崑・小林正樹)が結成した四騎の会の脚本と知りあまりの豪華さに身構えて観始めたが意外にもコメディ寄りなので町奉行であるどら平太の裁きを含め、全体を通して気楽に楽しめたクライマックスの大立ち回りですら峰打ちで一貫していたどら平太だが唯一、意外な人物が亡くなってしまうのでこの時のどら平太の心境を、ふと思う
久し振りに青空が広がる空になりました。五月晴れとでもいうのかな?本当に何日ぶりだろう?また明日から晴れの日が続きます。GWも後半ですね。楽しんでますか?GW明けに疲れが残らない様にしてくださいね。江戸時代の昔まで、日本が「藩」というくくりで日本の中に、いくつもの国があった頃は、例えば北日本だけが日照時間が長くて、野菜が育つのに西日本、東日本は日照時間が短くて野菜や米が採れないと餓死する人が沢山いました。明治になり日本がひとつの国になり物流が生まれた事により今日の様な状況
おれはオレンジャー!かつて日本という国は藩という諸国に分かれそれぞれの土地を大名たちが統治していたある日黒船がやってきて藩という意識ではだめだと築いた若い志士が命を賭して藩の境界を越えて日本人という意識を産み出した今、地球は国という概念を超えられるかどうか試されている黒船ではないが人類の脅威となる様々な出来事に対してどう行動するかが問われているどこかの国が悪いとか誰々が悪いとか責任のなすり合いやけなし合いをしている場合ではない「地球人」とし
広島県大竹市これをみると小瀬川の流路、つまり、今の広島県と山口県の県境の位置が現在と違うことがわかります。国境問題は日本国内に存在していて、土地をめぐって殺し合いになるほどのことだったのです。
著者砂原浩太朗時代小説ですが、案外、読みやすいです葉室麟や藤沢周平作品のような、心が洗われる感じがあります清貧な暮らし、静謐な時の流れ、日本の原風景を想起させる風景描写など、しばし、気持ちを静めてくれますアラフィフの下級武士(小藩の郡方)高瀬庄左衛門が主役婿入りし、妻に先立たれ、そして、息子も失くし、時折趣味の絵を描いて、つましく過ごしています職務を全うし、百姓たちとも分け隔てなく話し、また、相談事を受ければ誠意をもって解決策を考える正直な生き方を貫いています彼の周
「国」というのを現代のような独立国家の意味、ではありません。。ここでいう「国」とは、飛鳥時代にできた「律令」によって定められた行政区画に過ぎません。それぞれの国には「薩摩守」「武蔵守」といった役人が任命されてますが、これは王様でもなければ領主でもなく、いまでいう県知事、というほどの権限もなく、言ってみれば「税務署長」程度の権限しかないものです。現代でも、地方のことを「クニ」といいますね。故郷に帰って家業を継ぐのを「クニに帰る」といいます。この「国」という区分は、武士が日本を分割して支配する
大名屋敷のことを、藩邸、というのは、実際には幕末ですね。藩、っていう難しい言葉は江戸時代には一般には使われてなかった、だから人々は普通に「大名屋敷」と呼んでいました。ところが、幕末になって、自分の属する大名家を「藩」という学者用語で表すのが「カッコイイ」というんで大流行になった(これを流行らせたのはインテリ吉田松陰の弟子の長州人です)。薩摩藩、長州藩、といった呼び方は幕末になって言われ出した言葉。江戸や京都、大阪にある「大名屋敷」(幕府に対して治外法権がある)は、彼らの政治活動、軍事活
ドラマ全くみませんみるのは大河のみです今日は、第18話!まあまあ泣きました平岡円四郎、好きなんですよ~なのに・・・平岡円四郎の事は渋沢栄一の手記によって色々と分かったこともあるようですね!手記に残すってのが文学があるっていうかやっぱり普通の人ではない渋沢栄一!昔の人は文をよく書いてるから字もうまい!と、スマホの画面をタップしてる僕青天を衝け前回くらいから薩摩や長州がでてきましまそこで気になった事幕末の力のあった組織ってどこが一番だったのかな~誰がどう査定したのか分か
こんなことも書いていたんですね。大奥研究会とかってあるのだろうか。以下は八戸藩の事例です。良かったらそれぞれポッチとしてね!👇
「幕府」はもともと中国語です。将軍が幕を張って戦争の指揮を執る場所を幕府と呼び、転じて将軍本人のことを通称「幕府」と呼んだんです。それが日本でも使われるようになったのはいつころか、って話になると、さあどうでしょう。少なくとも律令が出来て、日本にも中国と同じような官位官職の制度ができて以来ですけど。今も昔も、知識人ほど「原語」を使うとエライというのがありますから(医者がドイツ語でカルテ書いたり、高級レストランが料理の名前をフランス語にするのと同じ)、将軍のことを「幕府」と呼んでいたインテリは、そ
スピブログランキングお手間でなければクリックをいただけると励みになります(2018年12月の記事です追記有り)前世のご質問が複数きたのでこちらでお答えします1「前世が武士、姫、歴史上の有名人などを語る人が多いですけど、本当はどうなんでしょうか?」あー、確かにスピブログでは多いですね(笑ばさっと斬ってしまいますが、歴史上の有名人などは思い込みがはげしいなぁという気がします(笑ですが普通の武士や姫などはけっこう過去世で経験している人は多いです理由は簡単で数多い前世のひとつに
一国一城令がでたのは江戸時代でしょうか?が,陸奥国仙台藩?では都合により三城あった??もちろん1つは仙台城、今ひとつは白石城ですね。(下記サイト内リンク)が、今ひとつ一関城ですね!!この一関は仙台藩の中にあり独立しているようでまた仙台藩の一部であるような不思議なお国!よく仙台藩の支藩などといわれているようです。この支藩がくせ者ですね!が、支藩そのものがどのようなものであるか別にして藩を検索してみると藩そのものがちょっと気になる内容がありました。藩が公用語として使用されたのは明治維新からとい
『藩と県―日本各地の意外なつながり』赤岩州五/北吉洋一著草思社文庫近くの書店でふと目にとまった1冊。前から全国諸藩の事情に興味があり、そもそも各県にどんな藩があったかもあまり良く知らなかったので勉強しようと思い買いました。幕末・明治維新を境目に変わった藩・県の様子と、江戸時代を通して頻繁に行われた転封、お国替えの結果生じた遠距離間の縁などが詳しく書かれていてとても興味深く読み進むことができました。あとは江戸時代より前の、旧国名
こんばんは、藤谷です。さて、本日も呼吸運動に5回取り組みましたですが、やっぱり今日も小田急線を1コマ進め…ません。昨日は【狛江駅】を紹介いたしました。本日は隣の【喜多見駅】を紹介したいと思います。今日はとある情報が入り込んできました!なんと、喜多見駅から南に徒歩約20分のところに「喜多見陣屋跡」という史跡があるんだそうです!なんと喜多見氏によって築かれた「喜多見藩」の藩庁だったそうですそうだったんだ!喜多見駅の名前が、そのまま藩の名前だったとは知りませんでした。そして、東京2
「とめ藩ライブ」や「えんたばっ!」で長年お世話になった笑いや涙の思い出がいっぱい詰まったスカイホールの閉鎖まであと1週間。お別れをしてきました。「おごれる者、久しからず」終わりだなんて、奢ってもらっても、奢ってもないけど…(え?そういう意味じゃないって?)ま、そういうことよ。この経験を次なるステージに。
ご飯に一番合うおかずといえば?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう昔は藩年貢米の横流しとかありましたねw
藩への功績が認められて設置されたという医薬門です。門は家の位や威信を現しているそうです。門の前には馬つなぎ石がありました。
久しぶりに面白い本に出合いました。それが此れ。剣術修行の旅日記です。以前に「鬼の冠」だったと思いますが津本陽氏が書かれた本の中に武者修行者の大変さ、苦労さが書かれていましたがこの本を読み進めると大きな差を感じました。藩勤めの武士の場合は藩からのバックアップがあり、他藩との交流もあったりでしています。「鬼の冠」の場合は藩勤めがない武士や根っからの浪人の武者修行かなと思ったりもしました。興味のある方はご一読を
清少納言が和歌に詠んだ史記「孟嘗君列伝」父から「殺せ」と命じられた息子の逆転劇Yahoo!ニュース清少納言が和歌に織り込んだ「孟嘗君列伝」.夜をこめて鳥のそら音(ね)ははかるともよに逢坂(あふさか)の関はゆるさじ「夜が...書写の里・美術工芸館「夏休み子どもミュージアム」開催姫路市KissPRESS播磨地域の工芸技を子どもたちに楽しく伝える.書写の里・美術工芸館「夏休み子どもミュージアム」開催姫路市.2020年7月18日(土)~8月30日(日).書写の...
今の九州地方の豪雨は、幕末の東征をした藩が中心に被災している…。僕のROOTSが奥羽越列藩同盟の藩であるだけに同情出来ない…。むしろ、ネガティブな感情の方が多いかな?とてもじゃないけど…blogでは言い切れない汚い言葉を使う感情…。そこには、先祖から受け継がれたDNAが恨みの感情を引き起こしている…。
6月から図書館が再開して、ハマっているのが『姫様お忍び事件帖』沖田正午。図書館の棚に並んだ9冊、一気に借りて来ちゃいました主人公は武州槻山藩の勘定方小坂亀次郎。それが武州弁で「~だべ」、「そりゃできねえべ」、、、鶴姫までもつられて武州弁になってしまいます。武州は武蔵野なので、槻山藩がどこなのか分かりませんが、どうも浦和、大宮辺りじゃないかと勝手に想像しています^^;関東の地理、知らないので。(大宮の手前の与野には仕事で2年ほどいたので、大宮だったらいいな
皆さん、もうマスクは届きましたでしょうか?僕も家と、大学のキャンパスに無事届いております。まだ届いていずに、少し不安がっているかたもいらっしゃるようです。彼らの不安は、もちろんマスクが手に入らないことではありませんよね。いまや、町中でも結構見かけますから。それより、不安の正体はこうでしょう。「自分が国民として認識されてないのではないか?汗」思えば、国境がなくなっているなんて言われていた現代で、逆に自分が日本国民だという認識をしたのはひさしぶりではないでしょうか