ブログ記事4件
宇和島伊達家九代の居城伊予・宇和島城の続きです。伊達家が2家に分かれたのは、幕府の有力外様大名統制政策の一つで伊達家を東西に分断(伊達家の力を削いだ)、また豊臣家に近い秀宗を僻遠の四国に遠ざける必要があったため、ともされている。秀宗は豊臣秀頼の側小姓であったので、大坂の陣の際は大坂に駆けつけとったらおもろかったのにな。けど駆けつけとったら、宇和島伊達家はパーでんな政宗の頸も危ういな城巡りの最中は写真撮るのに必死なので、記事を書きながらこんな妄想をして楽しむ。では天守内
今回からは水戸城(日本100名城)の紹介です。2021年8月7日に訪問しました。令和3年復元された二之丸角櫓です。下図二之丸の一番下にあります。水戸城の現在地にある案内板です。本丸にある水戸城解説板です。1647年頃の水戸城絵図です。本丸は現在水戸一高になり、下の丸は現在下図グランドです。水戸城(グーグル)千波湖は埋め立てられて小さくなりました。水戸城は右上にあります。(グーグルより)鎌倉時代常陸国の大掾(守・介・掾の順地方官名)で
川西市まで鉄馬に跨り、遠駆けいたしました。(スクーターでブイ~ンと行ったという意味)兵庫県川西市多田院多田所町清和源氏発祥の地多田神社(ただじんじゃ)(別名多田院)御祭神源満仲—清和天皇の第六子の貞純親王の子・源経基の嫡男、多田源氏の祖。源頼光—満仲の長子源頼信—満仲の三男、河内源氏の祖。源頼義—頼信の嫡男、河内源氏二代目源義家—頼義の長男、通称・八幡太郎。源頼朝の祖先。因みに、甲斐武田氏(信玄さまとか)は頼義の三男・新羅三郎義光の子孫にあたる
今日も完全に夏日でしたが関西は梅雨明けしたのでしょうか?もう7月に入りましたが1週間ほど前の6月撮影分です入り口の山門藥医門金堂昨日から愛染祭が始まっていますが今年は規模縮小で縁日屋台や宝恵駕籠パレードはない様です桂とノウゼンカズラが一体となった「愛染かつらの木」名前は分かりませんが赤い実がたくさん生っていました明日へ続く